経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062584197

作品紹介・あらすじ

いま私たちは、かつてないほど発達した市場経済の中に生きている。そして私たちは、あるときには市場の「効率性」を評価し、またあるときには市場の「失敗」をきびしく批判したりする。では、市場社会はどのように倫理的な評価/批判をされるべきだろうか。そのような問いに対して、現代のイデオロギー-リベラリズム、ネオリベラリズム、ネオコン、リバタリアニズム、平等主義、共同体主義、マルクス主義-は、いかに答えうるのか。そしてあなた自身は、なに主義なのか?時事問題や、あなた自身の日常的で素朴な倫理感覚からスタートして、さまざまな思想のエッセンスを、実感的かつ体系的に理解できる、驚きの一冊。

感想・レビュー・書評

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  • ◎こころ:あなたの思想的な立ち位置がいつの間にか形成されている
    ○ツボ:あなたはリベラリズム、コミュニタリアン、リバタリアニズム、コンサバティズムを理解しておこう
    ☆問い:4つの思想のうちあなたのポジションは?他のポジションの人とどう対話する?

  • シャロム・シュヴァルツのポートレート的価値のアンケート(PVQ)によると、世界各国の人々が価値を同じように順位づけている。13か国の平均的な人々は、慈愛心、自己統御と普遍主義、安全、一致適合、達成、快楽派、刺激、伝統、権力という順位づけになる。

  • 【書誌情報】
    著者:橋本 努
    カバー図版制作:山岸義明
    発売日 2008年08月08日
    価格 : 本体1,600円(税別)
    ISBN 978-4-06-258419-7
    通巻番号 419
    判型 四六
    頁数 280
    シリーズ 講談社選書メチエ

     市場社会はどのように倫理的な評価/批判をされるべきだろうか。そのような問いに対して、現代のイデオロギー ――リベラリズム、ネオリベラリズム、ネオコン、リバタリアニズム、平等主義、共同体主義、マルクス主義――は、いかに答えうるのか。そしてあなた自身は、なに主義なのか? 時事問題や日常的で素朴な倫理感覚からスタートして、さまざまな思想のエッセンスを実感的かつ体系的に理解できる1冊。
    http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195379


    【目次】
    目次 [002-005]

    はじめに 006

    第一章 一貫した経済倫理の立場を形成してみよう 
    1 四つの経済倫理問題 024
    2 八つの倫理的立場 060

    第ニ章 イデオロギーの立場を分類してみよう 
    1 八つのイデオロギー類型について 
    2 補説:社会民主主義の分裂 
    3 八類型以外の立場について 
    4 イデオロギーに引き裂かれた自己 

    第三章 最近の経済倫理問題について考えよう 
    1 「包摂主義」と「非包摂主義」――新たな分類 116
    2 派遣社員を減らすべきか 122
    3 マクドナルドを廃止すべきか 127
    4 たばこを規制すべきか 130
    5 グレーゾーン金利を撤廃すべきか 134
    6 ホワイトカラー・エグゼンプションを導入すべきか 137
    7 会社は誰のものか 142
    8 まとめと調査結果 144

    第四章 「市場の倫理」と「統治の倫理」 
    1 市場の倫理/統治の倫理 150
    2 「市場の倫理」を類別する 152
    3 「統治の倫理」を類別する 166
    4 新たな分類のまとめ 197
    5 第三の倫理 183

    第五章 政治経済の羅針盤――あなたは「右」? それとも「左」? 
    1 あなたは「右」? それとも「左」? 190
    2 「政治経済の羅針盤」にもとづくイデオロギー分析 203
    3 自分のイデオロギーを検討するために 208

    第六章 価値観マップを作ってみよう 
    1 心理学的アプローチの必要性 214
    2 PVQアンケート 216
    3 分類の説明 224
    4 文化的価値構造とイデオロギーの関係 229
    5 文化的価値構造と下部構造 234
    6 イングルハートのアンケート[拡張版] 237
    7 イングルハートの価値マップ 240
    8 まとめ 250

