- Amazon.co.jp ・本 (148ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062639101
作品紹介・あらすじ
多摩川べりのありふれた町の学習塾は"キタナラ塾"の愛称で子供たちに人気だ。北村みつこ先生が「犬婿入り」の話をしていたら本当に「犬男」の太郎さんが押しかけてきて奇妙な二人の生活が始まった。都市の中に隠された民話的世界を新しい視点でとらえた芥川賞受賞の表題作と「ペルソナ」の二編を収録。
感想・レビュー・書評
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新感覚の小説だなと感じました。
「ペルソナ」は、ドイツに住む日本人の道子が
人種による偏見に苛まれて、様々な国の人たちに出会い、それぞれの国でも、偏見があると知りながら、東アジアで一括りにされることに嫌悪感を
抱く弟の和男との共同生活にも、違和感を感じていく、著者自身が、ドイツに住んでいることからも、自身が体験したことも反映されていると思います。
「犬婿入り」は、ある塾を中心に繰り広げられる不思議なストーリーでした。言葉が一つ一つ胸に響いてきますね。太郎の奇妙さも際立ちます。
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「ペルソナ」と「犬の婿入り」の2つの短編で構成されている。結果、結論がよく分からない作品。
自分には全く合わなかった。芥川賞受賞作品。
凡人にはわからない。 -
多和田葉子の中編集。表題の「犬婿入り」と「ペルソナ」の2作品が収録。
以前に読んだ「献灯使」が心に残ったので、芥川賞受賞作品である本書を手に取ってみた。
「犬婿入り」は芥川賞受賞作。39歳の学習塾を開いている女性を中心とした不思議な物語。
「ペルソナ」はドイツに留学している姉弟の話。姉の視点から日々の生活が描かれ、外国で日本人として暮らす姉の心情風景が描き出される。
「犬婿入り」は、芥川賞受賞作らしく、非常に難解であった。実際に犬が婿にくるような話なのであるが、それがエロティックというか、気持ち悪いというか、心にざわざわ感が残るというか、何とも読後の印象の不思議な物語だった。
「ペルソナ」も理解するのが、非常に難しかった。移民の多いドイツであるが、日本人や韓国人などの「東アジア人」はドイツ人や他の移民達から何となく差別を受けている。例えば、「東アジア人は表情がなく、本当の気持ちを顔に出すことは無い」などといった、差別とは言えないほどの些細なものだ。
おおっぴらに差別はされないが、誰もが心の中に壁を作り、それぞれの人たちが持つ「東アジア人」に対するステレオタイプを押しつける、あるいはそのように接してくる。
この微妙な空気のなかで息が詰まりそうになりながら主人公である道子の心情を、独特な筆力で筆者は描き出す。この心情は道子と同じくドイツで暮らす筆者の心情にも通じているのだろう。 -
これが多和田葉子の世界、という短編2編。
純文学はその作家の個性がわかると、あるいは立ち上がってくるものがわかるとなかなか面白いものです。芥川賞の「犬婿入り」の雰囲気もそうですが「ペルソナ」の方はその入り口という感じでしたから、より理解しやすかったですね。
「ペルソナ」は作者の分身のような道子さんの、ドイツ留学における生活のもろもろの遭遇と心模様を描いています。移民を認めているドイツには様々人種が集まっている。わたしたちがヨーロッパの人種を判別しがたいように、自分たち日本人や韓国人、中国人を東アジア人としてまとめられる経験をする。違和感や嫌悪感を感じる人(道子さんの弟)もあるが、道子さんは平気だ。しかし自分が「何者か?」ということにはとてもこだわる。しかし、その個性を究めるともう日本人と見られなくなるという皮肉な結果になりました。
人種のパッチワークの中にいるからこそ、それがわかったのか。「犬婿入り」では日本の中の出来事です。ごく普通の町に変わった行動をする女性が塾を開いている。親は眉を顰めるが、子供には人気です。北村みつ子先生だから「キタナラ塾」のあだ名がついたのか。いえ、きたならしいとえっちなことがとめどもなく子供を引き付けるからです。で、尋常じゃないと思われる次第がいろいろと起こってくるのですが、異質なものの存在を認めるのには、普通の町ではもう見て見ぬフリが出来なくなり、受け止められなくなるのです。
すなわち異質なものと折り合いをつけて生きていくのが簡単なのか、大変な困難を伴い、身を削るような思いをするのか。それでも何とかしなければなりません、地球は狭くなったので。 -
表題作のつもりで読み進めていってたら全然違う作品で焦った。
さて、解説にもあるとおり、二作品を収めたこの『犬婿入り』は「溝」がキーワードになっている。つまり境界線のことだ。
「ペルソナ」では信頼の置ける弟の和男でさえ、主人公・道子とは合同な意見を持っているわけではない。
特に序盤は、意識的にさまざまな国の名前が登場する。母語である日本語が、だんだんと自分の体から解離していく。日本人らしさや、外国人らしさ、といったステレオタイプには軽微な齟齬がある。同じくらい執拗に、肉の厚みについて述べられる。それもその一点が明白に羞悪な瑕瑾であるかのように。また、「ニガイ」は一貫してカタカナで表記されていた。途中わずかに登場する黒人の話と何か関係があるのだろうか。
表題作の「犬婿入り」。安部公房の作品群に似た雰囲気が離れない。水平線が分かつ二つの世界がぐるぐると混ざり合っていく感覚。忘れた頃にやってくる「電報」の言葉。何が普通で何がそうでないのかが判らなくなってくる。三人称的な視点で読者は自分を凝視する。伝染していく獣の体臭。みつこもだんだんと臭いに敏感になっていく。特に序盤は、文章が息継ぎすることなく進んでいく。非日常にいざなう導入催眠のようにも思える。 -
学習塾の独身女性の元へ太郎という犬男が現れ、奇妙な共同生活が始まる「犬婿入り」。
ドイツ留学中の女性が味わう差別や偏見、攻撃によりアイデンティティをを失う「ペルソナ」。
異質なものに対して、意図的にではなく無意識に排除してしまうこともあるから厄介だ。そもそも異質と同質の境はどこにあるのか?作品から抱いたモヤモヤをうまく言語化できないのがもどかしい。 -
ちょっとへんなひとが出てくるのがすき、文章が心地よい、不思議、おもしろい。