- Amazon.co.jp ・本 (654ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062604758
感想・レビュー・書評
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年老いてなおいっそう『生』を謳歌する一休。今から六百年ほど前、戦乱の中で民衆と共に自由に豪放に生きた一休宗純。下巻は、運命的な間柄となる森女との出会い、そしてアグレッシブな生涯の最後まで描く大河漫画後編。
後編は、大徳寺などのお寺に逆らい破戒僧と言われながら、民衆に寄り添ってわかりやすく仏法を説き救い続けた一休禅師の壮年期晩年を描く。
俗世に身を置き民衆に寄り添う一休と「凡夫には仰ぎ見る仏が必要」と権威付け続ける養そうのライバル関係、自力禅宗の一休禅師と他力念仏の蓮如の友情を通して、「悟りと欲望は、煩悩即菩提。表裏一体であること」が仏教に詳しくない人にも理解出来るように描かれている。
一休禅師を慕い愛する地獄太夫や晩年を共にしたお森と一休禅師の交流も心揺さぶられた大河漫画後編。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ついにやっとこれを読むことができた。
たぶん、一番深く、考えていたものが描けていたかもしれない。
三部作といわれる『VERSION』はどこまでも想像の翼を拡げないといけないし、『石の花』は。実際の出来事の中でしか、イメージを拡げることができなかった。
しかし、この一休というのは、これまでの作品とは大きく違う。ある過去の出来事の中で、しかもこの人間は確かに生きて、そして死んでいったのだ。ここに想像を挟み込む余地はない。描こうと思えばどうにでも描ける。逆に言えば、何も描けないことに等しい。
そのため、様々な伝記・風聞・伝説が残る。それらの何が正しいとか合ってるとかそんなものはない。ただ、このひとりの人間の一生という事実を、ここでどんな風に描こうというのか。
人間の考える精神というのは不滅である。坂口尚はここでそのバトンを引き継ぎ、そして、彼の精神と共鳴する形で、一休という人間を生みだした。
考えるという点で極めてひたむきで真面目である。もっと泥臭いクソ坊主だと信じていたが、どうやら、それだけを描くのはどうも無理だったらしい。一休という人物は物語という枠からさえもはみ出ていける。まったくとんでもない人間である。
一休にとって、仏の教えを伝えるということは、彼自身が生きるということを実践するその瞬間に在る。彼はそれを知った。大乗というけれど、そんなのは、この自分が生きて在る、その瞬間にもうすでに実現しているのだ。
そう気付くとなんだか笑えてくるのだ。なんだ、この生きている自分とは、と。悟り悟りとか言う人間がバカらしくてたまらない。そんなのが在るから変な希望を抱く。はじめから人間生きて死ぬのだ。法然だって言っている。念仏唱えたからって救われない。
彼のあっかんべぇは、読者だけでなく、自分という存在に対しての行為である。思うところはかなり筆者なりにあったはずである。筆者の目には、心には、一休という存在がこのように映っていた。彼はこれ以上描くことなく、旅立っていった。だが、彼はたしかに、マンガとして託された者たちの中に精神の種を蒔いていった。 -
何度も読み返したいマンガはあまりないけど、これはつねに近くに置いておきたい
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氏の遺作もおすすめ。中古でしか手に入らんけど。
一休禅師は「淫と反抗のデカダンス」とか評されていてカックイイね。 -
世阿見 世阿弥 そして森女への愛 こうやっていきたいです
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