大人問題 (講談社文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 69
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062731614

作品紹介・あらすじ

大人は有害である。いじめ、閉じこもり、不登校…子供問題は世間を気にし、教えたがり、試したがる大人に問題がある。子供は大人の充足のためのものではない。新人、ルーキーだ。「これから何をするんだろう」「いつ化けるかな」大人は緊張し、楽しみに見守るサポーターになろう!心がほぐれ、元気の出るユニークな子供論。

感想・レビュー・書評

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  • 勉強はストイックなものという思い込みを正せ、と言ったのは親野さんだった?
    子供が自ら「楽しい」と思えば、自然に「知りたい」「読みたい」「描きたい」という気持ちにつながっていく。つながらなくてもソレはそういうタイプの個なんだよっていう感じ?
    こうやって言葉でまとめるのも「わかってないんだよな」って怒られてしまいそうな本。
    言い返したいこともけっこうあるけど、五味さんってそういう個なのね、と思うことにする。
    20年近く?前の本なので、今の学校や社会はもう少し違ったものになってるような気がする。よいか悪いかは別として。

    「目が楽しい、口が楽しい、のどが楽しい、耳が楽しい、手が楽しい。絵本というものはそういう世界になじむのですが、サポートする大人の側が違うモティベート(動機づけ)としてとらえるから、おかしなことになってしまいます。」

    「足がサイダーだよって言った男の子がいたそうです。(略)やっぱり、言葉って限りなくスリリングなんです。そのスリリングさの学習、どこかにあるのでしょうか。」

    (世間様の目)「つまり基本は禁止なのです。してはいけないことが多くあって、していいことが少しある。で、自分のしていることがしていいことなのかどうか、ちょっと心配だという図式なのでしょう。」

    「学びたい、知りたいという、その子の必然が出てきたときに、はじめて”教育”というものが、現象としてな成り立つのだろうと思います。
    そのときにいちばん必要なのは”わかっている”人ではなくて”わかろうとしている人”です。”人生、そこらあたりが問題なんだよね”と問題を世代を超えて共有できる人。」

    「子どもというのは”異邦人”だと思っています。この文化圏に最近やってきた異邦人という感じ。だから、この国の、あるいはこの風土のこと、何もしらないのは当然のことなのです。」

    「子どもは大人をただ”見ている”のだと思います。(略)大人の立派さを見ているわけでも、批判しようと厳しく見ているわけでもなく、ただそこに居るから見ているのです。」

    読んでいてかつての自分をいろいろと思い出した。
    「兄が徒歩で家を出発して、その何分か後に弟が自転車で出発してそれぞれ駅にむかう。駅までの距離は**。兄の歩く速度は**。」なんて算数の文章問題。
    確かに私も、なんで二人で一緒に行かなかったのかその背景を悶々と想像してしまったり、自転車途中でパンクしたりして、なんて考え出すと、算数なんてどこかに行ってた。
    我が家のルーキーどもの熱い視線を意識しながら、自分のことも考えてみよう。

  • 読みながら色んなことが頭の中を巡ったので、メモりながら読む。

    あとがきの、「突き抜けたいけど突き抜けられず、自由でありたいけれど、子どもの自由を無意識のうちにちょっと侵害してしまっているような大人」…私だわ…。

    子どもは自分の所有物では無いと、強く意識しないと、私はつい支配的な物言いを、してしまう。それを自覚している今なら、スッと入ってくる。そして自分の育児の態度の直すべきところが見える。でも、いざご飯を残されたり、チャッチャと動かなくて次の行動にうつれなくて、特に朝の出発時間が決まっているときとか、夜寝る時間を決めてる(これも親のエゴ?)ときとか、これが見えなくなるんだよなぁ。自分がブレブレなんだろうな。自分の考えを持てる子になって欲しいのに、自分の都合や理想に従わせたい自分がいる(もちろん安全や健康を願ってという部分も大きいのだが、長い目で見てそれは真に安全健康のためなのか?短期的すぎではないか?と問うたほうが良いよね)、という矛盾。

    短絡的に、自分の都合に合わせてるんじゃなかろうか。長期的に真に安全健康のためであるのか?考え抜くことをやめてしまっているのではないか。とはいえバタバタした日々の中で考え抜かずにいる部分もあるし、はたまた考える時間あるやろという部分もある。

    自分の中ではうまく考えきれないときは本やネット、人から意見をインプットしたいがその余裕がなく、そうこうしている間に他の問題が出て…と続く。とにかく、「考えられる人になって欲しい」という目的があって、それに対して親である自分の行動が矛盾したものになっているとき、この本を読み返すと良い。矛盾点に気が付ける。それを正せるかどうかは難しい挑戦だけれど、試行錯誤していくしかないよね。バランスが難しい。

