なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

制作 : 清水 一浩 
  • 講談社
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レビュー : 27
  • Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062586702

作品紹介・あらすじ

今、世界中で注目される気鋭の哲学者マルクス・ガブリエル(1980年生)。その名を一躍有名にしたベストセラー、待望の邦訳!
20世紀後半に一世を風靡し、ジャック・デリダやジル・ドゥルーズなどに代表される「ポストモダン」と呼ばれる潮流以降、思想界には多くの人の注目を浴びるような動きは長らく不在だったと言わざるをえません。
そんな中、21世紀の哲学として俄然注目されているのが、新たな実在論の潮流です。すでに邦訳が紹介されているカンタン・メイヤスー(1967年生)は「思弁的実在論」を主張し、今日の思想界をリードする存在となっています。それは「人間が不在であっても実在する世界」という問いを投げかけ、数多くの議論を巻き起こしましたが、その背景にはグローバル化が進んで国家や個人の意味が失われつつある一方で、人工知能の劇的な発展を受けて「人間」の意味そのものが問われつつある今日の状況が存在していることは間違いないでしょう。
こうした新たな問いを一挙に多くの人に知らしめたのが、本書にほかなりません。「新しい実在論」を説く著者ガブリエルは1980年生まれ。2009年に史上最年少でボン大学教授に就任したことも話題になりましたが、2013年に発表された本書が異例のベストセラーになったことで、一躍、世界的スターになりました。
本書のタイトルにもなっている「なぜ世界は存在しないのか」という挑発的な問いを前にしたとき、何を思うでしょうか。世界が存在するのは当たり前? でも、そのとき言われる「世界」とは、いったい何を指しているのでしょう? 「構築主義」を標的に据えて展開される本書は、日常的な出来事、テレビ番組や映画の話など、豊富な具体例をまじえながら、一般の人に向けて書かれたものです。先行きが不安な現在だからこそ、少し足を止めて、気鋭の哲学者とともに「世界」について考えてみることには、とても大きな意味があることでしょう。
「です、ます」調の親しみやすい日本語になった今注目の書を、ぜひ手にしてみてください!

感想・レビュー・書評

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  • 哲学の本としては、異例に評判になっているらしい。

    「現代思想」の本としては、わりと読みやすいかな。

    ある意味、当たり前のことを言っている感じもする。

    この本が評価されるということは、それだけこれまでの哲学が極論というか、話を難しくしすぎていたということか?

    ポストモダーン思想をある程度読んだ人には、この「新しい実在論」は、ちょっとしたコロンボの卵に思えるかもしれない。

    あまり哲学を読んでない人、つまり素朴な実在論者にとっては、この本は「ポストモダーン」な相対主義の本に思えるかもしれない。

    「構築主義」がもたらす「相対主義」は、何らかの形で「科学的」「実在的」「自然的」なものと統合「されなければならない」と思う。

    これは論理的というより、人間が幸せに生きるための要請である。

    この「新しい実在論」は、そうした試みの一つかな。

    前半の哲学論より、後半の自然科学、宗教、芸術を論じたところのほうが、個人的には面白かった。

  • マルクス・ガブリエルは2009年に29歳の若さでボン大学の哲学科教授に就任した新進気鋭の哲学者である。彼が「新しい実在論」として提起したものが、本書『なぜ世界は存在しないのか』である。哲学書としては異例のベストセラーとなり、著者が昨夏に来日して、どうやらNHKでも特集が組まれるようでもある。

    という話題の本だが、読み通してみてとても違和感があったので、哲学の専門家でもない人間ではあるものの、恐れ多くも 批判的に評価してみたい。一般向けの本でもあるので、論理には捨象しているところがあるだろうし、私の方の誤読もまた当然あるだろうが、それもまた私の解釈である。

    彼が「世界は存在しない、なぜなら全体を包摂して俯瞰する立場など論理的に存在しえないからだ」というのは論理的に正しい。「世界は存在しない」から「無限に多くの意味の場が存在する」を所与のものとし、宗教や芸術、人生の意味を始めとして多くのものが存立可能だとするのが乱暴な筋立てだ。ただ、この言明からは、どこか「われ思うゆえにわれあり」というデカルトの言葉を思い出す。「無限に多くの意味の場がある」となる結論から、多くのものが導きだせるとして、宗教や芸術を肯定的に描き、哲学的に救い出そうとする様は、デカルトが神の存在証明に行ったように、カテゴリー錯誤を起こしているのではないかとの印象をぬぐえない。

