文庫版 塗仏の宴 宴の始末 (講談社文庫)

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  • 講談社
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レビュー : 291
  • Amazon.co.jp ・本 (1088ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062738590

作品紹介・あらすじ

後の始末をお願いします――。京極堂、覚悟を決める。

「愉しかったでしょう。こんなに長い間、楽しませてあげたんですからねえ」。その男はそう言った。蓮台寺温泉裸女殺害犯の嫌疑で逮捕された関口巽と、伊豆韮山の山深く分け入らんとする宗教集団。接点は果たしてあるのか? ようやく乗り出した京極堂が、怒りと哀しみをもって開示する「宴(ゲーム)」の驚愕の真相。

感想・レビュー・書評

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  • はああ、楽しかった。
    二周目でやっと全体像がぼんやり掴めた気がする。厚みに圧倒されて尻込みしてたけど、やっぱり読み始めるとするするいく。時間かかるわりに飽きなくて、どうなるのかな?と思ってるうちに支度が終わり、始末も終わる。

    後半の盛り上がりがやはりすごい。真っ暗な韮山山中を一心不乱に登っていく異形の集団。まさに百鬼夜行。それだけでどきどきする。

    一周目もそうだったけど、尾国さんがどうにも悲しくて……仕事で出会った人に情が湧いて匿って、あまつさえ復讐の真似事までして、本当に寂しかったんだろうなと思う。華仙姑を勝たせるためにそりゃあ悪いことしてるしね、可哀想と擁護しすぎるのもいけないんだろうけれど。

    ところで兵吉君はどうなったの?とか加藤さんちは大丈夫?とか山を降りることになった村上一族は?とかその後が気になる点もちらほら。陰摩羅鬼とかで触れられてたっけか?そっちも読んでみようかな…

  • 再読。

    記憶にあるエピソードと微妙に違ってた。脳内捏造をしていた模様。

    逮捕されたかとか関係なく、関口さんに寄り添うことを決めている雪絵さんがステキすぎる。

  • さながらそれは、モリアーティ教授のように、彼は《ゲーム》を心から愉しんでいる。

    塗仏、宴の始末。前巻宴の支度では逮捕された関口の被害者が明るみに出され、終わってしまった。
    そして始末をするべく焦点があたったのは、村上貫一と名乗る下田署の刑事。飛躍した物語は、彼の家庭環境の苦悩から始まる。
    隠された秘密、隠された村、隠された方法、隠された目的とまあ、混乱させるような事象が立て続けに起こった前巻につづいて、宴の始末ではさらにそれらがてんわやんわに絡まっていく。
    それでこそ、さなかの祭りのように。
    ワッショイワッショイと騒いでみんな浮足立っている。まさにその真っ只中から、収束までを描いた「始末」でした。

    ほとほと感心してしまうのが、常人を遥かに超えた記憶量だ。追いつかない。というか、辛うじておぼろげ程度にしか記憶にとどめられない私のキャパシティゆえだが、これは、シリーズ一巻にあたる「うぶめ」から「じょろうぐも」まで登場人物を、せめて主要人物だけでも網羅していないと少しわかりにくい。というか、わからない自分が口惜しい。

    さんざん広がった大風呂敷の中心には、中禅寺がひっそり立っていた。
    そもそもこのシリーズこそ、関口君が頑張ってはくれているがいつも始末をつけ終わりを作るのは中禅寺だ。
    京極堂が、堂島に背中をつつかれて矢面に立たされて、「私が主人公だッ!」と言わされているような巻、とも言えるかもしれない。

    それゆえなのか、関口君の影の薄さよ。本当に彼は傍観者であり、巻き込まれる側で、中心にはなれない人なのだというということがわかって、不幸でならない。
    波の中心が起こした大きな揺れよりも、とても弱くて儚い水面のそよぎに負けてしまっている彼は、無事なのか、いや、無事なんだろう。だって榎木津探偵も京極堂も、始めっから壊れているものが壊れようがないだなんて、なんて頼もしいことを言ってくれていたのだから。



    ひとつの家族を中心に多くの人を巻き込んで散々に壊して散り散りにして行われたあるひとつの《遊戯》。それを見てある男はほくそ笑む。
    射竦めるような眼、小豆色の羽織を被ったこの人は、観客で終わらせるつもりだったが主役となる全ての覚悟を決めた中禅寺と対峙する。

    種明かしの部分はあまりにもあっけなくて、これまでの長さと比べたらとてつもなくあっさりとして味気のないようにすら感じた。催眠も、言霊も、これまで散々練りに練って説明してくれたものは、たった一度シーンとして表出されてしまえば、あまりに歴然とした事実として横たえられて、それだけで理解できてしまう。

