ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 (講談社+α新書)

  • 講談社 (2012年4月20日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784062727563

作品紹介・あらすじ

19世紀の終わり、ニーチェはこの先、2世紀がニヒリズムが徹底されていく過程と予言しました。その予言は的中。あらゆる「真理」の根拠を失った近代人は、ますますおかしな袋小路に閉じ込められるようになりました。政治やJポップ、グルメ、経済などを素材に、「なぜいまの世の中はおかしいのか」を明らかにしていきます。B層=近代を妄信するバカの行動パターンを分析することで、今の時代の病を浮き彫りにします。

みんなの感想まとめ

現代社会の問題を鋭く分析する本作は、特に「B層」と呼ばれる人々の行動原理に焦点を当てています。著者は、ニーチェの思想を基に、現代のニヒリズムがどのように私たちの生活に影響を与えているのかを探求し、政治...

感想・レビュー・書評

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  • B層とは、グローバリズムや改革といった近代的な価値観にPOSITIVEでありながら、IQの低い大衆を指すらしい。そして、日本は、政治家も含めて社会のB層化が急激に進んでおり、その意味でニーチェの説く終末論に近い。それは認めましょう。作者の適菜収がこきおろす野田も小沢も橋下も原口も、君の言うとおりの人物でしょう。でも、ニーチェは、ボクらの社会が、今後どうすべきかを語ってくれない。本書は、ボクは「A層だから違う」って思いこめる、限りなくB層に近い行動様式をもった「あなたの嫌いな」一般大衆の知識欲を満たすだけの批判本にすぎない。

  • 著者・適菜収氏の立ち位置は、A層あるいはC層のつもりだろうか。著者が取り上げる話題や、その書きっぷりが、何だかB層のノリのような印象を受ける。
    呉智英氏は著者の兄貴、いやオヤジのような存在。Amazonのレビューに「呉智英氏なる人は、バカが苦労して悧口になった人である。だからバカのバカさ加減がよく分かる」(村上徹氏)という名言がある。同じ論法で言えば、「適菜収なる人は、B層が苦労してB層から脱出した人である。だからB層のバカさ加減がよく分かる」という感じになろうか。
    そういう意味で、深いところでB層であろうと思われる著者が書いた本書を、明らかにB層の私が面白がって読んでいる。この辺が、本書の妙味の一つと言えるかもしれない。『ゲーテの警鐘』も同様である。大仰にゲーテやニーチェを担ぎ出すところにも、私の誤解かもしれないが、B層っぽさを感じてしまう。適菜氏の本は娯楽として面白いのでいっぱい買ってしまった。
    誤解のついでに言うと、B層は大勢いるが、A層・C層はいるとしても希少で、現実的にはいないも同然。現実は、B層がB層を支配しようとして、B層同士が対立・抗争し合っているように見える。A層がB層を操っているそうだが、その気になれば、B層はA層やC層を簡単に抹殺できるだろう。

    以下、思いつくままに雑感を書きます。

    ● 本書に載っているかどうかわからないが、ニーチェの言葉に「自分に命令する力のない者ほど、自分を命令する者を求める」(「悦ばしき知識」)がある。ゴチャゴチャいろいろ言うよりも、この一言がB層の私を単純明快に表現している。B層は自己相対化ができないから、自己制御もできない。そして他力本願になる。

    ● 放っておいてもよいことなのに、著者が執拗に(p133~p141にかけて)三島憲一というニーチェ学者をコキ下ろしている。、三島氏のニーチェ解説本は小難しいので、B層の私は読めない。適菜収氏や白鳥春彦氏のエンタメ本あたりがちょうどよい。

    ● 本書に載っているかどうかわからないが、ニーチェの女性観とその結果としての悲惨な女性体験は、とても愉快である。工藤綏夫氏の『ニーチェ』(センチュリーブックス―人と思想22)に次のように書いてある。

