熊から王へ カイエ・ソバージュ(2) (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 30
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062582391

作品紹介・あらすじ

熊をカミとする狩猟民たちの「対称性の思考」とは?「哲学」と「権力」が共存する冬の祭りの秘密とは?王を戴く国家が「無法の野蛮」と結びつく根源へと遡行する。

感想・レビュー・書評

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  • このカイエ・ソバージュの5冊セットは買ってしましました。

    (抜き書き)

     ――神話と哲学
     ハイデッガーは近代の技術の本質を明らかにするために、技術というものが、古代ギリシャ人たちのもとでどう考えられていたのか、と問うことからはじめました。テクノロジーの語源は、ギリシャ語の「テクネー」という言葉でしたが、この言葉は「ポイエーシス」という言葉と対比される意味を持っていました。「ポイエーシス」は自然に花が咲き出すように、自然が自分の中に隠している豊かなものを、外に持ち出してくることを言います。そういう「豊かなもの」に出会った人間は、それをまるで自然からの贈り物のように、少しも無理をすることなく手に入れることができます。
     「テクネー」の方は、それとは違って、自然の中に隠れている豊かなものを、「挑発」によって立ち上がらせた上で、外に引っ張り出してこようとする行為のことを言います。
     岩山を砕いて、その中から鉄鉱石を取り出したり、その鉄鉱石に熱を加えて、純度の高い鉄を作ろうとする行為などが、その典型です。どちらの場合も、自然の内部に隠されている豊かなものが、外に出てくるようにする、という意味では同じなのですが、やり方が根本的に異なっています。「ポイエーシス」は自発的で贈与的ですが「テクネー」は挑発的で、相手に義務を課すという意味では交換的です。
     ハイデッガーは、近代に入ると技術が一気に「テクネー」としての性格を強めて、自然をコミュニケーションの相手ではなく、「開発」のための対象物としてみるようになってしまったことに、強い危機感を表明したのでした。科学的理解や産業開発のための対象物である限り、自然は口を閉ざしたまま、人間に向かって自分を開いてくれません。

     ――王にならなかった首長と、環太平洋神話学から
     新石器的な社会では四つの種類のリーダーを二つに分けて機能させようとしている。つまり、首長(実質的な権力は長老会議にあるため権力は持たず、全員一致を目標として調停を行う。自分の持ち物を気前よく人に与え、時にはその上で二人以上の妻の面倒を見、歌や踊りをよくし、弁舌が立たねばならない。)と、秘密結社(家族から離れたクランであり、年功序列でイニシエーション、入団儀礼が行なわれる。特に最上位の結社はカニバリズムの儀式を持つこともあり、狩における力関係において人間を超えた、または同等の存在と一体化しようとする。狩のない冬の間の社会形態であることが多い)+戦士+シャーマンのリーダーである。夏の季節には人間の社会と動物の社会は、「文化」と「自然」として対立しあい、人間の社会は首長が指導する。理性的な首長には権力がなく、権力=力の源泉はもっぱら動物の世界に潜んでいる。だが、冬の季節になると(または戦争時)この区別が無化されてしまう。

     この「人食い」たちが、世俗的な時間のリーダーである首長と合体したときに、首長はまぎれもない王となります。ところが、北西海岸インディアンの場合にも、日本列島の縄文社会の場合にも、また多くの「少数民族」の社会でも、首長と「人食い」の合体は起こりませんでした。王が生まれれば、クニ=国家が発生します。これらの社会は、豊富な備蓄経済を実現し、階層性を発達させ、国家がいつ生まれてもおかしくないような条件を十分に備えていながら、自分の内部からは決してそれを作り出さなかったわけです。「国家を持たない社会の臨界形態」が、まさにここにあると言えます。
     「ふゆ」はなんと偉大で、そして危険な季節なのでしょう。

  • 中沢新一 「 カイエソバージュ 2 」神話研究から 近代文明の構造を明らかにした本。人類学ならではの構造の抽出だと思う。テクノロジーと 王権による国家概念を 近代文明の非対称性の特徴として 共通分類した点は面白い。未開社会から学ぶことは多い

    終章「野生の思考としての仏教」は、仏教の空概念に 神話的思考を見出している点、ブッダが首長を理想としている点が 興味深い

    タイトル 熊から王へ の意味
    *対称性の社会から非対称性の社会へ
    *動物と人間の共生社会から 動物と人間の分離社会へ
    *自然か所有していた権利を 王が所有する王権へ
    *王、国家の成立

    対称性の社会=神話的思考
    *人間と動物が対称的関係
    *熊と人間の共生→人間と熊はお互い変容できる
    *首長はいても、王はいない、国家はない
    *首長は 弁舌、歌、踊り、気前の良さで 社会を調和し、権力(政治権力、軍事力、神秘的権力)はもたない

    対称性のない世界(非対称性な世界)
    *人間と動物を分離する思考
    *富の配分が非対称性
    *野蛮を内部に組み込んだ社会→野蛮を排除できない
    *王=人間の社会の権力をもつ者+首長

  • (01)
    各章には,やや長めに神話や説話が引用されている.その多くに熊が登場する.また,その多くは,環太平洋の北半球地域で採集された話である.
    モンゴロイドなどの族の環太平洋北部の大陸間移動と,熊の生態学的な分布が重ねられ,そこに生まれた人類と獣の交流の物語(*02)に,あるべき普遍の倫理を読もうとする.自然,文化,文明をめぐり企図された倫理は,しかしながら,説得力を欠くようにも読まれた.
    旧石器から新石器へと技術(テクネー)が変化した際に,象徴操作や流動的知性というアビリティが備わったと,著者はいう.ニューロン組織の進化があったとする.脳科学的にこの理解が正しいのか検証されているのかは分からないが,留保も必要な議論のように感じた.

