- 本 ・本 (290ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062186742
作品紹介・あらすじ
江戸以前、武士とはどうしようもない暴力的存在(野蛮なかぶき者)だった。本書は時代をさかのぼり、戦国期の武士を貫く行動原理がどのようなものであり、太平の時代になっていかに危険なものとなったかを明らかにする。そして、じつは赤穂事件こそが復讐の論理を忠義の論理に切り替える(すり替える)という、真にアクロバティックな思想的転換であったことを示す。
野口武彦氏にはすでに『忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声』(ちくま新書、現在はちくま学芸文庫)という傑作があります。そこでは事件の発端から終結まで、後世の潤色を取り去り、史料の叢から元禄の人間ドラマをよみがえらせました。
しかし、それだけでいいのか。ここから著者の新たな追跡がはじまります。
「後世の潤色」にはいろいろありますが、その最たるものは武士道というイデオロギーによるものです。忠義のベールに覆い隠された事件の本質はなんであり、それを取り去ったあとに残るものはなにか……。
それは自力救済と復讐の論理であり、武士という存在のどうしようもない暴力性です。ガルシア=マルケスのひそみに倣えば、「忠臣蔵」とは「元禄の予告された殺人の記録」なのです。
本書は時代をさかのぼり、主に戦国期の武士を貫く行動原理がどのようなものであり(野蛮であり、傾奇者であります)、太平の時代になり、権力にとっていかに危険なものとなったかを明らかにします。そして、じつに赤穂事件こそが復讐の論理を忠義の論理に切り替える(すり替える)という、じつにアクロバティックな思想的転換であったことを示します。
げに武士道とは、始末に負えぬものなり
江戸以前、武士はどうしようもなく暴力的で野蛮な存在だった。太平の世を迎え、権力は自力救済と復讐の論理を服従の美学に転換させるべくさまざまな努力を重ねる。それでも間歇的に噴出する異議申し立て。その頂点が赤穂事件だった。忠義のベールを取り去ったあとに残る「日本人の正義」の原形質を明らかにする歴史エッセイ集。
感想・レビュー・書評
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日本人が喧嘩による自力救済から法治社会へと変貌したのはどういう背景だったのか、関心があり手に取ってみました。
途上国で自力救済、つまり喧嘩による血みどろの暴力が支配する秩序から、どう法治社会へと変わりうるのか、、日本の過去を辿ることで考えてみたいと思ったからです。
要するに、公正な裁きの保障がなされていることと、その実効を担保する力が存在すること、ということが述べられていました。
暴力に支配される、血みどろの世界から社会がどう変わることができるのか、少しヒントになった気がします。
著者の独特の言い回しや、時折くだけた表現がマニアックな世界を身近に感じさせてくれ、私は一気に読むことができました。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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