スサノオ神話でよむ日本人―臨床神話学のこころみ (講談社選書メチエ)

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レビュー : 3
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062581646

作品紹介・あらすじ

神話が民族のこころを支配する。荒ぶる、無邪気な神スサノオこそ日本人の「象徴」。子どもっぽさと「切れやすさ」、繊細な美意識とひそやかな宗教性。相反するものを同居させる日本人のこころの不思議な構造を、天神信仰から宮沢賢治、南方熊楠にいたる豊富な事例をもとに解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 「記紀神話」に登場するアマテラスとスサノオの姉弟神が、日本人の心性の二つの側面をそれぞれ象徴的に示しているという主張が展開されています。

    著者は、アマテラスが象徴するのは自己愛性人格障害だといい、その誇大化された自己によって隠蔽された「見捨てられ感」を暴力的に暴き出すのが、てんかん性を象徴するスサノオだと考えます。スサノオのてんかん的性格は、爆発的な怒りと自然への一体感、子どもっぽさと宗教性といった、相反する特徴が同時にそなわっているところに現われています。また著者は、こうしたスサノオ的な気質を創造性へとつなぐことに成功した、宮沢賢治、斎藤茂吉、南方熊楠についての考察もおこなっています。

    河合隼雄と同じく、ユング心理学に基づく日本文化論ないし日本人論の試みとしておもしろく読みました。ただ、著者の日本人観が最初から定められており、それに見合う神話の登場人物としてスサノオを持ち出しているような印象もあります。たとえば著者は、戦前・戦中における日本人の自己愛的高揚感が敗戦によって傷つけられ、次いで目覚ましい高度経済成長を遂げるも、バブル崩壊によってふたたび自信を失ってしまったことを、本書の枠組みのなかで理解しようとしています。たしかにこうしたプロセスを、アマテラス的な誇大的自己によって隠蔽された「見捨てられ感」がスサノオによって暴かれふりだしに戻されたものとして読み解くこともできるかもしれませんが、こうした枠組みは、岸田秀の描く近代日本の精神病理とあまりにも似通っています。

    いうまでもなく岸田は、フロイトの精神分析を独自の社会心理学として解釈する立場に立っており、著者はユング派の立場に立っているのですが、両者が奇しくも同じ地点に到達したというより、はじめから日本人の気質に関する共通の了解があり、それぞれがみずからの道具立てを利用して同じ地点に向かっていったのではないかと思えてしまいます。

  • 「スサノヲを生きる人には独自の価値観があるようだ。ただしそれは頭で構築したものではなく、いわばはじめから備わっている自然の価値観のようなものである。だからこそ彼らは誤解をあまり気にしない。ことごとくあからさまで、その都度好奇心のおもむくままに何かに吸い寄せられていく。今、現在が重要だからである。」このスサノヲを日本人の元型とするその最たる例のなかに南方熊楠がいるのは喜ばしいことだった。最後にいくにつれて面白くなった。

  • 日本神話のスサノオの側面から日本人の本質に迫る内容なのだが、非常におもしろい。無宗教だと言われる日本人であるが、祟り神信仰しかり、根底には神話が息づいている。「日本人は何を考えているのかわからない」というのも、日本人の中にはアマテラス的側面とスサノオ的側面の二重構造となっており、それが絡み合っているのだとすればなるほど腑に落ちる。西洋生まれの先端科学と神代に発する自前の伝統が共存している日本の特異な文化。日本人とはいったいなんなのだろうと沸々と疑問が浮かび上がるのだが、神話と連動させて考えると実におもしろい。荒ぶる神スサノオを明確に意識し続け、洗練されたかたちのスサノオを内外に示す。それができれば素晴らしいセールスポイントになるようだ。それにしてもどこの神話にしろ宗教にしろ、どこか共通性があるというのは興味深い。ヒンドゥー教徒はガンジス川で穢れをおとすように、イザナギも黄泉の国から帰還後川で禊ぎ行う。関係があるのかないのか。太陽神アマテラスは女性の神。最高神が女性であると鑑み、女系天皇もありだと思うのは、無知過ぎるのだろうか。

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