人類最古の哲学 カイエ・ソバージュ(1) (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062582315

作品紹介・あらすじ

宇宙、自然、人間存在の本質を問う、はじまりの哲学=神話。神話を司る「感覚の論理」とは?人類的分布をするシンデレラ物語に隠された秘密とは?宗教と神話のちがいとは?現実の力を再発見する知の冒険。

感想・レビュー・書評

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  • 面白い・・・二日で読んでしまった。

    ただし、注意しなければいけない。実際に存在する神話を題材としているが、学説というわけではない。学術的な裏付けのあるハナシではないのである。レヴィ=ストロースや南方熊楠などの研究に基づいてはいるが、この話は中沢新一という思想家の、あくまで一つの、世界の捉え方であると、それだけを心の片隅に置いて読み進めれば問題はない。

    僕自身、これまであれこれと考えてきた「人間の根源は何か」とい問いに答えてくれそうな気がして、中沢新一を読み始めたのである。このシリーズはまだ4冊続くが、読み終わるころにはきっと、自分の中に新しい地平が開けていそうに思う。

    なお、芸術人類学研究所のHPの「芸術人類学とは」という文章だけでも読んでおくと、中沢新一の言わんとするところがより良く分かるだろう。

  • 現実を失ってでも、バーチャルの世界へ入ってしまおうとする可能性を、常に持っている生き物なのです。私たちの心は、現実の世界の豊かさや複雑さを、五感を通して受け入れようとしていますが、同時に心の中の完全に自由なバーチャルな領域に呑み込まれたいとも思っています。

  • 人類が語り継いできた各地のシンデレラから共通性を見出しつつも違いを比較しながら、そこに描かれてきた普遍的な人の感性や価値観に触れられる良書だと思います。

    特に北米インディアンのシンデレラに見る、ヨーロッパ的シンデレラへの批判精神はとても興味深かった。

  • 尊敬する人のそのまた師匠がお勧めの書籍として挙げていたというので一気に通読。

    勝手に哲学書だと思っていたので、徹頭徹尾神話の読み解き方に終始し、その語り口調が親が子に聞かせるような平易な説明文章であることをずっと不思議に思っていたのだが、読み終えてから「はじめに」に目を通したところこれは大学の講義の書き起こしだとのこと!しかも学部2・3年向け。納得。

    本書は非常にわかりやすい「神話学入門」書であり、先に述べたように学部生向けに講義として組まれたものを書き起こしたものであるので、時にユーモアを交えながら興味深く神話を読み解ける大変親切なものになっている。

    神話に出てくるキーとなる単語をひとつひとつ拾って意味合いを掘り下げ、時代背景と文化を解説しつつ他国の同意味の物語との比較検証を丁寧に行っていくことにより、神話が伝えたかった哲学・メッセージに着地するロジックをとる。

    メインとして扱われている神話は「シンデレラ」。
    シャルル・ペロー版とグリム版は原文和訳を読んでおり、ペローのあまりに表層的なハッピーエンドっぷりに辟易し、グリム版のどぎつい目には目をっぷりに引いていたが、第6章「シンデレラに抗するシンデレラ」において、著者がミクマク・インディアン版シンデレラを用いつつ、その辟易した部分をズバリ指摘してくれたことが実に爽快だった。

    やっぱそうだよね、インディアンって最高だぜ。

    一章から読み進め、最後に序章→はじめに、と読む順番がなんとなくいいように思う。

  • 中沢新一 「カイエソバージュ1」神話のもつ哲学性についての講義録。哲学性とは 宇宙、自然、人間存在の本質を問うこと。神話=人類最古の哲学という命題のため、シンデレラを主な素材として扱っている。わかりやすい

    結論「神話は 人間に 自分にふさわしい つつましい場所を 宇宙の中で与えようとした哲学」

    神話は どのよう人生や宇宙の位置を思考させたか
    →神話は 感覚的で具体的な対立軸を用いる
    →熱い/冷たい など対立する感覚事実を 論理の操作に利用して、人生や宇宙の意味を哲学的に思考
    →対立するものの仲介役が重要

