文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 536
  • Amazon.co.jp ・本 (1376ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062732475

作品紹介・あらすじ

忽然と出現した修行僧の屍、山中駆ける振袖の童女、埋没した「経蔵」…。箱根に起きる奇怪な事象に魅入られた者-骨董屋・今川、老医師・久遠寺、作家・関口らの眼前で仏弟子たちが次々と無惨に殺されていく。謎の巨刹=明慧寺に封じ込められた動機と妄執に、さしもの京極堂が苦闘する、シリーズ第四弾。

感想・レビュー・書評

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  • 私の中では『魍魎の匣』は完璧で、あの完成度を凌ぐ作品には絶対お目にかかれないだろうと思っていた。
    のに! また同様の高揚感を味わえるとは!
    ドン引きする厚さだけど、読み終わってみれば無駄が一切ない。
    『魍魎の匣』と甲乙付け難い、素晴らしい作品だった。

    箱根の奥地にある知られざる禅寺の僧侶がどんどん殺される話。
    禅ががっつり絡むので、もしかしたら好みが分かれるかもしれない。私が比較的抵抗無く入っていけたのは、もしかしたら十牛図とか南泉斬猫とか白隠とかを何となく知っていたからかも。

    とは言っても、これでもか、ってくらいの「知」の応酬は凄まじい。私は京極夏彦が創造するところの深くて広い「知」の海に無惨に突き落とされ、溺れそうなところを京極夏彦が放ってくれた小さな浮き輪に掴まることで辛うじて助かるも、自分では成す術なく京極夏彦に引っ張られるまま海を進むしかない。
    そんな感覚にさせられた作品だった。

    基本的に、『魍魎の匣』でのキーワードだった「匣」が本作品では「檻」に取って代わる感じで、「脳が世界を規定している」という世界に対する定義や、関口の閉じ籠もり気質や、京極堂のスタンスといった物語の前提条件はずっと一貫している。
    レギュラーを含め登場人物の言動や思考はこれまでのシリーズの経験を経たものになっており、特に『姑獲鳥の夏』のエピソードが鍵になってるので、過去作品を読んだ人の方が絶対楽しめる。

    冒頭の、按摩が殺人現場に出くわすシーンからテンポが良くて、引き込まれる。
    続いて、なんと『姑獲鳥の夏』の久遠寺先生登場! なんだこの四冊越しの伏線は!(喜んでる)
    すると今度は興奮冷めやらないうちに『魍魎の匣』の鳥口も登場。なかなか良いキャラだったからね彼は。また会えて嬉しいよ。
    新キャラ今川の口癖「○○なのです。」ってのが可愛い。

    関口はまた語りのポジションに返り咲く(おめでとう)。
    関口の鬱体質は正直好きじゃないんだけど、言っても文学者である彼の語りは多分に文学的で抒情的でもあるので、やっぱり落ち着いて読める。(京極夏彦絶対意識して文体を関口に寄せてると思う)
    …と思ってると、
    なんと。
    関口宅に。
    みんな大好き京極堂が訪ねてくる!
    のっけから山が動いた!(笑)
    しかもめちゃテンション高い!(笑) どうしたの大丈夫???
    しまいには私が大好き榎木津まで出てきて、相変わらず傍若無人にさっさと真実を暴く活躍を披露。神様でも王様でも何でもいいわ、とにかくカッコイイ。
    なんなんだこの出血大サービスは。
    途中の中禅寺兄妹の絡みも新鮮である。実はほぼ初めてのシーンかもしれない。
    そんな、レギュラーファンの期待に応えるシーンが満載である。

    しかし冷静になってみると、本作品でも京極堂の出番はそんなに無いのだった。はじめの方に出てきたから見事に誤魔化された感。

    殺人事件の方は、珍しくオーソドックスというか、警察小説かと思うくらいミステリっぽかった。
    現場が禅寺だから小難しいだけで。
    禅僧達の言葉遣いがとても重厚で、世界観の構築に貢献している。こういう雰囲気作りがまた上手いんだな京極夏彦は。
    菅野まで登場した時は本当に驚いた。てっきり開かずの間となった薬品室(だったっけ?)で涼子に殺されたと理解してたので。

