心という難問 空間・身体・意味

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 172
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062200783

作品紹介・あらすじ

哲学には、いくつか、根本的な大問題があります。たとえば、他我問題。他者は本当に存在するのだろうか。すべては、私の脳に映し出された像にすぎないのではないか。そんなことはない、といいたいところですが、歴史的に、さまざまに論じられながら、解決したとは言えません。すべては、あなたの脳の中に映じていることだ、という主張に対して、結局、有力な反論はだせないのです。

あるいは、あなたは、他人の痛みを感じることができるでしょうか。他人が腹痛を訴えているとして、その痛みが本当にあるのか、あなたにはついにわからないのではないか。これまた、哲学史上の有名な難問です。

目の前にリンゴがある。あなたがそれを知覚しているから、あると言える。哲学史上有名なジョージ・バークリの名言によれば、「存在するとは知覚されることである」。とすれば、リンゴのある部屋から誰もいなくなれば、リンゴは存在しなくなる。
そんバカな、といっても、論理的に反論するのは、きわめて難しい。

このような哲学の難問にたいして、著者は、まっこうから、いや、リンゴはあるんだ 、という哲学的立場を確立しようとします。
素朴実在論という立場です。

古来重ねられてきた哲学的議論をふまえつつ、さまざまな反論にさらされてきた「素朴実在論」を、周到かつ明解な
議論でうちたてる、著者渾身の代表作です。
好評を博した快著『哲学な日々』の理論編ともいえる力作。

感想・レビュー・書評

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  • 約20年前「無限論の教室」に出会って以来、著者の平易な語り口の虜になってしまい、以降全てではないものの同氏の著述を可能な限り追いかけてきた僕。そこではテーマは違えどいつも「世界とこの私」を巡る疑問が通底していた。本書は著者のライフワークといってもいいこの「他我問題」を、極めて平易な言葉で、しかし周到な注意を払いながら扱った労作。ついに著者の中で一つの区切りがつけられた感がある。

    読み始めると、著者がなぜ、我々が世界を直接経験しているとする「素朴実在論」に拘泥するのか不思議に感じらるかもしれない。しかし安易にこれと対立する立場である「二元論」、即ち我々は世界そのものでなくその表象である知覚イメージを受け取っているのだとする立場に立ってしまうと、自分は自分の知覚していることしか知り得ないとする「懐疑論」を導入してしまい、果ては自分以外の主体は意識を持たない「ゾンビ」であるという極端な結論、即ち「独我論」を導いてしまう。これこそが著者が最も受け入れ難いものなのだが、そもそもこれがなぜ著者の言うようにグロテスクなものなのかが共有できないと、懐疑論を必死に叩き潰そうとする本書の試みが理解できないかもしれない。

    しかし、少しでも懐疑論に違和感を感じる人ならば、第2部「理論」以降の展開は興味深く読めるだろう。著者はここで「眺望」と「相貌」という、世界からの「提示」を受領するための視座を導入する。グーグルマップのアナロジーで示されている通り、我々が「無視点的」な世界像を参照しつつ個別の視座から世界を眺めているというのは多くの人の実感にそぐうものではないか。そしてその「眺望」は公共的、つまり行為主体がいつでもそこに立ちうるという意味で、他者の知覚は知り得ないとする懐疑論を迂回することができる。面白いのは、唯物論的な立場では切り捨てられて然るべき「錯覚」や「幻覚」でさえも一つの「眺望」の下での世界のあらわれであるとし、一旦引き受けてしまうところ。極めて寛容で豊潤な著者の世界観がここに示されていると思う。その際、副詞的に立ち現れてくるとされる「感覚的眺望」の概念も直感的で諒解しやすい。

    最も刺激に満ちた部分は終盤の「脳神話」との想定問答。著者は、感覚的眺望は脳や身体の問題だが、知覚的眺望は直接的な世界のあらわれであり脳とは無関係とする。また、世界のあらわれを脳に生じた知覚イメージとする脳神話論者の立場は、「世界の外側の脳」というシステム外の超越的存在を想定しなければならず、最早システム内では論ずる意味がないとする。実無限を否定する立場の著者としては、無限後退に陥るような想定は容認し難いのだろう。

    なお著者の仮想敵は脳科学者でなく、世界の全ては脳内イメージの産物であるとする「脳神話論者」であることに注意(一部のレビュアーに誤解が見られる)。ただ唯物論的世界観にも魅力を感じる自分としては、脳科学者からの反論も期待したいところ。しかし、多種多様な眺望と相貌に幾重にも彩られ、有視点的な拡散と無視点的な収斂の相克に蠢きながら、それでも総体として大いなる秩序を保つ「世界」の姿は、僕にはとても豊かで心地良いものに思える。また、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを引き合いに出し、物語が共有されている以上「完全なる他者」など存在しない、とする著者の見解には大いに共感した。

