ストレンジ・デイズ (講談社文庫)

  • 講談社 (2000年8月10日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (400ページ) / ISBN・EAN: 9784062649148

作品紹介・あらすじ

私の中には等身大の虫が棲む!
雨の夜、深夜のコンビニで出会った反町とジュンコの奇妙な日々……。

絶望から狂気へと向かっていた反町は深夜のコンビニで天才的な演技力をもつ巨大トラックのドライバー・ジュンコに出会う。ゆるぎない眼差しをもつ彼女は血管の中にサナダ虫のような等身大の異生体を宿しているという。そして、2人の奇妙な生活が始まった──。現代社会の病理を予見する村上龍の傑作長編!!

みんなの感想まとめ

現代社会の病理を描くこの作品は、絶望から狂気へと向かう主人公と、奇妙な才能を持つトラックドライバーとの出会いを通じて、希望と絶望、妥協を織り交ぜた物語を展開します。主人公の無力感や、周囲の「ヒーローで...

感想・レビュー・書評

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  • おじさんの自分探し(笑)
    トラックドライバーの美女設定とか、その子は露骨な性描写を免れるとか、傑出した人を惹き付ける力があるとか、Kyokoに似ている。
    著者の考える現代の妖精に、願望を託す、的な。
    サナダムシの比喩は、あんまりしっくりこなかった。

  • 空回りしそうなジュンコの才能と、無力で無能と嘆く主人公の憂鬱。そしてそれを取り巻くあまたのヒーローでない人々の、希望と絶望と妥協が繰り返される象徴的に平凡な物語。

    そのような中で出てくる「必死というのは死ぬほどがんばるという意味ではなくて、それを達成しないのは死ぬことと同じだということなんじゃないか」という考察と、最後の「感じとしては悪くない」という台詞。こうやってなにかをどうにか信じて、みんな今日も歩いているのだろう。しっちゃかめっちゃかにも感じる構成ながら、風刺も提言もなくそのエピソードを「そっと置く」感じは、村上龍作品で匂いがちな理屈っぽさや説教臭さがあまりなく、かえって大人の余裕を感じるような。

  • 何が悪くないんやろうか。
    悪くないと思うことでやり過ごしたかったんやろうか。

    多層な心理描写が面白かった。この小説に出てくるような現実には出くわしたことはなくても、似た感情を知っているような感覚があった。

  • この小説で描かれているのは「演技」ではなく「不安」である。 単に演技を描くのであれば、劇団や舞台にしてもいいし、 実際に映画に関わるシーンまで書いてもいいはず。 本作では「演技」は「不安」を描く「手段」である。 そして不安とは現代の病理であるとされている。 変化を求めていながら変化の兆候が表れると踏み込めない、 これは無力とされているが根底には不安がある。 終わり方にはやや不満があるが、これ以外だと もっと不満だったかもしれない、という予感がある。

  • 最初はワクワクしたけど、中年の男の虚無感を物憂げに語っている様、自分だけが本物を知っているというような盲目的な傲慢さに全く共感できず。価値観が古い。

  • 村上龍らしい狂気な描写が見え隠れして序盤は良かった/ それにしても序盤で積み上げた設定を後半で思い切り切り捨てた/ ビデオ屋のジーサンとか小説家とか、映画とか、本当はもっと違う展開を想定していたはずだ/ あの展開と締め方はいただけない/ 途中でやる気がなくなったとしか思えない/ 竜頭蛇尾

  • 村上氏のわかりづらい方の小説。
    急に仕事がイヤになって気を病んで家族とは別居。そんなときに出会った女性を起用して映画を作ることが自分が本当にやりたいことであるのに気づく。で、映画を撮るための試行錯誤と言うか、資金を捻出する前段階で話は終わる。
    私にはわかりづらく理解もしがたく何も感じなかったので巻末の解説に救いを求めたが、解説がひどい。