    そして、結局京極堂は出張る。
    榎木津はそれを待っていて同行する。
    やっぱり榎木津は中禅寺の一番の理解者なのだ。
    職業上の探偵(榎木津)と物語構造上の探偵(中禅寺)が摩擦なく同居できてる喜びよ。

    松宮仁如が13年前の放火の罪について告白する場面は、なかなか深いのではないか。
    告白を後押しする関口を京極堂が「止せ!」と制し、それでも告白してしまう松宮に「そんなことはここで云うことじゃない!」「解き放てば楽になるかもしれないが、あなたが楽になるだけだ! それで誰かが救われますか!」と一喝する。
    直接的には鈴の憑き物を落とす状況への危機感なんだろうけど。
    この時関口は明らかに鈴の魔性に涼子を重ね、涼子を犯したという自らの罪を重ねている。あの罪を関口は未だに誰にも告白してない。でも多分、京極堂は分かってるんだろうな。あの台詞は松宮に言ったものだけど同時に関口に向けたものかもしれない。などと考えたのだがどうなんだろう。

    結局、鈴に憑いた大禿は落とせなかったけど、殺人の動機、死体遺棄の動機、果ては事件以前の明慧寺の存在の謎すら解明されて、大満足である。
    コロンブスを思い出した。一方の世界から見れば「発見」でも、その世界を日常にしてきた人たちからすれば不幸の始まりになってしまうのだ。やるせない。
    で、京極堂が調査していた書庫の謎も、鼠騒動も、振袖娘の謎も(鈴の顛末はゾクッとした)、全部が絡みつつ綺麗に回収され、文字通り霧は晴れて終わった。
    見事、の一言に尽きる。


    強いて難を言えば、まぁ榎木津が言うように坊主が多すぎる。
    警察が僧侶を名字で呼ぶので、気を抜くと誰が誰だか分からなくなる。
    登場人物の名字が一部似ている(山下・山内、菅原・菅野)のも、混乱を招く。
    京極堂の最後の「憑き物落とし」に割いた紙幅がちょっと少なすぎた感がある。どうせならもう少しじっくりやって、もっと厚くしちゃえば良かったのに。

    あと、本筋とは直接関係ないけど、脱字(“。”や“」”の脱落)や誤植が目立って気になった。厚すぎて校正が疎かになるのか。しかし私の読んだ版は2016年の第20版。直す機会はいくらでもあったろうに。


