パリ20区物語 (講談社文庫)

  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062647441

感想・レビュー・書評

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  • パリに住んで、パリの生活を書いたエッセイ
    写真も素敵です
    合間の写真があるだけで、イメージが膨らんでさらに文章に色がつきます

    パリ、行ってみたいな
    日本よりも自由が許されてる感じがする
    それぞれの国に良いところはあるけど、日本は少しきちっとしすぎなのかもね

  • ヨーロッパが好きだ。といってもぼんやりとしてるし、広範囲なので、よくよく考えてみたら、イギリスとスペインが特に好きだ。と、思っていた。
    「女優やモデルってなんでかパリに憧れるよね~。なんでパリなんだろう?」とゴチゴチの偏見でもって不思議に思っていた。
    なのに、だ。なんだか急にパリが気になった。遠い昔に一度行って、その魅力がわからなかったパリが、コロナ禍という状況も後押しとなってか、急に気になる存在になった。

    調べてみると、パリは20区で構成されていて、ハッキリクッキリ分かれていないにしても、区の特色がそれぞれあるらしい。各区のことを知りたいと思って手に取ったのが本書。

    前置きが長くなった・・・・。
    もうだいぶ前に発行されたものだし、内容も個人的なエッセイも多く含むので、観光の参考にしようとすると無理があると思うが、その、エッセイ部分も含めて、とても興味深く読めた。アンリ四世だとかルイ十五世だとかも頻出し、長い歴史を経て今のようになったという説明にも、「えー、フランスの歴史全然わからないー情けないー」と思いつつ、とても楽しく読めた。

    一番の収穫は、パリって散歩に最高の街だとわかったこと。いつかのんびりとパリに滞在して、あちこち散歩を楽しみたい、と強く思った。

  • パリの区ごとに地名や由来
    歴史が分かりやすく書かれていて
    ガイドブックのかわりに読んでは
    旅行にいった時のシュミレーションが出来て楽しい。

    神楽坂の吉村さんのお店でサインをお願いすると
    気さくに金色のペンでワイングラスの絵を書いてくださって
    うれしかった。

    子どもの公園まで教えていただいてよかった。


  • 1区1区ずつわけて書いてあって読みやすい。

    そこにパリの日常や人とのふれあい、暮らし方が詰まっている。

    写真も豊富で、「こんなかんじか」とわかりやすいのがよかった。

    ちょっと前の写真ではあったけど。

    これを持ってパリの街を歩きたい。

  • 【吉村葉子】
    神奈川県生まれ。立教大学経済学部卒業。フランスの生活や食文化に詳しい。著書に『美しくにフランス』『パリ便利帳』『パリ近郊の小さな旅──イル・ド・フランスの魅惑』、『パリで泊まるプチ・ホテル』『パリの手わざ』『イル・ド・フランス──パリ近郊「印象派」の散歩道』『フランス田舎のプチホテル』『シャンパーニュ──金色に輝くシャンパンの故郷へ』ほか。

    【宇田川悟】
    1947年東京都生まれ。早稲田大学政経学部卒業。著書に『食はフランスに在り』『パリの調理場は戦場だった』『ニッポン食いしんぼ列伝』『ヨーロッパワインの旅』『フランス美食の職人たち』『欧州メディアの興亡』『フランスはやっぱりおいしい』『フランスワイン、とっておきの最新事情』『フランスワイン紀行──知られざる名産地を訪ねて』など。訳書に『なぜ私が』『旅人たちの食卓──近世ヨーロッパ美食紀行』『フランス料理と美食文学』、『カトリーヌとパパ』ほか。


    パリ20区物語 (講談社文庫)
    by 吉村葉子、宇田川悟
    パリに住みはじめて一五年。その間、いくどとなく日仏間を往復しているのだけれど、私の生活ベースはあくまでもパリである。だが、むろん国籍はれっきとした日本人だし、アイデンティティーは、まぎれもなく日本人のそれである。

    パリで生活するようになって、散歩に出かける機会がふえた主人と私は、住まいを決める際もそのメリットを忘れないようにした。こうして我が家は、パリ中の散歩スポットに向けて放つ放射線の中心にふさわしい場所に設定されたのである。そんなわけで、リヴ・ゴーシュ(左岸)でもっとも賑やかなサン・ミッシェル広場が、主人と私、それとまもなくリセアンになる娘の三人が住むアパートの住所になった。明け方まで、若者たちの喧騒が絶えないカルチエ(地区)といっても、広場から奥まったアパートになれば、信じがたいほどの静寂に包まれている。外側の動と内側の静のコントラストが大きい点も、私たちがこの住まいを気にいっている理由である。  ともかく、なにをさしおいても抜群に地の利がいい。歩こうと思えば、パリ中のお気に入りの公園、美術館、名所が掌中にある。カルチエ・ラタンのオアシス、リュクサンブール公園までなら、どのコースを選んでも一〇分。ノートルダム寺院まで一分、ルーヴル美術館やオルセー美術館も十数分の圏内にある。

