- Amazon.co.jp ・本 (279ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062659291
作品紹介・あらすじ
『薔薇の名前』はなぜ書かれたか。ポストモダンの混沌とした現代に開かれていく記号論の可能性。
感想・レビュー・書評
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【簡易目次】
まえがき [001-004]
目次 [005-007]
序章 哲学者にして小説家 011
第一章 中世からの出発 033
第二章 TVとアヴァンギャルド 059
第三章 記号論へ 101
第四章 物語をめぐって 151
第五章 小説家として 177
第六章 ヘルメス主義に抗しつつ 211
終章 グラシアンとエーコ 239
略年譜 [249-254]
主要著作ダイジェスト [255-259]
『トマス・アクィナスにおける美学問題』
『開かれた作品』
『記号論』 I ・II
『物語における読者』
『記号論と言語哲学』
キーワード解説 [260-263]
読書案内 [264-267]
あとがき [268-271]
索引 [272-280]
奥付 [281]
現代思想系統図 [282-283]
・メモ:シリーズ一覧(30冊)
[https://seesaawiki.jp/bookguide/d/%B8%BD%C2%E5%BB%D7%C1%DB%A4%CE%CB%C1%B8%B1%BC%D4%A4%BF%A4%C1]
・このシリーズについてやや詳しいサイト
[https://www.asahi-net.or.jp/~KC2H-MSM/pbsb/pbsbb007.htm]詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
借り物
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所在:紀三井寺館1F 請求記号:Browsing
和医大OPAC→http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=20911
訃報に接して繙いてみたところ、ずっと難しいと思っていたエーコの思想が、完全に理解できるはずはないけれど、とても刺激的だな、自分もそう思うな、という部分を発見できて良かったです。
『開かれた作品』や『物語における読者』について書かれた部分は、本好きとしてはかなり興味深い。「開かれた作品の自覚が顕在化するのは、十九世紀後半の象徴主義において」であるとして、エーコがマラルメの次の言葉を引いていたのは、なるほど…と感じました。
「詩の楽しみは、少しずつ推察していく幸福から成る。すなわち、事物を暗示すること(……)そこにこそ夢がある」
たしか上田敏『海潮音』を読んだとき、マラルメが象徴詩について語った言葉が美しくて印象に残っていたのです。「暗示は即ちこれ幻想に非ずや。這般幽玄の運用を象徴と名づく」(上田敏『海潮音』より)
読者が物語を多様に読みといていくこと、読者の自由な参加を呼びかける「開かれたテクスト」という考えは、今では当たり前のものになっているのでしょうか?
たぶんエーコの著書そのものはとても難しいだろうと思うのですが、<現代思想の冒険者たち>シリーズは、噛み砕いて解説してくれているので有難いです。
(スタッフN) -
中央図書館で読む。再読です。残念ながら、何の記憶もありません。いつ、どこでという記憶がないだけではなく、中身も記憶がありません。この哲学者の映画を見たことがあります。読みやすい文章です。多くの哲学関係の本は、そんなことを感じません。珍しい例です。音楽の問題に興味を持ちました。演劇は、劇作家の意図を読み込んで、新たな作品を創造するのです。それに対して、音楽は、楽譜をなぞるだけである。これには、違和感を持つ。指揮者の意図は入らないのだろうか。ここら辺は、生きている世界が違うような気がする。浴びるように、CDを聞く僕らの世代とは違う。楽譜は全てではない。それにしても、この手の本を読む気になったのはいいことです。理解できる、できないはいいのです。そのうち、どうにかなります。別に、専門家ではないのですから。もう少し丁寧に読む必要があります。読む量を減らし、精読する必要があります。
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これから読みます。