- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062584807
作品紹介・あらすじ
従来考えられていた以上に堅固だった戦前政党政治が、なぜ軍部に打破されたのか。そこには陸軍革新派による綿密な国家改造・実権奪取構想があった。最後の政党政治内閣首班、若槻礼次郎の「弱腰」との評価を覆し、満州事変を画期とする内閣と軍部の暗闘が若槻内閣総辞職=軍の勝利に至る八六日間を、綿密な史料分析に基づき活写する。
感想・レビュー・書評
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満州事変以降、翌年の5.15事件までの時期を舞台に、政党政治は陸軍(正確には永田鉄山を中心とする中堅幕僚の一夕会とこれと連携した関東軍)に単に引きずられて崩壊したのではなく、結構頑張った、というのが本書の主題である。
筆者はその例として、若槻内閣で朝鮮軍越境や満蒙独立新政権樹立方針を認めたのは内閣総辞職を防いで態勢を立て直すためであること。南陸相や金谷参謀総長といった宇垣系陸軍中央と連携し、関東軍の北満進出と錦州攻撃は止めたこと。また犬養内閣では、当初は独立国家建設に、後にも満州国承認には消極的で、天皇の力で軍を抑えようとしたこと(それが5.15事件の重要な背景となったこと)を挙げている。
筆者の他の本と同様、一夕会が全てを操る悪の権化として描かれており、若槻内閣退陣にも、一夕会から安達内相への働きかけがあった可能性が示唆されている。その背景には、そもそも国際協調により戦争を抑止するという浜口雄幸(若槻内閣もその方針を引き継いだ)と、リアリスト的な視点から戦争は不可避とする永田鉄山の構想自体の対立があったという構図である。
副題のとおり軍(一夕会・関東軍)と政党政治の闘いが本書の主題なので、最終的には軍が政党政治を倒したと単純に受け取れる。とどめの一撃はそうだったかもしれない。が、本書でも少し触れられているように、原や浜口の時代とは異なり若槻内閣では既に政党政治が危機の事態であったことや、若槻が図った天皇の政治的利用(による不拡大方針)自体が政党政治の原則からの逸脱だったことも認識しておく必要があろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
満州事変おきる前後の話。
若槻内閣と陸軍、さらにその中の一夕会中心とした中堅幕僚たちの、満州戦線を拡大せん、ここでとどめん、という攻防。
浜口雄幸と永田鉄山を比較する章が印象的。
第一次世界大戦を経て、次の戦争は、国の工業力で左右されるような長期の総力戦になり、軍人だけでなく一般国民の多くが犠牲になる、という見方は2人とも同じ。
浜口雄幸はその悲惨な事態を避けるため、国際連合と軍縮条約はじめとするいくつもの列強との関係性の上で平和を保とうと努めた。
一方、永田鉄山はその総力戦は不可避なものと判断し、資源を求めて蒙満進出を図り、一夕会を中心に陸軍を動かしていく。
結局は派閥争いや個人の欲望もからみ、ほぼ一夕会の思惑通りの結末に。
あとは当初の永田らの構想をも超えて事態は進展・暴走していく。
朝鮮軍の無断越境を黙認、
安達謙蔵内相が政友会との連立に固執したために若槻内閣が総辞職、
さらにその後犬養毅を総理に選んだ西園寺公望や天皇側近の決断あたりが分岐点だったか。