    …こう書いていて、俵万智さんのこの歌が脳裏に浮かんだ。「揺れながら 前に進まず 子育ては おまえがくれた 木馬の時間」

    以下、引用しながら考えたことをメモ。

    ・p60「日本の理論は感情的理論です。そんな気がする、そんなことになっている。みんながそうしているレベルのことが理論化されてしまっているだけのことが多いのです。」
    →読んでいて、以前読んだ本と共通するものを感じた。鈴木光司さんが著書『なぜ勉強するのか?』で、「日本には論理が足らない。英語教育よりも書かせる、論述させる国語教育を優先させるべきで、その教育は徹底的に論理を磨くものでなければなりません」と書いていたのだ。

    ・p61「大人が子どもを試している、それを今すごく不愉快に思います。よくできました、がんばりましょうという構造もなんとかしろよと思います。」

    →この部分を読んでどきり。年少の娘、夏休みに幼稚園から休み中の目標を決めて、毎日達成具合を記入するカレンダーが配られた。で、最終日に「おうちのひとからの言葉」を書く欄があって、私が書いたコメントの締めの言葉は「よくがんばりました!」正にこれ。書いた時の心境は、がんばりましたってのも何かしっくり来ない気持ちがするけどほかに締めの言葉も思いつかないし、ま、いいか。と書いた。これ、自分の語彙力の貧弱さをすごく感じたよね。そして今日五味さんのこのコメントに触れて、語彙力だけでなく「考えること」を途中でやめてしまったんだなぁとも反省。ただ、「何か他の言葉がいいな」と思いながら考えた時間も結構長かった。で、考えてる時間もったいないしやることもあるし!と、結局思いつかないまま「がんばりました」で妥協したんだ。やはり語彙力が足りないと思考も進まない。語彙力ー!(←こういうとこやぞ。)

    ・p62「学校にいじめがあるのではなくて、学校という構造がそもそもいじめなのだと思います」「物の本によると、学校というのはスカンジナビアあたりの海賊が海賊予備軍を訓練するためのシステムとして起こったらしい。つまり、組織が力を持つために個を強くする、そのためのトレーニングの場というところなわけです。歴史的に。」

    →うすうす感じていたことが書かれていてハッとした。

    ・p64「それは幼稚園·保育園のころから、とっくに始まっているのです。字が書けるる子、書けない子。行動が早い子、遅い子。発表会できちっとできる子、できない子。できるできないという視点だけで見てゆくやり方の中で、結果、できる子はできない子をいじめている状態になります。そういう状態をわざわざ作り出すのです。なぜ、する子しない子ではいけないのでしょう。
    競争原理っていうやつなんです。お互い、競い合うことでそれぞれのカが高まる、ゆえに競争させるのは正しいという理論です。
    まったく脳天気な理論です。ちょっと考えてみればそんな原理、ときどきそんなことがこの世では起こる程度の、ま、現象といった話で、とても原理などとは言えないものです。
    まわりを見ればすぐにわかります。勝ったやつは図に乗る、負けたやつは落ち込む。勝ったら勝ったで、また勝ちたくなったり、負けたらどうしようかと不安になったり、負けたら負けたでふてくされたり、勝つための裏手を考え巡らしたり、いずれにしても、お互いの力を高めるなんて原理はなかなか働かないものです。できれば勝ち負けにこだわらないほうがいいのです。幼い人々にそれを言うなら話はわかりますが、あえて競わせようという心理、下品としか言いようがありません。」

    →社宅の公園での出来事を思い出していた。鉄棒、くるっと前回りができるようになったお友達。それを真似する娘。できない。「◯◯ちゃん、回れてすごいねー。ほら、◯◯ちゃんのことよく見てごらん。手はどうなってる?頭は?真似して、教えてもらいー」と声かける。2人の関わりのひとつのキッカケになれば良いなと思ったし、娘に人から「学ぶ、真似る」ことを教える良い機会だとも思ったし、◯◯ちゃんの「できた!」の気持ち、誇らしい気持ちを応援したい、という思いもあって出た言葉だった。で、教え教えられの鉄棒遊びが始まったのだけれど、この声かけ自体が私のエゴなのかな?と、声かけながらも感じている自分がいたし、今日この本を読んでいて改めてまた、エゴなのかなと感じた。でも、実際にお友達と我が子が関わり合う姿を目の前で見ていると感じることもあって。「競わせる」という気持ちではないんだ。「学ぶ、相手を認める」ことが大切なんだよと、感じて欲しい。そんな気持ちなんだ。

