ホサナ

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 229
感想 : 21
  • Amazon.co.jp ・本 (698ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062205801

作品紹介・あらすじ

私たちを、救ってください。栄光と救済。呪詛と祈り。迷える民にもたらされた、現代の超約聖書ともいえる大長編小説!

執筆5年。人間の根源を問う傑作大長編小説。
『告白』『宿屋めぐり』に続く、町田康の新たな代表作、ここに誕生!

ホサナ。私たちを救ってください。

愛犬家の集うバーベキューパーティーが、全ての始まりだった。
私と私の犬は、いつしか不条理な世界に巻き込まれていく…。

栄光と救済。呪詛と祈り。私ともうひとりの私。
迷える民にもたらされた、現代の超約聖書ともいえる大長編小説!

感想・レビュー・書評

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  • 旧約聖書のモチーフと仏教のモチーフとダンテの「神曲」のモチーフと上方落語のモチーフと変身のモチーフと……とにかくいろんなモチーフが錯綜している。が、それを支えているのは、圧倒的に投げやりで虚無的で音楽的な語り口。
    読みながらいつも思い浮かべていたイメージは波。言いたい事が出て来たらそれをきれいに流しさらってしまう無意味の波。そのリズムによって成り立つ小説だった。
    読みながら何度も飽きそうになった。じっさい、飽きた。でも読み続けたのは、他の本でこのふざけた語りを読むことはできないから。
    本書は全力で「ゼロ」を目指している。「空」といってもいい。膨大な意味を無意味化するために全力を注いだ一冊。

  • 語り手が、飼い犬とともにドッグランでのバーベキューに参加したところ、人間を焼き尽くす光の柱の現出を幻視する。そして世の犬たちの苦しみと正しいバーベキューにまつわる成功と挫折に呑み込まれた末、顕現した光の柱により崩壊した世界に迷い込む―という、壮大でありながら馬鹿馬鹿しく、それでいて哀切の漂う長編小説。

    愚かな人間が、それでも正しいことをしようと思い、しかし身のうちの自尊心や羞恥心、もしくは人間存在そのものの持つ矛盾や罪業のために、誤り、滅んでいく。町田康の他の小説に見られる構造があると同時に、本作は文体が常よりも整然としているからか、笑いよりもその虚しさや悲しさを感じる。

    ありえないような不思議なことが、たびたび何の前触れもなく起こるが、その理由は解明されない。解説してくれる超越者は登場しても、その超越者でさえまた誤り、滅んでいく。聖書や仏説になぞらえたメタファーかと思える事項も多いが、意味付けは転変し、転倒していく。読んでいる間はただ、そのスピードとダイナミズムが心地良い。そして本を閉じるときは、救いも報いも、自力も他力も、すべてが無力であると知らされたようで、ただひたすらな無常に打ちのめされる。

  • 物語の構造を完全に破壊し、再構築する意図もなく不条理なまま放置しながらエントロピーが飽和するような感じで、あははは。いいかもしれんね。というような物語。物語で描かれる事象に意味も忌みもなく、ただ只管に流れ出す言葉の奔流が凄まじく。溺れるのではないかというような小説。まだ「宿屋めぐり」の方が正気を保っていると思うくらいなもので、この物語は狂人の戯言のようであり、賢人の言説なのかもしれないし、分からん。だた、疲れる。久しぶりに読むのにエネルギーを使った。
    難読漢字に一切ルビを振らず、漢字検定1級ドリルですかというような言葉の頻出具合に参るのだけど、読めないでも前後の文脈や漢字の形でなんんとか忌みをつなげることはできるのかもしれないね。僕は読めるけど。あははは。
    とにかく、読者を振り落とすというか、作家がその才能の特性をそのまま生かして物語にした文学であり、読む方がついて行くしかない。純文学だから。
    この作品をエンタメとして楽しむのはかなり辛いのではないかなと、町田康のファンであるワシでも思うわけですよ。300ページくらいで死にそうになって、ベロベロになる脳が。あかんなぁという感じで、読み続けると、酩酊した気分になってくるのだから恐ろしい。というか、やはり好き。いいと思う。