    また、誤解を恐れずに書くと、ここで著者の視座は、哲学ではなく、人文科学に堕してしまっているのではないか。
    根源的で包括的なもののように見えて、実際には根源的な問いを避けて、「意味の場の存在」という彼が仮構するものに逃げているようにしか見えない。「世界が存在しない」というとキャッチーで喜んでそういった結論に飛び込んでしまう人も出てきそうだが、この本を読んで容易に「世界」の非存在と「意味の場」の多数存在を信じて、全面的に肯定をするようでは困る。非存在は「世界」の定義そのものから、多数存在は「意味の場」の定義から逆に現れてくるもので、それ自身で何か有意なことを意味している感じがしない。

    著者は、宇宙も多くの意味の場のひとつであり、自然科学はその意味の場の中で有効であり、その他の意味の場では有効ではない、と説く。例えばメルヘンや妄想やフィクションも同様に意味の場を構成するものであり、宇宙はそれを包含しえないという。その議論において、「意味」とは何かという議論が少なくとも本書から得られた情報では自分にとっては不足している。ここでは認識論や相対主義が持ち出されるのであるが、著者の論理で唯物主義や自然主義まで反駁されたとは到底思えない。逆に自然科学および自然主義を批判する必要性に駆られ、その目的に合わせて論を合わせたというように感じる。また、彼は自然主義を批判的に論じるときに素粒子論を引き合いに出して批判をするが、もし同じカテゴリーで批判をするのであれば、素粒子論ではなくて進化論の方でなくてはならないはずだ。

    宗教や芸術を、それらを救う形でその価値を評価するにあたって、著者は人間至上主義を救うことを前提として楼閣を立てようとしているという印象を受ける。そこには、リチャード・ドーキンスやダニエル・デネットのポジションを科学的世界像に拘る論者と定め、宗教に反対する新しい無神論の推進者といったん位置付けて、彼らが当然扱えるべき宗教を扱えないと批判するところからも明らかである。彼らが批判をしている宗教は、著者が持ち上げて人間の本質であるとする宗教とは全く別のものであるにも関わらず、である。科学的世界像を批判するがために、「宗教」の価値を上げているとも解釈できる。しかしながら、哲学的に批判をするべきところは、そこではない互いに噛み合わないところで議論を展開しているように思われるのである。

    また「意味の場」は独語で「Sinnfeld」だが、最後の章でテレビドラマの分析を始めて、「Seinfeld」を語呂合わせが気に入ったのか持ち上げて解説する辺りは若干にも興ざめなところがある。「Sein」だってそもそも「存在」だし。ちなみにテレビドラマ「Seinfeld」は個人的には大好きなドラマではある。それでも、「テレビを観ることによって、わたしたちは「すべてを包摂する唯一の世界が存在する」という幻想から自らを解放することができます」などと言ってしまうのはこの人は本気でそう言っているのか、といぶかしむのである。

    「必要のない苦しみや不幸が存在することも事実です。しかし、そのようなことは、人間という存在を新たに考え直し、わたしたち自身を倫理的に向上させていくきっかけとすべきものなのだろうと思います」と書くとき、それは著者がそう思っていたとしても、本書の目的に沿った場合にそのように書くべき類の言明ではないように感じる。「苦しみ」や「不幸」といったことを何らの前提も定義も議論もなく持ち出すのは、ここでの目的に沿う議論の展開ではない。そこに言ってみれば安っぽい人文科学の観念が染みついているように感じる。
    「人間による殺人行為をなくさなければならないこと、世界的な飢餓状態を克服しなければならないこと、どんな人間にもある程度の生活水準が保証されなければならないことは、わたしたちの誰もがわかっています」と平然と留保なく書いてしまうところからもそう考えうる根拠がある。

    最後に語る「人生の意味」について、「意味は、いわばわたしたちの運命にほかなりません。この運命は、わたしたち人間にだけでなく、まさに存在するいっさいのものに降りかかってくるのです。人生の意味にの問いにたいする答えは、意味それ自体のなかにあります。わたしたちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在している - このこと自体がすでに意味にほかなりまさえん。ポイントをはっきりさせて言えば、人生の意味とは、生きるということにほかなりません。つまり、尽きることのない意味に取り組み続けるということです。幸いなことに、尽きることのない意味に参与することが、わたしたちには許されています」と言ってしまうところについては、読者のことを甘く見ているのではと言わざるをえない。
    改めて言うと、「意味」や「人生の意味」に関しては『哲学入門』の戸田山氏の方がまともにこの問題に向き合っているように思うのだ。