    ・p67「大雑把な性格の子は大雑把に仲よくしますので、そう問題はありませんが、少しまじめな子は真剣に仲良しに向かって努力します。仲よくすべきだと考えるわけです。」

    →まさに私、特に小中時代はこの2つの考えの狭間で揺れていた。基本的に後者なのだ。でも、頭の中では前者の考えも何となくわかっていて。で、どうして良いのかわからなくなる瞬間があった。特に中学で役割(班長や委員長)につく時には特に感じた。自分がありたい関係と、周りの環境に流れている空気、仲よくすることが善だという意識、できればみんなと仲良くなりたい、好かれたいという思い。高校、大学、とだんだんと決められた団体で行動する必要性が少なくなっていき、大学の時には自分なりの回避方法とか距離感を得て、どんどん、気持ちが楽になっていったのを覚えている。もちろん人間関係や自分の足りない力、離れきれず仲よくなりたい、という気持ちもずっとある。でも、だんだんと、今も、圧力は無くなっていると感じる。今現在の状況で圧力を感じるときは、その状況は自分で変えられるともわかっているから気持ちは楽だ。「良い人」だと思われたい、という気持ちがついつい出てきてしまうこともあって、気持ちがザワつくのは大抵そんな時だ。子どもらには、「なんとなく仲良し、でokなんだ。その中ですごく気の合う友だちが見つかればそれはすごくラッキー、くらいの気持ちでokなんだ」と、伝えられれば。

    ・p77「下の娘の場合は、普通の授業はキャンセルしてましたが、お料理の時間なんかは好きで、しばらくときどき学校に行ってたようです。校長先生がごくまともな先生で、「あなた本人が健やかに日々を送ってる、勉強したいと言えば勉強できるような状態にいることを、われわれは見ている義務がありますので、たまに顔出してください」と、まったく憲法に即して正しく言ってくださったので、天気のいい日に限り、挨拶かたがた報告に行ってました。これはぼくも親として、君にはそうする義務がある、と言いました。そして、親が「うちの子はうちで明
    るくやってますし、それなりの学び方をしていますので、大丈夫です。ご安心ください」と教育委員会に届けておけば、何も問題ないのです。」

    →「義務教育の義務は子どもが教育を受ける義務、ではく、親が教育を受ける権利を有する子に、教育を受けさせる義務の義務だ。」だと子を持ってから知った。つい最近も、「子ども時代は 教育を受ける義務 だと思ってたよね」と旦那とこの話題について話していたところだった。この校長先生の言葉、まっすぐ。私の子ども時代、特に中学時代。自分の中の「こうあるべき」「こっちの方が良い」という姿を、友だちや、弟妹に、傲慢にも押し付けていたのではないか。押し付けまでいかなくともその考えが行動に現れて嫌な思いをさせてしまっていたのではないかと、たまにふと考えることがある。

    ・p78「この歳になってつくづく、人生というのは自分の居場所を探すことなんだなあと思います。ぼくもずっと探してきたような気がするし、自分の子どもたちを見ていても、それ以上にそういう気がするのです。その居場所をパワフルに自分で見つけられる子もいれば、ちょっとパワーが足りなくて見つけられない子もいるはずです。でも、やっぱりあてがいぶちの居場所はダメです。居場所はどんなことをしてでも自分で見出すしかありません。そして子どもたちが自分の居場所を見つけることについて、 大人が必要なときにどれだけ手を貸してやれるかが勝負なんだろうと思います。」

    p84「アートの楽しみが心と体にちっとも根づいてない人々が、なんでもかんでも審査する……一応スキーやスケートは大人の仲間うちでやってることだから、しょうがねえなあということでほっておくとして、こういう大人たちが子どもの世界で芸術教育を、などとなると、もう話がめちゃくちゃになってしまってちょっとほっておくわけにはゆきません。
    たとえば、子どもが描く絵を使って、子どもの心を判断しようなどという「絵画児童心理学」。これはほんとうに悪い趣味です。大人がもし物事すべてを血液型と星占いで判断してたら、「おまえ、馬鹿か」って端的に言われるだろうに、それより程度の低いことを子どもに向かって平気でしているわけです。
    たとえば、黒っぽい色、ダークな色で絵を描いてる子どもは「性格が暗い」なんて言われたりします。言ってるおまえのほうがよっぽどクラいよという感じです。
    それから、小さい絵ばかり描く子は「神経質だ」、紙がこんなに大きいんだから、全体に行き渡るように描くのが望ましいなんて言います。
    かと思えば、紙からはみ出すように描いてると、「元気があっていい」。激しく描きすぎて紙を破いたり、紙にブツブツ穴をあけたりすると、「この子は少し乱暴です」

