「超」勉強法 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062648271

作品紹介・あらすじ

「基礎から一歩一歩」式の学習法では、いくら努力しても成果は上がらない。必要なのは、楽しみながら成果が得られる勉強法だ。「面白いことを勉強する」「全体から理解する」「八割までをやる」という"基本三原則"から、ビジネスにも役立つ英国数の科目別勉強法、暗記法まで-ミリオン・セラー、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 「超」勉強法 (講談社文庫) 文庫 – 2000/3/15

    読むことでより効果的な勉強とは何かを考えるきっかけになる
    2010年10月5日記述

    英語教科書丸暗記法など野口悠紀雄氏が中学高校の時代に試していた方法などを紹介している。

    自分も試してみたが学校の定期試験では確かに効果てきめんだった。
    実際にうなずける箇所も多いのでうまく効率よく勉強していくためのひとつの本として活用するべき。

    ただ英語に関しては教科書の丸暗記法だけでは大学入試突破は厳しい。
    なぜなら初めて読む英語の文章問題を解答する力をつけるには学校の教科書だけの単語量、熟語量では足りない可能性が高いからだ。
    入試対策用の英文法書や単語集はやはり勉強すべきなのだと実感した。

    (筆者の能力が高いからこそこの英語勉強法で入試問題突破が可能だったのではと思った事もある。
    ただし英語を個々の単語暗記だけでは英語を実際にモノにする事が出来無いのは事実である)

    *英語については「超」英語法も出版されておりそれも合わせて読むと良いかもしれない。

    数学、国語についても述べられている。もちろん為になる事が書かれている。
    しかし、どんな参考書や問題集が良いのかまでは詳しく書かれていない。

    特に国語の文章の書き方において一文一意主義(一つの文で、複数の内容を述べない)と
    ねじれをなくすという2つの注意を述べている中で特に接続詞の「〜が」について注意されている。

    並列や逆説の両方の使い方のできる「〜が」は書き手の態度が曖昧なためである
    という指摘には納得出来る。
    著者の野口悠紀雄氏も学生時代に清水幾太郎「論文の書き方」岩波新書 1959年から
    「が」を使うな。「が」に頼るなという重大な教訓を得たのだと言う。

    ビジネスマン向けにもいくつかの提言がなされている事も面白い。
    また興味を引かれるような教材を自ら探し出すこと。
    本来の勉強は楽しいものであるということなど目からウロコ的な事も書かれている。

    本書と和田秀樹氏や福井一成氏の本や複数の入試体験記を参考にすることでより効率的な独学が進むだろう。

    以下2022/11/20(日)記述
    2022年の今軽く読み返してみると今なお価値ある指摘が多いと思う。
    1995年12月に単行本として発行され、2000年3月に文庫本として出版されている。
    私はこの2000年3月の文庫本のタイミングで本書を本屋で読み、そして買って勉強面で試行錯誤していくことになった。
    ちょうどその頃、高校入試に失敗し不本意ながら私立高にいくことになっていた。
    どうすれば良いのか強く求めていたからこそ本書に出会えたのだと今思う。
    別にこの本を読んだことでドラゴン桜のような奇跡の大逆転劇は起きていない。
    ただ当時の私の置かれた状況下でベストを尽くすことが出来たと思う。
    その意味において私の人生を変えるきっかけとなった本のひとつだと思う。
    所有していた多くの書籍を電子書籍に切り替えた中で、特に電子書籍化されているものはブックオフに処分して改めてKindleで購入しているのだが、そんな中でも本書は(電子書籍でも改めて買ったが)捨てることができない。

    2010年のレビューにも書いたことだが、英語教科書丸暗記法は高校リーディングの定期試験では強力な手段である。しかし、他の初めて読むであろう英語の文章をテストする試験にまで有効とは言い切れない。他の科目の勉強もある。幸い今の英単語帳は短文やいろは歌(DUO)になっているものがあるので単語帳学習は普通にした方が良い。
    また数学も受験数学と学問としての数学は異なるというのは事実ではあるのだろうが、
    それでもなお、勉強する人の資質によって伸び方が大きく異なるのが受験数学というものなので、注意を要する。
    またそもそも1940年生まれの野口悠紀雄氏が大学受験をした年(恐らく1950年代後半)とこの本がでた1990年半ばから2022年に至るまでの大学受験は1990年半ば以降の方が圧倒的に難易度が高いのだ。(河本敏浩氏の医学部バブル2017、名ばかり大学生2013を参照)
    本書で勉強はやり方次第で突破できると考え、勉強を続けながらも他の良い情報がないか常に探し続けることが大事。
    今の時代なら一般入試だけではなく、指定校推薦をいかに確保するかという意味でも定期試験の得点力を上げることに注力した方が良い場合もあるだろう。