    この本はパリの観光のために書かれたガイドブックではなく、住んでみたパリ、また1区から 20 区のそれぞれの素顔を、経験をもとにエッセイとしてまとめさせていただいたものである。本書をお読みくださる皆様に、私がパリという町から受けた恩恵を少しでもお分けできたら幸いである。 一九九六年八月 吉村葉子 

    ルーヴル美術館は私の遊び場のようなものだ。ふっと時間があいた時や、たまっている仕事がありながら、なかなかエンジンがかからない時など、格好の避難場所になる。左岸沿いにセーヌを眺めながらしばらく歩き、やがてポン・デ・ザール(芸術橋)で右岸に渡る。木橋を透かし、足もとを流れるセーヌ川を見ながら、橋の散歩道を歩くのはとても楽しい。橋をとんとんと下り、ルーヴル美術館のある敷地内に入る寸前に信号がある。ルーヴル河岸の車道はほぼ直線コースだから、どの車もかなりのスピードを出している。いつもなら平然と信号無視をする私でさえ、ここでは 遵法 精神にめざめざるをえない。というのも、毎回ルーヴルを訪れるたび、私は一つだけ大なり小なり明確な目的を携えて行こうと思っているからである。だから、目的を達成するまでは、おいそれと信号無視などで怪我をしたくないからだ。

    大聖堂の後陣を抜け、セーヌ川の上流に突き出たジャン二三世広場からの眺めもなかなか素晴らしい。ここからでもやはりその巨大さに圧倒されてしまうし、正面からでは見られない生き生きとしたノートルダムの怪物像が鑑賞できる。パリっ子に人気を博した文豪ヴィクトル・ユゴーの名作『ノートルダム・ド・パリ』はハリウッドで映画化され、アンソニー・クインが主役の醜男、カジモドを演じた。エキゾチックなロロブリジダもグラマラスで大変魅力的だったし、カジモドもよかった。セットとはいえ、ノートルダム寺院の細部がとても忠実に再現できていたように思う。ジャン二三世広場からの後陣の眺めは、セーヌ川のせせらぎをバック・ミュージックに心穏やかに堪能できる。しかし唯一、近くの道路で団体バスが停車して視界をさえぎるのが欠点であるが。

    彼ら二人はすでに日本人相手にかなり作品を売った経験があるらしく、こう 宣ったのである。なぜ、日本人は一人残らずコクトーの作品が好きで、よく理解しているくせに買うのをためらうのだろうか、と。しかし、ためらったあげくどうしたの、日本人は買うのか買わないのかと、さすがに彼らに尋ねはしなかったが、二人の会話を小耳にはさんだ私は妙に納得したのである。私は思うのだが、私たち日本人はどうしてこうもマルチ・タレントに冷たいのだろうか。もし、コクトーが作家一筋だったり、画家一筋だったとしたら、少なくとも日本ではきっとコクトーのファンはもっと多いのではないだろうか。後にして思うと、あの時の二人の会話は、買いしぶっていた私に仕向けられた陽動作戦だったのかもしれない。そうだとしたら、《ギャルリー・ベネズィット》の二人はなかなかにユーモアのある知能犯だということになる。

    陽気のよい日になると一〇〇人を越えるほどのパリっ子で賑わうのがチェスとブリッジのコーナー。このほうは上院の置かれているリュクサンブール宮殿側に大勢陣取っているからすぐにわかるが、時計をたたいて秒刻みの技に挑戦するのがまたおもしろい。ある晩、八時のニュース番組を見ていたら、チェス世界選手権を報じる話題があった。とてもおもしろかったのは、人間がコンピューターに勝ったこと。もしコンピューターが勝っていたらがっかりするところだったけれど、人間の実力がそれを上まわったことに胸をなでおろしたものである。下手の横好きとでもいうのだろうか、トランプも花札も、囲碁も麻雀も、ことゲーム事はまったくダメな私だが、なぜかチェスだけは例外だ。相手をしてくれるのはもっぱら娘で、彼女が言うには、私が好きなのは女性仲間の女王様が大活躍するゲームにちがいないから。

    見ていてわかりやすいという点では、チェスやブリッジよりもペタンクがいい。不思議なことにペタンクをする女性にあまりお目にかかったことはなく、もっぱらおじさんとおじいさんを中心にしたゲームらしい。南仏から広まり、フランス選手権もあるのだが、鉛のボールをヒョイと中腰になって投げる姿は、皆なかなか堂に入っている。ユーモラスなポーズとは裏腹に、ペタンクは一センチ、一ミリを争うシビアなゲーム。晴れた日の昼下がり、公園のあちこちで、真剣勝負の火花が散ることになる。

