考える力をつける本 (講談社+α新書)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062729666

作品紹介・あらすじ

企画にも問題解決にも・・・・・・・。
失敗学・創造学の創始者であり、『直観でわかる数学』などのベストセラーでも知られる著者が、
いままでの知的生産のベースとなる、
どんな場面にでも使える現代の知の生産術を明らかにした!

自ら行動して観察してアイデアを形にする。
考える力をつけるための日常からできる準備、ちょっとした心がけ、
そして企画にまとめるためのアウトプットの方法まで。
具体的な方法を示す。

やり方がわかれば誰もができるようになる、本物のアクティブ・ラーニング。

【目次】
第1章 「考える」とはどういうことか
第2章 「考える力」をつける準備
第3章 「考える力」をつける訓練
第4章 「考えをつくる」作業
第5章 「考える力」を高める
第6章 創造作業で多くの人が躓くこと

感想・レビュー・書評

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  • 畑村洋太郎の入門編的な本。これまでの「失敗学」「創造学」「危険学」のエッセンスがわかりやすいことばでまとめられている。
    ちょっと抽象的に感じるかもしれないが、とても役に立つことを教えてくれている本なのでひろく読まれるといいなぁ。この本を出発点に、作者のいろんな本を読んでみると、理解が広がると思う。

  • 「考える力」とは、「まわりの状況を自分なりに分析して、進むべき方向を自分の頭で考え、自分で決める力」である。まさに「生きる力」だと思う。
    内容が、ちょとツール的なところがあった。

  • 物事を判断する際のものさしを持っておいた方が良いと書いてあり、これと同じことを尊敬する経営者から言われた。どうしても自分の欲に負けてしまうことがあるから、その時にそのものさしで判断すればいいと。そのためには勉強しろよと言われた。

    この本は筆者が行なっている考え方をわかりやすく説明してくれている。時間はかかるがやってみたいとおもう。

    #読書 #読書記録 #読書倶楽部
    #考える力をつくる本
    #畑村洋太郎
    #2016年107冊目

  • 久々の畑村先生の著書です。今、日本に、ビジネスパーソンに必要な『考える力』を身につける本です。

  • 考え方の核でひと、もの、かね までは聞いたことあったが「時間、気」も含まれているのは参考になった。

    また、社会に出て答えは一つではないこと、枠にハマらずに多角的に考える大切さは働いてて身にしみる。

    「思考展開図」を最初から使いこなすのは難しそうだが、まずはタネだしから取り組むことから始めてみようと思う。

  • 715

    畑村 洋太郎
    1941年生まれ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了。東京大学名誉教授。工学博士。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。2001年より畑村創造工学研究所を主宰。02年にNPO法人「失敗学会」、07年に「危険学プロジェクト」を立ち上げる。日本航空安全アドバイザリーグループ委員、JR西日本安全有識者会議委員、国土交通省リコールの原因調査・分析検討委員会委員長、11年6月より東京電力福島第一原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長などを務める。著者に『失敗学のすすめ』『創造学のすすめ』『みる わかる 伝える』『危険不可視社会』(以上講談社)、『直観でわかる数学』『技術の創造と設計』(以上岩波書店)、『数に強くなる』(岩波新書)、『畑村式「わかる」技術』『回復力』『未曾有と想定外』『技術大国幻想の終わり』(以上、講談社現代新書)など多数。
    「はじめに」で「考える力」とは「まわりの状況を自分なりに分析して、進むべき方向を自分の頭で考え、自分で決めるための力」であると述べました。  つまり本書でいう「考える」とは、「まわりの状況を自分なりに分析して、進むべき方向を自分の頭で考え、自分で決めること」です。

     そこでもう少し突っ込んで言うと、仮に自分が実現したいことがあっても、漠然と頭の中だけで思っていたり、心の中に秘めているだけでは、いつまで経っても実現しません。こうした思いを表に出して、全体像を検討しながら最終的に実現の道筋までつくること、これが本書における「考える」ということの意味です。ここで重要なのは、 考えたことを実際に表に出す ということです。

    つまり考えるという行為は、自分の頭の中のものを表に出して実行する──「仮説→立証」を含む行為 ということになります。そしてうまくいかなければ、やり方を変えてまた実行し、どんどん自分の考えをブラッシュアップしていくのです。