    全ては嘘だったのだと。
    幻だと。
    夢だったのだと。

    その簡潔さは、まるで記憶の上を揺らぐ船のような意識を、「不思議だ」と言い切って認めてしまったことのよう。日常の中で当たり前に安置されていると勘違いしている家族のよう。

    あまりに滑稽で単純明快な事柄にしてしまう。

    けれどその結末だけではなく、それまでの盛り上がりこそが祭りなのだ。
    夏祭りなんかも、全ての花火が打ち上がった後ほど味気なくそそくさと、これまでのことは全て嘘だと言いたげなよそよそしさはないだろう。
    あれほど多くの人が声をあげて喜んだものも、言ってしまえば物が燃えているだけなのだ。
    毎日見ている火や光となんら変わらないのだ。
    けれど、それに気付く前の高揚感、騒がしさ。その全てが、同じ根っこが枝分かれして毛先が一緒になった塗仏が作り出した「宴」に他ならない。
     

  • 中禅寺が、尊い…。

    シリーズの一連の作品とは明らかに毛色の異なる本作品は、ミステリ性を重視する読者には受け入れ難いかもしれない。
    そういう観点では、私も素直にそう思う。
    後催眠だか何だか知らないけど、いくら中禅寺がそんな都合の良い催眠術はないと言ったところで物語中では相当に都合の良い特殊能力で人の記憶を操作して云々、なんて真相は反則だ(ていうかもはやSF)。
    しまいには首謀者ドロンしちゃうし(モリアーティかよ!)。

    しかし、主要登場人物に思い入れのある読者(=私)にしてみれば、本作品は神回だった。
    中禅寺が尊い、という意味で。

    中禅寺の言う「ゲーム」は、ホントに単なる(究極の)愉快犯で、実に下らない。
    本作品で良かったところはむしろ、それに不随する一部の事件だと思っている。
    そこでは、これまで全くの傍観者とはいかないまでも観察者の立場を通していた中禅寺がターゲットにされている。
    中禅寺イジメである。

    ストーリーの方は、私の脳の許容量を超えた『絡新婦の理』よりもさらにボリューム(頁数)が嵩んでるんだから、そんな私が本作品の情報を処理できる訳がない。
    これまでにも増してごちゃ混ぜに提示される時系列。
    成仙道、気道会、みちの教え修身会、条山房、華仙姑に藍童子と、私の脳が「ヤバイ集団」と一括りに処理してしまった胡散臭い連中。
    さらに、張られた伏線が遠すぎて、いちいち記憶力テストを受けている気分である。「さて、この人はどこに出てきたでしょう?」みたいな。
    内藤に至っては、最初全く思い出せなかった。
    っていうか、ここまで『姑獲鳥の夏』が絡んできますか。中禅寺にとってあの事件はパンドラの箱だったんだなぁ。あの時関口が泣いて憑き物落としを頼んでもなかなか首を縦に振らなかったの、もしかしたらこの展開まで読めてたからかも…(妄想)。

    そんなだから、だんだん核心に近づいてきても、全貌を掴むのが本当に大変だった。
    でも、そこでふと考え直してみた--そうは言ってもきっと読者(私)は鳥口とか益田とか青木とかよりはこの物語を俯瞰して見れてるんだし、彼らは私以上に何だか全く分かっていないはずだ。むしろこの混乱を混乱として認識して、まずは読み通してみるべきではないか。
    そしたら、彼らの混乱のそばで自分も追体験している気になって、ストーリーが凄く近く感じられた。

    これは、家族の物語である。
    前編で敦子の育ってきた環境が語られたことも、木場の家族状況が詳述されたことも、終盤になって腑に落ちてくる。
    そして、正真正銘、中禅寺が主役の物語である。
    陸軍時代の、中禅寺という人間が生成されたバックグラウンドが少し明かされる。
    前作『絡新婦の理』の冒頭で、中禅寺が自らの悲しみについて語ってるけれど、私は正直それがよく分からなかった。
    でも本作品で、個人の感情を一切出せない中禅寺の立場がよく見えて、彼の悲しみをおぼろげながら理解できた気がする。
    「ああ狡いさ。狡くなくては--この位置は辛い。僕は生まれてこの方、自分が狡くないと思ったことは一度もないよ。僕は狡い」
    中禅寺の心の内が吐露されたこの稀有な台詞が堪らなく切なく響いた。
    そんで、中禅寺は本当に優しくてイイ人だなぁ…と感じ入ってしまった。
    もともと中禅寺のことは好きだったけど、もう少し違った感情で中禅寺を見るようになった。

    そしてそれを理解しながらも軽々と飛び越えて介入してくる榎木津の言葉「いいから自分の話をしろ」。
    中禅寺の本音を引き出せるのは、多分榎木津だけだろう。
    改めて、中禅寺には榎木津がいて良かったなと思う。
    榎木津の存在のおかげで、中禅寺の孤独感は少し和らいでいる気がするのだ。
    (それは逆も然りなんだけど。でも榎木津は強い人だから分かってないと思うけど)
    だから中禅寺にとって榎木津は「友人」なんだよね(関口君は「知人」でも)。

