もう生まれたくない

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062206273

作品紹介・あらすじ

「誰にも言わないままの言葉をいつか私はしたためよう。亡くなった人に、友達だと思っている人に。ネットに載せて読めるようなのではなくて、そう、空母の中の郵便局にたまる手紙のように」――。
マンモス大学の診療室に勤める春菜、ゲームオタクのシングルマザー・美里、謎めいた美人清掃員の神子。震災の年の夏、「偶然の訃報」でつながった彼女たちの運命が動き始める――。 スティーブ・ジョブズ、元XJAPANのTAIJIなど有名人から無名の一般人、そして身近な家族まで、数々の「訃報」を登場人物たちはどこで、どんなふうに受けとったのか。誰もが死とともにある日常を通してかけがえのない生の光を伝える、芥川・谷崎賞作家の新境地傑作小説!

感想・レビュー・書評

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  • A大学を舞台に、職員として働く春菜と美里、美里の元夫でラジオパーソナリティの宏、清掃スタッフの神子、学生の遊里奈と素成夫、非常勤講師の利光の視点が交互に替わりながら、社会の中で遭遇するさまざまな「死」を描く。

    小説は、2011年7月から2014年4月までが描かれており、章のタイトルが該当する年月で表されている。2011年7月といえば、東日本大震災の3か月後。おそらく都内にあると思われる大学はあちこちが工事中で、節電措置のため電球が取り外されている。
    うっすらとただよう死の不安の中で、X-JAPANのTAIJIやスティーブ・ジョブスといった有名人の死、新聞やニュースで報道される、トムラウシ山遭難事故や石川県かほく市落とし穴事件、それらの死を引き金に登場人物たちが思い出す過去の数々の「死」、さらには小説中の「死」など、とにかくたくさんの「死」が描かれる。

    こうやってさまざまな「死」が並べられてみると、個人の思い出や経験、「死」の当事者との関係により、受け止め方に濃淡が出ることを改めて感じる。スティーブ・ジョブスの「死」を、自分の使っているマックの「死」と重ね合わせて見たり、同じ新聞にTAIJIの死の記事とトムラウシ山遭難事故の記事が載っていても、人によって注目する方が違っていたり。

    小説中に提示された「死」は突然である。「病死」は突然ではないはずだが、これまで意識の中になかった人の「死」を知らされた時、その人が突然いなくなったような印象を受ける。
    そういった「死」を眼前に突き付けられて、私たちは、哀しみよりもむしろとまどい、不思議さを感じているような気がする。

    本書では、明確な主題がある、というより、このなんともいえない「死」に対するもやもやした感覚をそのまま表現することが目的だったのかな、と思う。2011年の東日本大震災が本書を書くきっかけだったのではないか、と推測するが、2022年1月現在、2年も続くコロナの影響で、漠然とした死の不安や、あっという間に人が亡くなってしまうとまどい、といった感覚は、さらに身近な実感としてせまってくる。

  • パラレルワールド。私が生きる世界と、他者が生きる世界、過去と未来、ゲームと映画と現実。
    死が消費されるというのはまさにそうで、私は訃報を聞いたときにどんな顔をしたら良いかいまだによくわからない。だって、知らない人だから。悲しむのが偽善か?と言われればそうは思わない、けれど。長嶋さんは群青劇が得意なのかな。キャラクターとして描くのが印象的に感じる。

  • ーーー誰かが死ぬというだけで、劇的だ。
    誰もがいつか死ぬことを認識している。でもそれが次の瞬間だと知ることだけは、できない。ーーー

    著者が得意とする群像劇だが、今作はテーマが「死」。
    2011年から2014年までを舞台に、有名人も、登場人物も幾人か死ぬ。死ぬことがメインではない。生活があって、それぞれの物語があって、そのなかで誰かが不意に亡くなったり、亡くなったことを思い出したりする。
    わたしたちが日ごろニュースで知る「死」の温度と、作中のそれがとても似ていて、あらためて物語にされることで、やっぱり「死」はどこか他人行儀で、よくわからない存在であるとおもった。

    タイトルの「もう生まれたくない」
    なんとも過激なタイトルだとおもう
    もう生まれたくない、なんて、一見ドえらいマイナス思考のタイトルなんだけど、どうもそうはおもえない
    生に対して後ろ向きな登場人物が見受けられないからだ
    生まれたくないからには一個の人生を全うするってことなのかな
    タイトルの意味だけでも延々考え続けられそうだ

    誰かにとって「だれ?」とおもうひとの「死」も
    誰かにとって、あした生きられないくらいの「死」だったりする
    「死」は平等にやさしくてつめたい

  • 震災から数年の間の、実際にあった人の死のニュースを受けて、派生した物語。知らないニュースも多かった。時々、震災の爪痕を感じる描写があったが、どんな意味だったのだろう。あの時の気持ちを思い出して、お腹がスッとなるが、どんなエッセンスになっていたのか。