    <ニーチェにとって女性とは、ギリシア市民たちの女性観がそうであったように、愛の対象というよりはむしろ、男のために家政をととのえ、強健な子どもを生み育てるという使命を果たすべきものであった。この使命を忘れて男女の同権を主張する女史たちは、自分が欠けていることを自認しているようなもので、愚劣極まることのように思われた。こうしたニーチェの女性観は、『ツァラトゥストラ』第一部の中の一章、「老いた女と若い女」の中で率直に表明されているが、ここでニーチェは、登場人物である老婆の口を介して、「汝が女のもとへ行くときは、鞭をたずさえることを忘れるな」と主張しさえするのである。こうした女性観を持つニーチェが、女性の愛情をかち得るということは、至難のことであろう。>

    また、ネットでこういう記事も見つけた。

    <ニーチェの女性恐怖症は、彼の人生に深い影を落とした。特に有名なのが、ルー・アンドレアス=サロメとの関係。才色兼備のロシア系女性である彼女に、ニーチェは激しく恋をした。 しかし、いざ告白の場面になると、ニーチェは自分で直接想いを伝えることができなかった。代わりに友人のパウル・レーを仲介役として立て、まるで中学生のような間接的なアプローチを取ったのだ。結果的に、この三角関係は破綻し、ニーチェは深い失恋の傷を負うことになった。 さらに驚くべきことに、ニーチェは生涯で女性に直接プロポーズしたのはわずか2回だけ。しかもどちらも断られている。「人間は自分を乗り越えていかなければならない」と説いた哲学者が、恋愛においては自分を乗り越えることができなかったのだ。>

    さらに、上と重複する内容だが、次のようなニーチェの解説もある(白鳥春彦氏の『この一冊で「哲学」がわかる!』の抜粋)。

    <ニーチェが聖書を読み間違えていたことは本論で述べたが、彼はふだんから思い違いの多い人間だった。
    あろうことか、ニーチェは自分がドイツ人ではなく、ポーランド人であると思い違いをしていた。
    貴族階級が偉大な文化を作ってきたという主張も思い違いである。文化興隆に貢献したエリザベス、メディチ家などは中産階級出身だし、多くの偉大な芸術家らも中流階級出身である。
    著書『悲劇の誕生』に見られる、宗教改革がディオニュソス的であり、ルネッサンスがアポロン的だという解釈も思い違いとしか思えない。
    ニーチェは哲学をするにふさわしい冷静で論理的な人ではなく、はなはだ感情的な人物だった。気に入らなければ烈火のごとく怒り、暴君的に振る舞い、」そして社交界では礼服一着をダメにするほど激しくダンスをした。
    自分の欲望に関しては、性急に答えを欲しがった。31歳のときに休暇先のジュネーブでたまたま知り合った女流音楽家マチルダと数時間一緒にいただけで、自分と結婚してくれという手紙を書いた。
    「あなたは私の妻になりたくないでしようか。私はあなたを愛しているし、私にとってはあなたがすでに私のもののような気がするのです」
    マチルダから断りの返事を受け取ってから、ニーチェは友人に、「女性は私についてくるほどの自由な精神を持ち合わせていない」と語った。
    38歳のとき、ニーチェはローマで21歳のルー・サロメという女性と知り合う。ルー・サロメは後にリルケやフロイトと親交を結び、いくつかの著書を持つ思想家となる女性である。
    ニーチェは「私には彼女が必要です!」という手紙を友人に書いた。ニーチェと彼女とパウル・レーという友人との三人で約6週間をライプツィヒで過した。
    ニーチェはサロメに「あなたのおかげで、人生で最も美しい夢を見た」という手紙を書いた。彼女に会えなくなると、口をきわめてサロメを罵倒した。こういう性格では、女にもてるはずがない。
    ニーチェは病気だった。年間で200日間頭痛に悩まされた時期もあった。そして、多くの人がニーチェを批判した。
    ついに発狂して精神病院に送られたニーチェを、年老いた母が引き取りに来た。しかし、ニーチェにはいいところもあった。特に、ピアノ演奏は素晴しいものだった。>