    印象に残った点

    勉強ができないのは、能力が低いからではなく、勉強のやり方に問題がある
    多くの人に適用可能な「適切な勉強法」が存在する

    方法を誤ると努力しても成果があがらない。
    最低限、能率の悪い勉強法からは脱却しよう

    学力養成を主軸とし、得点力は方便として利用する

    成績の悪い生徒を救う最も確実な方法は、試験で良い点数をとらせることだ。
    真の問題は、能力がある学生までもが得点力主義に終始し、批判力が創造力を身につけようとしないことなのである。

    能力の差は、努力とノウハウによってかなりの程度まで克服できる。運動能力や音感の差より、はるかに克服しやすい。とくに、学校教育のレベルの勉強では、そうだ。

    勉強の方法論についての経験が、個人の枠内にとどまってしまい、あまり伝えられていない

    週末のゴルフはやめて、その時間を勉強にあてる
    (この辺の指摘は2022年の今、見ると誠に不思議という感じがする。周囲の近い年代を見ていてもゴルフに興じている人は殆どみない。)

    何歳になっても勉強はできる。勉強を始めるのに、遅すぎることはない。人間は何歳になっても学習によって進歩する動物なのである。

    何の見返りも期待せず、勉強することそれ自体を目的とする。これこそが、究極の「勉強」であろう。
    (自分の子供がいればこの段階に認識合わせをしたい)

    勉強は本来は楽しいものだ。
    理解が深まると喜びを覚える。
    別々にとらえていたものが統一法則で理解できると、誰でも快感を覚える

    人間は「学習」によって他のあらゆる生物を凌駕している。

    ある程度知っていることについて新しい情報が得られると、興味を抱く。
    知識が増えると、興味もます。そして、より深く学びたくなる。
    興味と知識は、連鎖的に広がる

    最初に全体的な概念に触れさせておくと、たとえそれが十分に理解できなかったとしても、それがのちの具体的内容の学習を早める

    学力とは、重要なことに集中できる能力だ

    crucial 大変重要なという意味。ただし、very importantとはニュアンスが異なる。
    「これがないとすべて駄目になってしまう」というような意味)

    学習で重要なのは、crucialなこととtrivial(些細)なことをはっきり区別すること

    何が重要かを把握するのは、きわめて難しい。

    頭の良い子、勉強のできる子は、幹をおさえるのが上手(勉強の苦手な子は、何が要点かわからず、膨大な情報の中で途方にくれる)

    基礎にいつまでも拘泥するな。先に進め。あるいは、使ってみよ。

    勉強は強制されてやっても駄目だ。自ら意欲をもって行わない限り進まない。

    勉強とは、目標と現在の状態との差を埋めるもの

    逆境にある人ほど真剣な勉強をする。目標があるからだ。

    独創的な仕事のためには、納得することが最も重要

    私は常日頃、大学の建物は魅力的でなければならないと考えている。なぜなら、多くの人にとって、大学の精神は、その建物によってしか感知することができないからである。つまり、大学の建物とは、大学そのものなのだ。

    学校の友人は、近くて具体的な目標だから有効なのである。人間は遠い抽象的な目的には集中できない。

    これこそが、学校という共通の場に集まる「スクーリング」の大きな意義だ。通信技術が発達し、パソコンに教育プログラムが送られてくるようになっても、自宅学習で学校を代替することは決してできない。

    「学歴社会」を批判する人が多い。しかし、職業が門閥や親のステイタスで決まってしまう社会の方が、はるかに憎むべき社会だ。そこでは「統治者は永久に統治者であり、兵士は永久に兵士であり、(中略)労働者は労働者に運命づけられている」。教育こそが、そうした状態を打破できるのだ。

    本来必要なのは、学習成果であって、単なる学歴ではないことも、もちろんである

    言葉の学習に時間がかかるのは、止むを得ない。簡単な方法はない。ないものを探しても無駄である。重要なことは、時間がかかってもよいから、確実に効果があがる方法を見出すことなのだ

    英語細胞を生かしておくためには、常に英語を使っている必要がある

    例えばrとlの区別は、日本人には非常に難しい。いくら練習しても、その音だけでは聞き分けられない。これを正しく習得することは大変重要であるけれども、これだけにこだわっていては、いつになっても英語は話せない。他にやることが沢山ある。

