あるようにあり、なるようになる 運命論の運命

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 104
レビュー : 10
  • Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062195751

作品紹介・あらすじ

「すべてのことは必然的に起こっている」というのが、「運命論」の主張です。たとえば、すべては神のシナリオ通り、という考え方もあれば、過去から現在に至る因果関係ですべて未来はきまる、という主張もあり得ます。古来、根強く支持されてきた思想といえます。アリストテレスはこれを論理的に批判しようとしましたし、彼と同時期のディオドロス・クロノスは擁護しようとしました。
現代哲学においても、リチャード・テイラーは支持派、マイケル・ダメットは批判派です。
たとえばテイラーには「オズモの物語」という議論があります。オズモはある日、図書館でこれまでの自分の人生を寸分違わず書いている本を見つけます。結末は、3年後に飛行機事故で死亡、となっていました。オズモは、その空港だけはさけようとしますが……。
あるいは、ダメットなら「ロンドンの空襲」。大戦時、ロンドンが空襲され、防空壕に逃げる。そこで運命論者が言う。「あなたは殺されるか殺されないかのどちらかだ。死ぬとしたら、予防策は無駄である。死なないとすれば、予防策は余計である。いま何をしようが未来には関係ない」――ダメットによればこの話には、論理的な間違いがある……。
このように、さまざまな運命論の議論を哲学的に仔細に検討しつつ、著者は、これまでにない独自の運命論に到達しようとします。
それが、タイトルになった言葉「あるようにあり、なるようになる」です。もう一言言えば、「運命に乗り、自由であること」。
因果関係や論理、可能・不可能といった様相、過去・現在・未来の構造を検討する時間論などなど、哲学の主要なテーマを自在に横断しつつ、著者がたどりついた地点とは?
哲学する醍醐味に満ちた一冊を堪能してください。

感想・レビュー・書評

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  • 大学生の頃、「運命の赤い糸はあるのか」について考えたのを思い出しました(笑)その時の考え方としては、「赤い糸が、あるならば云々」と、「赤い糸がないならば云々」という「ある/ない」の二分法を用いていたのですが、これが排中律だったとは夢にも思っていませんでした。
    「運命はあるか?」、その問いの答えは、本書のタイトルにあるように、「あるようにあり、なるようになる」とのことで……、確か僕が考えた「運命の赤い糸」の答えもそんな感じだったように思います。有るにしても無いにしても都合が悪いんですよね……

    21世紀哲学者の運命論の答えはこんなもんか~なんて若干思いました。馬鹿にしているわけではないですが、大昔から議論されているテーマの答えが21世紀になっても大きな進歩がないということは、逆に言えば明確な答えは無いということでしょう。いや、「あるようにあり、なるようになる」というのが答えなのですが、有るのか無いのかの白黒はつけられないってのが、隔靴掻痒で、なんかこう、バシッとした答えがほしいですね(笑)

    中学生の時、友達に誘われてソフトテニス部に入り、それから高校・大学・社会人になっても続けています。しかも、続けようと意識していたわけではなく、気が付くと続けていた、と言う方が適切で、これなんかも運命なのかなぁと思ったりします。つまり、「運命は過去に有る」のかも(笑)確か池谷裕二も、「自由は過去に有る」なんてことを言っていたような気がします。過去になってから分かるんですよね。

