天風の彩王 上: 藤原不比等 (講談社文庫 く 1-30)

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  • Amazon.co.jp ・本 (439ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062649902

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  • 鎌足の子、史(不比等)は天智天皇の子供だが、それを告げられず、山科の地で田辺史大隅に養育される。鎌足が亡くなり、政変(壬申の乱)が起こると、史は一時逼塞するが、鵜野讃良皇女(持統天皇)ら女性の信頼を得るなど巧みな処世術で徐々に頭角を現していく。藤原氏の基礎を築いた不比等の出世物語。史の先を読む能力の高さと意志の強さに脱帽。

  • 天智と中臣鎌足が築いた近江朝は壬申の乱により大海人皇子(後の天武天皇)に倒される。鎌足の子・不比等は山科で戦乱を逃れたが、中臣氏を疎む天武は、不比等に出世の機会を与えなかった。だが彼は、知謀と強運を武器に昇進をとげ、律令国家の基礎を作っていく。古代史小説の第一人者が描く凄烈な男の実像。

  • 700年ごろ。藤原鎌足の次男である不比等の物語。不比等は天武朝と戦った大友皇子の父天智天皇の側近鎌足の子として生まれ,天武朝ではその才を認められつつも不遇の日を送っていた。陰では天智の子供ではともささやかれていたという。
    しかし,鎌足譲りの策謀で次々と持統皇后,その子供の文武天皇に近づき,類まれな才覚により寵を得,政界に躍り出て,いつのまにか誰も立ち打ち出来ない寵臣になった。
    自分の子供である宮子を文武の夫人とし,のちの聖武天皇が生まれ,聖武の妻には,これまた自分の子供である安宿姫(あすかひめ。のちの光明皇后)を送り込んだ。藤原氏による天皇家の略奪の感さえある。
    不比等は蘇我氏のように豪腕で有無を言わさず競争者をねじ伏せたという方法で政界トップに座ったのではない。
    敵意を示さない者は味方に取り込み,皇親勢力にはあくまでも低姿勢で丁重に接する。思い上がった態度を見せず,批判の槍を交わすといった感じである。
    これは,やはり大友皇子や大津皇子の死を目の当たりにし,どんなに勢力を得ようが,思い上がると直ぐに足をすくわれかねないという現実を常に見てきた不比等の自己防衛本能が働いたものであろう。
    蘇我氏も藤原氏も実質では日本を支配した豪族では同一視されようが,藤原氏はより政略チックであり,そのため陰湿なようにも思える。
    それは律令政治というものが日本に入ってきたため,これまで以上に武より学が重視されてきたためといえよう。
    全2巻

  • 全2巻。

    大昔。
    ほぼ藤原氏の祖の人。
    地味だけど。
    こっから平安時代の藤原氏になってくのね。
    でもあんまダメ貴族じゃない。
    最初は。
    やっぱり。

    何かこの人のはいっつも変な感じ。
    小説として文章はあんまりなんだけど、
    なんか読んでしまう。
    不思議。
    主人公がモテモテだからか。
    いつも。

  • 飛鳥
    藤原不比等

  • 大化の改新で蘇我入鹿を倒して一躍歴史上の舞台に踊り出た中臣(藤原)鎌足の子、不比等の話である。
    藤原不比等は、父・鎌足に比べると、以外と知ってる人が少ないかもしれない。
    大化の改新は645年の出来事だが、不比等が歴史の表舞台に登場するのは、700年前後であり、時代も、天智・天武朝を経て持統天皇の時代である。
    鎌足は、天智と天武の仲が悪くなりだした頃に死に、その後兄弟の仲は次の天皇位問題で仲が悪くなり、天武は吉野へ隠遁し、天智の死後、息子の大友皇子が位を次いだが、間もなく天武は挙兵し、壬申の乱が始まる。
    物語は、この少し前の時代に遡って、不比等の少年期から始まるのだが、作者は持統朝に急に台頭し、位人臣を極めた不比等の出生の秘密などを推理して、不比等の非凡な才能や魅力、不遇の中で如何にしてのし上がっていったかを巧みに描いている。
    黒岩重吾は、栄華を極めながらも滅びていかなければならない人物をよく取り上げていて、その男の滅びの美学のような感じで描かれた作品が多いのだが、今回は珍しく、どん底から身を起こし、後の藤原家の栄華の基礎を築いた人物を取り上げている。
    先にも述べたが、藤原不比等の前半生は、謎に包まれている。
    歴史上に初めて登場したのは、彼が31歳の時で、持統天皇の時にこの年齢で判事の役職についた事が記録されている。それ以前の記録は、一切ない。
    父の鎌足は、死ぬ間際、天智天皇から大織官と言う、臣下では最も栄誉ある位を貰い、尚且つ、藤原の姓も貰った。不比等はその子だから、歴史上に登場して、位冠があがっていくのは当たり前のような感じがするが、壬申の乱で勝った天武側からしてみれば、天智の寵臣だった鎌足の子は、敵側の人間と言う事になる。
    壬申の乱の時に不比等は少年だったので、彼の動向の記録はない。
    作者は、作品では、中立の立場をとらせているが、戦終了後、天武から嫌悪され、学識が高く、有能であるにもかかわらず、30歳まで用いられなかったようだ。そんな不遇時代に、勉学にいそしみ、自分に力をつけ、強靭な精神力に鍛え上げ、
    持統天皇に気に入られたのを機に、チャンスを最大に生かし、権謀術数を使い、徐々に階段を上り詰めていく様が、よく描かれていた。また、この時代は、律令政治への移行期でもあり、時代の変革期だった。倭国から日本国と言う呼び名に変り、時代は古代から奈良時代へと向かっている。戦の時代から政治の時代になり、新しい時代についていけない武功派はどんどん、取り残され、これまでの身分に関係なく、有能な人物が登用されていく時代でもあった。壬申の乱は関が原の不破の関だし、なんだか戦国から江戸への変化と、ちょっと似てるかも。
    今回の作品では、まず不比等の出生の秘密が一つのカギになっている。鎌足の子となっているが、その出自は謎である。鎌足は、天智から彼の愛人を何人も貰い受けているので、不比等の母もその中の一人であり、既に天智の子を宿していた可能性も
    高いと言う事が、作品の中で示唆されている。だから、不比等は、もしかしたら、天智天皇の子供かもしれない、そんな仮説からこの話は成り立っている。作者は、そうすれば、天武の時に不遇だった不比等が持統朝から目覚しい採り立てで出世して
    いくのも頷けると解釈したようだ。持統天皇とは異母姉弟という事になる。
    私にとっては、ちょっと無理があるのでは?って感じもしなくはなかった。
    だが、人間臭さとか、生臭さとか、そういう雰囲気が黒岩作品にはあって、単なる歴史小説と言うよりも、人間ドラマって感じで、グッと話に引き込まれて一挙に読んでしまい、読後はそれこそ大河ドラマでも見終わったような気分になる。

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著者プロフィール

1924-2003年。大阪市生まれ。同志社大学法学部卒。在学中に学徒動員で満洲に出征、ソ満国境で敗戦を迎える。日本へ帰国後、様々な職業を転々としたあと、59年に「近代説話」の同人となる。60年に『背徳のメス』で直木賞を受賞、金や権力に捉われた人間を描く社会派作家として活躍する。また古代史への関心も深く、80年には歴史小説の『天の川の太陽』で吉川英治文学賞を受賞する。84年からは直木賞の選考委員も務めた。91年紫綬褒章受章、92年菊池寛賞受賞。他の著書に『飛田ホテル』(ちくま文庫)。

「2018年 『西成山王ホテル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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