    まだ一度しか読んでないから、いろいろ理解の及ばないところは多そう。再読します。

  •  面白いにも、つまらないにも理由があるわけで、本書は面白いのだが、それを説明するのは難しい。非常に長い小説で、登場人物も多い。語られる話も難解。完全に理解するには時間がかかる。
     舞台は箱根で、何と京極堂が最初から外に出ている。それでも事件に絡んでくるのは中盤から。舞台を変えて、趣向を変えてくれるのは嬉しい。
     本書では鉄鼠の他にも妖怪の絵が挟まれている。これは檻の中にいる妖怪を表しているので、考察するとキャラクターの内情が見えて来ると思う。まずは、青坊主の挿絵が表すキャラクターだが、これは晢童だろう。多田克己著・京極夏彦イラストの「百鬼解読」という本には、「青」は未熟の意に通じるため、石燕は修行の足りない坊主を妖怪として描いたのではないかという説が書かれている。ひたすら公案を考えている未熟な僧で、体が大きい。これは憑き物というより、容貌を表すための妖怪の挿絵だと思った。
     野寺坊は了稔だと思う。鉄鼠の檻というタイトルで、檻を作ったので了稔が鉄鼠と思いがちだが、鉄鼠が憑いていたのは常信だった。野寺坊は江戸時代に破戒僧を風刺した創作ではないかという話があるので、了稔のイメージにぴったりだ。もしかしたら寺の僧侶はみな鉄鼠が憑いているという解釈もできるかもしれないが、先ほども書いたように、野寺坊も容貌に対してのイメージだろうから、側が野寺坊で中に鉄鼠が巣食っているのもあり得る話だ。了稔は自分の禅を得るために小さな世界を作った。それが明慧寺だ。馴れ合ったコミュニティは堕落するし、反発する者がいないと自分が異なる僧である事も出来ない。合わない者との衝突が禅を高みに連れて行くと思っていたのだろう。冷めた言い方をすると、明慧寺とは、中にいる僧とは、了稔の禅のための装置となる。なので仏法に厳しく、了稔を嫌っている慈行などは、了稔の期待通りの木偶人形のような者になる。もちろん慈行は、それを知らないだろうが、慈行はずっと明慧寺に入れれば良いので、腹の中では了稔と同じ気持ちにだった。
     木魚達磨は慈行とした。払子守と同じと石燕は言っている。木魚は本来、魚が昼夜問わず目を開けたままであることから、修行僧に対して不眠不休の修行を説くために作られたものである。慈行は常信が座っていたことになぜ気づかなかったのか。榎木津は慈行に空っぽだと、子供だと言った。榎木津が言ったのはこんな理由では無いだろうか。慈行の中には修行しか無く、過去を覚える必要も、未来を考えることもない。それは虫取りに夢中な子供の心のようなものだ。慈行にとっては祖父の執着した寺の中が全てで、心を教える者もおらず、明慧寺に執着することによって、慈行は中身の無い空っぽの箱となった。木魚も中身は空なのだ。
     次は払子守だが、これについては難しかった。石燕は狗子仏性を見て、狗に仏性があるのなら払子の精も仏性を持っているのではないかと思い創作されたらしい。木魚達磨と払子守は同類であると書かれてもいる。この払子守は誰の見立てなのだろうか。パッと思いついたのは狗子仏性を今川に問うた泰全だ。泰全は了稔の死に方を聞いて、庭前柏樹と言った。僧が犯行をしたことは分かって言わなかったので怪しさはある。泰全は師のあとをついで、明慧寺について調べたが、いつの間にか明慧寺の結界に馴染んでしまった。その結界を壊さないために何も言わなかったのかもしれない。だが本当の払子守は仁秀ではないだろうか。今川と狗子仏性を話しているし、慈行との関係性が見られる。仁秀が大悟した僧を殺したのは嫉妬だと言っていたが、これは疑わしい。そのようなそぶりもなく、これは分かりやすく言葉にしただけで本質では無いと思う。仁秀は大悟した人物を仏と捉えて殺した。仏に逢うては仏を殺し、とは臨済の言葉だが、仁秀はそれを実践したのか。この言葉はもちろん比喩で、過去にも仏にも親にも囚われるなという意味になる。北宗禅を学んでいた仁秀が、南宗禅である臨済の言葉を実行したのかだが、これについては自分のことを無一物と言っていたので南宗禅にも親しんでいると思われる。そして最後のシーン、炎の中で大日如来が照らし出され、仁秀にその時が来たのだろうとも思うが、あれが北宗の悟りであるかは分からない。なぜ慈行を連れて火に飛び込んだのかというと、これは慈行の最後の発言が関係していると思う。「拙僧は中身なき伽藍堂。ならば拙僧は結界自体なり! 結界破るるならば消えてなくなれ! 外道如きに落とせるか! 諸共死ねっ!」この発言は仁秀にも当てはまるのではないか。中身も心もない伽藍堂で、仁秀は明慧寺にいる誰よりも前から山にいて結界を張っていた。つまり慈行と仁秀は似ていたのだ。何となくだが、仁秀の得た悟りは、結界を作り、その結界を破壊することかもしれない。仁秀が、もし死ぬことで悟りを見出したのなら、それは禅ではなく外道の大悟ではあるが、それは北宗でも南宗でもなく、仁秀の禅になる。破壊することで完成する禅を知って、弟子の晢童には生きる禅を教えてくれと常信に頼んだと思う。