     私は「考え」というものを、世の中のほとんどのものと同じように、「 さまざまな要素が結びついてある働き(機能) をする構造を持ったもの」と捉えています。  では、「さまざまな要素が結びついてある働き(機能) をする構造を持ったもの」とはどういうもののことでしょうか。

    このように 世の中のすべての事柄や現象は、いくつかの要素が結びつく形で、ある働きをする構造をつくり、それらがまとまる形で全体構造をつくっている のです。

    そしてこれは「考え」もまったく同じです。「考え」もまた、さまざまな要素が結びついて全体の構造をつくっているのです。

     しかしさらに重要なのは、知識やデータを整理して構造化することです。知識やデータだけたくさん持っていても、それを整理して構造化できなければ、その人はたんなる「もの知り」で終わってしまいます。実際に評論家タイプの人をはじめ、世の中にはこうした人がたくさんいます。彼らはたくさんの知識は持っていますが、新しく考えをつくり出すことはできないのです。

    私が自分でも実践して、人にもよくすすめているのは、「三現」を大切にするということです。  三現というのは「 現地」「 現物」「 現人」のことで、三つの言葉の頭にある「現」からこのように呼んでいます。

     たとえば、私は大きな事故現場に調査のために出向くことも多いのですが、そこでしばしば感じるのは、メディアを通じて見聞きしていたことと、実際に三現で知ることがまったく違うということです。

    同じ事象を見聞していても、視点が違うと「違う事実」を見ていることになります。 こうしたことは現場に行って、現物に触れたり、現場の人から直接話を聞かないとけっしてわかりません。

    もちろん地理的、時間的に遠く離れているとか、直接アクセスすることができる人が限定されているなどの制約条件があるので、世の中のすべての事象に関して三現を行うのは不可能です。実際にはメディアの発信する情報をタネとして利用しなければならないことも多いでしょう。そういう場合でも受け身にならず、自分からタネを引き出す意識で情報に接することが大切です。

     それはちょうどビッグデータのようなものです。ビッグデータは、それ自体は人々の営みを記録した膨大なデータの山にすぎず、まったく使えません。しかし性別や年齢、あるいは利用時間などといった視点を持って分析すると、マーケティングにも使える貴重な情報をもたらしてくれるのです。だから重要なのは視点を持つことなのです。  また一つの視点を持っていろいろなものを見ることで、それぞれの事象がどのくらい違うのか、その差異を測ることができます。こうやって見ていくことで、自分の中にたしかな基準ができていくのです。

    大根の火の通り具合の確認なら一方向から竹串を刺すこと、すなわち一つの視点でこと足りますが、世の中のほとんどの事象は一つの視点で全体が把握できるほど単純ではありません。同じ事象を観察しているのに、視点を変えるだけでまったく違うものに見えることはよくあります。そういう対象を正確に把握するには、多角的なものの見方が必要になり

    逆演算の見方には、結果から遡って見ていくことで、物事の脈絡やこれまで見えていなかった原因を探ることができるメリットがあります。この観察方法はとくに未来に起こり得ることを予測する手段として有効です。たとえば建物の火災や爆発など最悪な事態を想定して、その事故が起こり得るシナリオを逆方向から考えます。そうすることでどのようにすれば最悪の事態を防ぐことができるかが見えてくるので、安全対策の完成度を高めることができるのです。

    また、ものの見方には個人差があります。同じものを観察しているのに、人によって見えるものが異なることはよくあります。この違いは多くの場合、それぞれの人の興味の方向性が大きく影響しています。

    自分に不都合なこと、不利益なことを見るのは不愉快なことでもありますが、あえて見るように心がけるのです。そのとき観察対象から得られるのは、心に感じる痛みの分だけ広がりのある豊かなものになっています。

    そのためには、頭の中に考えのタネになる知識やデータを入れることも重要です。タネになりそうなものがたくさんあったほうが、考えをつくりやすくなります。

    考えをつくるためには、やはり最低限の基礎的な知識も必要になってきます。この「最低限」というのは、どのようなことに関して考えをつくるかで変わってきます。一般論で言うと、高校の教科書レベルで教わることを押さえておくと、かなりの事象を理解したりその事象に関する考えをつくることができます。  たとえば、いまビジネスマンの間では、高校の歴史の教科書を読み直すことがはやっているようですが、社会の動きを見るのに、高校教科書レベルの歴史知識を押さえておくのは非常に有効です。また実際に起こっている物理的な現象を理解するためには、ニュートンの運動の法則、力学的エネルギー保存の法則などといった高校教科書レベルの物理学の知識は、やはり押さえておきたいところです。

