新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

著者 : 石牟礼道子
  • 講談社 (2004年7月15日発売)
4.14
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748155

作品紹介

工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき"いのちの文学"の新装版。

新装版 苦海浄土 (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 読みにくそうだな、との思い込みで、ずっと本棚にあったのに、読まなかった本。

    気合いを入れて、読み込んだ。なんと濃密な世界か。想像を絶する悲惨さを描きつつ、それぞれが生きている証を感じた。死もまた生きた証なのだ。右も左も、そして神も、医学も、さらには作者自身をも唾するような場面が見られ、深く考えこまされた。

    これがルポルタージュでないと、聞き書きでないと、文学なのだと「解説」で読んで知り、衝撃を受けた。文学として読むと、なんと人間の深部と崇高に迫った希有な書であろうか。

    ゆき女、杢太郎、ゆりと脳裏に焼き付いて離れない。

  • 題名通り、読むのは辛く苦しかった。哀れな漁村民に企業も行政も数十年応じなかった。数十年!だが全く過去の話ではない。だからしっかり肝に銘じなければならない。学生時代から関心を持ってきたが、改めて水俣を訪れてみたくなった。

  • 作家の池澤夏樹さんが個人編集した「世界文学全集」(河出書房新社、全30巻)の中に、日本の文学作品の中から唯一選ばれたのが本作。
    先日、作家の池澤さんの講演を岩見沢で聴く機会に恵まれましたが、その際、池澤さんは本作のことを
    「日本文学史上の最重要作品」
    と、紹介していました。
    読まないわけにはいかないじゃないですか。
    何かと忙しかったのと、とにかく最高度に集中して読むことを意識したため1か月ほどかかりましたが、夕べ読了しました。
    大変に打ちのめされました。
    これまでそれなりに文学に親しんできたつもりですが、なぜ、こんな大事な作品をこれまで読まずにきたのか、己の不明を恥じる思いもしました。
    本書は、水俣病を材に取った記録文学作品です。
    工場廃水の水銀によって生活を破壊され、生命を奪われた水俣病患者とその家族らの声を余すところなくすくいとり、読む者の心をとらえて離しません。
    私は熊本弁で語られる水俣病患者とその家族らの独白を読みながら、それが祈りにも似た響きがあると終始感じていました。
    渡辺京二さんの「解説」を読んで驚愕しました。
    実在するE家の老婆について石牟礼さんが書いた、「苦海浄土」とは別の文章について渡辺さんが本人にただすと、この文章に登場するような言葉を老婆は語っていないことが判明したそうです。
    そこで渡辺さんは「じゃあ、あなたは『苦海浄土』でも……」と本人に問います。
    石牟礼さんは「いたずらを見つけられた女の子みたいな顔になっ」て答えたそうです。
    「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」
    何ということでしょう。
    聞き書きなどではないのです、石牟礼さん自身が、まるで水俣病患者(およびその家族)が憑依したように語った言葉なのです(!)。
    私はこの事実を知った瞬間、「巫女」という言葉が思い浮かびました(実際、「解説」には後の方で「石牟礼道子巫女説」なるものがあることに触れています)。
    本書の終盤に出てくる、この部分はどうなのでしょうか。
    これも石牟礼さんの言葉なのかどうか、調べようもないわけですが、とにかく大変な熱を帯びて読者の心を鷲掴みにするような文章が出てきます。
    両親を水俣病で失い、やはり水俣病の弟の看病を続ける茨木妙子さんが、水俣病の原因を作ったチッソ社長の来訪を受けて、こう言います。
    「よう来てくれなはりましたな。待っとりましたばい、十五年間!」
    そして、この後、こう続きます。
    水俣病患者とその家族の、苦難といえばあまりにも酷い苦難と、水俣病の構図が要約されていると思われますので、長いですが引用します。
    「『今日はあやまりにきてくれなったげなですな。
    あやまるちゅうその口であんたたち、会社ばよそに持ってゆくちゅうたげな。今すぐたったいま、持っていってもらいまっしゅ。ようもようも、水俣の人間にこの上威しを噛ませなはりました。あのよな恐ろしか人間殺す毒ば作りだす機会全部、水銀も全部、針金ひとすじ釘一本、水俣に残らんごと、地ながら持っていってもらいまっしょ。東京あたりにでも大阪あたりにでも。
    水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間な生きとるばい。麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れていってもらいまっしゅ。会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ』
    滂沱と涙があふれおちる。さらに自分を叱咤するようにいう。
    『さあ! 何しに来なはりましたか。上んならんですか。両親が、仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか。拝んでもバチはあたるみゃ。線香は用意してありますばい』」
    書き写していて目頭が熱くなりました。
    池澤さんが講演で指摘していましたが、貧しくとも平穏な生活を送っていた近代の庶民と文明との相克という普遍的なテーマが本書に通底しています。
    人間の尊厳を根こそぎ奪い去るような資本の論理を許していいのかと問うてもいます。
    それは東日本大震災以降、前景化した原発問題を抱える現代にも通じる問題提起でしょう。
    貴重な読書体験となりました。