     大禿はもちろん鈴だ。鈴の時間は火事の日から進んでいない。それは仁如も同じかもしれない。鈴は父の所有物のように感じていた。想像だが、母は父の言いなりだったろう。その中で兄を愛して体を重ねている。仁秀が鈴は人を惑わす娘だと言っていたが、それは子供の頃からだったのだろう。鈴の妖しい魅力には兄である仁如も抗えなかったのだ。父と兄の諍いは何度も目にしたことだろう。そして恋文が父に知られて、激しく叱られている時に、鈴は父と母を殺したのだ。それは自分のためでもあり、父を疎んじていた仁如のためでもあったことだろう。兄の子を宿し、兄と一緒にいるために親を殺すなんて尋常ではないが、そういう行動に至る環境であったのだろう。そして鈴は兄に拒絶されて、時間が止まってしまったのだ。兄に謝り、火に飲まれた悲しい最後だった。榎木津は鈴に対して、お化けと言った。鈴が人を惑わして、破滅をもたらす存在ということもあるが、実年齢と見た目が合っていないということを言っているのだと思う。それと大禿には別の見方がある。大禿の着物に描かれている菊は肛門や男色を示す隠語である点から、男色の破戒僧を風刺して創作されたものであろうとの説がある。男色で問題を起こした高僧というと、祐賢と、その昔に慈行を小姓にしようとした泰全が当てはまる。
     そして鉄鼠は常信だけではなく、祐賢にも菅野にも憑いている。祐賢にも慈行が犯人だという妄執にかられる鉄鼠がついていた。菅野は脳髄が指令する欲求から逃れたかった。そして明慧寺に来たが、その場所は了稔が作った脳髄の見立てだったのだ。欲望を呼び覚ます鈴の存在もあった。だが、それは脳髄のせいで自分は悪いのだと、脳髄のせいで要異性愛者なのだという言い訳にすぎないのだ。釈迦も弥勒も彼の下僕に過ぎない。彼とは誰か。彼とは自分だ。自分の中に釈迦も弥勒もいるのだ。それを菅野は榎木津のおかげで知って大悟した。曲亭馬琴著・葛飾北斎画『頼豪阿闍梨恠鼠伝』では、猫間光実の前に出現した大ネズミは、本文中では雄牛ほどの大きさとある。本書で牛というと、十牛図が出てくる。これを見立てると、牛も鼠も同じだということも出来そうだ。そして十牛図では、牛は自分と同じだと悟る。鼠が牛で、牛が自分で、自分が鼠。全てが自分の中で回っているのだ。
     疑うことから始まる禅では、その疑いが増幅して鉄鼠が憑きかったのだろう。これは他の僧侶すべて同じだ。鉄鼠の檻とは、鉄鼠が作った檻ではなくて、鉄鼠を囲う檻なのではないか。つまり、僧侶たちは、みな何かの妄念に支配された鉄鼠なのではないだろうか。これだけを見て、生臭坊主しかいないというのは間違っていて、人は悪い思いに支配されるのは当然だ。僧侶も人で、自己の思いと向き合う時間は長いだろう。そして明慧寺という閉鎖的な環境で、悪い方にいっただけなのだ。禅は自己の中で悟りを見出す。それは一人のためのもので、常信はそれでは世界は変わらず、人は救われないと思った。これは単純に考えれば分かることで、人を救いたいと思うのなら山を降りた方が良い。了稔の作った檻の中では常信の禅は完成しないし、了稔のための装置の中では常信の禅は悪い方にいってしまう。
     京極堂は関口に言う。「世界中が皆、同じ時間の流れの中にいると云う状態はーー果たして正常な状態なのだろうか? だから僕は小坂了稔が、否、和田智稔が少し憎い。否。豪く憎い」。この発言は自由を縛る存在に対しての怒りだろうか。仁秀が受け継いできた結界に対して、智稔や了稔は知らずのうちに新しい結界を作ってしまった。それによって様々な妖怪が生まれてしまったのだ。
     今までの作品は、別々の事件が実は繋がっていくという構造なのに対して、本書では事件そのものよりも個人に寄っている。個人の檻を開けていくことで、真相が見えてくるが、それは開けているのではなくて勝手に開いていくのだ。了稔の死によって結界が開いてしまったからだ。なので事件は成り行きで進んでいく。凶行は止められず、全てが整った時に京極堂が乗り出してきて解決する。妖怪は文化なので環境から生まれてくる。それを見事に表している小説だった。