     インターネットはたしかにたいへん便利です。私たちはパソコンやスマートフォンを使って、必要なときに必要な情報にいつでもアクセスすることができるようになりました。そんな便利な世の中なのだから、苦労してわざわざ頭の中に知識を入れる必要はないと考えている人もいるでしょう。事象を理解するときの知識も考えをつくるときのベースになるタネも、必要なときに必要なものを外から持ってくるという発想です。  こうしたやり方は、一見するといかにも効率がよさそうに見えます。しかし実際にやってみればわかりますが、そのような付け焼き刃的なやり方では対象を深く理解できないし、よい考えをつくることはできません。仮につくることができたとしても、一応形になっているだけで、何かに役立てたりはできないことが多いのです。  これは一つにはそうして手に入れたものには、よいタネと悪いタネが 玉石混淆 していることがあげられます。

    以前別の本でも紹介したことがありますが、私は四三歳のときにアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT) に留学したことがあります。

    知識というのは分野こそ違っていても、最低限押さえておくべき基礎的な知識から、より深い応用、枝葉の知識、最新の情報まで、だいたい体系が似ています。応用に入っていくためには、基本的な知識をベースに、より高度な知識を身につけなくてはいけません。高度な知識になればなるほど、より要素も多く、構造も複雑になります。

    ですから私は、知識は広く浅く何でも身につけるよりも、どれか一つでもよいので、一度深掘りしてみることをおすすめしているのです。

    最近は、「この勉強をすることは、自分にとってどんな役に立つのか」と教員に訊いてくる学生もいると聞きます。  多くの大人たちが目先の損得で行動を決める風潮が強い昨今ですから、若い世代がそう言うのもわからないではないですが、とてももったいない話だと思います。たしかに直接的にはその勉強が自分の将来に役立つかどうかはだれにもわかりません。しかし知識を身につけることで損をすることはないですし、身につけるなら必死で学んで深掘りしてほしい。知識の内容よりも思い切り深掘りして学んだ経験そのものが将来の役に立つのです。

    学ぶ動機は目先の損得勘定よりも、興味のあるなしや、自分にとって必要に思えるかどうかというもっと単純な動機で動くのがいいと思います。それは考えてみれば当たり前の話で、目先の損得勘定で学ぼうとすると、苦労して深掘りしようなどと思わなくなるからです。

    幕末から明治維新に活躍した人の伝記などを読むと、必死になって勉強した話がよく出てきます。たとえば福沢諭吉は晩年に記した『福翁自伝』の中で、二〇歳からの三年間、大阪・船場 にあった 緒方洪庵 の適塾にいたときのすさまじい蘭学修業のことを書いています。諭吉はあるとき、熱病で伏せったときがあり、そのときに、布団の上でちゃんと寝るのは一年ぶりということに気づいたと言います。

    また勝海舟も、若い頃は蘭和辞書を一年かけて筆写するなど、蘭学修業に没頭していたという話を残しています。

    私がロシア語を学んだのは、代々木の日ソ学院というところです。授業は週二回行われ、最初は五〇人ほどが参加していました。しかしそこからどんどん減っていって、三ヵ月を過ぎた頃には半分くらいになり、結局最後は私一人になっていました。

    フェルミ推定の試験対策が目的ではありませんが、これを上手に行えるようにすることはそのまま考える力の向上につながります。そのためにおすすめしたいのは、ふだんから自分なりの尺度を持ってまわりのものを量的につかむことです。  自分なりの尺度を持っていると、はじめて見る観察対象でも、ある程度理解できます。また自分の尺度があると、必要なときに自分の中の知識を総動員して、つくりたい考えのベースになる必要なタネをつくりやすくなるので、考えをつくるときに大いに役立ちます。  だれでもそうですが、はじめて目にする未知の事象を理解するのはなかなかたいへんなことです。これはそのものを理解するための知識が頭の中になかったり、あったとしても少ないからです。そういうときに役立つのはやはり数字です。定量化をして数字で把握すると、その途端にこれまでちんぷんかんぷんだったものでもウソのようにわかりやすくなります。だから考える力を高めるためには、いつでもどこでも使える、対象を数字で把握する自分なりの尺度を持つことが重要になるのです。