    神話の役割
    *失われた つながりを回復する
    *不均衡な関係の対称性を戻す
    *現実の世界では両立不可能なもの共生

    日本文化と神話的思考
    *日本のバーチャル文化=神話的思考の様式だけを温存(神話の哲学的な内容が捨てられた様式のみ)

  • 人類最古の哲学は「神話」である。
    シンデレラは、もっともポピュラーなペロー版、「本当は怖い」のグリム版、最古の中国版を経て、本来の神話がネイティブアメリカンによって再生される。さらにオイディプス神話ともつながるという、壮大なSFを読んでいるよう。
    そして最後に神話を様式だけ、情報として消化することに対して警告を放つ。
    都市、情報空間の中だけでジブリ映画のような神話様式を消費する私たちは自然と断絶し、自然からの恩恵を受けられなくなるのだ。
    かぐや姫の子安貝から「燕石」の普遍的な意味。
    ピタゴラス派の掟から「ソラ豆」のもつ二元性。

  • 「人類最古の哲学」である神話のお話。
    世界のなりたち、その中の自然、人間。それらの本質に関する抽象的思考を哲学とした場合、数万年前からの旧石器時代から哲学はあり、根本的な思考法やその道具立ては変わってない、というカウンターパンチは利いた。

    動物や植物など自然界に関する広範な博物学的知識をもってして、その感触や視覚や行動特性などの感覚を項として論理的に世界を構築する「感覚の論理」。
    神話を作っているものはこの分子的構造で、現代の自然科学の原子的構造とは違うけれど、作り方自体は同じなのだと。

    世界中に拡散するシンデレラの物語を題材に、その分子的項が一部変形すると全体がその論理に沿って変化する仕方を、世界中のバリエーションをもとに検証する。
    旧石器時代になぜしいたげられた汚らしい女の子が報われる話が出てきたのかは言及されないから、イマイチこの題材が何を意図して選ばれてるのかわからないけど、単に世界中にバリエーションがあるからってだけなのかしら。
    こういう、莫大な知識に基づく華麗な論理は好きだ。
    神話好きが高じたロマンティシズムのきらいもなくはないが、中沢新一は要するに頭が良くて、言語センスがすごい。

  • 人類学者の中沢新一によるカイエ・ソバージュシリーズの第一弾。
    僕にとって初めての中沢新一。

    とりあえず気になるところをつらつらと書いてみる。
    以下ネタバレあり。

    第一章人類的分布をする神話の謎
    ・北米インディアン版の竹取物語では両親に愛された娘は中国の纏足のように足が小さい。皆が求婚するが断り、族内婚を嫌い、熊や狐、シャチと結婚する。人間の世界で一切の媒介された状態を実現できていない。
    ・燕石に関する伝承はさまざまある。
    ・ヨーロッパの民間伝承で鳥の巣あさりがあるが、これは思春期を迎えた少年を青年が登らせて卵などを取りにいかせる習慣だが、ここで巣に手を入れてはじめて性の手ほどきが行われるといわれている。


    第二章 神話論理の好物より
    ・アメリカインディアンは豆とトウモロコシをよく似た位置のものと捉えている。豆は睾丸、トウモロコシはペニス。柔らかい睾丸はより女性的。
    ・豆と燕はよく似た存在。豆は解剖学植物学的なレベルにおいて生と死を仲介する両義的な存在。ピタゴラスはそのため豆を取り入れずにいたし、同じ理由で燕を入れてはならなかった。
    ・ピタゴラス哲学はこちら側にはモダンの純粋主義にも通じる性格を持ちながら、向こう側には神話の世界が広がっていた。豆などを嫌っていたピタゴラスが蝶つがいの役目をになっている。これは節分でいう呼びながら払うという二重の性格を現している。つまりピタゴラスが豆と同じ働きをしている。


    第三章 神話としてのシンデレラより
    ・現代の神話舞台は芸能界が担っている。


    第四章 原シンデレラのほうへより
    ・民話は単調な反復を好む。
    ・原シンデレラは残酷な結末。姉たちは足を切り落として靴に足を滑り込ませる。さらに結婚式で小鳥に目を奪われる。


