アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ

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  • 講談社
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感想 : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062194938

作品紹介・あらすじ

戦後70年である2015年は、アウシュヴィッツ解放70年でもある。1939年ナチス・ドイツに蹂躙されたポーランドは、その国内に絶滅収容所をつくられ、ユダヤ人とともにポーランド人もまた多く収容された。
本書の主人公、ヴィトルト・ピレツキはドイツに占領されたのちロンドンに移ったポーランド亡命政権の騎兵士官で、収容所の実態を世界に知らしむため、かつその解放を目指し、自ら志願してアウシュヴィッツへ潜入した。1940年9月21日のことだった。その後、収容所内に地下組織を築き、悲惨な状況を外部へ伝え、同胞のサポートに回った。しかし、ドイツ側の監視の目にその行動があぶりだされる寸前の1943年4月27日、947日間の潜伏から収容所を脱走する。
その後もナチスへの抵抗は終わらず、44年8月のワルシャワ蜂起までゲリラ戦を挑む。蜂起の失敗後はナチスの手に落ちるが、翌年ドイツは敗戦を迎える。
ナチスに対し勝利したことで、ピレツキは英雄として祖国に迎えいれられるはずだった。しかし、ナチスに変わりポーランドを支配したのはソ連だった。45年以降、ピレツキは亡命政権の一員として反共産主義の戦いを挑むようになる。ソ連の傀儡と化した革命政権下のワルシャワに潜入するも、47年に逮捕される。拷問、暗黒裁判ののち、死刑確定。48年に処刑された。その後ピレツキの名は、ポーランド史から抹殺された。その名と功績が再評価されるのには世紀が変わるまで待たなければならなかった。

感想・レビュー・書評

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  • ヴィトルト・ピレツキ。ポーランド軍の大尉である。
    日本ではあまり知られていない人物だが、実のところ、本国・ポーランドでも死後、長く、その生涯が正しく知られることはなかった。
    国を愛した彼が、1948年に剥奪された名誉を回復されたのは、その42年後、1990年のことだった。名誉とともに命を奪われた彼自身はそのことを知る術もなかった。
    本書は、ポーランドをよく知る法学博士・平和研究者が、ピレツキの数奇な生涯を、その遺児らの証言を交えつつ、日本向けに紹介するものである。

    今では祖国の英雄として知られ、学校や通りに彼の名がつくほど顕彰されているピレツキとはどんな人物だったのか。その波乱と困難に満ちた足取りは、ポーランドのたどった苦難の道のりと重なる。

    ヴィトルト・ピレツキは1901年、ロシア領で生を受ける。ピレツキ家はポーランド小地主階級の家柄だったが、ヴィトルトの祖父がロシアに対する武装蜂起に連座して不動産を没収され、ロシア内地へと移住していたのである。当時、ポーランドはロシア・プロイセン・オーストリアの三大国により分割され、独立国家としての地位を失っていた。
    後、ヴィトルトは幼時のうちに母に連れられ、再びポーランドへと移住する。
    愛国的な非合法組織であったボーイスカウトで野営キャンプや軍事訓練を受けた彼は、長じて軍人となる。1939年、独ソの侵攻に伴い、ポーランド国家は消滅し、パリ(後にロンドン)に亡命政府が生まれる。ピレツキは武装地下組織の創設に奔走し、レジスタンス活動に身を投じる。ピレツキらの組織は、亡命政府に与するものであった。
    アウシュヴィッツを初めとする収容所は、初期の頃は主に政治犯が送られる場所であり、ユダヤ人はさほど多くはなかった。仲間が送られたアウシュヴィッツの実態を知るべきだという議論が高まり、ピレツキは、任務として、アウシュヴィッツへの潜入を志願する。偽名を用いてわざと逮捕され、中の状況を探るというきわめて危険な任務である。
    潜伏すること実に948日。危険をくぐり抜け、内情を探り、収容所内で地下運動に参加する仲間まで得た後、ピレツキは2人の仲間と、アウシュヴィッツからの脱出に成功する。
    1943年のことだった。

    何とかワルシャワに戻った彼は、国内軍(AK)に合流し、戦闘に参加する。1944年のワルシャワ蜂起で、圧倒的に戦力に差があるドイツ軍と戦い、AKとワルシャワ市民は敗れる。高見の見物をしていた形のソ連軍は、ことが片付くのを待ってワルシャワを占領する。
    ワルシャワ蜂起を指導した亡命政府は、ソ連とはカティンの森事件に関する疑惑(ソ連の捕虜となったポーランド将校が行方不明となり、後、死亡が判明した事件)もあり、折り合いが悪かった。
    亡命政府は帰国が叶わず、ピレツキは、ワルシャワ蜂起が失敗した後、今度は反社会主義運動に携わることになる。ポーランドに成立したのは、ソ連の息が掛かった臨時政権。亡命政権の立ち位置がぐらつく中、ピレツキ自身も何と戦っているのか大きな不安を感じていたようだ。
    そして遂に捉えられ、名ばかりの裁判を受け、処刑が決まる。
    47年の生涯だった。

