国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

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  • 講談社
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本棚登録 : 9765
レビュー : 865
  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062630863

感想・レビュー・書評

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  • 内容(「BOOK」データベースより)
    今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう―たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現われて―。日常に潜む不安をみずみずしく描く話題作。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    なんじゃこりゃ。
    読後の第一声。
    (このパターン多いな)

    いえね、分かってました。
    村上春樹さんの作品は、読者の期待通りに伏線が回収されたりしないって。
    むしろそんな読者の期待を裏切るところに
    村上春樹的良さがあるんだって。

    そう思う。そう思いたい。
    でも言おう。

    「なんじゃこりゃ(・∀・)」

    これからこの作品を読む皆さんに伝えておきます。
    この作品では何の謎も解明されませんよ。

    ある男が、満たされた生活を送りながらも
    「ここではないどこか」を追い求めて
    昔の初恋(と言ってもいいよね)の女性と再会し
    すべてを捨てるつもりだったけど女性に去られて
    ふにふにしながらも結局元の生活に戻る...ってだけの
    ただのずるい男の話ですよ!

    「もう元には戻れない」とか何とかいいながら
    「やっぱりここがいいのかも」ってオイ(・∀・)

    結局保険がないと行動できないだけの貧弱な男の話ですよ(・∀・)

    いやそれでもね。
    たくさんの謎が少しでも解明されたらまた違ったのかも知れないけどね。

    たとえば島本さんが去った理由とか。
    島本さんが数年前に主人公に会いながら逃げた理由とか。
    島本さんの背景とか。

    あとイズミの現在とか。
    イズミが現在の姿になった理由とか。

    いーっさい、解明されませんから(・∀・)

    でもねー、評価高いんですよね...
    なんだろう、みんな分かったふりをしてるとか?
    と言うか私が分かってないだけなんだろうけどΣ(゚∀゚*)

    すごいね~...
    Amazonで☆5が超ついてるよ...
    あれ、なんか私恥ずかしくない?
    理解できない子ちゃんじゃない?(笑

    分からないって言うのが恥ずかしいような風潮もどうかと思うけどね!

    ま、いいや(笑
    でもタイトルはものすごーく素敵で好きです♡
    春樹さん、タイトルの付け方超センスありますよね!
    (小並感w)

    「ねじまき鳥クロニクル」の一部から出来た作品ということもありますので、そっちも近々見てみます。

  • ぼくが中学生のころたぶん発売日に買ってはじめて読んでからの、何度目かの再読。中学生だった当時の読後感は今でもぼんやり感覚として覚えていて、心惹かれる手の届かない大人の世界を理解できないもどかしさが苦味のような記憶として残っている。あらためて読むジブンは一人っ子のハジメと同じ36歳。結婚をして子供が2人いるのも同じ。青山もジャズも大人の恋愛も自分の人生のなかで通過してきて読むと、テキストがまた違った意味やメッセージを持っていて、すーっと自分のなかに浸みこむような感じ。これまで愛読書の1冊に数えていたけれど、これでしばらくは、あるいはずっと読まなくてもいいかな、と思った。

  • 「僕はもう二十年以上君に会っていなかったんだ。その空白を少しでもいいから埋めたいんだ」
    村上春樹の作品に共通する、ある種の陰鬱なる背景は社会的には表向き歓迎され得ないにもかかわらず誰しもに内在している孤独感だったり無力感を正直に代弁しているからこそ受け入れられているだと思う。
    学生時代に読んでいたかもしれないが、まったく印象に無い。逆算すると作者が42,3歳の頃の作品。歳をとった今だから腑に落ちた作品かも知れない。

  • 物語の主人公である 僕は 1951年生まれだ。
    「一人っ子」という境遇を 救い上げる。

    読みながら 既視感 があるのは 同時代を過ごしたからか
    それとも ムラカミハルキの世界に親しんだせいなのか、
    よくわからないが ぼんやりと その時代が 浮かんでくる。

    小学5年生の終わり頃に島本さんという足の少し不自由な女子が
    転向してくることで 5年生の僕は ちょっと変な気分となる。

    家が 目と鼻の先ということで クラスでは 隣の席で
    一緒に帰ったりして、
    島本さんの家にお邪魔してレコードを聞くのが楽しみ。
    リストのピアノコンチェルトが 僕にはお気に入りの曲になった。

    一人っ子 同士の会話 すすむ。
    島本さんは 僕に聞く
    『自分にもし兄弟がいたらって思うことある?』

    5年生の会話とは そんなもので始まるのかもしれない。
    島本さんは 大人びていて、僕は 子供のまんま。

    彼女は 一度だけ 僕の手を握った。
    『こっちへいらっしゃいよ』といって、

    それだけのことであるが、
    僕はそのわずかな体験がとても甘くセツない想いになっている。

    そんな風に 「国境の南、太陽の西」は はじまるのだ。
    異性に対する 想いが どこから来て どう始まっていくか
    わからない 時期の 不思議な感覚は
    一体 私にとっても どんな風だったろうか?