    →娘が一時期黒のクレヨンを好む時期が続いて、当時、わりと赤色や明るい色を、生活の中では好んでいた娘だったので、親としては上記のようなことも気になったし、何か問題あるのか?と不安に思った瞬間もあったけど、娘は楽しそうに描いているし、「黒色使ってると心が…とか言う説も聞いたことあるけど、うん、今目の前にいる我が子は単に黒が良いんだな。」と勝手に納得したのも覚えている。実際の児童心理学に詳しいわけではないのでその世界の考え方はわからないし、黒色の一件もその世界の中では前提条件があって言われていることなのかもしれないとも思うので、そこにコメントはできないのだけれど、読んでいて、このエピソードをふと思い出したので記しておく。

    ・p106…「この世にはいい草と悪い草があることを草とりのときに学びます」

    →この部分を読んで思い出したエピソード。社宅の子どもたちは草や木の実を採って遊ぶけれど、ナナカマドの実を採る子どもたちの様子を見て、「景観用に植えてあるのだろうし、それを採らせるのはどうか…」とも思いながら、先に住んでいる先輩方の子どもたちが採っているのならここでは「よし」なんだろうと思って採るのを見ている。タンポポその他の花を摘むのも、私自身子どもの頃散々遊んだはずなのに、最初は躊躇した。採るにしても「命をもらう」気持ちで少しだけ、大切に採って欲しいと感じる私のそのときの気持ちと、遊ぶことが楽しくてガンガン採る子ども。子どもの遊びを止めはしないけれど、こう感じる気持ちもある事実。今は「こういうもんだ」と割り切れることも増えてきたけれども。花壇やプランターの花を摘もうとする子を止めたり、説明するのは更に一苦労だった。同じ植物だけれど、「誰かが大切に育てている」という点で違うのだと、説明することにしている。子育てしていると、自分の中の偽善とか、考えの浅さ、知識の無さがわかってしまい呆然とすることが多々ある。その度にそこに向き合って学んだり、情報収集したり、子ども自身や周りの方々と意見を交換したり、そういう機会を、育児を通して多く得られることは、育児する中の喜びのひとつ。おお、何だか哲学的だ…と悦に浸ることも、しばしば。笑

    ・p122の国旗掲揚を例にした部分を読んで、高校時代、ローファー禁止の校則は廃止すればいいのに!ということを言っている人がいて、その子が学校には校則通り運動靴で来て、駅でローファーに履き替えているの見て、そんなにローファーが良いならそりゃあの校則廃止したいよねと共感したし、だからといって自分はファッションにあまり興味が無かったので、履きやすい運動靴を好んでいた。ローファーはじめ色んな校則に、自分はそんなに不自由を感じなかったし、安全のためにある決まりなのだなと思うことは納得していた。ただ、誰のためにあるのかわからない「守るための決まり」みたいなのには、不毛なものを感じてはいた。ただ、3年間過ごすだけの場所だし、ここではそういうものなのか。ここにそういうルールがあるなら守っておこう。くらいの軽い気持ちで守っていた記憶がある。学校活動の一部にである、部活や、文化祭の劇の振付とか、自分が好きでしていたことは自分の主体性を感じていても、学校自体に対しては、さして主体性が無い、という感じだった。その感覚を、読んでいて思い出した。

    ・p182…「ルールの本質をもっとオープンに伝えてゆく努力を担当者はすべきです。そしてそれ以上の責任を背負いこむこともまた必要ないのです。あとはそれについて各自が責任もってやってゆくというのが原則です。」

    →各自の責任と、ルールを作る側の伝える努力。作る側は正しい情報をしっかり伝えること、隠さないこと。そして受け取る側はそれを受け取るだけではなく「本質」は何なのか、しっかり考えること。その、大切さ。原発のことや育児のこと、様々なことが頭をよぎるフレーズだった。

    ・p187…子どもは大人をただ「見ている」(中略)今、大人のバリエーション、かなり少ないような気がします。

    →本書の単行本は1996年発行。23年前。ネットを通して個人が発信、検索できるようになった今、ここについては多くのバリエーションが可視化できるようになってきているのではなかろうか。多様性・ダイバーシティという言葉をよく耳にするようになったのは、ネットの影響も大きいと思う。多様な人が多様な情報を発信している中で、マスメディアもネットも、本も、その中で自分で本質を探る作業が欠かせない。その力をつけることの大切さを改めて感じた。