    おわりに――自分の鋳型を疑ってみよう 253

    巻末ブックガイド(イデオロギーを鍛えるための基礎文献) [258-260]
    参考文献 [261-267]
    あとがき(二〇〇八年六月 橋本努) [268-270]
    註 [271-275]



    【抜き書き】
     以下の抜粋は「はじめに」から。本書の前提や意図を説明している部分を抜き書きする。なお各章の概要部分は抜き書きしていない。

    □pp. 8-10
    “ 私たちはこのように、さまざまな疑問や不満を抱きながら、日々の生活をすごしている。私たちは、あるときには市場社会の「効率性」を評価し、またあるときには市場社会の「失敗」をきびしく批判したりする。ところが経済倫理の感覚は往々にして曖昧であり、ある判断を他の事例へ拡張してみると、ピントがボケてしまう。例えば、「郵便局の民営化は、〈新自由主義〉の政策であるから、望ましくない」という場合、この判断を一般化して、「〈新自由主義〉の政策は、すべて望ましくない」とみなすことができるだろうか。こうした判断の拡張において、私たちは否応なく、自分自身の「倫理感覚」を問われてくるだろう。いったい自分の倫理感覚は、どこまで一貫しているのだろうか、と。
     問題をストレートに問えば、「市場社会」は全体として、倫理的にどのように評価されるべきだろうか。「市場社会」は、どこまで倫理的に非難しうるのか。あるいは、どこまで倫理的に営まれるべきなのか。この種の問題に対して、一貫した答えを与えようというのが、「経済倫理(学)」の課題である。経済倫理(学)とは、決して「立派な倫理」を身につけようという学問ではない。むしろ、私たちのふだんの「倫理感覚」から出発して、その感覚を「一貫したものへ鍛えよう」というのがその狙いだ。読者とともに、本書ではさまざまな時事問題を手がかりに、経済倫理の問題を掘り下げてみたい。

       倫理というお説教
     最初に注意しておきたいのは、経済倫理の問題をストレートに考えていくと、その答えはたんなる「お説教」に至りかねない、という点である。
     例えば、「企業の社会的貢献」について考えてみると、倫理的に素朴に言えば、「企業はできるだけ地域社会に貢献すべきである」ということになるだろう。しかし企業は、社会的な貢献をしなくても、市場で貢献すれば生き延びることができる。私たちにできるのは、企業に「倫理」を呼びかけることであって、経済倫理を法的に強制することではない。これはつまり、経済倫理学の主張は、「もっと倫理的になろう」というお説教に終わるかもしれない、ということである。
     なるほど、ビジネスに携わる人々がもっと倫理的に行動すれば、市場社会はよりよくなるにちがいない。だから経済倫理学者たちは、「もっと倫理的になろう」と呼びかける。しかし「もっと倫理的になろう」というお説教が嫌いな人は、反対に、「現実の厳しさ」を突きつけるだろう。例えば、「ビジネス界のトップたちが倫理的に行動するはずないよ」とか、「経済活動が倫理的になるだろうというのは楽観的すぎるよ」といった現実認識だ。経済倫理学者たちは、「倫理的になろう」と呼びかける。しかし他方では、必ずしも倫理的にはならない経済の現実を実証することも、この分野の研究課題となっている。

     例えば、一九九六年にアメリカで行われたある調査によると、企業のトップ管理職の四七%、また経理部長の四一%(あるいは大学院を卒業した実務研修生の七六%)は、「罪悪感を覚えることなく、税金を抑えるために帳簿の数字を実際と少し違ったものにして、会社の利益を低くみせかける」と答えたという。企業のトップは、利益を上げるために、しばしば不正を働くことがある。
     トップ管理職にかぎらず、私たちは日々の経済活動において、「倫理的であること」よりも、「自己の利害」を優先する場合があるだろう。倫理的には「後ろめたさ」を感じながらも、自己の効用満足を優先させることがあるだろう。”