  • わたくしは一体何を読まされているのか。迫りくる光柱。日本くるぶしによる宣託。跋扈するひょっとこ。人語を解す犬。小動物化する淑女。毒虫の群れ群れ群れ。奇天烈な出来事の数々をどう解せばよいか。
    ドッグランやバーベキューが何食わぬ顔して存すこの世界で、これら珍妙奇天烈な時に禍々しき出来事が次々と出来する。
    この不可思議な作品のありように、今も現役かどうか定かではないものの、魔術的リアリズムなる語も想起した。魔術的リアリズム、その要諦はやはり現実世界への異化であって、思えばこの作品の成り立ちにも濃厚な影を残してるといえるような気がする、震災やその後の原発の人災、その放射能の散逸がもたらした災厄の来し方行く末は。そしてホサナの叫びはどこへ届くのか。
    「で、考えて欲しかったのさ。狂ってるのは僕か、世界か、ってことを。」
    「そして君はどうするのかな。この現実に適応して、ならば自分も狂おう、って言って狂って生きていくのか、それとも正気を保っていきていくのか。」
    光柱によって国土軸が曲げられたこの国、この現実のなかで。
    一読読了し終えた今、冒頭の問いは次のように変奏させられる。わたくしはどんな世界に生きさせられ、生きておるのか。

  • 町田康「ホサナ」。「告白」「宿屋めぐり」そしてこれも、町田康の長編はとにかく分厚い。本作も692ページある。中高で使う辞書並みに分厚く重たい故、通勤電車で読む、つう気分にはならない。従って休みの日にじっくり腰を据えて立ち向かわねばならんのだけど、自分自身ここ数ヶ月どうも精神が地を這うトリップホップみたいなモードでなかなか、よし読もう!とならず、長いこと中断する羽目になってしまった。そしてようやく本日読了。
    なんつうか、どう生きるのが人として正しい道なんだろう、みたいなことって、誰しも皆考えるもんなのかしら?考えるとしてどれくらいそんなことを考えるものなのか。俺はしょっちゅうそんなことを考えて、考えすぎてどうしたらいいのかホントにわからん!てなって、考えるより実践だ!って色んなとこに飛び込んではああやっぱ違うよね、とか、どんな場所にいてもどんな集まりの中でも、招かざる客みたいな心持ちになってしまってと、だいたいそんな風なんだけど。町田氏もそういったこと、そういったキャラクターを真剣に文学に昇華させようとしている、ように感じる。そしてそれをエンターテイメントとして成立させようとしている人であるので、読むのは楽しい。楽しいが疲れる。でも読む価値はある。万人には薦めないが。帯のコピー(裏側)にはこうある『愛犬家が集うバーベキューパーティーが、全ての始まりだった。私と私の犬は、いつしか不条理な世界に巻き込まれていく。』何のこっちゃ、でしょ?気になった人は手に取ってみてください。

  • 意味不明。こういう文章は技術以前の問題で、人に何かを伝えようという気持ちがない。ならば発表しなければいい。

  • 支離滅裂だとか、脱線しすぎて意味がわからないという評判。その気持ちはよく分かる。
    でも私は意味や結論や啓蒙を求めていないから、また「面白い」と思えた。
    コレがアレのメタファーで、アレはコレの伏線で...といった分析はナンセンスでしょう。

    著者は巫山戯ているのではなくて、決して多くはない「伝えたいこと」を、ニュアンスごと表現するために、過剰なほど真面目に取り組んでいるだけだと思う。

    受け取る人にはそれぞれの文脈があるから、そこにポンと結論だけ放り込んでも、真意が伝わらないことは多い。
    時間と空間を隔てた相手と繋がることのできる現代は素晴らしいし、異議を唱える気は全くないけど、フロー型の情報氾濫の思考回路のまま、簡潔で分かりやすい言葉を期待するなら小説なんか読まなければいいと思う。

    実生活でも、ユーモアやアイロニーや違和感や納得感は、ある程度の共通認識があって、文脈を共有した相手だからこそ伝えられるものだと思っている。
    話して説明することすら難しいのに、文章ではなおさら難しい。
    「誰が何を思い、何を言い、何をするか」の真意は、「誰がどういう経験を経て、どういう状況でどんなタイミングで」という認識を持たせて初めて、伝えられるものだと思う。
    「そういう文脈」の元だからこそフッと笑ってしまうユーモアや、ふとしたところで自分の経験が並行するような感覚がいっぱいあって、そういうところが私は好きです。

  • え…?読み終わった…

    何を言っているのかわからねーと思うがわたしも何が起こったのか分からない。頭がどうにかなりそうだった。恐ろしいものの片鱗を味わった
    この話自体がスタンドなのか??

