背信の科学者たち 論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか (ブルーバックス)
- 講談社 (2006年11月1日発売)
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感想 : 33件
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062575355
みんなの感想まとめ
科学者たちのデータ捏造や欺瞞に関する深い洞察が得られる一冊であり、歴史的な事例を通じて、名だたる科学者たちがどのようにして不正に手を染めたのかを明らかにしています。プトレマイオスやガリレオ、ニュートン...
感想・レビュー・書評
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本書は、科学者たちによるデータ捏造、盗用、欺瞞がどのような経緯で、どのように行われたか、またなぜそのような行動にいたったのかについて、深い洞察を与える。本書によると、プトレマイオス(星の運行データの盗用)、ガリレオ(データ捏造)、ニュートン(データ捏造)といった超一流の科学者たちも、このような行動に手を染めていた。また、何人かのノーベル賞受賞者や、ノーベル賞候補もやってしまっているようだ。野口英世にいたっては、彼の論文のほとんどは捏造されたものであるといっても過言でないほどである。残念ながら、古今東西を問わず、このような欺瞞は横行していると認めざるをえない。これほどのレベルの科学者でも、欺瞞の誘惑に勝てないのだから、実際には非常に多くの欺瞞が科学世界の中で歩き回っていることは、想像に難くない。返す返すも残念である。 そもそも科学者とは、自然を探求することに対して無上な喜びを感じる人たちである(と思う)。にもかかわらず。多くの科学者、が、名誉、金、地位のために、己の真実への探究心を裏切った。合理のみが生きる世界から、不合理がまかり通る魑魅魍魎の世界へと己の住む場所を変えてしまった。著者曰く「一流科学者といえども、モラルは一般人と同じである」。確かにそうであろう。科学者のモラルについて厳しく言及した湯川秀樹の慧眼に感服するのみである。
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『文献渉猟2007』より。
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大昔から科学者の捏造が繰り返されていた話。
非常に多くの実話が盛り込まれており、なかなか読み応えがあった。 -
2014年の“理研ショック”にはたいへん驚かされ、日本で博士号を取ることはリスクと言う人まで現れた。私はそれを肯定できる部分はあるものの、全面肯定はできずモヤモヤした部分があった。そのモヤモヤ感を明らかにしてくれたのがこの本である。まるでOさんはこの本を読んで真似たのではないかと思われる内容の部分もあった。つまり、研究をする以上どの国の人間であっても起こり得る問題であり、やり口は似通っているにもかかわらず、止めることができないのが科学における不祥事なのだ。
この本を読むことで、理研ショックを驚くよりもむしろ冷めた目、冷静な目で見つめることができるだろう。 -
ガリレオ、ニュートン、野口英世も捏造科学者だったとは驚いた。科学者の3人に1人がミスコンダクトをしているという事にも驚く。また、上司に不正を指示されたら58%の科学者が従うとの事。科学者もサラリーマンだから仕方ないで済まされるのだろうか。
捏造・改ざん・盗用等の重度のモノはチェック機能である程度は発見・排除されていくのだろう。が、著者が指摘するように軽度の手抜き系は発見されにくく、こちらの方が危険なのかもしれない。
科学者も人間だからイチンチキはするだろう。承認欲求やら保身やら怠慢やらで。警察官も教師も裁判官も犯罪はするし。が、科学者犯罪の大きな違いは、その結果から人やカネが大きく動き、多数の人々の生命や財産に影響を与えるという事だろう。科学(者)はある程度は信用するしかないが(でないと何も食えないし、町も歩けないし)、科学(者)と言われるモノを盲目的に過信するのも問題で、多少は疑いを持った方がよいなとあらためて思った次第。 -
原書が83年と古いので,それほど期待せずに読んだが良かった。前読んだ『論文捏造』は主にシェーン事件という個別例を扱っていたが,本書の内容は古代から20世紀までと幅広い。原書刊行時に騒がれていた研究不正をメインにするのではなく,歴史に残る印象的なケースを取り上げて,名誉欲・自己欺瞞・師弟関係・政治的圧力といったテーマに分けて論じているのが長く読まれている理由なのだろう。
プトレマイオス,ガリレオ,ニュートンなど科学が自然哲学であった頃から既に倫理にもとる不正はあった。近代化を経て科学に国家の予算が入るようになり,職業研究者が当たり前になりその数も増えると,不正の誘惑もより大きくなる。信頼性を担保するはずの査読付き論文や追試実験も,商業主義やノウハウの壁,インセンティブの欠如によってなかなか有効性を発揮できない。
著者たちはかなり科学者に厳しめで,科学コミュニティーに任せていては捏造や改竄といった研究不正の解明はおぼつかないと言う。科学の自浄作用は過大評価されていて,それは1920-30年代の論理実証主義者たちが科学の手続きがいかに正当かという神話を作り上げてしまったことに起因すると分析している。
科学者も人間であり,不正は起こる。そのことを前提に,制度設計し組織を運営し発覚した不正に対応していかなくてはいけない。そして科学に税金が使われている以上,このことを国民一般の共通理解にしなくては。 -
小保方騒動どころじゃない、とんでもないのが科学の世界にはごろごろしていると知ってびっくり。ほかならぬ理化学研究所も、ちょっと前にやっぱり似たようなスキャンダルがあったそうだ。人間のやることだから、とは思いながら、客観的な検証が可能なはずの科学ですらこうなのか、と思うとちょっとげっそりする。科学ですら、地味にこつこつと仕事をするだけではダメなんだろうか?