    英語で意思疎通できれば、世界は実に大きく広がる
    英語を母語としない人々とも、英語を介してコミュニケーションができる。

    また、重要な本であれば、ほとんどのものが、英語に翻訳してある。だから、英語を読めれば、人類の知的遺産のほとんど全てに接することができるのだ。

    日本ではほとんどの文献や文学作品が自国語で読める。大学レベルの教科書や参考書も日本語だ。もし英語でしか読めないものが多ければ、必死で英語を勉強するだろう。日本人の英語が上達しない大きな理由は、ここにもある。

    残念ながら、受験英語と大学教養課程の英語でいかに良い点をとっても、それで英語が使えることにはならない。それは、教えている内容が不適切だからである。
    大学の英語の授業では、専門分野の事項ではなく、英文学を教えていることが多い。学生は分数の読み方すらわからない。経済学部であれば、経済について英語で議論できるような訓練をしてくれないと困る。日本の英語教育体制は、本質的に見直しが必要だ。

    挨拶は、所詮挨拶である。言葉ができなくとも、にこにこ笑っていればよい。
    しかし、討論は、言葉を武器とする戦いだ。

    一番難しいのは書くことだ(ヒアリング、発音と比較して)

    外国語の勉強は何歳になってもできる。「社会人になってからでは遅いだろう。30歳をすぎたら外国語の勉強は無理だ」などといってはいけない。

    外国語ができれば、退職後、外国に住むこともできる。住宅も生活費も安い。日本の年金で過ごせば、どこにいっても大金持ちだ。問題は、コミュニティとのつきあいと、病気になったときの病状説明である。これらはいずれも、言葉の問題だ。言葉ができれば、人生の可能性は大きく広がるのである。
    (この記述は1995年、2000年だからこそ指摘できた文章だ。悪い円安とも指摘される2022年においては日本の年金で外国で悠々と過ごすなど夢のまた夢となった。日本の経済力がまだ高い時代に書かれた文章であることを感じざるを得ない。なんたること)

    一般に、人間は7つ以上のことを同時に把握することはできない

    膨大な情報を一覧して重要度を即座に評価し、要らない情報を読まないことのほうが重要なのである。

    ビジネス文書は「文章」の体裁をしていなくともよい。箇条書きで十分である。むしろ、その方が読みやすい場合が多い。

    軍隊の行進の際、行き先が知らされていないと、兵は非常に疲れるそうである。逆に、目的地が明確に知らされており、現在地からどれだけ歩けばよいかがわかっていると、かなりの強行軍でも兵は疲れない。このように、目標地がわかっていると、人間は疲れないのである。

    最初から独創的な論文を書こうと思うより、いま多くの研究者が取り組んでいるテーマについて、先人の方法を改良するほうが、少なくとも出発点としては、効率的である。

    学問としての数学は別にして、受験科目としての数学は、あまり高級な学科ではないのである。数学者の数学と受験数学は別のものとして考えるべきだ。
    こう考えると、ガリ勉でもできるのは数学だということになろう。
    (頭がよくないとできないのは、むしろ、国語なのである)


    計算力を養うには、練習以外にない。いつもやっていることが必要だ。毎日の日課にする必要がある。

    パソコンの利用と数学は、ほとんど関係がない
    「文系だからパソコンは苦手で」というのは、全くの見当違いであり、言い訳にならぬ言い訳である。パソコンの機械やソフトを作るには、数学やエンジニアリングの知識が必要かもしれない。しかし、一般の利用者からみれば、こうした知識は、全く必要がない。車の運転に工学の知識が必要ないのと同じことだ。パソコンの場合は、免許すら必要ないのである。

    理解することによって記憶する

    数字を持ち出して議論すると、説得的だ。

    漢字という複雑なものを覚えていられるのも、繰り返して使用しているからだ。その証拠に、ワープロで書いていると漢字の書き方を忘れる。講義で黒板に書いている途中で漢字を忘れるのは、誠に具合が悪い。難しい字ならともかく、非常に簡単な字を忘れてしまう。
    私は、漢字を忘れないために、ときどき手書きをしている。

    (ビジネスマンにとって)覚えておく必要があるのは、仕事に関連する数字と人名であろう。
    「人脈」を作りたいと思うなら、まず、人名を覚える必要がある。
    人名をよく覚えている人は、人しれぬ所で、努力をしているのだ。

    メモを活用すれば、記憶のために余計なワーキングメモリを使わなくてすむ。

    人間が他の生物より圧倒的に優れている点の一つは、外部記憶装置を利用できることである。これは最大限に利用すべきだ。

    「優秀な人材」と「受験秀才」は異なる部分も多い。「受験秀才」はあとになっても必ずしも伸びない。ビジネスの世界でそうであることは、いうまでもない。学問の世界でもそうなのである。