    ページ量が多くて読むのに時間がかかってしましましたが、読みづらいというわけではなく、割りとスラスラ入ってきました(一部を除いて)。僕の評価はA+にします。

  •  本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも質的にも入不二哲学の集大成とも言うべき内容に仕上がっている。
    『時間と絶対と相対と』の最終章「運命論から何を読み取るべきか」をさらに展開し徹底したこの作品は、もともと講談社の月間情報誌『本』に連載されたものであったが、単行本化の過程で大幅な加筆・修正がなされており、入不二哲学初心者はもちろんのこと、連載を読んでいた読者にとっても買って損のない一冊となっている。
     冒頭のプロローグからして気合が入っている。「概念を動かしてみる」と題されたそれは、それだけで一篇の哲学論文とも呼べるほどクオリティーの高いものである。もっとも運命論とは関係ないようにも見えるその導入部に、読者は一瞬戸惑うかも知れない。しかし冒頭で入不二が宣言しているように、本書は単なる運命論の本ではない。運命という概念が覆されるほどの破壊力を持った、正に副題「運命論の運命」にふさわしい革新的な哲学書である。
    「運命」とは不思議な言葉である。「運」とは偶然であり、「命」とは必然である。排他的とも思える二つの語が結合して一つの言葉を形成している。それゆえ「運命論」と「決定論」は似ているようで異なる。さらに運命論/決定論には「解釈的運命論」や「因果的決定論」があるが、本書で扱うのは「論理的運命論」である。それは感情的解釈や物理的法則とは無縁の、論理法則のみに基づいた運命論である。
     そんな論理的運命論においてキーワードとなるのが「現実」という概念である。排中律(「PまたはPの否定のどちらかである」)というツールを使って、現実の全一性と唯一性があぶり出され、論理と現実の複層的な対立が明らかにされる。入不二哲学独特の極めて抽象的な議論であるが、現実という得体の知れない怪物が、入不二言語によってからめ取られてゆく様は爽快ですらある。アリストテレス、ディオドロス・クロノス、リチャード・テイラー、マイケル・ダメットらの考察が俎上に載せられ、しかもいずれの哲学者にも与することなく、入不二は論理的運命論を超越した形而上学的運命論の高みへと飛翔してゆく。
    「運命論を本書のような仕方で考察したものは、これまでには無かっただろうし、今後も現れることはないだろう」という自信に満ちたあとがきの言葉は、全力を出し切ってやるべきことをやったアスリートの勝利宣言のようにも聞こえる。『相対主義の極北』『時間は実在するか』と並び、入不二哲学の現時点での到達点ともいうべき名著である。

  • 運命論についてとことん突き詰めて考えるとこういう本になるのかと思った。著者自身が、「おそらく、運命論を本書のような仕方で考察したものは、これまでには無かっただろうし、今後も現れることはないだろう」という力作である。同じ著者の『相対主義の極北』を読んだときの感想も同じだが、ここまでやってもそれだけが正しい解釈であると合点できたかというと、それは難しい。著者の記述は、読者の理解を促すような形で、論理的な筋立てを論点をときには先取りして解説するなど、行きつ戻りつし、やさしい。ただし、それ以上に内容自体がやさしくはないのである。過去、現在、未来、の時制を、当たり前のようにその中の時間を過ごしているが、深く考察すればするほど不可思議なものなのである。ただ、ここまで考えること自体には意味はあるはずだととも思うし、そこに乗せてもらって考えを馳せることも意味はある。もちろん、この地点にまで行くと、それでは「意味がある」とはどういう意味なのだろうかという話にもなるのだけれど。

    まず最初に「運命論批判に対しては、その批判の矢が運命論に届かないこと」を示し、「運命論擁護に対しては、その擁護が不完全なものにならざるを得ないことを示す」と著者の立場を明確にする。「本書が行おうとしているのは、「運命」という概念を動かして、それを変形することであり、そのプロセスを通して運命論自体を書き換えることである」という。

    運命に対して、時間と論理と現実性の観点から考察する(著者は、論理的な可能性と実際に現実である可能性を区別しており、それが理論の鍵のひとつでもある)。未来はあらかじめ決まっているものなのか、という命題は古来様々な形で扱われており、アリストテレス、ディオドロス・クロノスのマスター・アーギュメント、ダメットのロンドン空襲、国木田独歩の小説「運命論者」、リチャード・テイラーの「海戦」と「オズモの物語」、ソポクレス、ドニ・ディドロの「ジャックとその主人」、のそれぞれの論に対して、論理的運命論、解釈的運命論、因果的運命論といった観点から分析し、著者の見解をぐるぐると核心の周辺を回りながら滔々と述べている。

    著者が、本書のタイトル「あるようにあり、なるようになる」は、「運命」の表現になりうるとし、本書全体の「要約」あるいは「縮約」であるという。まずは、このタイトルの解説を追うのが全体をつかみ、また後で振り返るにもわかりやすいのではないか。
    前半の「あるようにある」については、次のように解説する。

    「まず重要なことは、「あるようにあるべき」という表現になっていないし、「他ではなくてこのようにある」という表現にもなっていないし、「あるだろう」にもなっていないということである。ただ単に「あるようにある」とだけ表現されている。そのシンプルな表現によって、必然性や可能性や特定の内容が消し去られている。その点で「無様相」で「空っぽ」の絶対現実を指し示すのに、「あるようにある」という表現は相応しい。...こうして、「あるようにある」は、絶対現実と相対現実の接触点を表現する。この接触点に付けられた名前こそが、「運命」だったのである。つまり、運命論は、「すべてのことは必然である」という当初の姿から、「全てのことはあるようにある」という姿へと変貌する。「運命」とは、そのような表現が相応しい「現実」のことであり、絶対と相対との重なりのことだったのである」