    (02)
    インディアンやエスキモーが語る個別の神話や続けられてきた儀式の細部は,楽しい.著者による一次的な解説は,うなずける点も多い.種族のルーツ,動物との婚姻譚,自然と文化の間の贈与,鉄などの武器の聖性,季節と学年制度の関係など,示唆的である.

  • カイエ・ソバージュの第2巻。第1巻からだいぶ時間を空けてしまった。講義録なので読みやすく、説明や引用も丁寧で難なく読み進められた。やはりテーマは自然と人間の「対称性」。現代は人間が力を持ちすぎた「非対称性」の時代。しかし古代、まだ人間がクニをもつ前は自然と人間は対等であり、力は自然より与えられる者だった。人間と自然の中間として象徴されていた存在が「熊」だという。神話の中では、クマは人間になり、人間はクマになる。熊は人を襲うこともあるが、自身を捧げ毛皮になり肉になる。

    今の時代の危機を対称性の喪失として語る。かなり神秘的な思想だが、先祖が尊んできた一つの宗教的感覚を無価値なものと断じる気持ちにもなれない。ゆっくりとした良い学びになった。

    18.1.23

  • カイエ・ソバージュの1冊目が面白かったので、早速、第2冊目にすすむ。

    1冊目が、レヴィ=ストロースの「神話論理」をベースにした世界各地のシンデレラ物語分析というところで、面白いものの、どこか予定調和的な感じがしなくもなかった。

    で、2冊目では、原始的な共同体から国家の誕生へと、静的な世界から、ダイナミックな世界に動き出す。つまり、定常社会の記述を徹底していくことを通じて、王が出現する瞬間を描き出そうとする。

    王=国家の成立にとって、経済的な格差や身分の成立といった経済社会的な構造変化は必要条件としながら、十分条件として、定常社会のなかに存在する神話的思考に内在する論理を指摘する、ところがとてもスリリング。

    9.11の直後になされた講義であり、なにが「野蛮」なのか、という問題提起が繰り返されなされる。特に、冒頭に引用される宮沢賢治の「氷河鼠の毛皮」のインパクトは強烈であり、この本全体のテーマを的確に示している。

    最後のほうでは、「野生の思考」としての仏教思想という話がでてくる。

    1冊目のレヴィ=ストロースの忠実な弟子という感じから、いよいよ中沢氏の本領発揮という展開で、面白かった。

  • 神話は現代ではとても野蛮で程度の低いものだと思われている。でも、人類史を振り返ると人間は神話という大発明のおかげで大自然の中での己の立ち位置や身の処し方を見いだすことができるようになったのではないか。今我々が、経済と呼んだり科学と呼んだり宗教と呼んだり政治と呼んだり文化と呼んだりしたものが神話のなかには無理なく一体化されて収まっているように思える。2万年後には今の最先端の知識も神話の中にパッケージ化されて後世に伝えられるのではなかろうか。

  • 国家「クニ」が野蛮であることは不可避であり、自然・動物に敬意を払う精神構造を捨てた「文明」は野蛮を土台にして発生している。
    何故、現代文明を我々はこれほど歪に感じるのか。文化的に遅れていると言われる原始宗教に惹かれるのか。それは遠い昔、縄文まで遡る頃に、そのような、真に文明的な社会が存在していたからである。
    首長・将軍・秘密結社・シャーマン。
    首長は「集団の緊張を和らげるもの」「自分の財物を惜しみなく与えるもの」「弁舌さわやかなもの」。さらに歌・踊りの能力も重要であり、現代のミュージシャン(の語り)が若者の心をつかむことの共通性。

  • どうやって人間は「自然」から離れ、権力を奪い「国家」をつくるようになったのか、と同時に、心の奥からポッと生れ出た自然を語る神話たちは、どこかへ消えたのではなく、今も形を変えてそばにいるということを教えてくれる本……というか、説明がすごく難しい。いろんなことが広範囲で語られている。「国」や「権力」ってなんだろうと疑問に思うなら、楽しめる本だと思う。

  • 読了。

    熊から王へ カイエ・ソバージュ 2 / 中沢新一

    第二弾読み終えました。
    全部で5巻だそうです。
    大学の講義の内容をまとめられているようですので読みやすいです。読みやすいからといって理解できるかといえばそうではありませんが...

    『国家=野蛮なるもの』はいかに誕生したか。

    というわけで熊から王へ。
    新石器時代は熊が神のように崇められつつ、人は熊を狩り、ときには敬い。感謝をする。という神話が環太平洋各地に神話として残っている。日本も東北やアイヌの神話や行事として残っている。
    その各一族の首長が文化の継承としての一端をになっていた。
    国にならなかった一族首長制の理由。
    首長と戦士とシャーマンのそれぞれ異なるリーダー。
    それがどのように国となり王となっていくかという内容(のような気がする)

    一言で言えば難しい。ニュアンスは捕まえれるが説明するのは難儀です。
    話は仏教の話まで行きますので。

    文化として自然とは対等で敬う対象だった一族首長型。
    から
    文化を破棄して文明として自然を人間の道具とした国家王型。
    になっていった。
    といったところでしょうか。

    ともあれ難しい本でございました。
    それと同時に面白くもありました。

  • 今回もなかなか。

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著者プロフィール

中沢新一(なかざわ・しんいち)
1950年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、明治大学野生の科学研究所所長。思想家。
著書に『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)、『大阪アースダイバー』、『カイエ・ソバージュ』(小林秀雄賞)、『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)など多数ある。

「2018年 『精霊の王』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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