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繰り返されるのか、とあるように、捏造は十年一日の出来事であり、科学者の理想像、理想的なシステムが有効な制約にはならないことがよくわかる本。
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小保方事件をより堪能するために読了。
理化学研究所は2004年にデータ改ざん事件を起こし、その対策として監査コンプライアンス室を新設、とあるけれど、今回の小保方さんの事件を防ぐことは出来なかった模様。 -
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科学者の捏造に迫る。
ガリレオやニュートン、野口英世まで、昔から研究データの捏造は多くあった。近代に入ってもそれは決して珍しいことではない。ある者は成り上がる為に、ある者は自身の理論の為に、捏造事件は後を立たない。はっきりした捏造から微妙にデータを都合よく解釈する事象など、その種類も多様だ。
科学は客観的であることが定義づけられているが、実際の科学は必ず主観が混ざり客観でいられない。そのことをしっかりと意識しない限り、科学は間違いを繰り返す。
知能検査やアルバート坊や、パブロフの犬など、特に心理学系の捏造はメモ。
小保方さんは決して珍しいことではなかった。。。 -
ガリレオ、ニュートンなどの歴史的な大物科学者から現代まで、多くの科学者の不正行為について学ぶことができる本書。一般に考えられているような科学者像や科学自体へのイメージは間違いであり、科学者というのも単なる職業で、普通の弱い人間である。特に科学技術研究費の膨張した現代では不正は必ず起きるという前提で、その防止に努めるべきなのだろう。科学者の数が多すぎるし、大部分の研究・論文は何の役にも立たずに単に業績リストの為だけのもの、という指摘は耳が痛い。研究者をそこそこやっていると本書に書かれていることを経験を通じてほとんど理解しているが、やはり、初期に本書などを読んで科学界の実情を学んでおくことは重要だと思う。
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昔から、偽造はあった
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新薬での偽データで問題になっているがその歴史を紐解く、様々な分野での出来事を丁寧に書いてあるので、読み物としてはとても面白い、。科学史としても使えるし、分析データの授業でも読むと役に立つと思う。卒論でも使えるかもしれない。
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そのことを知ってやってしまう不正以外に,無意識のうちに修正されてしまうデータの話等,具体例が多く興味深い.科学者達が信じている不正を自浄するシステムがいかに脆いものかが伝わる.
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科学とはかくも主観的なものなのかと、ある意味絶望した。
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2011 12/17読了。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
ちょっと前に研究科で行われた科学のミスコンダクトに関するFD研修会の中で紹介されていた本。
原書は既に科学のミスコンダクトに関して古典的な位置づけを得つつある、とのことで、実際に中身も今でこそよく聞く話をまとめられている、って感じ。それはつまり逆に言えばまさに古典としての地位を確立してる、ってことかと。
大きく前半では意図した欺瞞・不正・捏造とそれをすぐには暴けない/判明してもなかなか動けない科学者集団・組織の有り様を、広範では自己欺瞞・見たいものを見る・新理論を受け入れない・地位や権力に容易に屈する科学のあり方を描いていくという2つの方向から、科学が初期の科学哲学や科学社会学で言われているような、伝統的科学観に則った営みではないことを丹念に説明していく。
現場に入れば肌身に感じるような泥臭い話であり、そうであることを否定して理想的な科学実現に云々するんでなく、そうであるって踏まえた上で現実的に対策とりましょうかね、という方向に(解説も含め)落ち着いていく。
以下、面白かったところの抜粋。
・プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、メンデルらの不正・・・史上に残る業績を残した科学者でそうなら、残らなかったような者も含んだ実態は?
⇒・個別には信用ならん点もある人らなことは知ってたが、並べると壮観だな・・・
・検証可能性⇔現実には行われない追試・私的な検証や告発が不正を暴く
・不正が発覚してもなかなか糾弾されない/隠そうとする/重要視しようとしない科学者の態度・・・「波風を立てたくない」?
・最後の門番:「時」
⇒・正しくない成果はいずれ廃れる
⇔・時にはそれに1,000年以上かかることも・・・ -
購入日:20110518
筑波大学の講義『学術メディア論』のレポートで参考文献として使用。 -
論理的に構築された真理の集大成。それが科学というものだと思っていた。だがしかし、科学者も人であった。不正行為を行う動機がある限り、人はその闇の淵を覗いてしまうのだろう。それはけして無名の科学者に限らない。ニュートンや野口英世など、著名な科学者も本書には登場する。
都合のいい実験データのみをフィルターするのは序の口で、実験せずにデータを捏造する者は後を絶たないし、他人の論文の盗用を繰り返し、華麗な経歴を作った科学者もいたようだ。人種差別に科学的な衣を着せて、偽りの客観性を世に広めた科学者にいたっては、現代に生きる者としては怒りを禁じ得ない。
ここまで科学が発展した 21 世紀において、科学を否定することに意味はない。だが、世の中にはエセ科学も跋扈しているし、そうではない科学的なものだったとしても、盲信することは危険なことだと思い知らされる。例え、著名な科学者の提言だったとしても。