    「この先何が起こるか分からなくて不安だ」というドキドキを常に抱きながら読んでた。ほんとに何が起こるか分からんのよ。わたしの知っとる世界のことわりを完全に無視して話が進むからね。
    特に地下駐車場のところが怖すぎて一か月くらい読まんかったのやけど、地下駐車場以降がおもろかったやんけ。やぶれた世界というか、裏側というかそういうモチーフは好き。

    他の町田作品の主人公と比べて、この主人公はあほなことしてもそれを振り返って反省して次に繋げようとできる、話の中でも言われとったけど律儀なやつなんだよ。それでもこんなめに遭うんだから本当につらいね。

    よくわからないもので頭の中をかき回されてしんどいばっかりやのにほしごこ付けずにはいられない…スタンド攻撃?
    この衝撃を誰かと共有したい…でも誰かに勧められるか?これを??

  • つまらんし意味が分からん

  • 宿屋めぐり、人間小唄など町田氏の他の長編と比べると、本作は比較的受け入れやすい地獄であった(告白は実話をもとにしているというのもあってちょっとまた別)。
    上記2作はあまりの理不尽さに気分が悪くなってしまい、もう一度読もうと言う気にはなれなかったので。というか、もう麻痺してしまったので本書が優しく感じたのかもしれない。

    彼の発想力にはほとほと驚かされるが、本書で一番すごかったのはやはり「ひょっとこ」という存在を生み出したことではないか。
    大学で「ひょっとこの作り方」という講座を見かけた主人公は、ひょっとこなんか作ったって飲食店の看板にするくらいで、それも安手の和食系に限定されるし、わざわざこんな講座を開くなんてバカじゃないか、と、冷やかし半分で覗きに行く。
    と、そこは「ひょっとこ」の恐るべき精製術を語る講座だったのだ(ちなみにこの教授の語り口調も面白すぎる)。

    人権も感情もないが確かに生きているひょっとこ。あくまでこの時点ではサブ、という感じのエピソードなのだけど、ひょっとこがいる世界というのが少しずつ状態化し始め、しまいに「わ、こんなとこにも死にかけのひょっとこが入り込んでる!嫌だなあ」とか、まるで虫かなにかのように何気ないながらも独特の存在としてストーリーに溶けこんでいくところが好き。(虫と言えば、もっと恐ろしい虫も出てくるのだけど)。

    そして、担当編集が主人公に送ったメール「先生の文章はいっけん、なにを言っているのかよくわからないし、もしかしたらこの人はなにも言ってないのではないか、なにも考えてないのではないか、と思うのですがよく読むといっぱい考えて、なにも言わないでおきながらすべてのことを言っているのでは?と思わせる、なにか、があります。そこが多くの人を引きつけてやまないところなのですね。少なくとも私はそう思いたいです。無理ですけど」これを読んで、ここまで自分の文章を客観的に正確に描写できる人がいるか?と吹き出してしまった。まあ、あくまで主人公に当てたメールで、作者自身のことを言っているわけではないんだけど、そうとしか思えない。

    そうそう、延喜が歌った「おーい中村君」にも度肝を抜かれた。なにをどうやったらあの場面で「おーい中村君」が出てくるんだろう。もう耳について離れない(聞いたわけでもないのに)。
    (と、思ったら!この歌は本当にある歌なのですね。私、てっきりいつもの創作かと思ってました。)

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著者プロフィール

1962年大阪府生れ。作家、歌手、詩人として活躍。96年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。2000年「きれぎれ」で芥川賞、05年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

「2021年 『ギケイキ② 奈落への飛翔』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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