    つまりは、この事件(の一部)は、感情に左右されてはいけないポジションにいながら、それでも感情が勝(まさ)って、癒やしたり、呪ったり、赦したりしてしまった中禅寺の矛盾点を突いた、究極の嫌がらせなのだ。
    それに対して、内藤を警察に付き出す(本人に納得させて)という行為で答えた中禅寺の覚悟と、「それが人間で、僕は人間だ」という見えないメッセージは、素直に私の胸をついた。(曲解でしょうか?)
    この物語に、中禅寺視点の三人称が全く入らなかったことも、良かった。

    主要メンバーが京極堂の座敷に募って、やいのやいのいう場面が、私は本当に好き。
    今回はここに関口も木場修も居ないんだけど。
    中禅寺と榎木津の絡みが何度かあったのも嬉しかったし、伊佐間の友情出演みたいな登場も良かった。
    織作茜が殺されてしまったのは返す返す残念。せめてもう一度中禅寺に会わせてあげたかったなぁ…。


    実は粘菌だったくんほう様、精神攪乱状態だったとはいえ、かつての自らの研究対象を見抜けなかったなんて、関口ホントに胡乱!!!
    そして、最後まで関口へのフォローを入れない京極夏彦。榎木津が言うように元々壊れてるから大丈夫なのかもしれないけど、さすがに関口が不憫に思えた…。


    (蛇足)
    これまでは一見関係なさそうな蘊蓄部分も全く無駄のない伏線として機能していたけど、本作品では不必要なまでに蘊蓄部分が長かった気がする。特に多々良と中禅寺のやり取り部分。
    京極夏彦が妖怪研究者達にも一目置かれるようになったから、サービス精神旺盛な京極夏彦のそっち系の方々へのサービスなんだろうか。
    解説も研究者が書くようになったし。
    でも、中禅寺を妖怪研究者に比定した上で云々言っている小松和彦先生の解説は、ちょっといただけないと思った。彼は研究者じゃないし、これは娯楽小説ですよ。

    あと、ブクログの『宴の支度』の作品紹介文が「京極堂、挑発される」「京極堂を誘い出す計は成る」なの、マジで腹立たしい。
    青木の「今回の事件はあの人の事件なんだ」って示唆は本作品の重要なポイントなのに、その大事なところをネタバレしてどうするんだ。
    しかも誘い出されてないし。むしろ煙たがられてるし。
    的を射ていないネタバレなんて最低だ。
    許すまじ。

  • 韮山でお祭り騒ぎ。まさに宴。
    これまでの事件と登場人物が錯綜し、暴れ回り、ひとつにまとまり、収束する。
    これがシリーズ最終巻かと思う程の収まりの良さ。
    京極堂が(榎木津曰くの)三馬鹿を騙さなかったのが知れる場面に、うるっときた。
    「許した女、癒した男、呪った男」ーでは、憑物落としは誰かを祝うのか?

  • ただひたすらに関口が心配 冤罪で捕まったの何回目...
    自分はない、と思っているので憑き物は憑いていないしもう犯人扱いはされなさそうだけれど、自分の根拠がない状態から這い上がるのは大変で、それは作中にある通り日常を反復するしかないらしいけど頑張れ関口。でもよく考えてみたら関口そういうこと考えている時いつもそう考えてる気がするような...と思ったら本人もそう言ってた。まあ頑張ってください。応援してます。


    京極堂のプチ解説で、技術は元々自然と同様利益と不幸を人為的にもたらすものであったため、技術者はそれを扱う者として神秘性を纏っていた。技術者が共同体に入り技術の神秘性が技術者から剥がれ、それが結実したのが妖怪、技術者はただの人間になった。そして人間として差別されるようになったとあった。これがもう うへえ.. て感じ
    理由ってあるところにはあるんですね....
    個々人に原因があるとする現代社会はある意味辛いと思う


    茜さんが煙に巻かれた富士山と石長比売問題私もよく分からなくなったので絡新婦読み返します


    ラスト(くふうん )可愛すぎる いや、私は作中で関口が一番好きなので! いやでもかわいい...