    こういう苦労があって、ニーチェは恋愛コンプレックスに悩み、それを克服して大きくなったらしい(【参考1】を参照願う)。ニーチェのドタバタ人生を観ると、彼も「B層が苦労してB層から脱出した人である。だからB層のバカさ加減がよく分かる」という部類と思われる。

    ● 別の著書(呉智英氏あるいは山崎行太朗氏との対談本)で、著者はB層が信奉する民主主義を「衆愚政治」と見做し、「プラトンの哲人政治」を称揚している(カン違いならお許し願う)。しかし、「プラトンの哲人政治」にも問題点があるようで、「Yahoo!知恵袋」に次のような解説が載っている。

    <教育が普及し情報化された現代においてもやはり直接民主制は衆愚政治になりやすいと思います。ある資質の高い人間が政治をすべきという発想自体は問題とは思いません。しかし、哲人が自分で哲人を名乗っても仕方がない、結局権力は必ず腐敗するということで、独裁政治になる恐れが大きい。それでも、プラトンとしてはアテナイの民主政に嫌気がさしていた面があるんじゃないでしょうか。
    プラトン自身「哲人王」は現実的でないと考えたのか、晩年の著作『法律』では少数の優れたメンバーによる「夜明け前の会議」という集団指導体制について述べています。それでも、メンバーの要件は非常に高く理想主義的です。
    結局、問題点は実行の可能性に乏しいことです。>

    そういうものだろう。プラトンは、B層にはできそうもないこと、無いものネダリを語っている。ユートピア思想であるプラトン哲学が、威張り散らしていた中世キリスト教の神学に影響を与えたこと、また、ナチス指導者ヒトラーのナチズムと似通っていること、などは、ちょっとしたブラックユーモアに思える。
    そう言えば、プラトンの師匠ソクラテスもとんだ「食わせ者」であり、「ダイモニオンのお告げ」と称して「ポリスの神々を信奉せず、新しい神事を持ち込み、青年たちを腐敗せしめた」という。興味がある人は【参考2】を参照願う。

    暗い話になるが、ご懸念のB層が気が済むまでやりたいようにやって、行き着くところまで行って、結局、皆々ともに滅びるのではないだろうか。そういう印象を受ける、我らがお目出度いジャパンから。

    お終い

    ********************

    【参考1】

    レジェンド知恵袋

    【レジェンドの秘話】ニーチェは実は女性恐怖症だった!完璧主義者に学ぶ弱さを受け入れる勇気とは
    https://legend-chiebukuro.com/nietzsches-secret-story/

    (1) 「神は死んだ」と宣言した哲学者の意外すぎる素顔

    「神は死んだ」という衝撃的な言葉で知られる19世紀ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェ。力への意志を説き、超人思想を唱えた彼の姿は、まさに強靭な意志を持つ知の巨人として多くの人に印象づけられている。
    しかし、この偉大な哲学者には驚くべき一面があった。実は極度の女性恐怖症で、生涯を通じて女性との深い関係を築くことができなかったのだ。あれほど「強者の論理」を説いたニーチェが、恋愛においては誰よりも臆病で繊細な男性だったとは、なんとも意外である。

    (2) 天才哲学者を悩ませた恋愛コンプレックス

    ニーチェの女性恐怖症は、彼の人生に深い影を落とした。特に有名なのが、ルー・アンドレアス=サロメとの関係だ。才色兼備のロシア系女性である彼女に、ニーチェは激しく恋をした。
    しかし、いざ告白の場面になると、ニーチェは自分で直接想いを伝えることができなかった。代りに友人のパウル・レーを仲介役として立て、まるで中学生のような間接的なアプローチを取ったのだ。結果的に、この三角関係は破綻し、ニーチェは深い失恋の傷を負うことになった。
    さらに驚くべきことに、ニーチェは生涯で女性に直接プロポーズしたのはわずか2回だけ。しかもどちらも断られている。「人間は自分を乗り越えていかなければならない」と説いた哲学者が、恋愛においては自分を乗り越えることができなかったのだ。