  • やっと四作目。
    主治医おすすめではあったのだけど、好みとしては「狂骨の夢」の方が好きだったと思う。

    「禅」「寺」「僧」次から次と新しいことが起き、関口や鳥口ではないがついていくのにやっとという感じだった。
    珍しくいつもの中野から場所が箱根へと移り、動きのある、というよりむしろ上へ下へと動いてしかいないのだが、場面展開で面白かった。
    平素が動かなさすぎるのだと思う。(本屋の中のシーンが長い)

    山下警部補の心境の変化は見ていて面白いというか、哀れでもあるのだけど、あの状況下ではこう成らざるを得ないのだろうなぁというか、山下ではないのだけれどすっきりしたような心地だった。

    まちこではないが、わかった気になってわかったふりをするのも違うし口にした途端に立ち消えそうなので、鉄鼠の檻の本質の感想はまだ書かないでおきたい。

    いつも思うのだけど、よくもこの顛末をこれだけ永く書けるなぁと思う。そしてまたこの長さ故なのか、わかったようなわからないような、夢だったような心地が残る。
    だから、またあの永い頁を再び繰りたいと思う。
    読んでいる時から姑獲鳥の夏を再読したかったが、暇を見てまた順番に読み戻り読み進めながら「鵺の碑」を待ちたい。

  • 2012.7.1
    百鬼夜行シリーズ第4弾『鉄鼠の檻』
    『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『狂骨の夢』と読んできたけど、一番面白かった。作品の「出来」という面でいえば『姑獲鳥の夏』に劣るかもしれないが、1300頁を超える本作は本当に読み応えがあった。過去の作品に登場した人物が登場することもその一因であると思う。
    「禅」がテーマの本作は箱根の旅館の庭に立つ柏の木の上から、突然凍死した僧侶が落ちてくる。そして明慧寺の僧侶たちに憑いた憑物を陰陽師の京極堂が落とす。
    京極夏彦の知識の豊富さには脱帽せざるを得ない。また文章も本当に巧い。

  •  鉄鼠というのは、宗派の抗争に敗れて死んだ僧侶が恨みのあまり妖怪化したものである。この「妖怪概念」を実現化するために作者は異なる宗派の禅僧たちがともに修行している寺院というあり得ない設定を生み出す。

     ありきたりの推理小説のタイトルなら『箱根山僧侶連続殺人事件』である。
     『姑獲鳥の夏』で家族も医院もなくした久遠寺嘉親老人は箱根の山奥の旅館、仙石楼でだらだらと過ごしている。同じく逗留している古物商の今川雅澄。今川は戦時中、将棋を指す際に、いくつも勝手なルールを作ってやらせた変な上官の下にいたのだ。あ、榎木津かとすぐわかる。
     その仙石楼に、中禅寺敦子とカメラマンがわりのカストリ雑誌記者・鳥口守彦が取材にやって来る。さらに奥にある明慧寺が取材先だが、先に仙石楼入りしていた記者の飯窪季世恵の様子がおかしい。
     他方、京極堂こと中禅寺秋彦と「わたし」こと関口巽は箱根のそこからは山ひとつへだてた場所には逗留している。というのも、箱根の開発に伴って、古い書庫が発掘され、古書店を営む京極堂はその蔵書の鑑定と売却を依頼され、両人とも細君を連れて、旅行かたがた箱根入りしたのである。

     「わたし」関口が直接見聞きしていない部分は「あとから聞いた話である」と三人称で叙述されている。まず、仙石楼で奇怪な事件が起こる。逗留客たちがちょっと目を離したすきに、仙石楼の庭に座禅を組んだ僧侶の死体が出現するのだ。神奈川県警から警官がやって来る。ここで登場する益田は本作の事件でほとほと刑事が嫌になって、以後、薔薇十字探偵社で榎木津の下僕として登場することになるが、それはあとの話。
     警察の不手際に辟易した久遠寺老人は探偵を呼んでしまう。榎木津礼二郎の登場である。榎木津を何とかしなければと関口が呼ばれる。榎木津は雪の積もった中、足跡もなく座禅を組んだ姿勢の僧侶の死体が出現した謎を解くが、彼は依頼されたことしかしない。
     取材陣は京極堂も存在を知らなかったという謎の寺、明慧寺にはいるが、そこで第二、第三の殺人事件が起こっていく。そして、飯窪によって語られる15年前の箱根の殺人放火事件の謎。