    □pp. 11-12
    “ 問題は「倫理的に行為すべきか、それとも自己利益を追求すべきか」ということではない。もしこのように問題を立ててしまうと、経済倫理学は単純で浅い射程しかもたないだろう。私たちが考えるべきは、「倫理」や「利害」といった概念にはいろいろな基準があって、いったいどのような基準を用いるべきなのか、という問題だ。
     例えば「倫理」という場合、求められているのは「公正」なのか、それとも「秩序の安定」なのか。「自由」と「平等」のいずれを優先するのか。「政府介入」をすべきか、それとも「中間集団を強化」すべきなのか。「直接介入」が望ましいのか、それとも「制度的介入」が望ましいのか。「一時的対応」にすべきか、それとも「長期的対応」にすべきか。云々。このように、私たちが倫理という言葉を使う場合にも、考えなければならないことがたくさんある。
     同様に、「利害(interest)」といっても、いろいろな基準があるだろう。それは例えば、現在の自分の利害か、それとも自己の善き生への関心(インタレスト)か。一時的利害か、長期的利害か。私的生活の利害か、それとも公共的生活の利害か。云々。
     「倫理」や「利害」といった概念にはいろいろなレベルがあるので、私たちは「倫理か、それとも利害か」という問題に、さまざまな基準でもってアプローチしていかなければならない。”


    □pp. 13-15
     経済倫理の問題は、つまるところ、イデオロギーの問題となる。経済倫理には、「これが答えだ」と言えるものがない。「倫理」の基準は、イデオロギーの数だけ存在する。だから経済倫理の課題は、ある問題に対して一つの答えを導くことではない。経済倫理の課題は、倫理的に一貫したさまざまなイデオロギー的立場について、体系的に検討することである。コミュニタリアニズム、リベラリズム、リバタリアニズム、マルクス主義、平等主義、などなど、経済倫理の一貫した立場には、さまざまなバージョンがある。こうした立場をできるだけ深く検討して、最終的には自分なりの一貫した立場を築いていく、そして他の学説を批判して人々を説得していくことが、経済倫理の目標となる。
     もちろん私たちは、諸々のイデオロギー的立場について、ふだんはあまり考えなくても暮らしていけるだろう。誰かが説得力のある説明をしてくれれば、適当に自分の見解を変えて、その都度なんとか対処していけばよい。あとは専門家の人たちに任せておいて、それで快適に暮らしていくこともできるだろう。
     けれども私たちは、経済倫理の問題について、一度は突き詰めて考えておきたいものだ。自分なりの意見を形成し、どんな社会が善いのかについて、展望や構想をもちたい。というのも私たちは、いまの社会に迎合し追従しているだけの自分を、恥ずかしいと思うことがあるからだ。あるいは私たちは、いまの社会を批判ばかりして、オルタナティヴを出すことのできない自分に、不満を感じることがあるからだ。なぜ自分は、もっとストレートに「こういう社会が望ましい」と言えないのか。
     本書の素材を手がかりに、読者は自らの立場(イデオロギー)を明確にしていくことができれば幸いである。よい経済社会とは、どんなものか。自分が最も生きやすい日常とは、どんな経済社会なのか。正面から考えてみたい。