    そんなことを 想い出させる。

  • はまってしまって3日で読みきってしまった。
    のめりこんだけども、まだ消化しきれていない。

    やっぱり春樹はすごか。胸をかき乱される作品。単純に感動した、っていうコメントじゃ整理しきれない。けれども確かにYes, I was moved. 
    異性に、自分のためだけに用意されたもの、を求める感覚。
    一度過ぎてしまったら、二度と巻き戻せないものがある、ということ。
    大切な存在がありながらも、自分の失われた部分を完成させてくれる島本さんとの関係にのめりこんでしまう苦しさ。一緒になって感じた。
    あれだけ愛した島本さんを失ってしまっても、いつかは回復し、別の人と日常生活を始めることができるということ。人間のもろさとしぶとさ。
    恐ろしいけれど、それがリアルなんだろう。
    イズミとの再会のシーンは、おそろしくて、ミステリー小説のようだった。

    有紀子の台詞。
    「私はあなたと暮らしていて、ずっと幸せだった。(略)でもね、それにもかかわらず、何かがいつも私のあとを追いかけてくるの。(略)何かに追われているのはあなただけではないのよ。何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃないのよ。」

    私たち人間はだれもが多かれ少なかれ「失われた部分」を自分の中に感じながら、生きているのかもしれない。

  •  結婚して子どもまでいる成人男性が、小学校の頃に好きだった女の子と再開してセックスして妻を傷付けるけど、結局女の子は消えちゃったので妻と縒りを戻す話。

     ……もう少しちゃんと書く。
     当時としては少数派の一人っ子だった主人公は、同じ小学校にいた足の不自由な一人っ子、島田さんに想いを抱いていた。別々の中学に進学してしまい、彼女のことを忘れられないまま、高校生になってイズミという女の子と交際をした。彼女と交際するも、彼女は島田さんが持っているものを持っていない、そんな美人でもない、と思い、結構雑に扱う。そんな彼に、イズミは以下の言葉を投げかける。

    「あなたはきっと自分の頭の中で、ひとりだけでいろんなことを考えるのが好きなんだと思うわ。そして他人にそれをのぞかれるのがあまり好きじゃないのよ。それはあるいはあなたが一人っ子だからかもしれない。あなたは自分だけでいろんなことを考えて処理することに慣れてるのよ。自分にだけそれがわかっていれば、それでいいのよ」p.53

     結局他の女と姦通していたのがバレて、正直かつ不誠実な説明(言い訳)をして、イズミはそれを「理解しなかった」。壊れてしまった彼女を置いて東京へ行き、大学4年間をつまらなく過ごし、三十までを孤独に過ごした。
     三十になって一人の有紀子いう女性と結婚するが、そこには安心を求める主人公の気持ちがあったように思う。

    「彼女と一緒にいると、この十年以上のあいだに自分が失いつづけてきたものの重みをひしひしと感じることができた。僕はそれらの歳月をほとんど無駄に費やしてしまったのだ。でもまだ遅くはない、今ならまだ間に合う。手遅れになってしまう前に、少しでもそれを取り返しておかなくてはならない。」pp.91-92

     で、結婚し子どもが二人、少なくとも形式的には順風満帆な人生を送っているときに、島田さん?に再開し、彼は島田さんという亡霊に搦め取られて……。そんな話。



     あらすじをなぞるとこれでもかというほどクズな主人公だが、私が今まで読んだ村上春樹の小説の中では比較的珍しく、主人公は妻と二人の娘もいる、その意味ではかなりスタンダードな社会人だ(義父が金持ちで、そのお金で自分のバーを持って、類い稀なる才能から経営もトントン拍子にうまくいくという点は浮世離れしている観もあるが、まあ…)。
     「子を持つ親として現実的に生きる」というノルマは、自分の孤独な過去や現在の人生に向ける眼差しを、曇らせてしまっているのかもしれない。

    「これはなんだか僕の人生じゃないみたいだな、と。まるで誰かが用意してくれた場所で、誰かに用意してもらった生き方をしているみたいだ。いったいこの僕という人間のどこまでが本当の自分で、どこから先が自分じゃないんだろう。」
    「でも僕はおおむね幸せな生活を送っていたと言っていいと思う。(中略)僕は何があっても、もう二度とあの二十代のうら寂しい孤独な生活に戻りたくなかった。ここが自分の場所なんだと僕は思った。」p.99