    人って簡単に死んでしまうんだなあと思ったり、人の死に対する温度差やその重さについて考えた。

    もう生まれたくないっていうのは、死にたくないってことなのかな。死にたくないなー。

  • A大学を舞台にした群像劇。
    それぞれの登場人物を繋ぐのは、著名人の訃報。
    出てきた訃報や事件のニュースは、ほぼほぼ覚えていましたが、自分がその頃何していたかは今ひとつ思い出せませんでした。それ程訃報は多く、さらっと流してしまっていたのかも。

    タイトルは、著者のインタビューから「もう生まれたくないから、今を精一杯生きていくんだ」という様な意味だとか。
    精一杯生きている、と言うような強い思いを持つ人たちはあまりいなかったように思いますが、そのゆるりと穏やかな人たちが心地いい本でした。
    その中で唯一激しい行動を起こしたエレーナには驚かされましたが。

    飛行機の中での紙風船のシーン。
    映像が目に浮かび、すごく好き。

  • 有名人の死や、話題になった事件の死に関して、世間話·雑談の中で、話されていく少し変わった話。
    話のつじつまを考えながら読むと、なかなか進められなくて、やっと読み終えた本。
    「死」と聞くととても重いテーマなのか…と思うけれど、この物語はドライに話されていて、1つ1つの死が新聞やニュースで取り上げられているくらいの軽さで終わってしまう。
    何が言いたいのか、何となく消化不良な感じは否めない。

  • A大学で働く数人の女性たち、学生たち、講師、それぞれに関わるひとたちの視点で2011年、2012年、2014年が切り取られていく。
    大きな事故や事件、著名人の死のニュースは多かれ少なかれすべてのひとに届く。悲報、訃報の受け取り方は様々。
    有名ではない、ふつうに生活しているひとももちろん死ぬ。遭難死であったり、撲殺であったり。

    ”誰もが、いつか死ぬことを認識している。でもそれが次の瞬間だと知ることだけは、できない。”(P59より引用)

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    盗癖のある清掃員の根津神子さんがとても気になった。
    このひとはこれからも、死ぬまでずっとつまらないものをなんとなく盗り続けていくのだろうか。あるいは何かのきっかけで捕まるのか。
    蕗山フキ子とは一体何者だったのか。
    わからないことだらけだな。
    いつ死ぬのかもわからないわけだし、わからないことを楽しめたらいいと思う。

  • 始まりがあれば、終わりがある。
    でも、その終わりがいつ自分に訪れるのかはわからない。
    30年後かもしれないし、明日かもしれない。
    なんとなく自分には振りかかってこないんじゃないか、なんて気がする日もあるし、有名人の訃報を耳にした日は、やっぱり意外と身近なんじゃないかと気持ちが揺れ動いたりもする。
    漠然とした恐怖があるが、でも、死があるからこそ、今、心臓が休まず動いていることが尊いとあらためて思う。

    そして、死は誰にでも訪れる。自分の周りにいる人にだって、等しく。
    でも、それがいつ、どこでなのかは誰にもわからない。
    ケンカしたままで、永遠のおわかれをしたくない。
    後悔しないように、今周りにいてくれる人たちと過ごしていきたいと思った。

  • 長嶋さんの本はいつも読むのに苦労する。
    淡淡とした日常が綴られる。その中でみんな何かを思って感じて、日々に紛れて忘れて思い出して。
    劇的な事が起こっても、感情が渦巻いていても、静かな文体で静かな日常が描かれる。
    それをいつまでも読んでいたいと、いつもなら思うのだけど、この本は、早く読み終わってしまいたくなった。

    実在した人物、今は死んでしまった人たちが、割と最近の人や若い人が多くて、やっぱりどうしても不謹慎に感じる。
    特に自分がその死を悼んだ人のことは、なんだかザワザワする。

    お話のテーマは嫌いじゃない。手法も悪くない。
    お話自体は相変わらず、素敵な表現やハッとする言葉あって、良いなぁと思う。
    とても気をつけて、死者を侮辱しないようにしているのは感じるし、言いたいのは最後の春菜の気持ちなんだろうこともわかるけど。

    実在する人でなくてはならなかったのかな。
    いつもその時代を感じるものをそのまま小説に出している、そのチョイスのセンスには感心するけれど、それを死者にまで当てはめるのは、なんだかな、と思う。

  • 長嶋有作品では、泣かない女はいないにならぶぐらいのお気に入り。

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著者プロフィール

小説家、俳人。「猛スピードで母は」で芥川賞(文春文庫)、『夕子ちゃんの近道』(講談社文庫)で大江健三郎賞、『三の隣は五号室』(中央公論新社)で谷崎潤一郎賞を受賞。近作に『ルーティーンズ』(講談社)。句集に『新装版・ 春のお辞儀』(書肆侃侃房)。その他の著作に『俳句は入門できる』(朝日新書)、『フキンシンちゃん』(エデンコミックス)など。
自選一句「素麺や磔のウルトラセブン」

「2021年 『東京マッハ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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