       イデオロギーは生活環境に依存する
     それではストレートにお伺いしよう。「あなたはなに主義ですか?」この質問に対して、もし自信をもって答えることができれば、本書を読む必要はない。〔……〕
     人は誰しも無意識のうちに、生き方の指針というものをもっているだろう。またその指針から、社会のさまざまな現象に対して、「これはいい、あれはいやだ」という無意識の反応を、すでに形成しているだろう。その性向を少しずつ明確にしていくと、自分の抱いているイデオロギーが形をなしてくる。無論、読者はその明確になった自分のイデオロギーに、満足しないかもしれない。自分の内なる無意識の声を嫌悪するかもしれない。ひょっとすると、そのイデオロギーに慄いて、自己逃避してしまうかもしれない。
     私たちが無意識に抱いているイデオロギーとは、往々にして、これまでの自分の生活環境に規定されている。例えば、親の考え方や家庭環境、あるいは、現在の自分の食生活や収入などに依存している。マルクス的に言えば、人々の「イデオロギー」は、「下部構造(物質的な生活環境)」によって、すでに決定されている。そのイデオロギーを言語化してあぶり出してみると、自分の考え方がいかに「これまでの生活環境に縛られてきたか」、ということを理解するだろう。”


    □p. 16
    “ 「あなたはなに主義?」という問題に答えを与えるためには、やはりまず、「世の中にはどんな主義(イデオロギー)があるのか」について、一通り見渡しておきたいものだ。そして「最もすぐれた主義主張」というものを、自分自身でつかみとりたいものだ。さらに言えば、自分がよいと思うイデオロギーについて、友人に語ったり、ネットに書きこんでみたり、あるいは、人々に訴えたりして、この世界を少しでもよい場所へと変えていきたい。そのような活動は、それ自体が公共的な意義をもっている。
     もちろん本書は、あくまでも入門書であって、少々荒っぽい分類の作業を試みようというにすぎない。読者は、本書で展開されるさまざまな分類を、鵜呑みにしないでいただきたい。もしかすると読者は、自分の考え方が「ネオコン」と分類されて驚愕するかもしれない。「えっ、私はネオコンだったのか!」と驚いたら、まず、本書の分類方法を 疑ってみよう。そこから、さまざまな省察をはじめてみよう。自分の無意識のイデオロギーに直面してうろたえる。あるいは自分のイデオロギー傾向にドキドキする。そんな思考作業から出発して、自己を捉え返してみたい。”

  • あるべき社会に関する様々な思想を、様々な評価軸を使って分析していく。細かな分析はともかく、自分で考えていく上で参考になる評価軸がいくつもあり、そうしたカタログ的な使い方のできるユニークな本だと思った。

  • 経済倫理に関する具体的な政策や価値観についての質問に答えていくことで、自分のイデオロギー的な傾向を明確にし、自分自身の立場に一貫した説明を与えるための手助けとなってくれる本です。

    質問に対してどちらがいいと明確に答えられない場合は、たとえばリベラリズムならリベラリズムの立場をめざすつもりで回答を試みるという仕方で、「リベラリズムの練習問題」として利用することもできるかもしれません。

    それぞれの立場がそれぞれの問題に対して、どのような根拠に基づいて答えを提出しているのか、といったことについては、それほど詳しい解説はないのですが、おもしろい読み方ができる本だと思います。

  • 本書の後半に「政治経済の羅針盤」というアンケートがある。購入してすぐにやってみた。保守主義、共同体主義、福祉国家型リベラリズム、リバタリアニズムの4つに分けられている。その中で、私は、経済的自由度はやや低いが、政治的自由度が高めの福祉国家型リベラリズムに位置した。パートナーにもやってもらったが、ほぼ中間値に近いが、やや福祉国家型リベラリズムであった。生活を共にする人間が、このあたりで大きく異なると苦しくなるのかもしれない。本書にはもう一つアンケートが掲載されているが、いずれも具体的な内容で興味深い。我が家ではよくホームパーティ(単なる近所の飲み会)をするが、その際、それぞれの家庭の考え方を聞くのがおもしろい。お正月などいろいろな節句、七五三などのしきたりを重んじる家庭、ダンナが洗濯物を干したり、ゴミを捨てに行ったりするのを嫌う家庭、などなどいろいろある(我が家は正反対)。男子が集まると、車、スポーツ、家電、最近では景気の話などが多い。女子が集まると、PTA(つまりいろいろな家庭の噂話や先生のこと・・・何々先生が格好良いとかも)、ダンナの悪口、子育て・教育についてなど。私は男だけれど、どちらかというと女子の輪の中に入る方が興味深い。お金の使い方なども家庭によってずいぶんと違う。本書のアンケートを飲み会で実施するのはちょっと難しいが、いろいろ聞くのは実に楽しい。

  • 筆者の主張
    ・個別の問題を最初から全てプラグマティックに考えるのではなく、一貫した思考パターンで判断するべきである。民主主義の成熟のためには。

    ●経済倫理 あなたは何主義?