    (3) 現代の完璧主義者が見落としている重要な真実

    現代社会では、SNSの普及により「完璧な自分」を演出することが当たり前になっている。仕事でも恋愛でも、常に強い自分でいなければならないというプレッシャーに多くの人が苦しんでいる。
    しかし、ニーチェの人生は「弱さを持つことの価値」を私たちに教えてくれる。彼は女性恐怖症というコンプレックスを抱えていたからこそ、人間の内面の複雑さや矛盾を深く理解できたのかもしれない。実際、彼の哲学は「人間の弱さ」を否定するのではなく、それを受け入れた上でどう生きるかを問い続けている。

    (4) 弱さがあるからこそ見えてくるもの

    ニーチェの恋愛下手は、彼にとって最大の哲学の源泉でもあった。女性との関係に悩み続けたからこそ、彼は「愛とは何か」「人間の本質とは何か」を徹底的に考え抜くことができたのだ。
    現代の私たちも同様だ。完璧でない自分、弱い部分を持つ自分を恥じる必要はない。むしろ、その弱さがあるからこそ、
    ・他人の痛みを理解できる共感力が育つ
    ・困難に立ち向かうための真の強さが身につく
    ・表面的でない、深い人間関係を築くことができるのだ。

    (5) 今日から実践できる「弱さを受け入れる」生き方

    ニーチェの人生から学べる実践的なアドバイスをご紹介する。

    ① 完璧主義をやめる勇気を持つ
    すべてを完璧にこなそうとするのではなく、「今日はこれだけできれば十分」というハードルを設けることから始めよう。ニーチェも哲学では偉大だったが、恋愛は苦手だった。それでいいのだ。

    ② 失敗を成長の糧として受け入れる
    ニーチェの失恋経験は、後に彼の深い人間洞察につながった。あなたの失敗も、将来の成功への貴重な経験値だと考えてみなさい。

    ③ 弱さを隠さない関係性を築く
    本当に信頼できる人には、自分の弱い部分も正直に話してみよう。ニーチェが友人に恋愛相談をしたように、弱さを共有することで絆は深まる。

    (6) 強がる必要のない生き方への転換

    真の強さとは、弱さを受け入れることから始まる。ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、同時に「人間らしさ」の大切さも私たちに示してくれた。完璧な超人になる必要はない。弱さも含めて自分らしく生きることこそが、最も勇敢な生き方なのだ。

    あなたも今日から、完璧でない自分を愛する練習を始めてみよう。ニーチェのように、弱さを持つからこそ見える景色を大切にしながら。
     
    **********************

    【参考2】

    関廣野氏は、その著書『プラトンと資本主義』の「ソクラテス裁判」で、プラトンの師匠ソクラテスについて次のように述べている。

    < そして彼(ソクラテス)と他者との問答は常に変わらず、「とは何か」tiestin という問いをめぐって行われる。(略)少なくとも我々には、ソクラテスが真剣に物事の定義を探究していたとは考えられないのである。というのも、彼は「とは何か」の問いをいつも他者に対して発するだけで、自分からは何一つ答となることを言わないからである。(略)これに対するソクラテスの答は、自分は無知なる者だから人に質問するのであり「疑いに道を見失っているのは、まず誰よりもぼく自身であり、そのためにひいては、他人にも疑いを呼びさまして困惑させる結果となるだけだ」(Men. 80c)という空とぼけである。
     アテナイの市民たちは弁証家ソクラテスのこうした態度に何かうさん臭いものを嗅ぎつけ、彼が問答対話による真理の共同研究と称したものを、彼等の方ではソクラテスのエイロネイア eiröneia と呼んだ。このギリシア語は、これから派生した近代西欧語の「イロニー」のような上品な意味を持っていない。この語は「食わせ者」を意味するエイローン eirön から派生し、食わせ者のやりそうなこと、空とぼけ、猫かぶり、詐術を指した。とにかくエイロネイアなる語に、ソクラテスに対するアテナイの一般市民の評価が示されている。そしてこのことこそ、徳の美と知の力を説くこの鈍根の醜男にまつわる最大の「ソクラテス的イロニー」である。すなわち彼が自分を知者たらしめるべく、鳴る物入りで宣伝した「弁証法的方法」なるものに、市民たちの側では”食わせ者のおとぼけ術”しか見なかったのである。>

