弥勒 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (672ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062732789

作品紹介・あらすじ

ヒマラヤの小国・パスキムは、独自の仏教美術に彩られた美しい王国だ。新聞社社員・永岡英彰は、政変で国交を断絶したパスキムに単身で潜入を試みるが、そこで目にしたものは虐殺された僧侶たちの姿だった。そして永岡も革命軍に捕らわれ、想像を絶する生活が始まった。救いとは何かを問う渾身の超大作。

感想・レビュー・書評

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  • 重い。えぐい。
    何が正しいのか、宗教とは、国家のあり方とは、価値観とは、いろいろ考えさせられる物語でした。とはいっても、その答えを導き出すことはできません(笑)
    そして、あらすじや感想がとても書きにくい物語。それだけ、テーマが複雑に絡み合っています。

    ストーリとしては、新聞社の社員である永岡がヒマラヤの小国パスキムに潜入する物語となっています。
    このパスキムってもちろんフィクションなわけですが、まったくそれを感じさせないような現実感があり、思わず、世界地図上に実在するんじゃないかと確認したくなりました。

    小説の前半は日本での永岡のきらびやかな生活。
    そしてパスキムという国のすばらしい宗教芸術。文化。
    ここでまではビジネス小説っと思ってしまいました。
    しかし、
    そんなパスキムに政変が起こり、国交が断絶。その美術、芸術がどうなっているかを確認したいがために密入国してしまう主人公。
    ここから冒険モノかと思いきや、革命軍につかまり、その後の、壮絶な生活がこれでもかというぐらいに辛く、重くのしかかります。
    ここから、革命軍はポルポトや中国、北朝鮮を思わせるような記述。殺戮、荒廃、えぐい、暗く、重い話が続きます。
    信仰を否定し、原始的な農業、暮らしの中で平等な社会の実現を暴力的に目指す革命軍。その理想郷の実現とは裏腹に結果的に破滅に向かっていくことになります。
    革命前の国の姿と革命後の目指す国の姿のギャップや、都市と村での実情のギャップなど、何が正しいのか,何が悪なのかがわからなくなってしまいます。
    文明と原始。正と悪。二元論的で考えられない世界観に圧倒されます。
    そして究極まで追い詰められたところで何に救いを求めるのか、とても重く、辛い。

    あとがきにある
    「弥勒とは、人類の最終的な救いの象徴でありながら、我々が生きている間にはその救いを決して手に入れられない冷酷な事実をも同時に示す、矛盾の仏である」
    との言葉が、この物語を読むことによって、ずっしりと感じられます。

    フィクションでここまでの世界観を描ききる作者はほんとすごい!!

  • 篠田節子の 構想力に ただ ひれ伏すばかり。
    つくられた架空の国 パスキム王国。 

    インドのヒンドゥー教とチベット蜜仏教、
    そして土着信仰の濃密に混じり合った独自の文化を持つ国。
    イギリスの大学で学んだ 賢王によって 統治されている。
    中国とインドに挟まれている・・・。ヒマラヤが見える。
    人口 20万人にも満たない国。
    外国人には 首都しか 滞在できない・・・・

    この国が 濃厚な文化をもっていることを描こうとする。
    なぜか パスキム王国の イメージが 浮かんでくる。

    地方の美術館から転身した 新聞社の事業部の 長岡
    パーティでは 人垣ができるほどの人気の 長岡の妻 耀子
    ジュエリーコーディネイター アートプランナー エッセイスト。

    耀子がしていた 髪飾りが パスキム王国のものだ
    と長岡が 発見することで…
    物語が 急展開していく。
    パスキム王国に何かが起こっている…と思い
    潜入する 長岡。
    そこで見たものは・・・・ゴーストタウン化した 街。
    寺院には 僧侶が むごたらしく殺されていた…

    なぜ?

    物語の展開の速さに 目を奪われる。

    パスキムの絢爛たる文化が・・・
    しいたげられた農民たちの犠牲の上に成り立っている
    という 考え方は 一つの側面でもある。
    でも 美術は 美術として きちんと守り育てることも
    必要であり、それを 全く否定することはできない。

    パスキムの暗部に入り込むことで 永岡は
    そのことに気がつき…興味を失っていくのであるが・・
    ニンゲンのなしている行為としての評価が欠落するのである。

    ゲルツェンの目指す理想の国が・・・
    人間の創造物をすべて否定して 原始共産制 を目指している。
    理想の国のイメージが あまりにも現実と遊離することで
    結果としては 破滅の道を あゆむ・・・

    それにしても 農業における無智さ加減は
    あまりにもひどすぎるのである…
    連作障害 そして 森を破壊して
    水の道を考慮に入れない・・・
    農業開発は今の中国に似ている。

