江戸が東京になった日―明治二年の東京遷都 (講談社選書メチエ 202)

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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062582025

感想・レビュー・書評

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  • 家に転がっていたのでふと手に取ったら面白くてとまらなくなった。大阪遷都なんて全く知らなかった!維新の重要な事象の一つであるのに、あまり遷都に関しては読んだことがなかったので、大変楽しく読んだ。

    • naokoulaさん
      面白そう~。プリンセストヨトミで大阪遷都出てきてたなー
      面白そう~。プリンセストヨトミで大阪遷都出てきてたなー
      2012/10/20
  • 幕末の頃の歴史は、高校時代に授業が有ったのかもしれませんが、高校三年生のときであったこと、理系で選択科目にしていなかった、大学受験の直前であったことから、どのような事件があったのか全く記憶にありません。

    最近になって幕末のころになって江戸の人口が大幅に減少して新潟県が人口が最高になったことを知りましたが、幕末には将軍が江戸にいなかったり、幕府に楯突いた長州藩がいつのまにか官軍になっていたり、時代が激動していたようです。

    その中で江戸は東京に変わったわけですが、天皇陛下がいるところを首都にするならば、この本が示すように、大阪、東京、京都、東京と移り変わったことになります。この本では、江戸が東京になるまでの経緯を丁寧に解説してあり、幕末に興味を持ち始めた私にとっては面白く読むことができました。

    以下は気になったポイントです。

    ・1780年頃の江戸は、将軍が居住し最高組織である幕府と、その政庁としての江戸城があり日本の首都であった、武家人口が60万人、寺社:10万、町方:50万人の合計120万人であり、大阪(40万人)、京都(30万人)と比較して大きかった(p11)

    ・京都と江戸の関係が変動するのは、1858年に日米修好通商条約が締結されてからで、京都が事実上の首都になっていった(p14)

    ・1861年4月?には薩摩藩主の島津久光に対して、天皇の勅諚(天皇の言葉)が政治にかかわる命令として、幕府を通さずに伝えられた(p22)

    ・1861年10月には薩長をはじめとした14藩(仙台、熊本、福岡、広島、佐賀、岡山、津、徳島、久留米、土佐、鳥取、岡)に天皇から忠義を下すよう命令が下り、各藩を代表する人物が京都を目指した(p22)

    ・1863(文久3)年3月に徳川家茂が上洛したとき(家光以来)、席次は、関白(鷹司)・左大臣(一条)・右大臣(二条)・内大臣(徳大寺)に次ぐ末席であった(p25)

    ・文久3年の行幸には、237年振りに御所の外に姿を現した天皇は、将軍を従えていたことが、多くの人に強烈な印象を与えた(p29)

    ・長州征伐は、徳川幕府始まって以来、朝廷が大名の追悼を幕府に直接命じたもの、朝廷から慶喜を経て西国21諸藩に伝えられた(p47)

    ・1866年12月5日に孝明天皇から慶喜に勅使が遣わされて、将軍宣下が行われたが、12月25日に天然痘で急死した(p54)

    ・平安京は、平城京から長岡京、平安京へと遷都によって造営された都、天皇という最高権力者と、それを支える権力組織の大変動はなかった、これが帝都・京都の誕生と異なる(p62)

    ・遷都が行われる過程において、まず大阪への長期の行幸(1868年3月出発)、ついで東京への行幸(明治元年10月)、京都に還幸(12月出発)、東京への再幸(明治2年3月到着)により、事実上の遷都となった(p108)

    ・徳川家の処分案として、1)相続は田安亀之助(徳川家達)、2)70万石、3)駿府へ転封、4)江戸城は朝廷のもの、が決まった(p116)

    ・江戸を東京にすることで、東京は帝都・京都とほぼ同格になった、太政官は京都におかれているので首都は京都と考えられる(p126)

    ・1868年8月27日に即位の礼は京都でなされた明治天皇の最初で最後の重要儀式、9月8日に明治改元として一世一元制を定めた、元号はあらかじめ選んでおいた候補から、天皇がクジをひくことで決定(p131)

    ・江戸・東京は幕府の崩壊後、急速に寂れつつあった、江戸が首都の座から追われ、京都が事実上の首都になると、江戸の半分を占める武士がそれぞれの国に引き上げたから(p145)

    ・10月18日(明治元年)には、駿河以東(駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野、陸奥、出羽)を管轄する、東京の鎮将府(7月17日設置)が廃止され、駿河以西を管轄する京都の太政官が、太政官へと一元化された(p159)

    ・版籍奉還は、薩摩・長州・土佐・備前佐賀の4藩主により行われた(明治2年1月20日、23日に公表)、その後、1月末までに10、2月末までに78、3月末までに98藩となった(p164)

    ・結論として、東京への遷都(帝都東京の誕生日)は、明治2年3月28日となる(p172)

    ・東京の人口が、江戸最盛期の人口130万人近くまで回復するのは、明治20年頃である(p187)

    ・近世の初期から京都を本拠にしてきた三井家が東京への移住を決断したのが明治3年、虎屋は京都に本店を構えながら東京にも店を明治2年に開いた(p189)

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著者プロフィール

1940年、秋田県生まれる。1970年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学教授、奈良大学教授などを歴任。2016年、没。
【主要著書】『大久保利通と明治維新』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、1998年)、『江戸が東京になった日』(講談社選書メチエ、2001年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)

「2022年 『幕末政治と薩摩藩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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