    利益と道徳
    ・経済合理性か倫理的に埋め込まれた商慣行か
    ・企業が社員を倫理的に包摂(道徳)
    ・政治的市民の経済的自立(利益)

    原理としての善か秩序としての善か
    ・公正を貫くか、安定や成長を優先するか
    ・全体はいいから、特殊共同善派、原理自由派、原理的革命派(原理)
    ・経済よりも伝統価値を守れ、保守派(秩序)

    自由な関係性と人為的なリベラル制
    ・連帯の価値か個人の自己責任原則か
    ・談合は必要悪か、阻止すべきか
    ・家長父制は自由か家事労働の有償化か

    包摂主義と非包摂主義
    ・倫理家は、政府が積極的に企業の道徳を促進(包摂)
    ・信条家は、信条は自由、信条のある人が長期的視野をもてばよい(非包摂)
    ・願望家は、長期的利益を求める企業だけが市場に残っていけばいい(非包摂)
    ・利己主義者、どんな利益を求めようが自由(非包摂)

    ●8つの倫理的立場

    ▼新保守主義(ネオコン= 道徳・秩序の善・自由な関係性・ 包摂/非包摂
    ・経済全体の成長と健全なナショナリズムによる社会の道徳化。WASP文化の復活
    ・格差でなく貧困が問題
    ※ネオコンは優先雇用や解雇権制約には消極的


    ▼新自由主義(ネオリベ= 利益・秩序の善・自由な関係性・  非包摂
    ・「秩序と成長」のための自由 (⇔リバタリアニズム)

    ▼リベラリズム(福祉国家=利益・秩序の善・人為的リベラル制・包摂/非包
    ・「個人」の自立をめざす。ヒューマニズムにつながる。経済変動からの自由
    ※リベラリズムは包摂主義を主体の自立化の温情措置と捉えるか、単に自立支援とみなす。

    ▼国家型共同体主義 =  道徳・秩序の善・ 自由な関係性・包摂主義
     地域型共同体主義 =  道徳・原理の善・ 自由な関係性・包摂主義

    ・地域や国家の共同体という文脈に個人が組み込まれる。共同体の秩序と活性化をめざす
    ・福祉政策は「連帯」(⇔リベラリズムは「原理」の倫理)
    ・連帯経済

    ▼リバタリアニズム =   利益・ 原理の善・ 自由な関係性・非包摂主義
    ▼マルクス/啓蒙主義1=  利益・原理の善・ 人為的リベラル制・包摂主義
    ・革命志向、強弱の転覆
    ▼平等主義/啓蒙主義2=  利益・原理の善・ 人為的リベラル制・非包摂
    ・平等こそ正義


    ▼(新)近代卓越主義
    ・道徳、秩序の善、人為的リベラル制、非包摂
    ・民間の環境対策など、リベラルな人間関係と社会全体の道徳性を両立している
    ▼開発独裁、経済ナショナリズム
    ・利益、秩序の善、自由な関係性、包摂
    ・国の繁栄に貢献することこそ、最も倫理的。エリート主義

    ●経済学は、「善い社会」を括弧に入れて、とりあえずそこに必要そうな2次的価値(成長、安定、公正、厚生)を追求する
    ●経済倫理学は、その2次的価値をどのように追及するのが良いかを求める。すると何が「良い社会」かという、一次的問いも避けられない。