    次に、後半の「なるようになる」の部分である。

    「ただの「なる」でも、ひたすら「なりゆく」でもなくて、「なるようになる」と言われていることにも注目しよう。「<端的に>なる」や「なりなりなる」ではなくて、「なるようになる」。「ように」が挿入されることで、様態・内実(どのように)の充填を一瞬だけ期待させながら、その期待は「なる」の反復により裏切られて、満たされることがない。「ように」の中身は無いままで、「なる」の反復の中で押し潰されてしまう。つまり、「ように:」の介在によって、様態・内実が埋められる余地(空白)が一瞬開かれるけれども、しかし、「なる」の反復が一つに折り重なって、「空白」は埋められないままなかったことになる。「空白」は、埋められるのではなくて、空白のまま消し去られる。
    この「空白」の残響と圧殺を縮約して表現しているのが、「なるようになる」である」

    また、このタイトルは「あるようになり、なるようにある」という交錯配列を含意する。交錯配列は「あるようになり、なるようにあり、あるようになり、...」と無限に繰り返すことが可能である。無限の配列が短絡された形が「あるようにあり、なるようになる」と読むこともできる。前半で「現実」を、後半で「時間」のあり方を表現するだけでなく、「「現実と時間」が互い絡み合う様子も表現している」のである。その上で、著者が表現する「空虚すなわち充実」というあり方をこそより真実に近いものであり、立ち上ってくる不可思議さをも表している。

    運命論に沿って、未来は変更不可能であるというときのそもそも「変更不可能性」について議論することが必要になるのである。「未来を変える」ということが意味を持つのかどうかがまず考えるべき課題である。

    「「未来は変えられる」「未来は変更可能である」とは、そもそもどのようなことなのか。争点となっている「未来」について、それを「変える」「変更する」ということが、そもそもどういうことなのかは、実は不明である。...まさに、未来を強く特別視して「無」と考えるからこそ、「未来は変えられない」のである。「無としての未来」では、「変更」が向かう先がそもそも無い。「無い」ものは、変えられない。もちろん、「変えられない」とは、ここでは「確定している」ということではない。確定も変更もともに無意味であるという仕方で、「未来は変更不可能」である」」

    おそらくは、未来に対してわれわれを含む存在は自由ではない。それでも、先んじて人間を含む何らかの存在が理解することができることが論理的にも不可能ほど、それは情報理論的に複雑なものであるから、そこに対してわれわれが取りうる立場は、運命論的な立場ではなく、あたかも自由が許されているかのように振る舞うことが、われわれに許されているものだという理解をしていた。それは、ある意味では短絡的ではあるのかもしれない。自然主義と言われるものに対する批判を受けるものであるのかもしれない。本書の指し示すところを、決して十全に理解したということはできないが、運命や自由を考える場合には、ここまでの考察がおそらくは必要であるということを理解する上では読むべき価値があるのではないだろうか。

    いつか、ハイデガーの『存在と時間』やベルクソンやフッサールを読んでみてもいいのだろうな、とも感じた。


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    『相対主義の極北』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4480091955

  • 2017/6/8読了。
    文庫化してほしい。

  • 運命論

  • タイトルが全て。入不二哲学の到達点であり、おそらく主著となるであろう一冊。私のレベルでは一読しただけではついていけませんでした。。。またじっくり楽しもうと思います。

  • 2015.12 2度目の通読終了 面白かった。もしかして茶化しているのかとも思えてくる。
    あとがきに「もしレスリングを始めていなかったなら‥」とあるのも可笑しい。

  • 【配置場所】工大特集コーナー【請求記号】113.2||I
    【資料ID】91150916

  • 【選書者コメント】運命論ってどんなものだろうと思って。
    [請求記号]1100:576

  • 運命論の話である。哲学書だがわかりやすく書かれていたと思う。何度も言葉を反復して理解を深めようとしてくれている。それによりわかるところは大変よくわかった。
    が、一読しただけではやはりわからない事の方が多く、結局運命ってなあるのかないのかないのかあるのかわかりませんでした!!!!!
    あと5回くらい読んだら見えてくるかもしれませんが、図書館へ返却してしまうので(しかも予約ありなので)またいつか読む機会があったら追記します。
    あ、その前にヒモ理論の本読もうっと。

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著者プロフィール

1958年11月11日神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得。山口大学助教授を経て、現在、青山学院大学教育人間科学部心理学科教授(専攻は哲学)。著書に『あるようにあり、なるようになる』『相対主義の極北』『哲学の誤読』『時間は実在するか』など多数。趣味はレスリング。

「2019年 『運命論を哲学する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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