深い河 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
3.87
  • (698)
  • (615)
  • (827)
  • (50)
  • (17)
本棚登録 : 5599
感想 : 676
  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062632577

作品紹介・あらすじ

愛を求めて、人生の意味を求めてインドへと向う人々。自らの生きてきた時間をふり仰ぎ、母なる河ガンジスのほとりにたたずむとき、大いなる水の流れは人間たちを次の世に運ぶように包みこむ。人と人とのふれ合いの声を力強い沈黙で受けとめ河は流れる。純文学書下ろし長篇待望の文庫化、毎日芸術賞受賞作。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 小学生でも中学生でも高校生でも就職して間もない頃でもなく、病を経た今読んだこらこそ、その河の“深さ”を、感じられたのだと思う。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    「わたし、必ず生まれ変わるから…たから、わたしを見つけて…約束よ…」

    磯辺の妻は、癌を患い、最期の時にそう言い残してこの世を去った。
    その妻の言葉を胸に、磯辺はインドツアーへと参加する。

    そのツアーには、人生への虚無感が常に拭えない美津子、結核による過酷な闘病を経験した童話作家の沼田、戦時中のビルマから生き残った木口も参加していた。

    一方、キリストの愛に感銘を受け、神父になるために修行をつんでいた大津だったが、彼の考え方は基督協会から理解されず、異端視されていた。
    そして大津もまた、インドの“深い河”のそばで、生きていた…

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    本書が最初に出版されたのは1993年。
    その頃のわたしは、小学生でした。
    あれから約30年の時が経ちましたが、「深い河」は小学生でも中学生でもなく、今のわたしだからこそ、こんなにも響いたのだと思います。

    小説の中では磯辺、沼田、木口、美津子、そして間接的に大津の半生が書かれています。
    それぞれの命に刻まれてしまった、深い苦しみは壮絶でありましたが、唯一、美津子の悩みだけはひどく抽象的に感じ、悩みそのものが今ひとつ理解できませんでした。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    「日本人から見ると、お世辞にも清流とはいえません。(中略)しかし、奇麗なことと聖なることとは、この国では違うんです。河は印度人には聖なんです。だから沐浴するんです」(174ページ)

    「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異った道をたどろうとかまわないではないか」(310ページ)

    「死者の灰を含んだ水がそのままこちらに流れてくるのに、誰もがそれを不思議にも不快にも思わない。生と死とがこの河では背中をあわせて共存している。」(341ページ)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    人は生まれ、生きて必ず死ぬ。
    ならば、死への道はどこをたどろうと、かまわないでないか。

    引用した310ページの言葉は、わたしにはこんな風に聞こえました。
    逆に言えば、人の数だけ人生があるのが当たり前であり、その人生に優劣や勝ち負けをつけ、正しいとか間違っているという評価をくだすのは、おかしい。
    そう思う一方で、木口の戦争体験のくだりは、言葉では言い表せないほどの壮絶なものであり、そこでの価値観は、何が正しくて何が間違っているのかすら考えられないほど、生と死がそこにただ横たわった世界を読むことで、人を傷つけてはならない、という理が、戦争の前に脆くもくずれさる様子に、言いようのない気持ちになりました。

    ひとりひとりの抱える生きる苦しさを、深い河は何も言わず、ただ生と死が同時におなじ時を流れていくのを、ただそのままに受け入れています。
    宗教がどうだとか、どう生きたかとか、何を悩んでいるのかとか、そんなことを河は一切問いかけません。
    そんなことを問いかけているのは、人間だけなんだなあと、おもいました。

  • 大学卒業後くらいに読んだのが初読で今回は再読となります。初読時の記憶はあやふやでストーリー展開はほとんど覚えていませんでした(テーマについては記憶あり)
    以下感想。
    --------------------------------------
    何度も何度もくりかえし顕われる、弱き者傷ついた者に、ただ寄り添う「誰か」の存在。
    奇蹟は起きない。奇蹟は起きないけれど。

    神はいるのだ。
    泣く私を慰めて頬を撫でる伴侶のうちに。
    失意の伴侶の傍らに立つだけの私のうちにも。
    つらい失恋を癒す音楽に、孤独に立ちすくむ人を包む陽光に、言葉を持たず手をそっと舐める犬のうちに、神はいる。
    虐げられた者、弱き者、醜い者、欠落を抱えた者、罪を犯した者の傍に神はある。
    沈黙してただ寄り添う神は、この大気に溶け込んで在るのだ。

    遠藤周作の描く神の姿は、なんとちっぽけでなんと優しいのだろう。
    泣く者の涙を止めることもできない無力な神は、しかしながら決して誰をも見捨てることなく誰の人生にも同伴する。

  • 「どこかで必ず生まれ変わるから、絶対に私を見つけて」の一言を残し癌で亡くなった妻、その思いを胸に生まれ変わりを探しにインドへ向かう磯部。
    何かに惹きつけられるように、人には言えない様々な思いや業を背負う磯部を含む5人の主人公がインドへと向かって行く。やがて行き着くところは、ある人は死後の遺灰を思いを込め流し、ある人は巡礼のために沐浴を行う、そんな生と死が共存する聖なる河ガンジス。
    それぞれの過去の出来事、そしてインドでの行動に、人が委ねるものは何なのか?考えさせられた。さすが遠藤周作。