     しかし、どこか自分の根っこから浮いているような生活は、「何か」があったときにぽっきりと折れてしまうものだ。
     私自身、色々あって何もかもなくなってしまった。色々あって仕事もあって不自由なく生きているが、大きな喪失を抱えたままで何か辛いことがあった時、踏みとどまれる気がしないし、踏みとどまろうと思えないのだろうなと思う。
     この物語の主人公にとっての「何か」は、島田さんとの再会。彼はイズミの人生を壊したことを覚えているにも関わらず、妻のいる身でありながら島田さんに深く関わってゆく。それは或いは小学生時代に残したままの空白を埋め、自分の人生を取り戻そうとしているようにも見える。
     島田さんは警告する。

    「とても残念なことだけれど、ある種のものごとは、後ろ向きには進まないのよう。それは一度前に行ってしまうと、どれだけ努力をしても、もうもとに戻れないのよ。もしそのときに何かがほんの少しでも狂っていたら、それは狂ったままそこに固まってしまうのよ」p.204

     それでも、主人公はどんどん破滅に向かっていってしまうのだ。


     人は何を持っているかではなく、何を持っていないかによって特徴づけられる、という言説を何かで読んだことがある。主人公は兄弟を持たないことが自分を特徴づけていると幼少期の頃に捉え、島田さんは健常な足を持たないことを深く気にしていた。
     この物語は、そうした自分の中にある欠落なり空白に上手く向き合って生きてゆくことができなかった男の話だと、今は解釈している。
     また、僅かにファンタジー要素があり、お伽噺のような薄気味悪さも相まって、小説のラストはともすればバッドエンドの可能性もある。表層的には主人公はただの浮気・不倫野郎ではあるが、大きな空白を抱え、それが取り返しの付かないものであるならば、彼はどうすれば幸せになれるのか、この小説には示されていない。
     この小説は長編『ねじまき鳥クロニクル』の一部になるはずだったものが、切り離されて一つの小説として独立したという経緯があるらしい。まとまった時間のある時に、次は『ねじまき鳥』も読んでみよう。

  • 再読

  • 2017/4/12読了。
    村上春樹の作品は読んだことがなかった。これまた癖のある作家だと思った。自身の心理描写に多くのページが割かれており、会話のテンポ、人同士の掛け合いというものは二の次という印象を受けた。これはこの作品だけがそうなのか、作品全体の傾向なのかは、他を読んだことがないので分からない。
    話の流れとして、何か面白いことが起きるわけではない。小さい頃に好きだった相手と不倫してウダウダ言って元の生活に戻るという感じだ。
    しかし、そんな単純な流れの中で、上記のような心理描写を事細かに行うことにより、人一人の思考の深淵を見ることができたような気がする。
    そういう意味では過程を楽しむ作品、といえる。

  • ここのところ、何かを読むたびに自分の力不足を痛感したり、逆に懐疑的な気持ちになることが多くて辛かったのですが、これは久しぶりにすっと心に落ちてきた。欠けてる何かを埋めたくて、違う自分になりたくて、見かけに拘ったり仕事に打ち込んだりするのだけど、ふとしたきっかけで、それでも自分は「かけている」ことに気が付いてしまう。結局、どこまでいっても私は私にしかなれない。その欠けている部分を誰かが埋めてくれるような気がして人を求めたりする。でもその誰かも結局何かが足りなくて、私に何かを求めているのかもしれない。お互いが何を感じているかなんて本当は結局どこまで行ってもわかりあえなくて、結局理想を投影しているだけなのだ。それに気が付いた時に崩れるものと、始まるものがある。若い時は自分の力が大きくなっていくことを実感できるけれど、ある時を境に後退に転じていることを認めざるを得なくなる。考える力も落ちてくる。でもその過程で得たものもある。人間満足できないようにできているのかな。ラストは普通に考えれば有紀子なんだけど、ちょっぴり誰だかわからない不気味さを孕んでいて、余韻へ誘う力が、、さすがだな、、と思った。

  • 読みやすかった。文章は相変わらずふわふわしてるけど、設定はわりとリアルな感じ。
    特に、中盤の島本さんと再会したてからの会話のシーンなどはさくさく読み進めれた。
    最後は妻と元に戻るという終わり方だったのが意外だったけど、良かった。自分が今のとこ読んだ村上さんの小説は、クライマックスてはなく読み進めてる最中の中盤らへんが面白いと思うことが多いな。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。2019年8月7日発売の『文学界』でロングインタビュー「暗闇の中のランタンのように」掲載。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月末に刊行予定。

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