    農業が 自然破壊者であることを 知らな過ぎるので
    結果として 滅亡する。

    篠田節子の 弥勒には アジアにおける
    さまざまな問題が 
    モデルとして 存在するような気がする。

    それを 整理して見る必要がある気がする。
    それは 農業 というものへの理解に関することで
    毛沢東の 大躍進運動は 農業を十分に理解していないがゆえに
    おこった悲劇のような気もする。

    この作品は ひどく重たい作品だった。

  •  確かに56億7千万年は途方もない時間だ。それを待たねば救いは訪れないとすれば、今の人々の営為などはあまりに迂遠な試行錯誤に過ぎないに違いない。万人が幸福になるユートピアなどは夢のまた夢の世界であり、だからこそ人々はいつまでも貧富の差にあえぎ、殺し合いをやめないのだろう。あのパスキムのような閉ざされた小国ですら失敗した空想的完全平等社会を、あまねく全世界に実現するなどもはや狂者の妄想以外の何物でもない。
     しかしすさまじい小説だ。こんな骨太の大作を書き切るというのは力のある作者なのだと思う。導入部はパスキムというヒマラヤ山中の理想郷の仏教美術賛美で始まり、その小国に何か政変が起こったらしいという情報を得て、新聞社員永岡が密かに潜入を企てる。そこから話は一変し、囚われの身となった永岡の視点でパスキムで進行する完全平等社会を目指すゆるやかではあるが苛烈な革命社会の日常が、これでもかこれでもかと延々と描写される。
     貧しい山の民の生活とは隔絶した美しい首都カターの退嬰的繁栄。それをすべて否定し去り、すべての文化的なるものを物のみならず人までも千尋の谷底に棄て去るところから出発した原始共産社会回帰主義。初めはとまどい反感を覚えていた永岡がいつしかその貧しい暮らしに馴染んでゆくにつれ、本当の幸福とは一体何だろうか、東京での驕奢で空疎な毎日がはたして人としての幸福と言えるのだろうかと考えだす。読み進んでゆく読者にもその根源的な命題は容赦なく突きつけられ、考えることを要求する。ゲルツェンの思想は決して間違ってはいないと思う。ただ、そのあまりに性急で稚拙な方法論が根本的な敗因だった。高々と掲げた理想だけでは人は食べては行けないのだから。
     ヒマラヤに隔絶された小国だからこそ夢想できた壮大な実験といえるかもしれない。しかし、人の人としての本性を否定するところから始まる困難を通り越して不可能とさえいえる平等社会を地球上あまねく現出させるなどは、やはり弥勒の降臨を待たねば実現しないのだと思わざるを得ない。

  • 虐殺器官のジョン・ポールが関わっていそうなお話。
    たくさん人が死ぬ中でやっと見えてくるものがある。まったくどうしようもねぇな。

    ↓↓「もしヒマラヤの小国の王の側近が、虐殺器官のジョン・ポールに唆されていたら」

    もしラクパ・ゲルツェンがジョン・ポールに会っていたなら、きっとラクパ・ゲルツェンは彼の正義感をひたすらにくすぐられたんだろうな。

    人って怨恨や復讐で大量殺人はできない。そう思う。
    なぜなら、この場合殺人が目的になっているから。人殺しというゴールに達したらそれ以上のことはできない。だから余分な殺人は起きないのだと思う。
    余分な殺人をしそうになっても「なぜ殺さなくてはいけないのか」論理的整合性が無くなり、ブレーキがかかる。

    けれど、
    人は正義のためなら大量殺戮ができるのだと思う。
    なぜなら、正義の貫徹、理想の実現が目的(ゴール)だから、そこにたどり着くまでに必要であったら際限なく殺人は行える。
    理想のためという理由があるから殺人ができるのである。

    ジョン・ポールはここをうまく利用するんだと思う。
    ターゲットに理想の実現を促し、要求し、使命づける。そして革命のリーダーになったターゲットが理想の実現から逃れられないよう、事態を引き返せないところまで進めてしまって、自分は姿を消す。

    ラクパ・ゲルツェンだったら、パスキムの平等について理想を聞かれたんだろう。王の側近として国の政治について考えないわけはないだろうから、彼なりの理想を熱く語ってしまったんだろうな。
    そして、ジョン・ポールはラクパ・ゲルツェンの理想を絶賛し、実現が可能だと話をすすめたのではないかな。「パスキムは資源貧国だから他国の介入は受けない。」「パスキムは農業技術が未発達だから、農業革新さえできれば自給自足は可能だ。」とかね。
    そして、ジョン・ポールはラクパ・ゲルツェンが王の秘書官を辞めるところまで後押ししたのではないかな。立場を捨てるところまでいけば、もう後戻りは無いだろう。猿と同じ苦しい生活に入れば不平等を感じない日は無く、より理想の実現に燃えるはずだろうし。


