- Amazon.co.jp ・本 (290ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062191418
作品紹介・あらすじ
「好色一代男」「世間胸算用」などの浮世草子で知られる井原西鶴は寛永19年(1642)生まれで、松尾芭蕉や近松門左衛門と同時代を生きた俳諧師でもあり浄瑠璃作者でもあった。俳諧師としては、一昼夜に多数の句を吟ずる矢数俳諧を創始し、2万3500句を休みなく発する興行を打ったこともあるが、その異端ぶりから、「阿蘭陀流」とも呼ばれた。
若くして妻を亡くし、盲目の娘と大坂に暮らしながら、全身全霊をこめて創作に打ち込んだ西鶴。人間大好き、世間に興味津々、数多の騒動を引き起こしつつ、新しいジャンルの作品を次々と発表して300年前のベストセラー作家となった阿蘭陀西鶴の姿を描く、書き下ろし長編時代小説。
芭蕉との確執、近松との交流。娘と二人の奇妙な暮らし。
創作に一切妥協なし。傍迷惑な天才作家・井原西鶴とは何者か?
感想・レビュー・書評
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日本初のベストセラー作家井原西鶴のひととなりを盲目の娘おあいの視点からあぶりだしていく物語。自らを阿蘭陀=異端と名乗る西鶴、それを最初白々と見、自分勝手にふるまい家のことを放っておく西鶴に反発を覚えるおあい。しかし西鶴にお供して行く先々で出会う人々やおあいを育て上げるまでは断酒をすると宣言し、その後一滴も酒を飲まなくなったということを知るのをきっかけとし、親子の(というかおあい側)の確執は徐々にとけてゆく。
俳人としての西鶴がどのような評価を後世得ているのかは残念ながら私は知らないけれど『好色一代男』の世の介は知っている。市井の人と交わるうちにすかした俳諧よりも親しみを持てる草紙ものをと転換した西鶴。そのカンは大当たりし、年に何冊も好色ものが刊行されるようになる。一見単調な職業作家へのサクセスストーリーもまかてさんの素晴らしい描写による江戸の雰囲気とおあいの存在とが華を添えて絵巻物のような小説になっている。 -
井原西鶴の娘おあいから見た父親の生涯が描かれている。
おあいは目が見えないが、台所と縫い物は健常者より上手くこなす。
音と匂いの描写が随所に出てきて、快適な文章で物語は進む。
近松門左衛門や松尾芭蕉も出てきて面白い。
自由奔放な西鶴の中にも娘に対して親としての愛情が垣間見える。
印象に残った文章
⒈ 人は同じ物事を目の前にしても、まるで違う景色を見る。
⒉ 巧みな嘘の中にこそ、真実があるんや。
⒊ 父はおあいが大人になるまでは死ねぬと、酒を断って願を掛けたのである。 -
流れるような筆の運びで江戸の草草を書き綴った西鶴。大矢数はもとより、多くの好色物から世話物、またいささか教訓めいたものまでを、己の中から湧き出る言葉をすらすらと墨字にかえて面白おかしく哀惜を込めて書き記した人だと思っていた。
本作は、その西鶴を早くに亡くなった妻の代わりに支えている盲目の娘おあいを通して描いたものだ。取り巻き連との掛け合いや板元との駆け引きなど、なるほど名のある戯作者とは、こういう生活だったのだろうという日々の中から、ある時、筆で身を立てるということを真剣に模索し、言葉を紡ぐ苦しみに打ちひしがれる西鶴。それまでは父の愛を自分勝手なものとして疎ましくすら感じてきたおあいだったが、そんな父をやさしい気持ちで包み込むことができるようになった。
西鶴は書いたものを必ず声に出して推敲したとあるが、もし諸国ばなしの序を読み上げていたとしたら、一生嫁にもいかず、父のそばで家を取り仕切ってきたおあいは何と思って聞いたのだろうか。学生時代、先生が「君らはもう大年増ですよ。」と笑いながら教えてくれた講義を思い出し、そんな風に考えてしまった。
「世間之広き事、国々を見めぐりて、はなしの種をもとめぬ。 …… 都の嵯峨に四十一迄、大振袖の女あり。是をおもふに、人ハばけもの世にない物ハなし。」 -
面白かった!盲目の娘から見た父、井原西鶴。反発する娘心と親心。江戸時代の庶民の生活ぶりも生き生きと描かれている。当時の俳諧や浮世草子、人形浄瑠璃の様子もわかる。大島満寿美さんの『渦』『結』の世界と通じるものがあって楽しかった。
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井原西鶴と盲目の娘のおあいの暮らしを通して西鶴という人物が見えてくる。自分勝手な男だと思ってきた父西鶴の父親としての愛情に気づいて、おあいの心の成長が読んでいてほっこりしました。
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井原西鶴に盲目の娘がいたというのは資料の断片からしか読み取れない事実のようだから、その娘が盲目ながら料理も裁縫もこなし、音や匂いや気配で敏感に父の周りの出来事を感じ取った、というのはおそらく筆者の創作であろう。大衆小説の創始者として文学史に足跡を残す井原西鶴の内面に思いを馳せ、自ら創作したに等しい「盲目の娘」にそれを語らせたのが本書である。
人は想像力を働かせることで、自分が住む場所よりも広い世界を感じることができる。井原西鶴は大阪の町人たちが共感できるキャラクターを設定し、その想像の枠を広げたが、本来暗闇の狭い世界に棲むはずのおあいも、浮世草子を推敲する父の声に導かれて外の世界を知り、やがて家族の本当の想いにも触れていく。おあいはが亡くなったのは26歳の時、父が「世間胸算用」を出した頃と想定され、10代半ばから10年間の心の葛藤に自由に想像力を働かせることで、朝井まかては前作「恋歌」を超える円熟味を示したのではないか。 -
朝井まかてさんの中で一番好き。淡々と話は進むけどラストが感動的すぎて。何度もラストで泣いてしまう。