    新国立競技場の総工費が二五〇〇億円を超えることが「高すぎる」と話題になり、結局コンペのやり直しになりましたが、たとえば東京スカイツリーの総工費が約四〇〇億円、大阪のテーマパークUSJのハリー・ポッターエリアの工費が約四五〇億円といった自分がよく知っている施設の建設費や、サッカーファンだったら、世界的な人気チーム、バルセロナの資産価値が約四〇〇〇億円などという数字を知っていると、二五〇〇億円の意味が実感を伴って理解できるようになります。

    参考までに私が持っている基準を以下にいくつか紹介しておきます。たとえば食糧問題を考えるときには、一人一年一石というお米の量を基準にしています。一石というのは一〇〇升でだいたい一五〇キロです。日本の人口は約一億三〇〇〇万人なので、お米だけで生きていくとすると年間およそ二〇〇〇万トンが必要です。しかし日本の米の生産量は年間八〇〇万トン程度なので、お米によるカロリー自給率は四〇パーセントくらいしかありません。足りない分は小麦やそばなど他の穀物で補っていますが、ほとんどが国内でまかなうことはできないので外国からの輸入に大きく依存しているのが実情です。

    私は二〇〇〇年に『失敗学のすすめ』(講談社刊) という本を書き、その本の出版が契機となり、〇二年に失敗学会を立ち上げました。そのため世間からは、失敗の専門家だと見られていることも多いのですが、もともとの専門は機械工学です。

    失敗学は、機械工学について学生たちに教えているとき、知識の受け入れの素地をつくるために、まず行動することが大切だということを伝える中で生まれたものです。だれでもはじめてのことはたいてい失敗します。最初からうまくいくことはめったにありません。失敗した瞬間、その人の心の中に「しまった」とか「痛い」「つらい」「悔しい」という気持ちが芽生えます。この瞬間、その人はいままで自分が深く考えていなかったことを強く自覚することになり、ここで新たな知識を求める素地がその人に生まれるのです。つまり失敗は考えを進めるドライブ力になるので、たんに忌み嫌うのではなくもっと前向きに扱うべきというのが失敗学の主旨です。

    社会に出て仕事をしていると、学生時代には勉強してもなかなか覚えられなかったことが、するすると頭の中に入ってくるという経験をしたことがある人は多いでしょう。これも仕事をする中でどうしても学ぶ必要に迫られて、頭の中に受け入れの素地がつくられたということです。  このように受け入れの素地がつくられて獲得した知識というのは、考えをつくるときに大いに役立ちます。心から求めて獲得しているので、頭の中にしっかりと定着しているし、理解の深さも違うからです。   知識は、自分から取りに行くときに身につく性質がある のです。

    頭の中に知識がないと考えることができません。でも頭の中に知識が入っている だけでは足りません。それは前述のように、要素を組み合わせて構造化する、すなわち「つくる」という作業が必要だからです。

     しかし、「はじめに」で述べたように、現代はどんどん「わからない」ことが増えている時代、テンプレートにないことが増えている時代です。つまりテンプレートをいくら覚えても、テンプレートとは違う事象がどんどん目の前に現れてくる時代になっています。そういう時代に求められるのは、テンプレートをたくさん持っているよりも、自分の頭でテンプレートをつくれる人なのです。  ではテンプレートをつくれる人というのは、どういう人のことでしょうか。  じつはここまで説明している理解のためのテンプレートは、本書で「考え」と言っているものとほとんど同じものです。テンプレートもまた、要素が集まってある構造をつくり、さらにその構造がいくつか集まる形で全体の構造ができています。ですからテンプレートをつくる作業は、考えをつくる作業とまったく同じなのです。  目の前の事象を見て、まずそれがどんな要素でできているか分析し、さらにその要素がどうやって結びついてどのような構造を形づくっているかを見る。こうして自分なりに新しいテンプレートをつくっていきます。このテンプレートは言い換えると、仮説のことです。