    三章
    ●包摂主義  →祭司型、主体化型
    ●非包摂主義 →ヒューマニズム型、サバイバル型


    5章 文化的価値構造
    24年3月
    ・普遍主義、自己統制=一致適合、刺激=快楽=安全、達成、慈愛心、権力、伝統
    ・知的自立、情緒的自立、調和、保守、支配=平等主義、階層支配構造

    ・日本人は隣接する価値を支持していない
    ・平等主義とリバタリアニズムや国家と地域共同体主義は心理的に近い
    ・反対に、リバタリアニズムと地域共同体主義は、心理的には相いれない

    ・英語圏は自己表現価値 ⇔ 生存価値
    ・価値観は、下部構造(社会の発展段階)の影響をうけ、言語宗教文化、地政学的位置やイデオロギーによってもある程度影響される

    ・マルクス的イデオロギー批判によって、自身の規定関係を自覚し相対化する
    ・大切なのは批判とコミットメントの往復!

  • アンケートに答えていくことによって自分の経済倫理の立場がわかる。そもそも経済倫理にはどのような立場(分類分け)があるのか?という観点からも読みやすい。

  • 質問に答えることで、自分の思想を明らかにして、それから議論を進めようという大学講義のような本。
    自分の思想〜一般的思想の理解〜倫理的な考察〜さらに心理的思想の分類という構成です。
    討論のような部分は無く、倫理的事例は沢山取り上げている割に掘り下げが浅い印象です。
    面白かったのは後半のシュヴァルツの分類。
    対立する心理的思想を使い、「リバタリアニズム」と「平等主義」は近いという結果を導くところ。
    二つは経済的自由を巡っては完全に対立するが、心理的には近く、容易に考えを乗り換えられる。
    逆に「リバタリアニズム」とは小さな国家で一致する「地域型コミュニタリアン」では
    心理的には遠いので全く相入れないという部分にはかなり納得出来た。
    アンケートに答えるのは面倒でもあるが面白かった。
    ジョルジュ•バタイユがニューディール政策を評して「消尽」の祝祭であると指摘して、経済的意味はマイナスであっても、社会的紐帯を育む意味では価値があった、との見解の紹介には抵抗を感じながらも非常に面白いと思えた。
    本書の序盤にも書いてあるが、自分の思想がハッキリしていて、かつ幅広い思想を知っている人は読む必要のない本です。
    ですが、大まかでも経済思想を知っておきたいのなら入門書として良いのではないかと思います。

  • 現在支配的な思想をカテゴライズして解説、アンケートなどもあるのでそれを通して自分が何に分類されるかテストすることもできる経済倫理の入門書。
    下部構造によって規定される自身の思想を相対化するマルクスのイデオロギー批判の考えを人類共存に必要なものとして紹介している。
    またおれのオリジナルと思っていたハイエクとマルクスの思想を融合するとゆう試みがすでに行われて自生化主義なるものがあるってことでそれはちょっと悔しかった。
    最後にシュバルツとイングルハートの研究成果。おもしろいのは文化価値に関する人々の評価を国ごとに平均化してマッピングしたこと。国や文化ごとでクラスターができること、そしてポスト産業化社会では下部構造では価値観が説明できないこと。

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著者プロフィール

橋本 努(はしもと・つとむ):1967年、東京都に生まれる。横浜国立大学経済学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科課程単位取得退学。博士(学術)。現在、北海道大学大学院経済学研究科教授。シノドス国際社会動向研究所所長。専攻は社会経済学、社会哲学。主な著書に、『自由原理――来るべき福祉国家の理念』(岩波書店)、『解読 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』『経済倫理=あなたは、なに主義?』(ともに、講談社選書メチエ)、『自由の論法 ポパー・ミーゼス・ハイエク』(創文社)、『帝国の条件 自由を育む秩序の原理』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか 戦後日本社会論』『学問の技法』(ともに、ちくま新書)、『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』(筑摩選書)など多数。

「2024年 『「人生の地図」のつくり方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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