    一方で、逆に強く印象に残ったのは訳者の言葉である。
    「訳者はマルクス・ガブリエルという人に関して門外漢であり、本当のところ本書の適切な翻訳者ではなかった。本書の日本語訳を待望なさっていた方々にたいして訳稿の完成が遅れてしまったことを申し訳なく思っているのはもちろん、ガブリエルの議論が正確に伝わるように訳出できていないかもしれないと恐れている。不適切な訳文や文意不明瞭な箇所について、読者諸賢のご指摘・ご教示を乞う」
    と書かれているのは、訳者自身もガブリエルの理論について賛同する立場にないことを闇にも示しているのではないのだろうか。
    訳者が、訳出に当たって「です・ます」調を採用した理由や、「Sinngeld」という用語を「意味の場」と訳した背景などが丁寧に説明をされていて、翻訳者の姿勢・倫理として大変レスペクトできるので、ますますそのように思う。

    さて、日本での識者への受け止められ方もおそらく様々だと考えている。例えば、千葉雅也氏も本書について書評を寄せているが、よく読むと本書の内容に賛同しているわけではない。実在論「ブーム」と書くことで、その意図を隠しつつ、自らは距離を置くことに成功をしている。「この主張には少なからぬ人々が反発するのではなかろうか」などと言いつつ、自分が反発をしているのか賛同をしているのか書かない。「さて、日本ではどういう議論が起こるだろう」と言いつつ、自らの立場は明確にしない。そこには、哲学者として、著者の主張に首肯しえない部分を残しつつも、これだけの「ブーム」になっているのだからいったん様子見とのポジションを取っているように感じる。
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54371
    また一方で、たとえば、國分功一郎が対談の内容を自らの領域に引き込んで、民主主義の大切さといった議論に回収してしまっている。
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56267
    著者がそれをよしとしているのかも疑問なのだが、簡単に宗教的なものやリベラルな民主主義といったものに寄り掛かられてしまうところを持っているのである。NHKなどの一般メディアに取り上げられることがあるのであれば、おそらくは人間至上主義の文脈でとらえられてしまうであろうことも容易に想像が付く。
    そういった状況の現時点において、いったんマルクス・ガブリエルを徹底的に批判的に読み込むことが必要になるのではというのが、ひとまずの結論である。

    哲学の潮流としてこの「新しいっ実在論」といった流れがひとつの流れとなるのかどうかも、よくわからない。わかりやすい言葉で表現されているがために、いくつもの素朴な疑問がわいたわけだが、きちんと理解をするとするならば、ハイデガーやカント、ヘーゲル、ハーバーマス、ガダマー、フレーゲ辺りを議論の基礎として理解をしておかないといけないのかもしれない。けれども、どちらに賭けろと言われた場合、「新しい実在論」は大きな流れにならない方に今のところは賭けたいというのが率直なところである。

    ---
    『哲学入門』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/448006768X
    『勉強の哲学 来たるべきバカのために』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4163905367

  • 原書名:WARUM ES DIE WELT NICHT GIBT

    哲学を新たに考える
    1 これはそもそも何なのか、この世界とは?
    2 存在するとはどのようなことか
    3 なぜ世界は存在しないのか
    4 自然科学の世界像
    5 宗教の意味
    6 芸術の意味
    7 エンドロール―テレビジョン

    著者:マルクス・ガブリエル(Gabriel, Markus, 1980-、ドイツ、哲学)
    訳者:清水一浩(1977-、哲学)

  • 『冷蔵庫にまだバターがあるかと尋ねたあなたに、誰かがこんなふうに答えたらおかしいでしょう。「はい、ありますよ。もっとも、バターも冷蔵庫も、ただの幻想、人間が造り上げた構築物ですけどね。本当はバターも冷蔵庫も存在しないか、少なくとも存在するのかどうかわたしたちにはわかりませんが、どうぞお召し上がりください」』―『哲学を新たに考える』

    テレビ番組でマルクス・ガブリエルの特集を観た時、彼が主張するのは単にスケールすなわち視点の問題かと思ってしまったのだが、そんな単純なものではないことを確認する。彼が主張する世界観について一冊の本を読むだけですべて理解できるとは考えていなかったけれど、予想以上に敷居が高いことに改めて気付かされる。

    すべてを網羅する世界という存在が自己矛盾する主張であるという下りは素直に理解できる。例えば最大の素数が存在するという主張と比較して数学的に腑に落ちる印象。自己言及と無限とは相性が悪いというのはよく知られた事でもあるし。また、たった一つの存在というものがあり得ないという主張も、陰と陽、地と図という東洋的な発想に通じるところがあり受け容れやすい。色即是空、空即是色。どちらかだけが存在することはない。

