フィリピンBC級戦犯裁判

  • 講談社 (2013年4月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784062585514

みんなの感想まとめ

戦争裁判の複雑さと、その影響を深く掘り下げた内容が印象的な一冊です。フィリピンにおけるBC級戦犯裁判は、敗戦後の厳しい対日感情と共に、多くの非人道的行為が問われた歴史的背景を持っています。特に、特赦の...

感想・レビュー・書評

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  • 最近、電車の中かどこかで他人の会話が聞こえてきて、フィリピンは親日的だからどうのこうのという話であった。フィリピンで日本が戦時中に何をしたかはあまり意識されなくなってきているのかもしれない。

    終戦直後はフィリピンは対日感情がもっとも厳しい国だった。それは日本軍が、特に敗戦間際にメチャクチャをやったから。おもにA級戦犯をさばいた米軍管轄の裁判に引き続いて、多くのBC級戦犯は新独立国フィリピンの裁判にかけられた。ちなみにA級は戦争指導者の戦犯で、BC級は戦争中の非人道的行為などの戦争犯罪を指した。他の国々での裁判と比べても有罪率、死刑判決の率ももっとも高い裁判だったが、結局は一部の死刑が執行された後、多くは特赦されて日本に帰ることができた。本書はその経緯を日本側だけでなくフィリピン側の資料・証言にも多くあたりながら追う。

    キリスト教精神などが特赦の理由としてあげられるが、共産主義勢力への対抗、復興のための賠償・経済協力など現実的な状況から迫られた面もあった。日本による大統領周辺の買収工作もあったようだ。特赦をきめた大統領自身も我が子らを日本軍に殺されており、容易な判断ではなかったろうが、政治的にはだからできたとも言えるだろう。この特赦は間違いなく日比両国のためにプラスであったとは思うが、どの国にしろ今日の政治にはむしろ同じ判断はできないのではとも感じる。

  • セブ島へ旅行に行くにあたり、予習のため読んでみた。

    戦争裁判というものがよく分からないのだが、悲惨な状況があったのだろうということは改めて分かった。


    勝者が敗者を裁き、戦地となり蹂躙された地がその裁きを引き継ぐ話。

    戦地では、確かに様々な犠牲があったことは事実だろう。

    しかし、その原因が、責任が、どこにあるかということは、本質的には誰にも判断できないことではないだろうか。
    少なくとも、勝者が、勝者の正義でそれを決めたところで、心から納得できる人ばかりではないだろう。

    だがしかし、それで上手く収まれば、全体としてはそれはそれで一つの収まりどころではあるのかもしれない。

    収まりがつかないところが、テロなどとなって噴き出しているのではないだろうか。
    善悪はおいておくとして、噴き上がる気持ちには、共感できる部分もある。

  • なぜにここまでフィリピンの対日感情が悪かったのか。
    「石もて追われる」の話は、山本七平の本にも出てくる。
    しかし、フィリピンだけ特別に苛性だったのだろうか。

    「だったのだろうか」とはいってみたものの、答えは想像がつく。
    アメリカ統治との相対的な文明度の差だろう。
    キリノ大統領にしたって勝てば官軍であって、日本が勝ったり、もしくは共産革命が起こったりしたら、歴史書には張景恵とかと同じぐらいの扱いをされると思う。
    だけどやはりそれは皮相な見かたというもので、やはりアメリカは善政だったのだろう。

    台湾では犬の代わりに豚が来たそうだけど、フィリピンでは人の代わりに犬が支配したのではしょうがないな。
    もしそうだとするのならば、当時のフィリピンの対日感情の悪さというのは、「アメリカ統治は良かった」とは言いかねる状況があったのだろうか。

  • 以前、TVで「奇跡のメロディ~渡辺はま子物語~(2010)」を見て興味を持った事柄。

    http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2013/05/post_294.html →この書評を読んで本書に関心を持った。

    東南アジアで開かれた日本人BC級戦犯裁判というと、同じ名前の人間の中から、被害者や関係者などの現地人により首実検が行なわれ、裁判が行なわれる。そして、犯罪調査の不備や首実検による見間違いがあったとしても、(真犯人でなくとも、少なくとも日本人という意味において)懲罰的、報復的に刑が執行されたというイメージがあった。本書に書かれたフィリピン人に対する数々の蛮行や、当時の(今も?)フィリピン人の日本人への感情を読むと、そうであってもおかしくないと思える。

    しかし、本書によれば、フィリピンによる日本人BC級戦犯裁判では、正義に基づく公平な裁判(再審制度や刑執行までの厳格な手順)が行なわれ、服役中の受刑者に対しては過酷な労働などは課せられず、寛容、人道的な措置が取られたいう。

    それゆえ、東アジアにおける共産勢力の拡大が、アメリカの対フィリピン、対日本政策を変化させてしまい、それに甘えるかのようにして、日本人BC級戦犯の恩赦、釈放をうながしてしまったことは、日本の戦争加害者責任をあいまいにしてしまったような気がしてならない。

    ●キリノは日本人に寛容と信頼の精神を語った。彼は日本の国民に対して、家族が殺された心の傷に触れながら、憎しみの連鎖を断ち切るために「赦し」を選択した旨を伝えた。大統領として、比日両国の友好関係を築くため、被害者(フィリピン側)が譲歩する努力を他者(日本側)に示し、彼らの応答に期待と信頼を寄せたのである。キリノは述べる。「私を突き動かした善意の心が人間に対する信頼の証として、他者の心の琴線に触れることになれば本望である」。キリノは、フィリピン人が受けた傷跡が「なかったとして水に流す」ことを日本人に訴えたかったのではなかろうか。家族が殺された痛みをあえて語ったように、彼は、日本人が赦しがたきを赦すフィリピン国民の痛みに思いを致すことを願い、過去に対する日本側の責任意識の自覚を促そうとしたのではなかったか。

    はたして、自分たちはキリノ大統領の言葉を実行できているだろうか。

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著者プロフィール

1951年生まれ. 専攻, 哲学・倫理学. 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位所得. 現在, 日本大学文理学部教授.
著作に, 『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房, のち講談社学術文庫),『転校生とブラックジャック──独在性をめぐるセミナー』(岩波書店, のち岩波現代文庫), 『倫理とは何か──猫のインサイトの挑戦』(産業図書, のちちくま学芸文庫), 『私・今・そして神──開闢の哲学』(講談社現代新書), 『西田幾多郎──〈絶対無〉とは何か』(NHK出版), 『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店), 『ウィトゲンシュタインの誤診──『青色本』を掘り崩す』(ナカニシヤ出版), 『哲学の密かな闘い』『哲学の賑やかな呟き』(ぷねうま舎), 『存在と時間──哲学探究1』(文藝春秋), 『世界の独在論的存在構造──哲学探究2』(春秋社)ほかがある.

「2022年 『独自成類的人間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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