大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験 (講談社選書メチエ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062586344

作品紹介・あらすじ

「大東亜共栄圏」という言葉が当時の外務大臣・松岡洋右によって初めて公表されたのは1940年8月1日であった。その用語は当時のどのような国際情勢をふまえ、いかなる意図を持って掲げられたのか。
やがて東南アジアを軍事占領し、対米開戦へと突き進むことになる日本の方向は、この構想が想定する道だったのか。また、この構想を支えるようになる「八紘一宇」というスローガンは、そもそもどんな思想的出自をもつのか。
対米外交の行き詰まりと東南アジア情勢への介入が拡がるなか、これらの言葉は日本人の目を「南方」異文化へと開き、「共栄圏」への志向を強めていく。
結果的には3年半余りしか続かなかった「大東亜共栄圏期」。その間200万人を超える日本人に東南アジアでの生活を強い、数千万人の東南アジアの人々に「日本文化」を目撃させた特異な時代は、どんな状況に生まれてきたのか、何か明確な理念を持っていたのか。
本書は1940年代前半の日本全体を覆った歴史的運動を多角的に検証する。

感想・レビュー・書評

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  •  最初は、1939年以降に欧州戦線での独勝利を予想する中で、これを機に仏印と蘭印を中心として自らの勢力圏を確保しようと「極東版モンロー主義」として松岡洋右が考え出した大東亜共栄圏構想。当然米ソの了解は得られなかったが、松岡の外相辞任後に彼の手を離れ「自存自衛」と「自給自足」のための構想へ祭り上げられていったとのことである。
     筆者は単純な「解放戦争史観」にも「植民地支配延長論」にも批判的である。思うに、両極端の歴史観が存在する場合は、割合はどうあれ、現実はその中間にあったか、又は両面あったかということではないか。本書では非常に多くの角度から大東亜共栄圏に光を当てている。
     「解放戦争史観」への反証となる根拠は多い。1941年の対英米開戦前の政策文書では「解放」ひいては大東亜共栄圏構想の中身自体を真剣に検討していた様子はない。「土人を可愛がれ、併し過大な期待はかけられぬ」との「これだけ読めば戦は勝てる」に代表されるような、上から目線と現地への無理解。現地住民の日本への醒めた目線。
     他方、「植民地支配の延長」と言えるほど日本の指導力が強いわけでもなかった。内外へのアピールとしての比とビルマ独立が朝鮮民衆への刺激となったこと。タイや比や印の指導者たちは日本と手を組みつつ言いなりではなかったこと。また筆者は印国民軍を支援した藤原岩市については、印独立を心から願っていたと述べている。
     また、個人で視線の差はあれ徴用作家・画家は現地の日常を描き、大勢の現地からの留学生が日本人と交流するなど、一般の日本人にも東南アジア各地への直接・間接的な接触や関心が増えていき、その一部は戦後の交流につながったことも、善悪二元論では割り切りにくい現実ではないか。サブタイトルに「帝国日本の南方体験」とあるように、大東亜共栄圏構想は日本にとってこの地域の「体験」ももたらしたということだろう。

  • 次の指摘が印象に残った。歴史は、後の結果からのみ判断してはいけない。
     
     松岡の狙いが欧州戦争に参加しないままの日本が、講和会議の開催前に、仏印と蘭印を自国の勢力圏内に含めることへの事前承認をドイツから得ることにあったことである。別の言い方をすれば、当初の大東亜共栄圏構想とは、来るべき講和会議の際にドイツによる植民地再編の対象から東南アジア地域を除外させるためだけに発表された実体のない外交スローガンにすぎなかった。

  • 2016年10月読了。巻末に豊富な注あり。「大東亜共栄圏」という構想の定義が政策決定に関与する者たちの中でも共有されていない、掛け声だけが先行して物事が動いていくことの怖さを感じた。

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