    < だからソクラテスは競技の社会における”いかさま競技者”であり、ルール・チーター rule-cheater、ルールを巧みにすり抜けて不当な勝利を狙うものである。彼はポリスの世界を支配する競技の論理を尊重する振りをしながら、巧みにそれを絶対的かつ永久に彼が価値を独占する機会に変える。一切の価値の分配をコンテストによって決めるギリシアの社会、この食わせ者が詐術を働くための絶好の機会となる。そして虚構の知者ソクラテスが演ずるこの独占ゲームにおいてこそ、史上初めて論理的に一貫した資本主義のゲームが登場したわけである。
     ”価値自体”の独占が可能であるという彼の嘘は、彼が”シビレエイ”のように他者を打ちのめしつつ、己れを絶対的主体として無から弁証法的に生産する存在であることと切り離せない。ソクラテスは、彼自身の資本家にほかならず、市場を支配する絶対商品に自分を仕立て上げようとする人間として独占ゲームに駆り立てられる。マルクスは『資本論』の中で、資本家の本質を単なる守銭奴と対比させて説明している。彼によれば、「この絶対的な致富衝動、この情熱的な価値追求は、資本家と貨幣蓄蔵者とに共通であるが、貨幣蓄蔵者は気のちがった資本家にすぎぬのに、資本家は合理的な貨幣蓄蔵者 rationelle Schatzbildner である。貨幣蓄蔵者が、貨幣を流通から”救おう”とすることによって得ようとする価値の休みない増加を、より賢明な資本家は、貨幣をたえず繰返し流通に委ねることによって達成する。」
     この守銭奴と「合理的」な資本家との違いはそのまま、ピュタゴラスやパルメニデスの”ロゴス”とソクラテスの”ディアロゴス”の違いにほかならない。「在るものは在る」と頑固に言い張るパルメニデスは、ロゴスの貨幣蓄蔵者であり、自分の言説を流通過程から引き上げ絶対商品として握りしめるべく空しく努力している。これに対しソクラテスは、あえてロゴスに疑問符を付けて流通過程に投じ、逆説的にも不在のロゴスの果てしない追求を通じて己れを虚構の知者とする。ロゴスの不可能性によって挫折するのは他者であり、他社の挫折によってソクラテス自身は逆にロゴスの幻影の中に立ち現れる。だからこそソクラテスは、哲学者とは「知を自力で作り出す者」autourgos tës sophiäs であると言ったのである。そして対話を通して他社から徳と知を剥奪することによってしか彼の虚構の知は出現し得ない以上、他者の吟味だけが彼の天職だったのである。ディアロゴスを介して不在のロゴスを演出する弁証家ソクラテスこそ、結局、史上最初の「合理的」rationelle な資本家であった。資本主義のゲームはまず、虚構の「知」を独占するソクラテスの演技のうちに、知の仮面を被り「知の資本主義」として出現したのである。「知のための知を愛し求めること」としての哲学=愛知 philo-sophia が、利潤のための利潤を追求する近代資本主義の誕生にはるかに先立って、そのゲームの太古の原型として存在していたのである。