  • 宴の支度で壮大に広げた風呂敷を畳にかかる、塗仏の始末の後半となる本作。ミステリーというよりも冒険小説と呼ぶ方がふさわしい、敵味方入り乱れる「宴」が韮山の地で展開される。

    本作をミステリーというよりも冒険小説というのには2つの理由がある。
    1つには、本作では解くべき謎が明確に提示されるわけではないということだ。確かに「各人が目指す韮山には何があるのか」という大きな謎は存在するものの、物語全体の主題とはなっていない。


    もう1つには本作の黒幕とされる人物が使うことができる能力が、人の記憶を自由に操作することが出来るというものだからだ。


    狭義の謎解きミステリーにおいてはいくつかの「お作法」が暗黙の前提として置かれているが、犯人が記憶を捏造することが可能というのは、そのお作法などから外れてしまっている。とはいえ、ここでいうお作法はあくまで「狭義の謎解きミステリー」向けのものなので、それを理由として本作の価値が下がるわけではない。ただ、純粋な謎解きではなくなったというだけだ。

  •  『絡新婦の理』が静なら、こっちは動。
     占い師、霊感少年、気功道場、漢方薬局、風水経営指南、自己啓発講習、私設研究団体、新興宗教と怪しい面々が、住民の消えた「へびと村」を目指して、狂騒を繰り広げ、ついに乱闘騒ぎになっていく。霊感少年は京極堂に「出てくるな」という伝言を寄越す。
     京極堂が動かないのは、これが彼と関わりのある事件、旧陸軍研究所にかかわった事件だからである。そんな京極堂をプッシュするのは、その特殊な能力によって真相に到達している探偵・榎木津である。結局、京極堂も「へびと村」に乗り込んでいくのだが、今回、ケンカも強い榎木津の活躍は著しいので、榎木津ファンは喝采されよ。
     キーワードは本末転倒。塗仏はじめ「宴の支度」でタイトルに挙げられた妖怪は、名称と図像しか残っておらず、その内実がわからないものばかりである。

  •  事件らしい事件が起こっているのかも分からず、物語は収縮して行き、最後は京極堂の語りで閉じられる。だが、首謀者である堂島に制裁を加えられるでもなくてすっきりとはしない。綺麗にたたんでいるが、こんなに風呂敷をでかくしなくても良かったのにとは思う。長すぎて、考えることを止める効果のある催眠にかかっているようだった。
     関口は、刑事になじられるだけなじられて、最後まで出てこないという、らしいと言えばらしい展開。普通になって戻って来れるのだろうか。そこが心配。
     刑事部屋や村で、ずっと堂島が見ていたのだが、堂島は刑事たちに対しても効きの早い催眠術を使えるのだろうか。ある意味、無敵の存在だ。会いたくはない。この先にも出ては来ないだろう。一回限りのボスと見た。
     記憶から消えると歴史から存在しなくなる。正しいのは何なのだろうか。記憶なんて曖昧なものだが、体は存在している。それだけで良いのかも。
     塗仏の宴とは何だったのだろうか。塗仏がよく分からないので、何もわかってない奴らの宴なのか。妖怪研究家の多田克己は、塗仏は目が出ていて尻尾があるから、目出度いとかけているのかもと書いてあったので、洒落なのかもしれない。佐伯家の面々の名称も洒落だったし。或いは、塗仏の絵は仏壇の前でふざけている人でもあり、仏壇で目出度いというのも不謹慎を表していて、人でゲームをする堂島のことになるのかな。無理矢理な気もする考えだけど。
     結局は不老不死を探す過程で消された家族が、インチキ商売をやって競わされていたという話。長いだけあって読んだままに終わったのでそこはスッキリしている。

  • 京極さんの最高傑作は「魍魎の匣」だと思っているが、一番調子に乗っていたのは、この本が出たころじゃないのかなという気がする。
    何しろ次はもっと、もっと、と期待させるシリーズだし、作者もそれに応えるべく、内容も本の分厚さも際限なく膨らんでいった。
    大風呂敷もここまで広げたか、と感嘆するしかない。
    さすがに広げすぎて、たたみ切るのに苦労したか。
    ミステリー的要素がやや弱く感じるから始末のつけ方に不満も残る。
    それでも面白い。
    これだけのストーリーテラー、文章の使い手はちょっと他にはいないなあ。
    センテンスが突き刺さる。
    中禅寺の奥さんが、すっくと立ち、「猫も連れて行きます」
    こういうところがたまらん。

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著者プロフィール

京極 夏彦(きょうごく なつひこ)
1963年、北海道小樽市生まれ。小説家としてだけでなく、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)など妖怪研究家であり、他にも装幀家、アートディレクター、俳優など様々な顔を持つ。
広告代理店を経てデザイン会社を設立。1994年、そこで暇つぶしに書いた『姑獲鳥の夏』を講談社に送ったところ極めて評価を受け、同年、即出版・デビューに至る。瞬く間に執筆依頼が殺到する人気作家に上り詰めた。
1996年に『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、2002年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞、2011年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞など、数多くの受賞歴がある。
代表作に「百鬼夜行シリーズ」「巷説百物語シリーズ」「豆腐小僧シリーズ」など。

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