    ピレツキが軍人として優秀であったばかりではなく、妻や子供たちを思い、数少ないふれあいの時を愛情深く過ごした姿も描かれる。
    直接ピレツキに関係するわけではないが、背景知識として、コルベ神父や杉原千畝についての記述もある。当時のユダヤ人の置かれた状況を理解する一助となるだろう。
    1つ、苦言を呈するとすれば、著者が手がけるノンフィクションとしては初めてのものであることによるのだろうが、ピレツキの視点・著者の視点・第三者的な視点・遺児らの視点の整理がやや甘く、わかりづらい箇所がある。それだけ、この人物を紹介したいという意図が強いということなのだろうが、もう少し読み手への配慮があってもよかったように思う。
    なお、ピレツキがアウシュヴィッツに潜入して書いた「報告」について、本文中でも何度も触れられ、引用箇所もあるが、邦訳は出ていないようである。ポーランド語や英訳に関しては、ウェブ上で公開されているようだ。

    何が痛ましいといって、「アウシュヴィッツで受けた抑圧は、(臨時政権に)逮捕されてからなされた拷問に比べたら子供の遊びだ」と本人が妻に漏らしていたことだ。そして、アウシュヴィッツは彼の命を奪わなかったが、スターリンの息が掛かった政権は彼を処刑する。国家の敵であり、スパイ行為を行ったとして。
    変節を続けた祖国を、なおも愛し、尽くし続けた男。
    最後に脳裏をよぎったのはどんな思いだったのだろうか。

  • 朝日新聞の書評を見て、図書館で予約をしたのだが、少し待っている間に、内容の紹介を忘れてしまい、タイトルを見て、「アウシュヴィッツに志願したポーランド人」ってナチス側についたポーランド人か?と全く逆に思い、本を開いた。
    つまり全くピレツキのことは知らなかったわけで、大変勉強になった。
    収容所の中でも、抵抗組織が作られていたり、外部との連絡ができていたり、驚くことが多かった。脱走が成功したところでは、成功するのはわかってはいるのだが、ホッとした。
    収容者内のつらい日々の描写は、他の本などでも読んだり、アウシュヴィッツに行った経験も重なったりで、心が苦しくなる。拷問もまた。

    ユダヤ人にとっての強制収容所としか見ていなかったので、ポーランド人にとっての強制収容所を知ることができてよかった。

    収容所脱走後、それも戦争が終わってからのことが、ポーランドの現代史をほとんど知らなかった私には衝撃だった。

    国を愛する、国を守るということが、どういうことかと考えさせられた。国のため、ナチスと戦っていたピレツキたちが、ナチスから開放されたあと、新政府によって、ソ連の傀儡政権によって、かつての仲間たちによって、反逆者として処刑されていくまでの流れがつらすぎる。要領よく転向する人たち、新しい政府に逆らえず流されていく大衆。人間って悲しいなと思う。
    強い権力を持った体制と戦うことの大変さ。命を賭けてまで戦うという手前で、もっともっと手前でやはり食い止めないといけないんだと思う。

    たまたま(なのかどうか)、今DVDで映画「グッドラック&グッドナイト」を見始めたのだが、これもつらすぎて(多分生命の危機まではいかないと思うのだが)、一旦止めて、これを書いている。
    この苦しさは、遠い過去のこと、遠い国のことではなく、今この時代、この日本のことと重なるからなのだ。

    2年前、アウシュヴィッツを見学したとき、ガイドの中谷さんが、「今私たちがアウシュビッツから何を学ぶべきか?今の日本の現状と当時のドイツの状況とは決して離れてはいない」とおしゃっていたのが忘れられない。
    そして「傍観者ではいけない。傍観者は賛成しているのと同じだ」という言葉が、今の私の小さな行動を支えている。

    こんな感想を書くほどの読書体験になると思わず読み始めたのに、読み進めていくうちに、いろいろな思いが私の中で混じり合い、まとまらない。

    まとまらなくてもいいので、ずっと考え続けたい。

  • 第二次大戦中、ユダヤ人ら100万人以上が殺された収容所アウシュヴィッツに、自ら捕虜となって潜入した1人の男がいた。ポーランドの軍人ビトルト・ピレツキ。彼の目的は、収容所内を調べて、秘かに外部に情報を送り、ナチスの非道を世界に知らせること。そして、収容所内で抵抗グループを組織し、内部からの収容所解体を狙うものだった。

    彼は、どうやって収容所に潜入したのか。劣悪な環境をどう生き延びたのか。その疑問に答えるように、膨大な資料をもとに日本人研究者がまとめたのが本書だ。ユダヤ人収容者とは異なる目線で内情をつづっている点が興味深い。

    彼は、収容所内で書いた報告書でこう語っている。「私は、石でも木でも無く感情を持つ人間だから、時には生じた事実に対して、思いや感情を率直に記すこともある」。家族との思い出や感情の機微が記された文章からは、彼の人間性が感じられる。