    ジュリアのママだけでなく、サン・ジェルマンからラスパイユにかけての一帯は昔からアメリカ人がとくに好むカルチエ(地区)である。モンパルナス大通りを一本越えると、区でいえば6区ではなく 14 区に入ってしまうが、同じくラスパイユ大通りにかつてはアメリカン・センターがあった。やがて新都市計画の一環でベルシー地区にアメリカン・センターは移転。その頃から世界的なバブル経済の崩壊というハプニングがあり、アメリカ本国からの資金供給がむずかしくなった新アメリカン・センターは九五年、閉館を余儀なくされた。そのことを報じた新聞の記事によれば、アメリカ側はもうパリ発信の文化に価値を見出せなくなった、と味もそっ気もないコメントが寄せられていた。完成した当時、斬新な設計が芸術的と評判だったラスパイユのアメリカン・センターはカルチエ財団に生まれ変わり、併設の展示会場で企画されるアート展はその都度、話題を呼んでいる。

    パリのシンボルともいえるエッフェル塔がそびえているのも7区。フランス革命一〇〇周年を記念し、ギュスターヴ・エッフェルによって設計された鉄塔の展望台からのパノラマは最高だ。高さ二七四メートルからの眺望だから、パリ市内だけでなく、周辺のイル・ド・フランス全域が見えても不思議ではないが、ふと視線を落として、足もとのシャン・ド・マルス公園を歩いていた友人を発見した時はおおいに感激したものである。

    とはいえ、ブランド志向のない私にはトリィアングル・ドールにはほとんど縁がない。時たまコンコルドやオペラあたりに用があって出かけたついでに、マドレーヌ広場に面した高級食料品店の一軒、《フォション》で家の近くでは手に入らない上等なバルサミコ酢を捜すくらいだろうか。おしょうゆほどではないけれど、黒味がかった美味しいイタリア産のワイン酢、バルサミコは主人も娘も大好物。質の高いものは年代をへるにつれて味わいがとびきり優れたものになる。毎日の食卓に欠かせない食材はすべて近くのマルシェで調達するが、このバルサミコだけは《フォション》のものが美味しいので別である。

    マドレーヌの名前を聞くと、つい触れたくなるのが『椿姫』。『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』で名を馳せたアレクサンドル・デュマの息子、デュマ・フィス(小デュマ)作の小説である。作中、デュマ・フィスはヒロインのマルグリット・ゴーチエを熱烈に愛する青年アルマン・デュヴァルとして登場する。クルチザンヌと呼ばれる高級娼婦、ゴーチエの本名はマリー・デュプレッシ。マドレーヌ広場にあった食料品店のどこかで買ったのだろうか、当時流行った高級なブドウやプラムの砂糖漬けを手に入れられる、貴族の女性たちよりも貴族的で優雅だったマリー。もっとも、社交界の花形といってもブルジョワ紳士に春をひさぐだけのクルチザンヌとしてだけれど。クルチザンヌに夢中になる青年の悲恋は、マリーことゴーチエの死により終局を迎える。マリーの死後、彼女のアパートに残されたいっさいの遺品は競売にかけられる。掲示された競売の日、クルチザンヌという、身分ともつかない特殊なマリーの身の上をあざ笑っていた貴族の女性たちまでが、マドレーヌ大通り一一番地の彼女のアパートに詰めかけた。虚飾に塗り固められたクルチザンヌのマリーとしては、ガス灯がともり、エレガントな二頭馬車が往き交い、着飾った男女がこれみよがしに腕を組んで歩くグラン・ブールヴァールの、華やかなマドレーヌ大通りに住みたかっただろうし、また商売上からも住まざるをえなかったのだろう。

    モンパルナス大通りからゲーテ通りに抜ける。明るいうちはひっそりとなりを潜めていたとでもいいたげに、夕闇迫る路地のビストロやバーに明かりがともる。これぞ、まさに『モンパルナスの灯』だ。この界隈に、ヘミングウェイの小説の中から店名をとった《ル・ローズバッド》というバーがある。連日明け方近くまで客でごったがえし、カウンターに陣取るのはご常連。テーブル席は準ご常連。 ふり の客は苦手と、バーテンやギャルソンの顔に書いてある。ただし、酔態はフランスではご法度である。四〇度のカルヴァドスを何杯あおろうが、梨のリキュール、ポワール・ウィリアムを何度追加注文しようが、まちがいなくベテランのギャルソンはトレイに乗せて運んでくるが、しかし、酔っぱらってはならない。少々顔が赤くなろうが、背中に物差しを入れた姿勢をくずせないのが日本人にはつらい。