     なぜソクラテスが告発されたのかは、今や明白であろう。まったく告発者たちの言う通り、”彼はポリスの神々を信奉せず、新しい神事を持ち込み、青年たちを腐敗せしめた”のである。自分を生ける神像に仕立て上げることによって彼はポリスを支配する競技のルールに違反した。そしてダイモニオンのお告げは、自己意識こそ真理の座であり人間は孤立したままで完全な存在であり得るという、ポリスの人間にとっては恐るべき、狂気のような教えであった。・・・我々はこの章を終える前に、いかにソクラテスが青年たちを腐敗させたか、という問題についてアリストパネスの喜劇『雲』をその証言として検討してみることにしよう。>
     
    ********************

  • めちゃくちゃ否定して揚げ足取りたくなる本だった。途中からそういうエンタメ本なのでは?と思えるほど。

  • 格調のある悪口は好きですがこういうものはちょっと…

  • ・さすがに読んでいて気分がいいものではない。この本を読むのもB層の人たちを想定しているのか?
    ・B層をひとくくりでまとめてしまう事にも危険を感じる。それこそ、読者を思考停止にさせるものではないか。

  • この本は、いわゆる「B層」の行動原理等について書かれたものです
    前著「ゲーテの警告」と似たような部分が多いのは、まあ同じ内容を書いているのですから仕方ないかと思います。
    前著も「本書の目的」として書かれた項目からぶれまくっていましたが、本著は同様です
    そもそも目的が何かという明確なものがなく、単に著者が書きたいことを(脈絡もあまりなく)書いているという感じです
    結局、ではB層を脱却するにはどうするか、ということになりますが、そのような視点では書かれていませんので、「知識」以上の何かを期待できる内容ではありませんでした

  •  若手哲学者が、自らの専門であるニーチェの哲学を援用し、現在の日本社会に警鐘を鳴らす評論風エッセイ。評論というほどきっちりした内容ではない。

     副題にいう「B層」とは、小泉純一郎首相時代の「郵政民営化選挙」において、広告会社が小泉側の宣伝企画を立案する際に想定した概念。「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」を指すが、いまでは小泉うんぬんを離れ、「自分のアタマで物事を考えない愚民層」くらいのニュアンスで使われている。

     著者はこの「B層」にあたる人々のことを、本書の中でさまざまな角度から思いっきりバカにする。つまりは愚民思想の本であり、民主主義否定の書でもある。
     その意味では、民主主義を否定して封建主義者を名乗る呉智英の亜流ともいうべき人だ。

     私は呉智英の著作は愛読してきたが、本書はまったく面白くなかった。呉智英の文章にある芸も愛嬌もなく、読んでいて不快になる「上から目線」の悪口ばかりが並んでいる印象なのだ。
     たとえば、何店かの有名鮨屋を「B層に迎合したB層鮨屋」と呼んでクサすくだりなど、イヤミでエラソーなだけでユーモアも鋭さもなく、読んでいてうんざりした。

     ニーチェの思想の、私が知らなかった一面を垣間見られたことだけが収穫。この著者の本はもう読まない。

  • ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 (講談社+α新書)

  •  基本的には右翼的言説による大衆社会批判。
     それをニーチェに基づいてやるというのがひとつの特徴。
     もうひとつは前著『ゲーテの警告』で用いたという「B層」という概念の使用。

     B層というのは、2005年、いわゆる郵政選挙の時、自民党が広告会社に作らせた企画書に登場するもので、IQの高低と構造改革への是か否かで国民を4つに分けたもののうち、比較的知能が低くて構造改革に肯定的な一群をいう。郵政選挙の取り込み対象はB層であり、著者の攻撃対象もこのB層である。構造改革に肯定的ということは「民主」「平等」「人権」といった近代的価値観を無批判に受け入れている一群ということであり、これが日本をだめにしているというのが著者の主張である。