    入学試験は勉強の最終目的ではない。
    大学に入学したとたんに勉強をやめてしまうのでは、入学した甲斐がない。
    勉強は生きている限り続けるものだ。

    読みやすい字を書く
    丁寧に心を込めて書けばよい。投げやりで読みにくいのが駄目なのである。

    面接試験
    答えがわからない場合は、ごまかそうとせずに、はっきりと「わかりません」ということである。「申し訳ありません。知識が不足していました。今後勉強します」というように。

    とくに面接官が複数の場合には、これは非常に重要なことである。なぜなら、面接官のメンツがあるからだ。受験者がごまかそうとしている場合、それを見逃しては、質問者の能力が(他の試験官から)疑われる。だから、追及せざるをえなくなる。こんなことで面接が左右されては困るといわれるかもしれない。しかし、試験官も人間である。しかも、筆記試験の出題者が「試験のプロ」であるのに対して、入社試験などの面接の試験官には素人が多い。だから、彼らの心理には、十分の配慮を払う必要がある。

    (勉強の)現役でいるために、とにかく机に座り、短時間でも読んだり書いたりすることを日常的な習慣動作にしよう。日本の住宅事情だと、若い人が書斎をもつことは難しいかもしれない。しかし、せめて、「自分の机をもつこと」「机の上を物置にしないこと」を心がけよう。
    (この部分は電子書籍の登場で必ずしも書斎が必須にはならなくなった。2022年の今の時代のありがたい点である。ただし住宅事情でいうと1990年半ばより住宅価格は高い。でも給与はあまり伸びていないのが日本の現実だ。なんたること)

    現実世界の問題には、答えがないものもある。

    現実の世界では、重要なこととそうでないことの区別は、必ずしも自明ではない。

    受験では、時間制約内に答えを出すことが絶対の条件である。だから、即答能力が要求される。しかし、学者の場合には、一つのことに飽きずに取り組む能力も必要だ。すばしこさは、時として害になる。

    若い時に詰め込み教育を受けるのは、大変意義があることだ。「創造力のための教育が必要」と言われるけれども、創造は学習からしか出てこない。問題は、詰め込む内容が不適切なことにある。

    カリキュラムが時代の要請にそぐわない原因の1つは、その作成者や教師が、大学で勉強したことにいつになっても執着し、大学を出たあとで新しい知識を吸収していないからではないだろうか。

    学歴万能主義が批判される。しかし、問題の根幹は、労働市場の閉鎖性にある。
    終身雇用制のもとでは、企業の採用の中心は新卒段階にならざるをえない。
    この場合、採用側として最も信頼できる情報は、出身校である。採用担当社は、冒険して失敗すれば、責任問題に直面する。しかし、出身校を頼りに採用すれば、多少間違いがあったとしても、責任を追及されることはない。
    だから、学歴主義を打破しようとすれば、労働市場を流動化させなければならない。

    「大学で教えている内容は、個別のフロー情報としてみるかぎりでは大したことではない」と知ることが、逆説的ではあるけれども、大学で学ぶ最大の効用なのである。

    「ゆとり」を主張する教育改革論者には、教育を受ける権利を子供から奪わないでほしいと訴えたい。

    「落ちこぼれの生徒に暖かい目を」という教育評論家には、能率的な勉強法を教える以上に暖かい方法があるだろうかと問いたい。

    「詰め込みより創造を」という人には、詰め込みなくしていかなる創造もありえないことを指摘したい。

    2022/11/20(日)記述

  • これは良いんじゃないでしょうか。

    全て使えるとは思いませんが、この中から2、3個でも自分に合うものが見つかればラッキーですよね。
    こういうテクニックって知ってて損はないと思います。

    古さは否めませんが、もしこれを学生時代に読んでいたら、もう少しましな進路に進めたはず。

    特に学生さんにオススメ!

