選書日本中世史 2 自由にしてケシカラン人々の世紀 (講談社選書メチエ)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 74
感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062584678

作品紹介・あらすじ

惣村は住みやすいか?都市の空気は人を自由にしたか?-南北朝と戦国というふたつの動乱期にあって、日本型社会の「変革可能性」が隆起しては陥没していったさまを歴史学の視線と平易な語り口で論じる。

感想・レビュー・書評

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  • 講談社選書メチエの「選書日本中世史シリーズ」第2弾。
    日本社会のあり様や考え方がどの時点において「異質的」なものから現代にも通じる「等質的」なものに変質したかという時代区分の観点を時間軸において、変革期に顕在化する人と人とのネットワークを構築することにより新しい社会を生み出そうとする「江湖」精神の視点にて、中世日本の諸相についての「可能態」を提示する。著者は専攻を「日本中世史」ではなく「歴史学」というだけあって、その時代網羅的な視点は凄い。もとより自分にとっても既成の時代区分を越えられない現状は大いに不満であり、網野義彦の南北朝時代をもって現代に通じる大きな区分とする、あるいは勝俣鎮夫の戦国時代を区分とするという説を前提に、その間のゆるやかな変質という考え方から、本書では14世紀・15世紀にわけて、著名な学説と最新の知見によりながら叙述する。
    個々の内容はそれぞれとても興味深いものであるが、大学での講義内容を大まかなベースにしている感じで、それぞれの導入部が面白く大部分は歴史エッセイ風にわかりやすくまとめている。とりわけ面白かったのは、東アジアの変動と南北朝の動乱そして倭寇との関連性を論証した論文紹介や、四条河原での勧進興行で民衆と一体となって見物した将軍足利尊氏、天台座主梶井宮尊胤法親王、関白二条良基を文化の「新人類」と位置づけたこと、そしてそれが足利義政・日野富子が参加した勧進興行では身分秩序を再確認する「空虚な中心」構造となってしまったこと、飢饉や災害の公権力の対応が出挙型負担から勧進媒介型負担に変化していくという道筋が、秀吉の融資型都市政策により勧進ネットワークを失わせることになった、などであった。
    ほかにも、中世人としての信長の自己神格化の真意を巡る考察や、網野の『異形の王権』でとりあげている後醍醐が行った真言立川流の性の秘儀の描写は遠まわしすぎると、その秘術内容を明らかにしていることなどもとても興味深かった。(笑)
    ところで、本書は著者が自分と同世代の方というのもあるかもしれないですが、個人的に非常にノスタルジックな想いにさせられた内容でした。学生時代の楽しさと自由感と慙愧が甦ってくるようです。冒頭の戸田芳実の「富豪の輩」からはじまり、網野義彦の『日本中世の非農業民と天皇』『異形の王権』『無縁・公界・楽』、勝俣鎮夫の『戦国法成立史論』、彼ら4人組の『中世の罪と罰』、石母田正の『中世的世界の形成』、佐藤進一の「将軍権力の2元性論」や『古文書学入門』『日本中世史論集』そしてNHK大河ドラマ『太平記』、石井進と五味文彦の『中世の人と政治』、山室恭子の『中世のなかに生まれた近世』、朝尾直弘の『将軍権力の創出』、今谷明の『信長と天皇』などなど。中世惣村から近世村落への移行期を主題にした近世史ゼミで取り扱った論文の中で、近世村をライトゥルギー的団体と評価していたのは確か水林彪ではなかったか。どれも著名な歴史書・学説をネタにしているだけに本書に凝縮されていて感慨もひとしおです。素人ながら当時は浅田彰や丸山真男も周囲で何かと話題になっていたしなあ。(笑)それに「新人類」という言葉!何もかもみな懐かしい。(笑)実は、著者の本書でのメインテーマであると思われる最終章の、「文芸的公共圏」の「可能態」を媒介するものの議論は、趣は異なるが「知」を媒介する人的ネットワークの議論を思い起こさせ、これも当時の懐かしい気分にさせられた。(笑)

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    本書は疑問点の提起とそれに対する回答の繰り返しとなっているのが印象に残っている。それ故、かなり読みやすい内容となっている印象を受けた。
    内容は室町時代〜江戸時代までの広い範囲で時代毎の変革に注目し、それらが当時の常識からどのように認識されていたのか、逆におかしいと思っていた部分が当時では常識であったりだとか中々に面白かった。
    また、日本人の相互救済の認識が薄れ、自力救済が基本となった要因に江戸時代の平和があったということは新鮮な考えだった。