     確かに現在、民主主義は悪しき面を示しているかもしれない。そうしたいらだちには私も共感するところは大いにある。しかしながら、民主主義においては少数意見を尊重しろとはいわれるものの、実は尊重されないと著者は指摘する。そのくせ、ニーチェに基づく「正しい格差社会」において《精錬された者》が《凡庸な者》を大切に扱うのは義務であるとニーチェはいうと著者は述べるのだが、その義務はえてして守られないので、次善の策として民主主義ができたのではないだろうか。総じて現代社会への痛烈な批判は面白いが、深みには乏しく、期待はずれだった。

     だいたい著者は、本書をどの層に向けて書いているのだろうか。行がえと太字の多用は読みやすいので、知的に低い層を狙っているとしか思えないのだが、著者によれば「バカを論駁するのは不可能」であり、B層に対して訴えかけているとしたら矛盾である。いやB層は自分がB層だとは思っていないので、著者の弁舌でB層の思想を変えようという深謀遠慮の書なのかも知れないが。

  • なるほど!と納得できる部分も多いが、はぁ?となる部分も多かった。結構賛否両論ある本みたいですね。

  • 19世紀の終わり、ニーチェはこの先、2世紀がニヒリズムが徹底されていく過程と予言しました。その予言は的中。あらゆる「真理」の根拠を失った近代人は、ますますおかしな袋小路に閉じ込められるようになりました。政治やJポップ、グルメ、経済などを素材に、「なぜいまの世の中はおかしいのか」を明らかにしていきます。B層=近代を妄信するバカの行動パターンを分析することで、今の時代の病を浮き彫りにします。

    はじめに 神は死んだ!
    第一章 どうして今の世の中はおかしいのか?
    第二章 ニーチェの警告
    第三章 B層グルメとBポップ
    第四章 知識人はなぜバカなのか?
    第五章 B層政治家が日本を滅ぼす

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、3階開架 請求記号:304//Te31

  • 作者の立ち位置が理解できなかった。私がB層だからだろうか。古典賛美や改革反対の保守のようでありながら、三権分立の否定。社会主義を否定し民主主義、資本主義の否定。その他批判批判批判。最終的に出された結論は投票をせずに政治のあり方を考える。どうすればいいのかよくわからない。ニヒリズムか。ニーチェを持ち出しながらのB層分析などは面白かった。

  • B層が日本最大の権力者となった現在、ニーチェの予言した大衆社会の最終的な姿が現れている、とするもの。キリスト教と民主主義の関係への言及など、参考になる視点が多く提供されていますが、よく考える必要があると思っています。何れにせよ、久しぶりに知的好奇心を掻き立てられる本でした。

  • この本自体は、それほど面白くないけれど、どの本が面白いかという情報が書かれていて、それは役に立つ

  • 郵政選挙で自民党を、
    その次に政権交代だと民主党を支持した方は読禁です。

    B層とはマスコミに流されやすく、比較的IQの低い人たちのことを指す概念です。


    B層政治家、知識人、グルメ、文化を慈悲なくばっさばっさと切りまくります。

    また、著者はニーチェを引用し、民主主義を否定します。

    民主主義が正しいことと思っている方一読を

  • 思い当たる節があることが多い。なるほどマスコミの報道を鵜呑みにすることは危険だと思う。教養を身に付けるため古典に親しめ、と。ごもっとも。

  • 「B層グルメ」という視点には同意。B層相手のフードビジネスが大半だが、A層をターゲットとしたお店も成り立っているもの。

  • ニーチェが言ったことは、「神は死んだ」ということではなくて、実は「神は生きている」ということ。
    かつては、教会のなかにおさまっていた神が様々な形に姿を変えて、現代社会に君臨しているという。
    ニーチェの鋭さは、神の権威、教会の権威を否定し、「これからは新しい時代だ」などと浮かれている人々の根幹に、依然として《神》が座り続けているということを指摘したことにある。

