視線の物語・写真の哲学 (講談社選書メチエ 106)

著者 :
  • 講談社
3.00
  • (0)
  • (0)
  • (5)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 40
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062581066

作品紹介・あらすじ

写真という「自然の鉛筆」。そこに、潜在する数多の未知の物語。「撮る」「撮られる」「見る」-三つの視線はけっして収斂しない。宙づりの視線たちが紡ぎだす多義的な物語とは?カメラ・アイに潜む「匿名の視線」とは?「写真行為の哲学」が、あらたな視線の倫理(エートス)を要請する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 写真の登場によってわれわれの視覚経験にどのような変容がもたらされたのかを哲学的に考察している本です。

    著者はまず、絵画を「見る」経験と写真を「見る」経験がはっきりと異なっていることを明らかにしようとしています。絵画は、額縁にくっきりと収められた一つの「全体」としての世界の描写であり、われわれはそこに描かれた世界を「観照」することになります。これに対して写真を撮るという行為は、世界から一瞬の「断片」を切り取ることであり、われわれは写真を通じてその外へと広がっている世界を「眺望」することになると著者は論じています。

    そのうえで著者は、写真を通じて眺望される世界は「かつてあった」物語として理解されることになると主張します。われわれがシャッターを押して時間の断片を切り取り、保存するとき、流れていた時間は決定的に「もはや終わってしまった」ものとなります。さらに著者は、カメラの前にひとが身をさらすということは、みずからの「現在」を「過去」として固定化する視線に身をゆだねるということを意味しているといいます。それは、自己についてのイメージを無数の人びとに明けわたすことにほかなりません。このような経験は、われわれのアイデンティティのあり方にも変容をもたらさずにはおかないと著者は論じます。

    さらに、肖像写真、ポルノ写真、報道写真などを題材に、ファインダー越しの「まなざし」についての考察が展開されています。

  • <閲覧スタッフより>

    --------------------------------------
    所在記号:740.1||ニシ
    資料番号:10110937
    --------------------------------------

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

西村 清和(にしむら きよかず) 1948年生まれ。東京大学文学部美学芸術学科卒業、同大学院修了。東京大学名誉教授。著書『遊びの現象学』(勁草書房、サントリー学芸賞)、『フィクションの美学』(勁草書房)、『笑う人間/笑いの現在』(共著、ポーラ文化研究所)、『現代アートの哲学』(産業図書)、『視線の物語・写真の哲学』(講談社)、『電脳遊戯の少年少女たち』(講談社)、『イメージの修辞学』(三元社)、『プラスチックの木でなにが悪いのか』(勁草書房)、『日常性の環境美学』(編著、勁草書房)、『感情の哲学』(勁草書房)ほか。訳書 ゾルガー『美学講義』(玉川大学出版部)、『シェリング著作集3 同一哲学と芸術哲学』(共編訳、燈影舎)、『分析美学基本論文集』(編・監訳、勁草書房)。

「2021年 『幽玄とさびの美学 日本的美意識論再考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

西村清和の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×