    水平法を使うと、だれの手も借りずに新しいアイデアを生み出すことができます。多くの場合、考えの構造が同じで分野ごとに異なった様相(外見) で現れているので、それらを異なる分野に水平に移動しただけで新しい着想が得られることが多いからです。このときのコツは少しでも類似性を見つけることができたら、とりあえず当てはめてみることです。この段階ではそうしてできたアイデアが実際に使えるかどうかまで気にすることはありません。それはあとからじっくり検討すればいいことです。まずはとにかくやってみることが大切なのです。

    次の「四則」は四つの演算を利用した発想法です。ここで言う四つの演算は、算数の足し算(加算)、引き算(減算)、かけ算(乗算)、割り算(除算) を指しています。  加算演算を利用した発想法は、複数あるものを一体化したらどうかを考えながら、新しいアイデアを導き出します。たとえば二つの店を一つにするとどうなるか、電話にカメラをつけたらどうなるか、というようにいろいろと仮想演習してみるのです。このときには、単純に二つを足してよしとするのではなく、二つを足すことで新しい機能が出てくるのかどうかということを意識します。  減算演算は加算演算のときとは反対に、複数の要素で構成されている状態からある要素を引くことで新しい効果を得る発想法です。たとえば日本の電化製品は、どれも多くの機能を有しているのが特徴ですが、最近では、機能を絞ることで値段を下げたり、使い勝手をよくしたりして人気を得ている製品もあります。機能を増やしていくことが、必ずしもよいこととはかぎりません。これは減算演算の思考の典型例です。  乗算演算は加算演算と似ています。ただ、AとBという二つの要素を利用する点は同じですが、二つを足すことで生まれる新しい機能ではなく、二つの作用を同時に加えることで起こる相乗効果に注目しています。たとえば最近の花火大会は、音楽と合わせる演出がよく見られます。それによって花火の迫力がより増したり、幻想的な雰囲気を感じさせたりしてくれます。  除算演算はいまの乗算演算の逆です。あるものに二つの作用が及ぼされているとき、一方の作用を取り除いたらどうなるかを考えることで新しいアイデアを得る方法です。二つの作用が同時に加えられている状況は、かけ算によって相乗効果が起こっているようなものです。だからそのうちの一方を取り除くことは、減算…

    アイデアの引き出し方の三つめは「鏡像」です。これは名前の通り、対象の前に鏡を置くことを仮定して、そこからアイデアを引き出す方法です。世の中には右利きと左利きの両方の人がいますが、日本では多数派である右利きを優先してさまざまな製品がつくられています。そのため右利き用が当たり前のように考えられていますが、鏡像を使うと左利き用の世界が見えてくるので発想がより豊かになります。  もちろん鏡を置く場所は、形のあるものの前とはかぎりません。たとえば人や社会、あるいは時間の流れの前に鏡を置いてもいいでしょう。ほとんどの人が右に行く中で左に行ったらどうなるか、上に行く中で下に行ったらどうなるかを考えてみるのです。あるいはまわりの動きと反対に時間を遡って動く姿を想像するのもおもしろいと思います。そうしたさまざまなシミュレーションからアイデアのヒントを得るのです。

    「縮小・拡大」という法則も名前の通りで、観察対象を小さくしたり逆に大きくしたり想像する中で、新しいアイデアを得るものです。同じものを一〇分の一にしてみたり、逆に一〇倍にしても本質的には何も変わらないように思えるかもしれません。しかし量的な変化は必ず質的な変化を伴います。縮小や拡大のポイントはまさにそこで、スケールダウン、スケールアップしたときに出てくる質的な変化に注目するというものです。

    私は子どもの頃から、いろいろなものを自分でつくるのが大好きでした。本箱なども自分で設計図を描き、自分で必要な材料を金物屋や材木屋で揃えてつくっていました。  両親はそうしたことに理解があったので、必要なお金は出してくれました。また父に家具がどのようにつくられているか知りたいと相談したときも、知り合いのツテを頼って家具屋を紹介してくれました。そこに弟子入りをさせてもらって一時期、学校が終わってから毎日のように通っていたこともあります。そこではニスの塗り方などを教えてもらいました。