  • 中世語での「自由」=勝手し放題の意。よって、「自由の至りなり」=誠にケシカランの意。FreedomとかLibertyの訳だと言うより、しっくり来る気が。
    から傘連判は一揆の首謀者隠しと言うより、連判状の奉納という行為から
    、手段の神格化、という指摘。
    政治の実行が目的のはずの政治家に人格を求める風潮に通じる気が。
    足利義政の飢饉の折に花の御所などの再建を行ったのは、悪政ではなくピラミッドなどと同じ公共事業により雇用創出、景気対策だったという説など。

    自説に沿う事例を集めているともいなるのかもしれないが、自分の考えや知りうる範囲でしか善悪、良否を判断していないということを頭の隅に置いておくべし、と考えさせられた一冊。

    中世は現代より桁外れに生きることそのものが大変だっただろうが、意外に生きていて現代よりずっと楽しかったのではないかと思う。

  • 著者の国家観、社会観と問題意識に引きつけた歴史の叙述、いや読み直し、というか再構成というか、悪く言えばこじつけ、いいとこ取り、なのだろう。が、私にはたいへん共感できる部分が多い。
    まあ、そういう問題意識を持たずに読もうとする単なる歴史学ファンにも面白く読めると思う。歴史解釈の多面性、意外性の醍醐味を味わえること間違いない。
    著者が大学で実際に行っているという講義の方法も、微笑ましく楽しませてもらった。

  • http://twitpic.com/a4z30f
    本書の169Pの図1「2005年の秋葉原」という写真に写っている看板には、こう書いてある。
    「ここは公共の交通広場です。一般歩行者の通行を除き使用することを固く禁じます」

    こういう着眼点から切り込んでいき、丸山眞男やハーバーマスを出しながら日本史を記述するのは、とても面白かった。
    でもちょっというと、切先が鋭いだけに踏み込みが甘かったのではないかと思う。先行研究を紹介し、批判的に検討しながら、内容を踏まえていくのは実に手堅いとは思うし、学問としてはまっとうだとは思うけど、ここまで縦横無尽に書けるのだったら、もっと大胆でもいいじゃないかとは思う。

    具体的にどこに踏み込めばいいのかだけど、私ならこう思った。

    (1)マージナル
    マージナルというのは、理想化されやすい。その気持ちも分かるのだけど、うそ臭くもある。高貴な野蛮人なみにうさんくさい。
    だからこれは、脳内仮定なんかではなくて、歴史的事実でもって実証するしかない。
    網野善彦氏の著作は無論面白いとは思うものの、この胡散臭さがないではない。だから、この本で都市や惣村を住みやすいかどうかと踏み込んだのは、実にエキサイティングだった。
    そこからもっと書いてもらえたらな、と思った。
    前著の江湖放浪を読んでからいうべきかもしれないけど、なにかそこに、ドライなものが足りないような気がする。

    (2)退きこもり
    最終章で、退きこもりと書く。「引きこもり」ではなく。
    自由にしてケシカラン、マージナルで、江湖浪人。そしてヒキコモリ。ここまで用意しておいて、そこに踏み込まないの? とは思う。
    現代社会の事象を、歴史で説明してしまうと、それは「竜馬が行く」と変わらなくなってしまうので、ここで筆を止めるのは良心的かもしれない。でもやっぱり、読んでみたかった。

  • 丸山眞男は行き過ぎだろ・・・。と思ったが、現在との往還としての歴史を見る上では良かったかも。とくに「失われたもう一つの可能性としての中世」を人々のネットワークから説くというのは、もうテーマ設定だけで垂涎もの。僕みたいなタダの歴ヲタには絶対できない、研究者ならではの仕事って感じ。まあ、読むのに時間はかかったが・・・。

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著者プロフィール

立命館大学教授。1967年、大阪府生まれ。東京大学文学部国史学専修課程卒業、同大大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻博士課程修了、博士(文学)。著書に『公共圏の歴史的創造――江湖の思想へ』(東京大学出版会)、『自由にしてケシカラン人々の世紀』『〈つながり〉の精神史』(ともに講談社)、『日本の起源』(與那覇潤と共著、太田出版)など。

「2023年 『「幕府」とは何か 武家政権の正当性』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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