- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062197021
作品紹介・あらすじ
ディスカバリーチャンネル、BBC、CNN、ニューヨーク・マガジン誌、タイムズ紙などで「記憶ハッカー」と話題の研究者デビュー作、待望の邦訳!
脳は記憶の正確さを犠牲にしてでも、人が創造的に生きることを選んだ!
<なぜ?>
あり得ない出来事を記憶するのか
不正確な記憶で世界を解釈するのか
脳は間違って記憶したがるのか
完璧な記憶力を持つ人がいないのか
サブリミナルにハマるのか
自分の記憶を過信するのか
衝撃的な出来事を間違って記憶するのか
正しくなくても同調するのか
記憶を取り戻す治療が流行するのか
奇妙なものほど忘れないのか
ニセの記憶を植えつける――そんな物騒な実験を行うことで有名な著者。人間の記憶が間違って形成される過程を明らかにした研究成果を携えて司法当局に協力し、記憶の曖昧な目撃情報によって冤罪の危機にあった多数の容疑者の無実を証明してきた。
これまで「記憶は嘘をつく」系の本は多数、出版されてきたが、脳が記憶を都合よく作り替えたり、あり得ないし体験もしていない出来事を知っているかのように記憶したりする不思議なメカニズムの存在理由を、こんなに平易に語った本はほかにない。脳は記憶の正確さを犠牲にしてでも、人間がより豊かに、創造的に生きることを選んだのだ。その巧みな戦略に感嘆せずにはいられない!
感想・レビュー・書評
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このタイトルは内容をあまり反映していないと思う。なぜこんな安手の新書のようなタイトルをつけたのだろう(表紙の絵も意図がわからんし)。語り口は平易だけど、その内容は最新の研究結果に裏付けられた専門的なものだ。私たちの記憶というのはきわめて不確かなもので、容易に「過誤記憶」を持つが、それは脳の働き、記憶のメカニズムからそうなるべくしてなるものなのだ、ということを納得させられる。
前半のアプローチ部分は、やや退屈な感が否めない。たくさんの研究や実験に言及されていて、それは確かに興味深いのだけど、なかなか本題に入らず、ちょっと読み進みにくい。しかし、後半になると、そこまで述べてきた知見をもとに圧巻の記述が展開される。第6章「優越の錯覚」第7章「植えつけられる偽の記憶」が白眉。記憶というものについての認識を新たにした。
終章で著者は、記憶とのつきあい方を述べている。自分の記憶は非常に疑わしいと知りながら、幸せでいられるのだろうかという問いに「もちろん」と答える。わかりにくい記憶の仕組みを知ることで、そのいくらかは自分で制御でき、自分自身の記憶の被害者になりにくいからだ、と。
「私たちの過去は作り話であり、私たちが何とか確信を持てるのは、現在起きていることだけだ。これを知っていれば、この瞬間を生き、過去を重視しすぎないですむ。そして人生最高の時は今、記憶が意味するものも今であることを受け入れられるようになる。」
にわかには共感しにくいが、示唆に富んだ言葉だと思った。
へぇーと思ったことをいくつか。
・赤ん坊の脳は急速に成長するが(二歳までに容積的には二倍になる)、同時に神経細胞は大規模に刈り込まれる(主要な領域のニューロン数は、大人は新生児より41パーセントも少ないそうだ。ビックリ)。不要な情報を捨て、効率を上げ「最適化」を行うためだが、これがあまり幼い頃の記憶は持てないことの一つの原因らしい。
・「どんな出来事も想起するたびに、記憶は生理学的に歪み、忘れられやすくなる」というのにも驚いた。思い出すたびに確かなものになるんじゃないのか。思い出すというのは「索引カードをファイリングするのと同じで、一枚引き出して読んだらゴミ箱に投げ入れ、その内容を新しいカードにもう一度書き直す」ことだそうな。
・「記憶には二つのもの、要旨痕跡(経験の意味の記憶)と逐語痕跡(具体的な詳細)が関係しており、この情報は並列処理され、別々に貯蔵され、想起も別々である。要旨痕跡の方が時間がたっても安定している」。そうか、それで「○○に行ったとき会ったあの人、なんて名前だったっけ?」ってことがよくあるわけだ。
・「脳はマルチタスクが苦手で、特に同じ部位を使う二つの課題をこなすのは難しい」。これは実感として納得。今具体的な例が思い浮かばないけど。
・「検索するから忘れる」。これも実感。簡単にわかったことは簡単に忘れる。
・フロイトの「理論」は裏付けがなく、科学ではないとこてんぱんにやっつけられている。フロイトに対しては以前から批判が多く、臨床医の「私見」として見るのが正解なのかとも思う。でもフロイトの説にはたくさんの人を惹きつける魅力があるのもまた事実。「無意識」の重視という考え方には、多くのエセ科学を生むほどに説得力がある。
・「トラウマとなるような記憶はしばしば抑圧され、当人の記憶から排除されるが、何かのきっかけでよみがえる」というような筋立ては、フィクションの世界でよく登場するし、実際そういうこともあるだろうと思ってきた。著者によるとこの説は矛盾だらけで科学的根拠がないそうだ。そうなの!と驚く。
・過去の虐待被害を「思い出した」人による告発が、おそろしい冤罪事件を生んだ事例が紹介されている。ここで著者は、過誤記憶研究は虐待被害者をさらに苦しめるものだという批判があるが、そこは充分に配慮しなければならないとしている。これはなかなか難しい問題だ。
第1章は「人生最初の記憶」。それで思い出したことを書き付けておく。私が最初の記憶だと思ってきたのは、祖父が家の土間で何かしている(おそらく藁で縄をなっている)姿だ。祖父は私が四歳になる前に亡くなったので、本当の記憶なのかあやしいのだけど。その祖父の葬式についてはもっとはっきり覚えている(と思ってきた)。玄関のところの柱に寄りかかって、今日はたくさん人が来るなあと思っていた覚えがある。父に抱き上げられて棺桶の中の祖父に「バイバイして」と言われた記憶もある。ただ、それらの記憶は自分の視点ではなくて、小さな女の子の姿を見ている誰かの視点だ。してみると、これも親の話などから後に作った「記憶」なのだろうか。