    2019/9/5木

  • 『この国は「努力」というものを過大評価する国です。』

    大人には耳の痛いことだらけのエッセイ。
    大人が考えることを怠けちゃだめだよなぁ…。
    度々読み返していきたい。
    一番好きなのは、この一文。

    「ぼくは、心は乱れるためにあると思います。」

  • アタリマエという思い込みに陥りそうな状態から心地よく解放してくれる一冊。

  • 絵本の五味太郎を想像して読んだら全くいい意味で全く裏切られた。
    世の「常識的な大人」に対する皮肉と毒舌のオンパレード。
    かなり極端な意見も多く全てに納得できるわけではないが、違った視点、複眼的思考を与えてくれる本だと思います。
    毒が多いので読後感は爽やかとは言えませんが。

  • 新しい世界への提言。

  • 久々に読んで、誠にそうだなあと思う一方で、小学校の先生の忙しさを同情する。

    学校の先生を責めるのではなく、社会を見直す所にきている。もちろんごみさんの言い分には賛成だ。
    五味さんの言い分に付け足すとしたら、
    小学校に対する私の意見は、

    各教科を専門家が教えること。
    子供の心についてしっかり研究し、かつ、子供の邪魔にならない専門家を置くこと。(形だけ発達心理学やってます、じゃなく本当にわかってる人)
    どんな子も褒めること。
    先生のカウンセリングをすること。
    文部省の言うことを聞かないこと。

    あー。要するに寺子屋方式、予備校方式がいいですね。

    あと、あとがきにあるように、犬飼ってる人でいい人もいるし、「人それぞれの普通」があります。五味さんみたいには、自由にものが言えない人もいます。誰にでも敬語で話しちゃう人もいるし、優等生タイプも不安を抱えて優等生やってたりします。

  • 五味さんの鋭い批評。偏屈なおっさんの小言にも聞こえかねないけれど、こうして世の中を異なる側面から俯瞰するのは大切だなと思う。

    威張ってやっているけど、それ、本当に正しいの?

    子どもに偉そうにあれこれ手を出しているけど、それ余計じゃない?

    究極は子どもの視点に戻ると、もっと世の中、楽しくなるということかしら。

    何度でも折に触れて読み返したい。

    自分に喝を入れるために。

  • 一気に読んだ。
    娘を小学校に通わせながらも、学校教育にけっこう距離を置いているつもりでいたけれど、本書を読むと、まだまだ棺桶に片足突っ込んでるな、と実感させられる。いやほんとに。
    「世間」とか「世間体」というバケモノの浸透力というのは、ここ日本にあってはとりわけスゴい。油断しているとあっというまに飲み込まれる。戦争を経ていながらも何ら変わっていない多数派の教師たちの精神論も恐ろしいし情けない(しかし素晴らしい教師が現にわずかに存在することも強調しておきたい)
    常にあらかじめ準備された正解を求める教育というのは要は大人の、世間の、空気を読むための、組織の部品になるための、リテラシー養成講座。そんなクソみたいな教育が世の主流であることはまず確かだが、ともかく、じゃあどうしよう、君はどうしたいの、ということは常に訊いていきたいし考えていきたい。現状の良し悪しの差はまあある程度仕方がないわけで、でも生きるってことは固定化しないこと、流動化せよ、ということを本書を読んで改めて感じた。

  • 絵本作家の五味太郎さんの本。
    エッセイのジャンルで、良いのかな?

    日常いろいろ出てくる問題。
    特に、子供を持つ親が抱えがちな問題。
    「子どもの問題」
    実はそれは、「大人問題」なのだー。という、
    非常に面白い、言葉の一刀両断が詰まった本。

    子供がもう少し小さい頃に読んだ。

    ざっくり切られました。瀕死なう(当時)。
    しかし読んだら、爽快感〜。
    んだな〜、そだな〜、と、自分の問題を
    むき出しにされます。私も大人だったんだなー…

    絵本は、金魚が逃げる奴(?)と
    ことわざを五味太郎風味にしたのを
    読んだ記憶があります。今度探してみます。

    自由人とは五味さんのことだろうか。
    そういう見方、身に付けたいです。

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著者プロフィール

五味 太郎(ごみ たろう)
1945年、東京都生まれの絵本作家。桑沢デザイン研究所ID科卒業。絵本を中心とした創作活動を続け、400冊を超える作品を発表。海外でも50数種類の本が翻訳され、10数カ国で出版されている。『かくしたのだあれ』『たべたのだあれ』でサンケイ児童出版文化賞、『仔牛の春』でボローニャ国際絵本原画 展賞、エッセイ『ときどきの少年』で路傍の石文学賞など受賞。『きんぎょがにげた』『さる・る・る・る』『ことわざ絵本』など、ミリオンセラー多数。

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