  • 本書は、私たちが日常で感じている実感を無視し、無闇に理論に走るのではなく、寧ろその実感を出発点として「プラグマスティック」に、心や知覚、感覚を構築しようとしたものである。

    (第一部 問題)
    まず筆者は、素朴実在論の問題点を挙げつつ、最終的にはその問題点を解消し、素朴実在論を採用したい、と述べる。素朴実在論とは、私たちが知覚しているものは知覚イメージなどではなく世界に現に存在する実物であるとする考え方で、私たちの実感に近いと言えるだろう。しかし、例えば矢羽根付きの矢印(ミュラー・リアー錯視)は、横線部分は同じ長さなのに矢羽根の向きによって長さが違って「見える」。これはつまり、矢印が知覚イメージだということであり、明らかに素朴実在論と不整合である(錯覚論法)。
    こうして素朴実在論は(一旦は)否定されることになるが、続けて筆者は、残された二元論と一元論にも問題点を指摘する。二元論とは、知覚イメージは実物そのものではなく実物の像であるとする考え方である。また、実物が原因となって知覚イメージが生まれるとする考え方のことを知覚因果論と呼ぶ。しかし、二元論には(当たり前だが)知覚イメージしか知覚できない私たちは、世界の実際の姿を知ることはできないという懐疑論が立ち塞がる。私たちは自分の知覚イメージの正しさを確かめることが原理的に不可能となる訳だ。一方、一元論とは、世界には自らの知覚イメージしか存在しないとする考え方であり、二元論の懐疑を退けられる。しかし、一元論によれば自分に今知覚されていないものは実在していないということになる。また、他者の知覚も自分は知覚できない訳だから、他者の意識も意味づけできない(所謂独我論)。そもそも、他者の意識というものは(一元論に限らず)意味づけが難しい問題である。
    (第二部 理論)
    知覚と感覚の理論化を行う。導入する概念は、無視点把握/有視点把握、知覚的眺望、感覚的眺望、相貌である。
    1)無視点把握とは、意識主体のあり方を示唆しない世界の見方である(例えば、地図や物理学的世界観)。有視点把握とは、意識主体のあり方に依存するような世界の見方である(例えば、航空写真ー視点の位置に依る)。無視点把握と有視点把握をともに並び立つ二つの世界把握とする。
    2)眺望とは、有視点的な世界のあり方である。対象のあり方、対象との空間関係の関数として表される眺望の側面を知覚的眺望、身体状態の関数として表される側面を感覚的眺望と呼ぶことにする。
    3)相貌とは、世界のあり方のうち、眺望に還元できない側面のことをいう。例えば、乗馬経験者と未経験者では、同じ馬でも違って見えるだろうということである。
    (第三部 解答)
    第二部の理論を用いて錯覚論法を退け、素朴実在論を採用する。
    まず、ミュラー・リアー錯視は、無視点的には同じ長さだが、有視点的には異なる長さを持つのだと説明される。次に、幻覚に関する問題点も解消される(詳細は省く)。そして、錯覚も知覚イメージではないとされる(歴とした眺望だが、ただ実践的な視点からして誤っているだけである)。
    また、脳が知覚を生み出しているとする脳神話も否定される。脳状態の異常が物理学的な因果関係でない仕方で眺望に影響を与えるという点で、眼や耳と同じだからである(大森荘蔵の脳透視論)。サングラスや衝立は知覚を生み出さない。眼や耳も。そして脳も、という訳である。
    他人の意識については、他者が眺望に対する感受性を持っているということを前提とすれば、意識を「持ちうる」。そして、他者が意識を持っていると考えた方が、他者の振る舞いを説明するのに合理的である。
    最後に、心とは、より包括的な眺望地図に統合され得ない眺望のことであるとする。

  • 私には、あまりに難解すぎました。ですが著者の熱量は伝わりました。
    読める人が読めば良いと思います。(決して醒めた意味ではなく。私だって解せることなら解したい…)

  • 人間とは、こころとは、についての哲学

  • 図書館の新刊コーナーで見つけて借りる。

    シュミの読書などしてられないほどの余裕のない生活。野矢さんの本は目次と最初の章と、あとはいくつか拾い読みだけして返却の2週間がきてしまった。

  • 24ページ疑問です。
    池谷裕二先生の著書「単純な脳、複雑な「私」」の273ページから、297ページにたいして、どうお考えだろう。

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784062200783

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著者プロフィール

1954年生まれ。現在、立正大学教授。専攻は哲学。

「2020年 『語りえぬものを語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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