アレクサンドロス大王: 世界征服者の虚像と実像 (講談社選書メチエ 197)

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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062581974

感想・レビュー・書評

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  • とても詳しく書いてあるので、読み物というより、研究論文を読んでいる気になりました。今では、一人の人間が、ここまで影響力をもつということは考え難いけど、昔はあったのかな?

  • 231
    「弱冠25歳で大国ペルシアを征服。33歳、その早すぎる死は稀代の英雄を神話化した。「完全無欠の軍事的天才にして、高邁なる東西文明融合の推進者」。年代記作家たちが綴る大王像はどこまで信頼できるのか。綿密な原典批判により2300年前の事績を徹底検証し、「世界征服者」の実像に迫る。

    目次
    第1章 東方遠征への道
    第2章 グラニコスの会戦―緒戦の勝利
    第3章 イッソスの会戦―天下分け目の戦い
    第4章 ガウガメラの会戦―ペルシア帝国の崩壊
    第5章 ダレイオスの虚像と実像
    第6章 東方政策をとらえなおす

  • 資料を通してアレクサンドロス大王の戦いをできるだけ忠実に再現する。その中で彼の実像を描き出すとともに、彼の東方政策を見直すというのが本書の目的である。
    ペルシア戦争でアテネ・スパルタがギリシア世界の独立をペルシアから守って以来、ペルシアは両国を使嗾して分裂を図ってきた。やがてギリシアの覇権はBC371年のレウクトラの戦いでテーベが、BC338年のカイロネイアの戦いでマケドニアが握るようになる。
    東方征服という概念はマケドニアの支配前から存在していた。アレクサンドロス大王はそれを引き継ぎ、実行に移した。BC333年のイッソスの戦い、BC331年のアルベラの戦いでダレイオス3世を破った。筆者は彼を戦争の天才であると評すると同時に、その未熟さも指摘する。やがてダレイオスはペルシア領内で殺され、ペルシア帝国は滅亡にいたった。
    アレクサンドロス大王の東西融合政策は、結果的にギリシア文化とペルシア文化の融合、つまりヘレニズム文化に繋がっていった。ただし、筆者は彼がそれを目論んでいたわけではないことを強調する。集団結婚はもっぱらペルシアの女性をマケドニアの男性に与えるというもので、戦利品の分配という側面が強い。また東方での都市建設はペルシア人を遠方に隔離しておく目的があった。これらのことから、彼の政策は政治的な目的からなされたものだと言える。

  • アレクサンドロスの、将軍としての側面と東方政策に焦点を当てた一冊。
    特に、グラニコス、イッソス、ガウガメラの三大会戦にそれぞれ一章ずつ割いて、詳細に分析しており、戦史好きにはたまらないかもしれない。

    本書の特徴としては、史料批判を徹底的に行うこと。
    アレクサンドロスのことを伝える史書は、この時代の人物にしてはかなり現存しているのだが、それがかえって彼の人物像を理想化しすぎて、事実が見えにくくなっている部分がある。
    原典のそれぞれの作者のおかれた立場や、依拠した伝承をたぐり、アレクサンドロスの事実に近づいて行こうという姿勢が全編を貫いている。

    日本人でほぼ唯一、アレクサンドロスを専門に研究している学者の本であり、アレクサンドロスのことを学ぶのに避けて通れない一冊。

  • アレクサンドロス大王の実像と虚像と題し、中世英雄絵巻のモデルともなった彼の姿を実資料をもとに丁寧に考察、かれの若気の至りとも言うべき短絡的な所業や、判断ミスなども解説される。しかし、世界征服者としてのかれの実像に、もう少し多面的な視点から解説されれば良かったように思う。

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著者プロフィール

1956年生まれ。帝京大学名誉教授。専門は古代ギリシア・マケドニア史。著書に『アレクサンドロスの征服と神話』など多数。訳書にプルタルコス『新訳アレクサンドロス大王伝』などがある。

「2023年 『アレクサンドロス大王の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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