  • 家族との関係も、仕事にも絶望していた反町は深夜のコンビニでトラックドライバーのジュンコと会う。彼女の魅力に気づき、彼女を愛し、反町は彼女を主人公として映画を作ろうとするが。。。言葉にしない日本的な曖昧さの中から、各自の最優先事項を見つけていくとストリーとなっている。主人公の反町は周りの人物のことを冷静に分析できるが自分自身のことは曖昧なままで物語のラストでもなんかしっくりこなかった。自身の無力さを感じながら終わる。逆にジュンコはこの後自分の道を見つけていくんだろう。反町(男)は消耗品なんだろうなあと。もっと希望的に考えれば、40代の男が一度リセットして、新しい始まりとも取れるかもしれないね。

  • 個人的には村上さんには珍しく、終わりに歯切れを感じなかった。
    それは、ソリマチさんに対する自分の感情移入がゼロだったことに起因すると思われる。
    人生40年を過ぎてから気付く自分の無力感、まだそちら側の人間になりたくないと思う。

  • 迷走したまま終了笑

  •  小雨の降る深夜、コンビニで大型トラックのドライバー・ジュンコと、生きることに疲れた果てた中年の反町が出会うところからストーリーははじまる。より過激に二人の爆走がはじまることを期待して読みすすめるが、期待はみごとに裏切られた。

  • サナダ虫、女トラック・ドライバー、ロール・プレイ、憂鬱、無力感。
    村上龍は好きだけど、こっち系は面白さを見いだせない。

    「何十回何百回と自分で組み立て繰り返し自問して成立した考え方だけが言葉を慎重に選びその組み合わせを厳密にして理論性を得る」

  •  村上龍の日本語は天才的、どれを読んでもいつもそう思う。わりとノスタルジーに富んでるとこがリアリストの龍先生にしては珍しい、気もする。それはまず本気で丁寧に作られていた昔の楽曲がタイトルになってるとこがまさにそう。

    「もっと単純なことなのにね、みんななんとなく寂しくて、ものすごくつまらないものしかまわりにないっていうだけなんですけどね」p.250

     希望とか前進とかをばかにしてるんだけどどっかそれに根差していて、というのは人間はじゃないと泣けてくるから、なんかな。真の自己啓発っていうか純度の高い意識高い系っていうか、でもある意味そうすると反転して一般とか民族とかカテゴリーといつのまにか究極的に対峙していて、よくわかんないけど、まあ相変わらず圧倒的で、良かった。
     なんか言ってることわかる気がすんだな。
    (巻末解説は、だるくて全部読めなかった)

  • Kyoko のはじまり

  •  つい先日、旧友の結婚式に出席した。緊張した表情の新郎と感謝の涙を拭う新婦の姿が印象的な、とても素晴らしい感動的な式と披露宴だった。

     結婚式に出席した次の日は、決まって憂鬱になる。それには色んな理由があるのだろうが、一番の原因は、自分が「諦めなければならないこと」を、現実的に提示されてしまうからなんだと思う。

     十年以上前に書かれたこの小説をこのタイミングで読めたのは偶然でしかないのだろうが、そこに必然性を感じてしまうほどに救われるような内容だった。

     作中の後半で、主人公が二人の登場人物から諭されるようなシーンがある。「もし何かを達成しようと本気で思うのなら、それに必要なもの以外は極端なまでに捨ててしまわなければいけない」という風な台詞と、「もしやりたいことがあったら、それをできない自分は死ぬことと同じだと考えること、できない自分を想像し、徹底的に憎むこと。それが【必死】ということ。死ぬほど頑張るということじゃない。できなかった、だから死にます、というのとは違う」という台詞だ。

     同郷の旧友の結婚式に出席して、彼らの仕事の実績や職場内での期待感などを耳にすると、なにも達成できていない自分自身に対して、卑劣な同情のようなものを感じてしまう。それは事実だ。

     何かを選ぶということは何かを捨てるということ。それはとてもシンプルな真実だ。シンプルだからこそ残酷でもある。【諦める】という言葉は【明きらむ】という言葉から派生したそうだが、まさに、自分の意志で今後の道を明らかにしていくことと選べるはずの他の選択肢を放棄することは同義なのかもしれない。