    ニーチェは一般に倫理などでは「実存主義者」としての枠にあてはめられるが、これを現代に君臨している政治思想に批判の焦点を当てたものと言える。

    「カトリック」のコミュで、この本をもとにした考え方を提示したら、「ニーチェはキリスト教を分かっていない。聖書を誤読している」「当時の西洋文明だけに対する批判であり、現代日本人の我々には関係ない」といったようなとぼけた意見が跳ね返ってきて、「宗教」、「非宗教」に関わらず、ものを考えない、現状にぬくぬくとしたマインドコントロールされた、《終末の人間》というのは、どこにでもいるのだなと本書が指摘している通りに思わされました。ネットでのコミュニケーション場など、典型的な群畜の集まりでしかない。

    著者は、「民主主義」を形を変えた「キリスト教カルト」と断定し、それを支える、マスコミに流されやすい「B層」を徹底的に批判している。
    ツァラツストラも、ニーチェも、「バカを論破するのは不可能」だと悟り、語りかけることをあきらめます。

    では、B層批判の本書が書かれた対象とは?直接B層に向かってではないでしょう。
    「今の世の中が肌に合わない人。今の世の中がどこかおかしいと感じている人。今の世の中を深く軽蔑している人。」に対して、ニーチェは、共に批判をし、呼びかけているようです。

    キリスト教も、社会主義も、ルサンチマン(恨みつらみ)と同情の力を利用して、世界に君臨し、世の中の価値を転倒させてしまった。
    民主主義や、民意が世界を動かすことほど危険なものはありません。
    「一人ひとり」は完全に平等ではない。全くの妄想です。

    フランス革命においても、重要であった点は、虐殺がロベスピエールの暴走ではなく、確固とした道徳思想および、人権思想により、理性的に大量粛清をはかった点にある。

    《神》の普遍性や、そこから派生したイデオロギーは全くの無効です。
    ニーチェが批判しているのは、《神》ではなく、《神として崇められてきたもの》。教会が生み出した《人工の神》。

    本書の後半は、ニーチェの誤読者を徹底追及。知識人と呼ばれている人たちが、いかに汚染されているかを暴きます。

    痛烈な民主主義、「形を変えた神」の批判だったが、最後に、この世界を良くするために、「選挙に行かない」こと以外に何かできるのだろうかと思わされた。
    B層につける薬はない。有権者も成熟しない。
    「選挙なんかで世の中は変わらない」のではなく、「選挙なんかで世の中を変えることは危険」なのだ。
    我々は、ただ、B層や民主主義の「権力」に社会ごと流されて、何も変えられないまま、批判をすることしかできないのだろうか。

    誰もが、「まだ大丈夫」と思っているうちに社会は腐っていった。
    ナチスは狂気の集団ではなく、市民社会の中からごく普通に登場したのである。

    本書を契機として、改めて、ニーチェ文献に当たり、社会の見方を考えてみたいと思わされた。

  • ニーチェの時代から変わらない、B層の解説は納得できる部分もありましたが、著者の主張が強すぎて『ニーチェの警鐘』とあるのに、ニーチェの印象が薄れてくるような気がします。
    今の民主主義や平等主義を突き詰めて考えた時に感じる違和感が、解りやすく解説してあるので、面白いといえば面白いです。

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著者プロフィール

1975年、山梨県生まれ。作家。ニーチェの代表作「アンチクリスト」を現代語訳した『キリスト教は邪教です! 』『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』『日本をダメにした B 層の研究』(ともに講談社)、『日本人は豚になる:三島由紀夫の予言』『日本をダメにした新B層の研究』(ともにベストセラーズ)ほか、祥伝社新書に『コロナと無責任な人たち』『100冊の自己啓発書より「徒然草」を読め! 』『ニッポンを蝕む全体主義』。『思想の免疫力 賢者はいかにして危機を乗り越えたか』(中野剛志氏との共著、 ベストセラーズ)など著書50冊は以上。

「2023年 『古典と歩く大人の京都』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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