いつだったか、どういう話の流れでか、大学生の息子が一番古い記憶のことを話してくれたことがある。何歳かわからないが季節は冬で、珍しく雪がどんどん降るのを、お母さん(つまり私)と一緒に廊下から眺めていた記憶だそうだ。これもまた不確かな記憶なのだろうが、大事にのこしておきたいなあと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
脳がいかに記憶するのか。それはレコーダーやハードディスクのようなものではなく脳内のネットワークを走る電気信号だから、あちこち結びついて色々な記憶をねつ造してしまう。記憶が完全な人なんていないし、映像記憶できる大人もいないし、3歳未満の記憶のある子どもなんていない。写真だけで記憶がねつ造されてしまうのも吃驚だった。また、自分が殊更記憶力が悪いわけではなく、人間の記憶ってそんなもんなんだなということも分かった。
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三秋 縋さんの「君の話」の参考文献に挙がっていた本。これを読んで「君の話」が遠い未来や架空の話ではないということがよくわかりました。
「私は記憶ハッカー。私は起こっていないことを起こったと人に信じ込ませる」という著者が書いたというだけあって内容は衝撃的でした。
記憶に関する研究成果を平易に、しかも衝撃的に解説している本です。特に犯罪に関する記述は、気を付けないといけない事項ですが、必ずしも過誤記憶に配慮されていない現状は変えていかなければならないと思いました。
本を読んで、自分が記憶している事柄が本当に起こったことか自身がなくなってきました。でも最後に著者が「人生の最高の時は今」と書いているように救いはあると思います。
この本を読んでから、作者のhomepageから実例の映像を見ると、怖さがよくわかると思います。
記憶に自信があるという人にはぜひ読んでもらいたい本です。 -
自分の記憶は後から他人でも作れる点に驚き。そう思うと、断片的な事実と他人のあいまいな目撃から思い込みに縛られ、自白を迫ることの恐ろしさを感じざるをえない。
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自分の記憶のいい加減さというのは事あるごとに自覚・自省した方が良い。「この目で見た」「はっきりと覚えている」だけの人の話からは一歩引くこと。
「他の証拠による裏付けのない証言は、証拠が無いのと同じこと」という法律が古代ローマに既に存在したらしい。自白と後付け証拠でいっちょ上がりの現代国家は本当に進歩しているのだろうか。 -
配置場所:摂枚普通図書
請求記号:141.34||S
資料ID:95170082
これまで「記憶は嘘をつく」系の本は多数、出版されてきたが、脳が記憶を都合よく作り替えたり、あり得ないし体験もしていない出来事を知っているかのように記憶したりする不思議なメカニズムの存在理由を、こんなに平易に語った本はほかにありません。
(生化学研究室 大塚正人先生推薦) -
〈本のまとめ〉
人の脳は、情報をつなげるという驚くべき能力を利用し、能動的あるいは受動的に情報をいくつものまとまり、つまりチャンクにすることができる。
今、一番もてはやされている記憶の生化学的理論、検索誘導性忘却だ。この理論は覚えれば忘れるというものだ。
「連想活性化」の概念は、アリストテレスとエビングハウスの考えを改善したものであり、概念的に似た他の思考あるいは経験が処理されると、特定の記憶の活動が活発になるというものだ。
ニューヨーク大学の神経学者アンドレ・フェントン博士
「おそらく忘却は脳が行う非常に重要な仕事のひとつだ」
(ある研究者たちによれば)
「忘却は苛立だしいものであっても、神経処理にとってはメリットになるため、記憶力に適用力を与える可能性があること」。関連性の低い情報をふるいにかけて減らせば、より効率のよい記憶力の持ち主になれる。人生の重要な事柄の記憶が向上するのだ。
注意と記憶は互なしに成り立たない。
カリフォルニア大学のジェームズ・ファウラー
「人間は多くの心理的バイアスを見せるものだが、その中でも、非常に普遍的で、強力で、どこにも存在する物のひとつが過信だ」
MITの神経科学者アール・ミラー
「人はマルチタスクが得意ではない。できると言うのは思い違いだ。脳は自分を欺くのがとてもうまい」
「マルチタスクをしていると思っていても、実はあるタスクから別のタスクへと素早く切り替えているだけ。そして、切り替えるたびに認知コストがかかる」
人は誰でも複雑な過誤記憶を作り上げることができ、小さな過誤記憶なら、四六時中、気づかないうちにつくっている。
自分の記憶に関する知識から考えれば、たったひとつの記憶だけで法的制裁がなされるような世界には暮らしたくない。
過誤記憶の実態を否定しないようにしよう。
人の記憶には致命的な欠陥があると納得してもらうことこそが、私がこの本を書いた理由だ。 -
主に「人の記憶は当てにならない」ことについて、研究結果などから述べた本。面白かった。
記憶術についても少し書いてあるが、長期記憶には使えないかな… -
表紙が小説のようなイラストで目をひきます。
過誤記憶という言葉は初めて聞いたが、この著者の過誤記憶の専門家。
非常に読み応えのある内容でとても面白かった。
「私はハッカー。私は起こっていないことを起こったと人に信じ込ませる」
そんなことは無理だ、と思うかもしれませんがこれは本当に出来ることです。
おすすめです。