     『オリエント急行殺人事件』のように、密室的な環境下での連続殺人事件。つまり、そういう環境が「檻」。犯人はこの中にいる、ってやつだが、みな坊主。本書がすぐれた禅宗入門ともなっていることは、あとがきの宗教学者のお墨付きであるが、禅の修行にまつわる坊主たちの話は刑事たちにはちんぷんかんぷんで、警察は完全に空回りする。というのも誰が犯人かはともかく、ホワイダニットが本作の肝なのだが、僧侶たちの関係性が警察にはさっぱり見えてこないのだ。京極堂は近くにいるのに動かない。言葉を使って呪う彼の憑き物落としは、言葉を越えたところにある禅には無力だからだという。さあ、どうする。

  • 明慧寺という閉鎖された空間内での坊さんたちの様々な感情が渦巻いているところや、仁秀の動機、そして
    京極堂ですら敗北を認めざるを得ない「禅」という概念に恐れを感じ、そうしたところがこの作品の雰囲気を漂わせている。
    山下が常信の言葉の意味をようやく解った気がすると言ったところはなんだかじーんとくるな。

  • 京極堂再読シリーズ4冊目。
    面白かった。
    どう言葉にしても、うまく言葉にならない気がする。
    文章も内容も読みやすいのに、
    分厚すぎて物理的に読みにくかった(笑)

    堅苦しいセリフが散りばめられているようで、
    内容はわかりやすくすっと入ってくる。
    いろんな視点からでないとわからない複雑な内容なのに、
    『あとから聞いた話である』の枕詞で関口くんが1つの視点(=読者)にしてくれていて、だから読みやすいのかと思う。
    それから雪景色やそこに浮かぶ黒い僧、映える着物の赤、炎。
    まるでそこにいるかのように色彩が浮かび上がって、
    人の嫉妬や想いが自分のことのように重なって見えた。

    これだから、すぐに次を読みたくなる。

    あと余談だけど慈行さんたまらなく耽美……
    榎木津との対峙はほんと身震いモノだった。

  • 前半を読むのに1ヶ月かかり、残りの後半をたった1晩で読んでしまった!
    前半の複雑な人間関係を理解するのにめっちゃ時間がかかり、理解してしまうと、あとはスピード感たっぷりで京極堂の解決待ちです。

    プロットも相変わらず冴えていて、真犯人も「そうきたか!」という感じ。
    そして、あえていくつかの謎は残して、いつか解決される日がくるかも?
    という期待もありました。

  • 内容は相変わらず面白い。
    特に長台詞の押し問答や掛け合いが好き。

    犯人の動機についてピンと来なかったから間違いなく私は普通の人。禅の考えにピンと来なかったから、巻末のあとがきにネタバレと書かれてもどこからどこまでがそうなのかちっともわからなかった。

    段々人間の登場人物が少なくってる気がする。
    次作はもっと置き去りにされやしないかと不安だ。

  • 「レールの先の先を読め」というようなコピーのゲームが昔あったはずだが、これは「レールの元の元の更にその元を読め」といった本であった。
    いや、ミステリーって大概そういう物なのかもしれぬが。

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著者プロフィール

京極 夏彦(きょうごく なつひこ)
1963年、北海道小樽市生まれ。小説家としてだけでなく、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)など妖怪研究家であり、他にも装幀家、アートディレクター、俳優など様々な顔を持つ。
広告代理店を経てデザイン会社を設立。1994年、そこで暇つぶしに書いた『姑獲鳥の夏』を講談社に送ったところ極めて評価を受け、同年、即出版・デビューに至る。瞬く間に執筆依頼が殺到する人気作家に上り詰めた。
1996年に『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、2002年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞、2011年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞など、数多くの受賞歴がある。
代表作に「百鬼夜行シリーズ」「巷説百物語シリーズ」「豆腐小僧シリーズ」など。

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