メルロ=ポンティ―可逆性 (現代思想の冒険者たち)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 4
  • Amazon.co.jp ・本 (341ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062659192

作品紹介・あらすじ

対立から共存そして侵蝕へ現象学を再生させるやわらかな思想。

感想・レビュー・書評

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  • 地元の図書館で読む。読みやすい文章です。しかし、全く理解できません。これは、僕の能力不足に由来します。面白いエピソードがない人物です。これは当り前です学者に、面白いエピソートを求めること自体間違っています。本体も全くわかりません。ここまで、意味不明なのは初めてです。

  • 鷲田清一によるメルロ=ポンティ概説書。噛み砕く、というほどではなく、多分、内容はあまり簡単になっていなくて分量を上手く減らしながら、先行研究から照らしてつないでいるのだろうと思う。
    面白かったが、それなりに力を込めた、集中した読みを要求される感じがある。すぐにではないが、また読み返そう。

  • 本書は単なる入門書ではなく、メルロ=ポンティの思想の解説と、それに対して加えられる著者のコメントとが有機的に絡み合い、ハーモニーを響かせている。鷲田清一の読者にはおもしろく読めるだろうが、メルロ=ポンティの思想そのものに関心がある向きにはやや微妙か。「スティル」(style)の概念などを軸とする中期の思想について比較的詳しく解説されている点が特徴的。

    前期のメルロ=ポンティの思想は〈身体〉を軸に展開される。ただし彼のいう〈身体〉は、単に主観性の事実的な存在様態を表わす概念にとどまってはいない。たとえば、言語は思考の外皮でもなく衣服でもなく「思考の身体」だといわれるように、主観性の経験だけでなく思考一般、あるいは歴史的な文化一般を取り巻く前反省的な地平を意味している。

    こうした拡張された意味での〈身体〉の次元への探究が、中期以降ではよりいっそう顕著となる。メルロ=ポンティにとって「現象学」とは、「思考されない母胎」がそのつど思索の現場において裁ちなおされ編成されてゆく場面に居合わせることにほかならない。「スティル」とは、この場面で直接与えられているさまざまな事物のある系統的な「偏差」のことである。たとえば言語表現や絵画表現において、テクストや画面の構成要素の一つ一つがある特有の偏差を示すことで、テクストや画面に散在している潜在的な意味がある共通したヴェクトルの下へと収斂してゆく。中期のメルロ=ポンティは、こうした表現の「スティル」にまなざしを注いでいたのである。

    後期のメルロ=ポンティは、「思考されない母胎」を厚みをもった「肉」と呼び、それをみずからの思索の中心に置いた。ただし私たちのまなざしは、そうした存在の根源へと届くことはない。メルロ=ポンティがめざしていたのは、あくまでも存在が「裂開」する場面に居合わせることだった。

    後期のメルロ=ポンティは、「肉」を大文字の「存在」(l'Etre)として扱ってさえいる。だがこのことから、ただちに彼の思想を独断的形而上学と結論づけるべきではない。「哲学とは、捕らえることと捕らえられることとを、あらゆるレヴェルで同時に体験することなのである」という彼の言葉が示しているように、存在の裂開についての思考が存在の裂開として起こる、その現場に立ち続けることが、彼の現象学なのである。

  • 鷲田先生だったか。懐かしい。

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著者プロフィール

1949年生まれ。京都市立芸術大学学長。せんだいメディアテーク館長。哲学者。臨床哲学を探究する。著書に『現象学の視線』『モードの迷宮』『じぶん・この不思議な存在』『ぐずぐずの理由』『聴くことの力――臨床哲学試論』などがある。

「2018年 『大正=歴史の踊り場とは何か 現代の起点を探る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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