    第六章 シンデレラに抗するシンデレラ より
    ・ミクマクインディアン版のシンデレラ「見えない人」は批判精神により作られた。「美しい」は単に見た目だけの話である、と。精神の話。
    ・カマドは人間と霊界を仲介する場所。
    ・見えない人に見てもらおうと美しく着飾っては見えない。
    ・最後にボロボロの娘はきれいに着飾ってもらうが、これは自然の美しさの話。それは誰もがもっている。


    第七章 片方の靴の謎
    ・オイディプスの神話でもオイディプスが片方の足を引きずっているのは死者の領域に踏み込んでいるため。
    ・シンデレラは死者の領域と自由に行き来できる能力者。
    ・シンデレラが脱ぎ捨てた片方の靴は彼女に打ち込まれた死者の王国の刻印。


    終章 神話と現実より
    ・神話は哲学。
    ・現実を失ってでもバーチャルにいくことに神話は警鐘を鳴らしている。



    さまざまなシンデレラに対するアプローチは必見。
    知識がつまっている。
    他のいろいろな神話も調べたい。
    やはり今と昔はぐるぐると回って同じところにあるのだ。

  • こちらも今更ながら読みだしている中沢新一のカイエ・ソバージュ!学生時代に『野生の思考』やら『生のものと火を通したもの』やらを読んだはずなのだけど、正直あまり覚えていないんだよなあ、いつかそちらも再読せねばなりません。

    さて本作、講義の内容の書き起こしということもあって、とても読み易かったし、そういわれてみたら確かに?ということの連続が面白いということ、もし人間が既にそこまで物事を考えて何かに意味を持たせられている・見いだせているのなら、創作できる余地など少なくない…?と思うなどしていました。

    豆の神話学(p67~)
    豆というものが、男性の中の女性的なものと、女性の中の男性的なものを表し、男性性と女性性の仲介を果たすものである、その先に生と死を媒介するものとしての豆というのが出てくる、らしい笑。

    カマドと灰と鳥=総動員される仲介機能
    カマドの火は人間にとって動物の世界から抜け出して、「文化」を持ったという大転回がおこったことを象徴し、そこから「異界または他界との転換点」「生者の世界と死者の世界を仲介する場所」(p107)

    ミクマク・インディアンの「見えない人」の話、とても好きだった。
    …なぜならこの高貴な魂をもった女性は、ものごとを外見ではなく、その奥にひそんでいるものの価値によって知ることができたからである…(p149)
    そして「…ここでいわれている「美しさ」は星や野の花や動物のような美しさんことで、人間のお化粧やおしゃれがつくりだせるものでもなく、こういう自然な美しさは誰のなかにも潜んでいるものなのだから、みなさんどうかご安心ください。」(p157)に笑った。

    神話は警告する(p206-7)
    …このとき神話は現実と幻想のあいだにたって、二つを仲介しようとしています。その上で、幻想の世界に埋没することの危険を知っています。神話はこのように、現実との対応を絶対に失わないようにしています。ところが私たちは浮気なチェリクトフのように、現実の世界を捨てて、ベニテングダケ娘の与える快感にはまってしまいたいという欲望も、ひそかに抱いています。いいかえれば、現実を失ってでも、バーチャルの世界へ入ってしまおうとする可能性を、常に持っている生き物なのです。私たちの心は、現実の世界の豊かさや複雑さを、五感を通して受け入れようとしていますが、同時に、心の中の完全に自由なバーチャルな領域に吞み込まれたいとも思っています。ベニテングダケ娘の誘惑は、今ここにある危険なのです。

    まさにその通りなんだよねえ…そこで地に足のついている感じに安心感ある。次の巻も読みます。

  • 中に含まれている神話や説明は面白いものの、自分がどこか騙されているような、無理やり引っ張られている感が否めず、流されて読んでいるだけではだめだ、考えなければ……と思わされる一冊だった。

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著者プロフィール

1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。京都大学特任教授、秋田公立美術大学客員教授。人類学者。著書に『増補改訂 アースダイバー』(桑原武夫賞)、『カイエ・ソバージュ』(小林秀雄賞)、『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)など多数。

「2023年 『岡潔の教育論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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