    『というのも、ここで世界という言葉で理解されているのは、およそ起こりうる事象のすべてがそのなかで起こる領域、つまり全体にほかならないからです。ところが当の世界それ自体は、世界のなかに現れることがありません』―『哲学を新たに考える』

    ふむふむ。ここまでは容易に納得できるのだが、そこからこのロックンロールな哲学者が見渡そうとしている実在論に中々踏み込めない。存在するとはある意味の場に現れることだとこの哲学者は説く。記憶は関係性の中に存在し、意味は文脈の中にあるのだと。それは自分も常々思っていることだが、その先に自ら立ち上がるような存在を主張する展開が中々飲み込めない。しかも、言及が言及自身を包括する時あらゆる言及は自己無矛盾の呪縛から逃れ得ないのだとすれば、無矛盾な実存は成立出来るのだろうか。その探究の過程は、科学の意味、宗教の意味を問い直す過程を経て、自分たちに見えている世界、つまりは自分たちが現象する意味の場における他の存在のの意味を明らかにしようとする。すべてのものを説明する理論や理屈が提示されることは起こり得ないし、提示されたとしてもその理屈は提示された途端に否定される定めにある(何故なら「すべて」という射程と自己言及から、その理屈は矛盾を孕むから)。メタな視点に答えがある訳ではない、と。従って、探求し続けることによって我々の存在が投影された意味の場は見えて来るのだと。抽象的にはそのユダヤ教的な主張も朧げに理解できるとは思う。

    『近代における生活の現実は、初期近代に比べるとずっと複雑になってきました。それを見渡したり見通したりすることは、ほぼ完全に不可能なほどです。ところがわたしたちは、意識することもなく、こんなふうに想定しています。わたしたちの現実は合理的である。わたしたちの社会秩序の基盤は、さまざまな科学的な手続きによって保証されている。』―『V 宗教の意味』

    その直観、あるいは信仰が、根拠のないものだとしても、我々はすべてを一からやり直しながら生きて行かなければならないということではないのだと思う。ある理論は、一つの投影によって共通項を明らかにするし、その共通するものの持つ一面の真実もやはりある筈。共通するものと相反するもの、個体は常に概念から逸脱するものだとしても、個と全体のバランスは揺れながらも取る努力をすべきもの、そんな倫理的な考えを意識することもなく想定している自分を発見する。

    つまりは、無矛盾である事に拘り過ぎないということか。すべてはEquilibriumに存在しているのではなく、Transientに移行しているものなのだと理解すること。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。この哲学者の言うことは、東洋的な叡智と相性がいいらしい。

  • 以下の記事を読んで興味が出たので手にとって見た。

    https://news.yahoo.co.jp/feature/1016

    記事の中では、以下の様にインタビューにこたえていた。

    「一方の道は、世界規模のサイバー独裁や全人類の滅亡に続きます。これがまさにハラリが示したものです。そしてもう一方には、普遍的なヒューマニズムを追求していく道があります。こちらは、あらゆる人間存在の中の同一性を認識し、それを人類のこれからの発展のための原動力にしていく道です。」「第1の道は、一つの世界像があると思い込み、それに基づいて人間を操っていくことを意味します。それは幻覚の道です。なぜなら、「一つの世界像」は論理的に成り立たないものだからです。もう一つの道は現実の道、そして無限の自由の道です。「世界が存在しない」ことは、私たちの自由の源泉です。世界が存在しないからこそ私たちは、こういうことをやってもいいし、ああいうことをやってもいいと感じることができるのです。」

    本を読んでみて、いわゆる哲学書より、読みやすくはあると思うけど… 記事で受けた印象が「世界が存在しない」ことが「普遍的なヒューマニズム」の追求に繋がっていくという、論理的な背景が描かれていると勝手に想像していたのだが、読解力というか集中力が足りなかった…

  • まるで新書のようなシンプルでキャッチ―なタイトルにやられて思わず手に取ってしまいそうな1冊だが、肝心のその問いに対する答えに納得できるか否かはまさに読み手次第。