     著者は才能について【危機感にささえられた意志】であると定義していた。個人的に僕は、【才能】という言葉を信用していない。それは他人によって定義されるべきもので、自意識では取り扱えない概念だからだ。

     自ら扱えるものであるはずの意志。そして飢える状況に身を置くことによって発生する危機感。それらがかけ合わさったものを【才能】として定義するあたりが、この作家を好きな理由なんだな、と改めて思った作品だった。

  • ちょっと内容うろ覚え。

  • ジュンコに夢中になった。

    が、

    もりあがってきた所で残りのページ数がすごく少ない・・・・

    どうやって終わるのか・・・

    終わった、いきなり終わった感じ。


    話が面白かったのでもうちょっと読みたかったな~

  • 自らの無力感を感じ、妻子と別居し、大量のCDやレコードを捨て、酒に溺れる中年男ソリマチと、長距離トラック運転手で寄生虫妄想を持ち、恐ろしい演技力を持つ女性ジュンコの2人が出会い、映画を作ろうとする話。

    共生虫なんかでも取り上げられてる寄生虫妄想ってなんか好きです。


    ちなみに本作の各編は、ドアーズやベルベット・アンダーグラウンドなんかの曲名が付けられていますが、内容にはあまり関係がないような気がします。

  • 村上龍の『ストレンジ・デイズ』を読み終えました。

    題材が、後に発表された『共生虫』と同じなんですが、自分の人体(ここでは血管の中)に「もう一人の自分」が宿り、その得体の知れない「何か」を通じて、自分の生き様を見つめる話です。

    『共生虫』の場合は、そのダークサイドが凶暴化する話ですが、『ストレンジ・デイズ』はだいぶ違いました。こっちの方が好きです。

    そもそも僕は「もう一人の自分」みたいな話は結構好きなんです。私感ですが、一人は【理性】で、もう一人は【欲望】だと思ってます。

    このまま、この作品に当てはめると、主人公の反町は、40歳過ぎて、社長にもなったし、家族にも恵まれている。ある程度成した人間が、「憂鬱で退屈」な倦怠期を迎えるのはごく普通ですが、ある女性との出会いを通じて、自らの【欲望】に気づき、成し遂げたいという渇望にとって不要なものは全て排除していきます。

    しかし、何をやるにも、【理性】が【欲望】に問いかけ、叫び、罵る訳です。そんな心の葛藤に苦しむ場面がたくさん出てきます。ここではサナダ虫って呼ばれるその生き物については、不思議な幻覚とか、ジャンキーの後遺症とか、鬱病から生じるものでは無いと、かなり早い段階で否定していて、それよりも、普通に生きてたら気づかないかもしれない、本来やるべきことや、やりたいことを実現させる手段に向き合って行動する意味とか、決して無力なんかじゃないんだからっていうメッセージは伝わりました。(違うかも知れんけどね・・)

    でも、やっぱりロールプレイとか、チャイルドポルノとかの話が散りばめられているところが、村上龍らしくて面白い。

  • 自分にとって本当に必要なものを捜すこと
    不要なものを徹底的に排除すること
    物事をよく観察すること

    どれも学校生活や友達付き合いにおいて必要のないこと
    もしかしたら日本以外の国ではそうじゃないのかもしれないが、日本という国にいる以上はそうなのだ
    上の3つはいわば孤独への道
    いずれ何かを捨てなければならなくなる
    それも「自分はそれを捨てた」と思い知らされる方法で

    ジュンコは常にそうして生きてきた
    反町も、ジュンコとともに生きるならその道を選ばなければならなかった
    でもそれが「生きる」ってことじゃないのかな
    逆らわないまま流されるのと生きるのとはそれこそ雲泥の差がある

    生きていくこと

    自分で選び捨てるということが、次の選択につながっていく
    そうやって人は生きていく
    そうした生き様が見えてとてもおもしろかった
    勇気をもらった

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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