    ジョルジュ・サンドという名称が道につけられたのは、彼女の没後一〇年、一八八六年のことである。恋多き女流作家として名を馳せたサンドがお付き合いしたのはミュッセ、ショパン、リストなどそうそうたる人物だ。が、最初の恋人だったジュール・サンドーと共著で初めて小説を発表したのを契機に、男性名をもじってジョルジュ・サンドというペンネームを使うようになった。一八歳で結婚した男爵との間に二人の子供を残している。

    娼婦か彼女たちの元締めといった、ごく一部の女性しかタバコを喫わなかった時代に、公衆の面前で平然とタバコをふかしたサンド。一途な恋に走る一方で、劇作や自伝など長短おりまぜて一〇〇編以上の作品を残した女流作家だ。四〇歳を過ぎた頃から田舎に引っ込み、それからは田園小説を多く手がけた。彼女のポートレートはパリの博物館に飾られた肖像画や写真に残されているけれど、サンドの作品とともに、彼女の生きざまは私の願っても叶わない理想像でもある。

    レイヌアール通り四七番地、ツタのからまる一軒家は、今はおしゃれなパッシー地区がその昔、村だったことを思い起こさせてくれる。ここは文豪バルザックが執筆にいそしんだ家であり、現在はバルザック博物館として人々に開放されている。バルザックが活躍した一九世紀中頃のフランスの作品がとくに私は好きだ。バルザックのほかにヴィクトル・ユゴーとアレクサンドル・デュマを加え、ロマン派の三大文豪と勝手に呼ばせてもらうが、この三人は生まれたのもだいたい同じ年代だし、血気盛んな壮年期も似たような境遇にいた。フランスの産業革命が完成し、世の中がおしなべて豊かになる時代に生きた文豪三人。

    なによりおもしろいのは、バルザック、ユゴー、デュマという、この時代を代表する三人がそろいもそろって旺盛な創作意欲を見せたこともさることながら、大変な漁色家だったという点である。彼ら自身に女性を惹きつける魅力が存分に備わっていたのはいうまでもない。また、当時の三人はけたちがいに稼いだ。デュマの浪費癖は有名だが、バルザックの事業欲、ユゴーの吝嗇に近い金銭欲には共通した豪快感が貫かれている。彼らは、英雄色を好むという諺に忠実であり、思想は左に、お財布は右に、とよくいわれるフランス流金銭哲学を実践しながら生きたわけである。三人そろって名誉欲も人一倍強かった。フランス文化人の最高勲章といえるアカデミー会員の座を得ることに長らく固執したが、受章できたのはユゴー一人だけ。夢破れたりといえども、デュマはレジオン・ドヌール勲章を授与された。三人の中で先に他界したのはバルザックだったが、柩の両側にユゴーとデュマが付き添っていたという、ちょっといい話が伝えられている。

    まさかと思っていたが、「日本通り」と名づけられた通りがある。パリ 20 区、ガンベッタ広場に面して建っている区役所の裏手にひっそりと控える、長さにして一〇〇メートルほどの小さな道である。さっそく『パリの道路辞典』と題されたぶ厚い本を繰ってみよう。  一行目に日本語でニッポンを意味するジャポンがきて、二行目には、「日出ずる国」とある。日仏関係が誕生してから長い歳月が経っているが、昔も今もフランス人から見た日本は相も変わらずエキゾチック・ジャパンに映るようだ。さて、私が知りたかったことは、いったいいつ頃、なぜ「日本通り」と命名されたのかという点である。その答えは簡単に見つかった。「日本通り」の記述の最後に一八六七年という年号が書きとめられていたからである。

    思い出にあふれたパリ生活を懐しがっていたら切りがない。あの時、あの一瞬の光景が走馬灯のように思い浮かぶ。そしてもう一度、パリの友人たちに会ってメルシー・ボークーを言いたい。帰国早々、親しかった友達全員に手紙を書いた。ぜひ東京に来てください、と。彼等の何人かはすでに来日が決まっている。主人と娘と私が彼等によくしてもらった分、今度は私たちが恩返しをする番である。

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著者プロフィール

エッセイスト。1979年に渡仏し、20年間、フランス・パリに滞在。フランスの生活文化や暮らしの分野をはじめ、ヨーロッパ全域に渡って多彩なテーマを取材し、雑誌などに寄稿。帰国後はエッセイスト、小説家として活躍し、著書は30冊にのぼる。そのかたわら、フランスの家庭的な焼き菓子を提供するサロン・ド・テ『ジョルジュ・サンド』を2007年にオープン。当店は2013年末、惜しまれつつも閉店する。20年間を過ごしたフランス・パリで得た見聞をもとに、日仏文化の違いを独自の視点からユーモアを交えて紹介した『お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人』(講談社/2007年)がロングセラー。近著は『フランス人は人生を三分割して味わい尽くす』(講談社α文庫、2015.8)。2016年初夏、宝島社より新刊発売予定。

「2016年 『人生後半をもっと愉しむ フランス仕込みの暮らし術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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