    本論としては、冒頭で「新しい実在論」という、著者の主張の礎となる根拠が示されるので、哲学書を読み慣れていない私のような一般人にとっても比較的分かりやすい構成となっている。
    形而上主義でも構築主義でもない、それらのハイブリッドとも言える実在論を示しながら、自然科学に頼る一元論をきっぱりと否定し、返す刀でニーチェやホーキングといった各界の偉人たちをもバッサリこき下ろす。
    これを執筆した当時、著者のマルクス・ガブリエル氏はまだ30代前半だというから何とも恐ろしい。
    ただ、読み進めて序盤に感じたインパクトが薄らいでくると、おそらく胸中に懐疑心が膨らんでくる人も多いのではないだろうか。
    信ずるに足る公理かどうか読者にとっては未だ定かではない著者の論拠によってのみ論証は展開していき、ある地点から置き去りにされてしまう感がある。
    その主張は時に独善的であるとも感じられ、一種の言葉遊びに近いような表現も多々見受けられる。
    そして、著者が既存の学説や他の研究者たちを否定してゆくまさにその論法に従って、著者が述べているところ自体も否定できるのではないか? と自問してしまうのである。
    それこそ哲学は自然科学ではなく、どこに世界観の軸足を置いているかという、個々人の思想信条によって解答は異なるものなので、それもまた1つの読み方ということで…。

    年を取り、固まって錆び付いた脳ミソに鞭を入れるという意味で、こういう類の本をたまに読んでトレーニングすることは重要だと実感した。

  • ひっさしぶりに哲学の本なんか読んだなー。

    たまには哲学も良いもんだね。

    ただし、この本の言わんとすることは、オレには、よく分からなかった。

    「 世界は存在しないがそれ以外のすべては存在する 」
    ・・・なにそれ?

    新しい実在論、なんだって。

    ポストモダンの哲学以後は、相対主義的傾向が強まった。
    ガブリエルは「本質主義vs.相対主義」の対立から抜け出す第三の道を開こうとしている、って、千葉雅也が書いてた。

  • この人の定義する「世界」は存在しない、ということはわかりましたが、世間でそんなにもてはやされるほどの哲学者なのか、革新的な考え方を新たに提示したのかは私にはわかりません。一方で歴史上の偉人を小ばかにするような表現も鼻につく。
    --
    ・存在すること=何らかの意味の場に現象すること
    ・世界とは、すべての意味の場の意味の場、それ以外の意味の場がその中に現象してくる意味の場である
    ・崇拝されるのが神なのかビッグバンなのかは表面的なことにすぎず、決定的な問題ではありません。
    本当の問題は、これぞ宇宙全体の根源だとして崇拝される何かがあるということそれ自体です。
    それがどんな姿をとっているかは、まったくどうでもいいわけです。
    ・「神」があらわしているのは、概念によってとらえきることのできない無限性という理念だというわけです。
    かといって、私達がそのような無限性に解消されてしまうわけではありません。つまり神とは、どんなものも
    -たとえわたしたちの理解力を超えていようとも-決して無意味ではないという理念にほかなりません。
    「我々には捉えがたい「意味」が確かに存在していて、我々を捉えこんでいるのだ」という信念です。

  • 評判の本とのことだが、一般書として書かれたためか議論が荒く、論理展開が飛躍しすぎの感じの本。読書会ではみんな同じ印象のようだ。
    ヴィトゲンシュタイン、フレーゲ、グッドマンやクリプキの論からの展開してるが、それぞれの元ネタの説明も粗く、また、対抗されそうな反論への検討も、問題外みたいな感じで次に行くので、モヤモヤが残った。

  • NHKスペシャルのドキュメンタリーから

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著者プロフィール

マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel)
1980年生まれ。哲学者。現在、ボン大学教授。後期シェリング研究をはじめ、古代哲学における懐疑主義からヴィトゲンシュタイン、ハイデガーに至る西洋哲学全般について、一般書も含めて多くの著作を執筆。「新しい実在論」を提唱して世界的に注目されている。主著Warum es die Welt nicht gibt. Ullstein(邦訳『なぜ世界は存在しないのか』)が日本語訳され、選書ながら数万部のベストセラーとなった。数度来日し東洋大学などで講演を行っており、新聞・テレビでも取り上げられ広く名が知られることになった。
ほか、An den Grenzen der Erkenntnistheorie (Karl Alber, 2008), Skeptizismus und Idealismus in der Antike (Suhrkamp, 2009), Die Erkenntnis der Welt (Karl Alber, 2012), Fields of Sense (Edinburgh University Press, 2015) など。スラヴォイ・ジジェクとの共著に、Mythology, Madness, and Laughter (Continuum, 2009)(日本語訳『神話・狂気・哄笑』、堀之内出版、2015年)がある。

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