    上位概念というのは、ある事象に関する概念から具体的な属性を 削ぎ落として、一般化した概念のこと です。たとえば人はそれぞれ、年齢、性別、国籍、住所、職業、肩書など、さまざまな属性を持っていますが、そうした属性を削ぎ落とすと、「日本国籍の男性」「四〇代の東京在住の女性」というように、もっと一般化できます。  ある具体的な世界の知識なり知見は、そのままではその世界でしか使うことができません。しかし具体的な属性を落として一般化すると、他の世界でも使えるようになります。これが上位概念に上ることの意味です。  たとえばある人が電車について学んだとします。そこで得た知識は当然、そのままの状態では電車という狭い分野の中でしか使うことができません。しかし上位概念に上って、電車のことを「水平に動く乗り物」として理解すると、その知識は同じように水平に動く乗り物の自動車にも使うことができるし、さらに上位概念に上って、「動力で動く乗り物」として理解すると、垂直に動くエレベーターや斜めに動くエスカレーターにも使うことができるようになります( 図3─1)。

    この段階まで作業を進めると、考えが整理されてさまざまなことが明らかになります。解決すべき課題が明らかになり、そのためにいま何をなすべきかの検討がスムーズにできるのです。これが思考展開法を利用して考えを整理することの大きなメリットの一つです。

    従来の学校教育で主流だったパッシブ学習だと、パターン認識の力を磨くことができます。その場合、与えられる問題と答えが一対一対応をしています。そこではパターン認識によって素早く唯一解を導き出すことを学びます。そのための勉強は、疑問を追究し対象の本質を理解するよりも、より多くのパターンを覚えるための丸暗記で、考えることが求められるものでも「広く浅く」が基本になっています。そうしてできるのはマッチングを主体としたパッシブ型の思考回路です。  私は昔からこういう勉強がたいへん苦手でした。本質がわからないものは頭の中に入っていきにくいのです。私が好きだったのは、興味があることに没頭できる勉強です。たとえば数学に興味を持って、高校一年生のときに高校で教わる数学をすべて自力で勉強していました。そのため、自分では数学がよくできると思っていたのです。  しかしパターン認識の勉強をしていなかったこともあり、受験では大失敗しました。なまじ数学ができたのが 仇 になって、自分では「勉強なんかしなくても東大くらいは軽く入学できる」と 高 を括っていたのです。その結果、現役のときの受験では見事に失敗しました。パターン認識型の勉強をしていなかったので、問題を解くのに時間がかかりすぎたのです。そこで、浪人時代には問題解決を自力でやり通す勉強に励みました。

    繰り返しになりますが、社会に出ると、パターン認識の能力だけでは限界があることがわかってきます。社会に出てからぶつかる問題は、必ずしも正解が一つとはかぎらないことが多いからです。ときには何をすればいいかがよくわからず、だれも教えてくれないので自分自身で課題を見つけなければならないこともあります。そういうときに役立つのは、やはり自分で考えをつくれるアクティブ型の思考回路なのです。

    ただ言われたことをこなすことだけをしてきた人と、自分なりにいろいろと悩みながら考えて学んできた人とでは、その後の人生は大きく変わります。言われたことをこなすことだけをしている人は、形が決まっている定型の仕事はできますが、新しく価値をつくっていく仕事はできないので、これからの時代、活躍するチャンスは減っていくでしょう。一方自分なりに考えながら学んできた人は、仕事のチャンスはどんどん広がります。たまたま無能な上司にあたり、評価されないときがあったとしても、見ている人は必ずいます。  大切なのは、どんなことであれ自分自身の頭で考えることです。最初は時間がかかっても、それを習慣にして繰り返しているうちに、必要なときに必要な考えを自分自身でつくれるようになるのです。

  • よく言われることを書いてある本
    でも、バイブルになり得る

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1404492

  • 【目次】(「BOOK」データベースより)
    第1章 「考える」とはどういうことか/第2章 「考える力」をつける準備/第3章 「考える力」をつける訓練/第4章 「考えをつくる」作業/第5章 「考える力」を高める/第6章 創造作業で多くの人が躓くこと

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著者プロフィール

1941年東京生まれ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了。東京大学名誉教授。工学博士。専門は失敗学、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。2001年より畑村創造工学研究所を主 宰。2002年にNPO法人「失敗学会」を、2007年に「危険学プロジェクト」を立ち上げる。著書に『図解 使える失敗学』(KADOKAWA)、『失敗学のすすめ』『創造学のすすめ』(講談社)『技術の創造と設計』(岩波書店)、『続・実際の設計』(日刊工業新聞社)『3現で学んだ危険学』(畑村創造工学研究所)など。

「2022年 『やらかした時にどうするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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