  • 自粛の中、昔の本を引っ張り出してきた。内容は忘れていた。奔放で華やかな美津子が魅力的にみえた。映画では秋吉久美子さんとのこと、うなずける。
    「子供みたいなことを言わないで。あなたも充分、楽しんだんだから、こういうこと、そろそろ終わりにしない」こんなセリフをさらっと言えるなんてやっぱり悪女かな。
    大津よりも自分の孤独で精一杯、偽善のボランティアをし、誰も心から愛せない、なにをしても満たされない。愚行の奥にXを欲しがっている。がXは何なのか理解できない。「少しだけわかったのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っている光景。人間の深い河の悲しみ。その中にわたしもまじってます」と。インドの旅で探し物のXは大津の中にあった。が衝撃的なラスト。
    今世界で起きていることも深い河かもしれない。

  • 再読。
    蠍や蛇に咬まれながらも萎びた乳房から子供に乳を与えるチャームンダーの女神も、木口を生かすために人肉を食べた罪に苛まれる塚田をなぐさめたガストンも、病気の沼田の話し相手になり身代わりにもなった九官鳥も、美津子らから馬鹿にされ、どこからも爪弾きにされて最も卑しいものの中で生きる大津も、愛なる神なのだ。神は清潔で絶対的な正しさとして君臨するものではなく、玉ねぎのように身近にあり、醜く穢く蔑まれ、馬鹿にされている。ピエロであり、無力であり、滑稽なものなのだ。この世のすべてのもの一人ひとりが抱える、他人にはどうしようもない哀しみ。それをすべて受け入れて流れる深い河もまた、愛なる神。大津の言う汎神論的な宗教観や、善悪二元論的に分かたれない渾沌とした世界観は、西洋の基督教から見れば異端なのだろうが、サーバントリーダーシップというか、このキリスト観にこそ共感してしまう。
    妻に先立たれ、その生まれ変わりを探す磯辺自身の中に妻が転生し、大津やマザーテレサの修道女の中にキリストが転生している。人々はよりよき転生を願ってガンジス河にやってくる。転生ってなんなんだろう?

  • 人に勧められて読んだ時は、衝撃ありました。クリスチャンとしての遠藤周作の書かと。インパール、スズキ、鉄道輸出など、世代毎の日本人には、インドにはある思いがあるかとおもいますが、かわりつつある巨象インドのかつての姿ととらえています。多言語国家でもあるインドにて、1、2つまえの世代の姿ではないかとおもっています。

    • ダイちゃんさん
      遠藤周作は狐狸庵もいいですね
      遠藤周作は狐狸庵もいいですね
      2021/05/20
  • 当然ながら、人はみんな違うこと、違う苦しみをもっていること、そこから救われるために何かを信じたり追い求めたりすること、その中で自分の気持ちの持ちようが変わることで、少しだけでも救われることがあるなど、それぞれの登場人物の人生を通して考えさせられました。

  • 2年ぶりに再読。磯部は泣ける。美津子に共感。神との対話って言うのは、心の奥底にいる自分と対話することなのかなと考えさせられる。

    p64
    ...焼けるような液体を咽喉にながしこんだ。不意に、底冷えのような空虚感が突きあげてきた。こんな馬鹿なことをして自分は一体、何を探しているのだろう、皆におだてられ、大津をからかい、これがわたしの生活だろうか。

    p182
    人生には予想もつかぬことわからぬことがあるのだ。自分だってなぜ、印度に来る気になったのか、確実にはわかっていない。彼女は時々、人生は自分の意思ではなく、眼にはみえぬ何かの力で動かされているような気さえする。

  • "ディープリバーは答えを教えてくれない"
    私が実際にバラナシのガンジス河へ行き、この本を読んで感じたことである。

    自分は何が欲しいのか、自分は何がしたいのかその答えは自分の中にしかない。ガンジス河はただ目の前をゆっくり力強く流れているだけである。
    しかし、そういう中でもガンジスに多くの人が訪れる理由。それは、善悪、貧富、老若男女関係なく全てを包み込んでくれるスピリチュアルな「何か」を感じることが出来るから。そのどんな自分も受け入れてくれる安心感が人を落ち着かせ、純粋な気持ちで自分に問いかける場所・時間を提供してくれているだと思った。

    大津の考える、人は自分の考える自分だけの神を持っていたって良い。ということに賛同した。
    私は神は概念であるから成立し、信じ続けられていると考える。自分の力ではどうにでもできない不安があるから何かにすがりたい。大丈夫だと信じたい。という人間の根源的欲求が、常に生死が付き纏う2000年前の時代に宗教上の神という概念を作り出した。
    そのため、自分の中に信じれるものがあればそれに従えば良い。それがなければ、宗教上の神を信じすがれば良い。それはどっちでもよい。最後にすがれる「何か」があれば本当に困った時に正気でいられる。本気で信じていれば対象は誰でも何でも良いのだ。

  • わたしは何が欲しいんだろうか、という美津子が、
    祈る対象をもたない美津子が、
    虚しくて切ない。

    大津は馬鹿なのかもしれないけど、美津子が知りたい全てを、持ってる人なんだろうね。

    祈りは、わたしの中にあればいいと思った。

全676件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1923年東京生まれ。慶應義塾大学仏文科卒業。1955年『白い人』で第33回芥川賞受賞。1958年『海と毒薬』で新潮社文学賞・毎日出版文化賞受賞。1966年『沈黙』で谷崎潤一郎賞、1980年『侍』で野間文芸賞、1994年『深い河』で毎日芸術賞を受賞。1995年文化勲章を受賞。1996年、73歳で永眠。

「2023年 『自分を どう愛するか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遠藤周作の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
三島由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×