  •  著者は「超」勉強法の基本三原則の1番目に「面白いことを勉強する」とあげています。人は誰でも、面白いことに興味を持ち、そこから意欲を持って学習を開始するのです。
     ゆくゆくは、その出発点から始まった学習は、あらゆる分野へ拡大していく可能性を持ち、日々学習に励むものの思考は知的好奇心の拡散が発生するような気がします。
     様々なことに興味を持って学習していきたいものです。

  • 108

  • ベスト・セラーになった勉強法の本です。この本で紹介されている英語の教科書丸暗記法は、音読の重要性を広めるのに大きく貢献したのではなかったかと思われます。

    一方で、いま読み返すと、本書はハウツー本といえるほど具体的な方法論まで落とし込んでいはないという印象も受けました。本書では「基本三原則」として、(1) おもしろいことを勉強する、(2) 全体から理解する、(3) 八割原則(八割できたら次に進む)という項目があげられているのですが、じっさいに勉強を続けていくなかでこの三原則をどのように具体的に実行するのかというのは、読者に任されています。

    もっとも、ただ漫然と勉強を続けるのではなく、効率と目的意識を明確にすることがたいせつだという意味では、ちょうどよい普遍性のあるアドヴァイスなのかもしれません。

  • 本書は5年前に刊行されたベストセラーの文庫版です。私は、へそが曲がっているので、あまりベストセラーは読まないのですが、文庫になったのを機会に読んでみようと思いました。その理由の1つは、英語だけがどうしてもできない人がいて、その人になんてアドバイスしたらいいんだろうと悩んでいたからというものです。さて、本書にはなんて書かれているのか、それは単に教科書を全部丸暗記しなさいということです。そんなこと無理だと思うかも知れませんが、定期テスト前に範囲になっている本文を、20回くらい声に出して読んでみるのです。そうすると何となく覚えられてしまいます。そんなことを読んでいてふと思い出したのですが、私自身も中学生のときは、そういう方法で勉強していました。それで十分点数がとれました。もっとも、高校に入ってからは英語の成績はがた落ちでしたが(留学前、英語担当の先生に本気でおどろかれてしまったくらい)。だから、えらそうには言えないけど、やってみる価値はあると思います。数学の勉強法は、とりあえず浅く広くやってみるということです。自分が今何を勉強しているのか、数学全体の中でどういう位置にいるのか、それを知るのがすごく大切です。これは我々教師の仕事でもあります。それと、どの教科についても言えることですが、常に完ぺきを目指すということはやめるべきです。8割方できれば次に進む方がいいでしょう。なんでもかんでも、基礎を完ぺきにしないと次に進めないのではおもしろくなくなります。そして、やはり最も大切なのは、興味を持って、楽しみながら勉強するということです。まあ、みんなそれができれば苦労はないわけですが。がんばって勉強しているけど、なかなか成績が伸びないという方は、ちょっと立ち止まって、勉強の仕方について考えてみるのもいいでしょう。

  • ノウハウ本が多い著者が受験生向けに数学、英語、国語の勉強法を書いた本ですが、ビジネスマンの私たちにとっても全く無縁の本ではありませんでした。仕事をする中での文章、数字などの覚え方など、面白く読みました。リーベぼくのお船(化学の時間)など、懐かしい覚え方も沢山登場します。

  • 勉強の仕方について、学ぶべき点がよくまとめられている。

  • ・分かりやすく書く
    名文を書こうと思うな。分かりやすく書け。

    ・分より先に論理
    文章を書く場合に最も重要なことは、論理の流れをはっきりさせることである。分を推敲する前に論理を固めよ。

    ・歩くことは、勉強の最良の友

    ・ワーキング・メモリを解放する
    余計な心配ごとは追い出し、ワーキング・メモリを勉強にあてよ。

    ・勉強によって可能性が開かれる。

  • 勉強法について、著者の経験に基いて書かれた本。英語、数学、国語、暗記法、受験というカテゴリーでどのようにアプローチすれば効率よく習得できるかということに重点が置かれている。確かに、知らず知らずながら、自分が取っていた方法が記述してある部分もあり、共感を持てた。ただ、国語編では、英語編や数学編での勢いが感じられなない。個人的には、国語は、特に勉強するものではないと思うので、まあいいんだけど。暗記法では、長いもののほうが覚えられるというのは、ひとつためになったかな。短いもののほうが、覚えるのに要する容量が少なくて済むと思っていました。確かに当たっている気がした。8割原則は、有る意味当たっているんだけど、同じレベルのものを同じ理解度で進んでいったら、結局成長はないんじゃないだろうか?そこのところももう少し突っ込んで書いて欲しかったなぁ。

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著者プロフィール

1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業。64年大蔵省入省。72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授(先端経済工学研究センター長)、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授などを経て2017年9月より早稲田大学ビジネスファイナンス研究センター顧問。専攻はファイナンス理論、日本経済論。ベストセラー多数。Twitterアカウント:@yukionoguchi10

「2023年 『「超」整理手帳 スケジュール・シート スタンダード2024』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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