    彼は収容所を脱獄し、詳細な報告書を書いて世界を驚かせた。戦後はソ連の傀儡政権への抵抗運動にも参加。彼の歩みは戦中はナチス、戦後はソ連に翻弄されたポーランドの悲しい歴史を物語っている。

  • ノンフィクション
    歴史
    戦争

  • 自由とはなにか、国を愛するとはなにかを考えてしまう1冊。

    ポーランドの騎兵大尉ヴィトルト・ピレツキの生涯を描いたものである。
    前半は、アウシュヴィッツ収容所の実態を知るべく秘密裏に潜入した姿、後半は、ナチスドイツ、ソ連からの祖国ポーランドの解放を求める姿が描かれる。

    タイトルからすると、アウシュヴィッツの凄惨な様子を描いたものかと思ったが、むしろ周辺国に翻弄されてきたポーランドという小国の悲しさが際立つ。

    歴史上幾度となく大国の思惑に翻弄され続け、時には国自体が消滅したことのあるポーランド。

    あくまで大国に抵抗して存続も危ういかもしれない道を進むのか。
    それとも大国に従属してながらえる道を選ぶのか。

    ピレツキは、前者を選んだ。

    自分が守りたい国の姿と、現実の国の姿が離れていくとき、自分はどの道を選ぶのか、考え込んでしまう。

    自分がその立場に立たされたら、自分に恥じない振る舞いができるだろうか。
    私にはまったく自信がない。


    図書館スタッフ(東生駒):コロロ

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    帝塚山大学図書館OPAC
    https://lib.tezukayama-u.ac.jp/opac/volume/815880

  • ヴィトルド・ピレツキ。
    この本を読むまで知らなかった。
    アウシュヴィッツ強制収容所に潜入し、内部状況を外へ伝え、内部組織をつくり、脱出。
    その後、社会主義化していく祖国で罪人として処刑された。
    彼の罪が無効なものであると、名誉回復がなされたのは1990年以降のことだった。
    大国の思惑によって左右されてしまうという現実が如実に書かれていた。

  • 289.3

  •  右であろうと左であろうと、全体主義を突き進めていくと似たようなもので、「自由を享受する」という観点から見れば、その理想とは程遠い世界となっていくのだろう。ピレツキは結果的にその両方に抗う形となり犠牲となった。
     本人の記述ではないため、客観的な書きぶりとなっていた。

     「自由を享受するという理想」については、これからも考えていきたい。

  • ピレツキの「報告」はアウシュビッツの内情に関わる従来の常識を大きく覆した。例えば、収容所内では家族からの送金も認められ、その額は月30マルクか、二度に分けて15マルクずつが収容者の手に渡っていたことや、収容所内には売店があり、タバコ、サッカリン、マスタード、ピクルスなどを買うことができたこと、また収容者家族からの小包は、衣料については当初から認められ、食糧小包も1942年のクリスマス行こうは解禁されたことなど日常生活の実際が詳細に報告されている 。

  • ブログに掲載しました。
    http://boketen.seesaa.net/article/424087759.html
    ファシズムとスターリニズム。20世紀の巨悪とたたかった男の伝記。
    ナチスの絶対悪の象徴ーアウシュヴィッツ収容所。
    1940年6月パリ陥落の日に設置され、1945年1月ソ連軍に解放されるまでの約4年半、ここに移送された130万人のうち110万人が殺された。
    この収容所に自分の意志で潜入し、2年7か月にわたってその非人道的な収容所の実態をレポートし、反ナチグループを組織し、同志とともに脱出したポーランド軍大尉=ヴィトルト・ビレツキ。
    脱出後「ワルシャワ蜂起」(1944年)をたたかい、ナチの捕虜となり、今度はドイツ国内の収容所に送られるも、ナチスの崩壊により釈放。
    ナチスに変わって祖国ポーランドの支配者となったスターリニストと敵対。「社会主義の敵」として逮捕・拷問・銃殺される。
    処刑から40年後の1990年、ソ連・東欧圏の崩壊によってビレツキは「社会主義の敵=祖国の敵」から一転して、ポーランドの英雄となった。
    ポーランド最高裁の名誉回復の決定には「ポーランド国軍騎兵大尉ヴィトルト・ビレツキは、あらゆる軍人が敬すべきわが国英雄の一人である。我々はドイツ人、ロシア人と同罪である。我々自身の手で、我々自身の英雄を抹殺してしまったのだから」という一文が刻まれている。
    すごい人間がいるものだなあ。
    沈黙し、合掌するしかない本です。

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著者プロフィール

1950年三重県生まれ。法学博士。上智大学法学部卒業。1981年~82年ポーランド国立トルン大学大学院へ。留学中にワレサ率いる独立自主管理労組「連帯」の運動や戒厳令の日常を体験、以降、ポーランド、ドイツ、ソ連(ロシア)の歴史を研究し、専門は平和研究。大学教員を経て、現在NPO活動に従事。日本ポーランド協会元事務局長。現在までアウシュヴィッツ訪問20回、ポーランド国内にあるアウシュヴィッツ以外の絶滅収容所5ヵ所をそれぞれ3回訪問している。

「2015年 『アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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