    この物語を読み、虐殺器官を思い出しつつ、そういえばコリン・ポッターという怪しいジャーナリストがいたことを思い出した。
    「こいつ…ジョン・ポールか…?」いや、死んだから違いますね。

    以上、虐殺器官を踏まえたこの本の感想。

  • ほえー、これはまた壮絶な小説をお書きになった。
    前半の描写は対比のために必要との判断だろうけど、
    いかんせん冗長すぎる。

    また、新聞社の社員ともあろうものが、
    ここまで突発的で下準備も何もない行動を取るかなあ?と
    パスキムに入るまでの記述が少々残念。

    パスキムの描写は凄いと思うな。
    ポル・ポトや文革以外にも北朝鮮の農業政策とか
    スターリンの疑心暗鬼とかも髣髴とさせる

  • すごい小説だった。
    言葉がでない。

  • 執着、信仰しているものを手放せるのだろうか。
    もし、価値観が変わるような、とてつもない経験をしたらと思うと怖くなる。
    つまり私は今のままでいたいのだ。
    しかし主人公は、様々な経験をして、変わった。
    最後は清々しく、なんだか羨ましくなった。
    変わるのは怖いけれど、憧れる。

    社会情勢、哲学、様々なものが盛り込まれており、
    途中何度もドキドキしながら、最後まで飽きることなく、読むことができた。

  • 重かった。そして深かった。じぶんの感じること、わかることなんて、ほんの一側面,一部分でしかないことをまざまざと見せつけられ、幸せとは?生きるとは?価値観とは?と考えさせられた。ま、考えても答えなんて出てこないのですが。
    けっこうエグイ描写も出てきますが、それがまたリアリティをもって迫ってきます。以前読んだ「夏の災厄」もそうでしたが、恐怖感がジワジワ忍び寄るというか迫ってくる感じがするのですよね、この作者さんは。医療系の描写は半分ホラー混じりですよね。
    初めはパーティーだアルマーニだ、とっつきにくいところもあったけど、パスキムに入ってからは止まらなかったですよ、ページを繰る手が。後半は幾度と涙ぐみ。
    みんながそれぞれ幸せになりたい,豊かになりたいと願っているのに、なぜか捻じれてすれ違ってしまって、哀しい結末になってしまう。
    「ハーモニー」(伊藤計劃)は一つの完全平等社会を示したと認識しているが、ゲルツェンはこのような世界を夢想したのかな?
    カーサルとゲルツェンの理想の差に愕然。また、サンモの語るカターや村の実情。価値観を揺さぶられると本当に何が正しいのか,何が良いのか判断できない。そもそも良い悪いの2元論が成り立たないんだろうな、人間社会って。となると、自我を確かに持ち、他を尊重するというしかないのかな。

    重く、深く、ガツンと来た。救われなかったのかもしれないが、そのことを弥勒菩薩と重ねたのは唸るしかない結末だ、と思ったのでした。

  • ここ数年の中で一番衝撃を受けた。驚きの衝撃ではなく、ずっと心に残ってしまう、そんな衝撃。
    篠田さんの本は社会的な要素を書いたものが多くあるけど、その中でもこれは別格。
    がさつで、乱暴的で。でも強くて悲しい。たぶん私の中でこの本を超えるものに出会うのはまだまだ先だろう

  • そもそもの本の厚みもさることながら、内容もどえらい重厚やった。先を読みたいけど、気持ちがなかなかついていかなくて…って感じで、読み進めるのにかなりパワーを要しました。それは即ち、書物としての力が強いってことで、たまにはこういう読書も必要と思います。余談ながら、今年自分に課したノルマ(2日で1冊)を殆どクリア出来たんで、今月は長編モノや重厚モノを中心に読もうと思い、まず選んだのが本作なのでした。そういう意味では期待に違わぬ作品で、いろんな意味で満足度は高かったです。唯一(多分)ひっかかったのは、主人公がスパイの子供をかばったせいで、ドクターら数名が処刑になっているのに、それほど痛みを感じていなさそうだった点。それも含めて、あんな環境下では感覚が麻痺してしまう、っていう描写だったんでしょうか。瑣末なことながら、結局胸のつかえ感が取れなかったので、ここに挙げておくことにしました。

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著者プロフィール

篠田節子 (しのだ・せつこ)
1955年東京都生まれ。90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。97年『ゴサインタン‐神の座‐』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、11年『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞、15年『インドクリスタル』で中央公論文芸賞、19年『鏡の背面』で吉川英治文学賞を受賞。ほかの著書に『夏の災厄』『弥勒』『田舎のポルシェ』『失われた岬』、エッセイ『介護のうしろから「がん」が来た!』など多数。20年紫綬褒章受章。

「2022年 『セカンドチャンス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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