  • 水俣病の人たちを描いた、伝えた名作である。こういう本があることは長らく知っていたけれど、初めて読んだ。すごかった。
    ルポやノンフィクション、エッセイなどとして、水俣病をはじめ病に苦しむ人に迫ったものは数々あるし、いくつか読んだものもあるけれど、これはそれらとは一線を画す。表現が適切かどうかわからないけれど、文学作品とでも言いたくなるような。つまり、他書が惨状を伝えるために書かれているのに対して、本作はフィクションや小説のような感じが漂う。もちろん、水俣病に苦しむ人のことが鮮烈に描かれているのだけど、それを声高に叫ぶのでなく、つぶやくように、ただ淡々と、読者のことなど意識せず書かれているような気がするのだ。水俣病は数々の不幸なものごとを生み出したけど、本作が生まれたのは不幸中のただ一つの幸いと言えるかもしれない。
    本作で水俣病の人たちの生活を垣間見て驚いた。1960年代だというのに、当時の映画などで見る都会はすでに華やかな風俗に彩られているのに、水俣の漁師町の貧しげなこと。それでいながら、魚を捕りながら働きづめの暮らしの何と豊かなこと。
    「ゆき女きき書」(第3章)などでの海や魚と一体になっているかのような漁をしながらの暮らしの描写はすばらしい。そしてそれが失われてしまったことが悲しい。水俣病のせいなのに、自分の食い分だけの働きができないことを憂いたり、意識が半ばあるなかで神経症状のために狂ったような動きをしてしまう。善良な人にとって何と酷なことをさせたのだろう。
    家族の言葉も染みた。「地の魚」(第5章)の「草の親」項。胎児性水俣病で生まれた杉原ゆりさん。その状態から、幼い頃の彼女をジャーナリズムは「ミルクのみ人形」(何て心ない名づけだろう)と呼んだというが、本作では17歳になった彼女を前に母親はこんなことを言う。この深い愛情がすくい。
    「うちはなあとうちゃん、ゆりはああして寝とるばっかり、もう死んどる者じゃ、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親――」(p.271)

  • 普通に生きてることのかけがえのなさを思い知る。理不尽に人生を壊される痛み。その痛みは自分だけではなく、家族も担うこととなる。

  • ゆっくりと、時間をかけて読みました。

    内側から描かれた水俣病の物語を読んだのは初めてで、こんなにも一人一人の人が美しく尊厳をもって描かれている物語を読むのも初めてで、想像しては揺さぶられ、でも必ず読み終えなくてはという意思を強く持って読みました。

    文字だから伝えられるもの。
    物語という形だから訴えられるもの。
    合間で示される、具体的なできごと。

    柔らかな、けれど確かな意思を感じさせる文章。

    ほかのところでは出会えない感触を味わえた時間でした。

  • 少しずつ、少しずつ、読み進めるしかなかった。あまりにも苦しすぎる、哀しすぎる内容だったから。

    知識として知っていた水俣病のこと、なんにも分かっていなかった。学校で公害問題を学んだとき、いったい何を教わったんだろう?公害の名前と、地図と、原因物質の名前を覚えただけだったのかも。あの頃は、この本のことを知らなかったけれど、読んでおくべきだった。

    水俣病患者に焦点を当てて書かれたこの本には、作者が読み取った、患者やその家族の心情が、まるでインタビュー録のように、生々しく描かれていました。
    そして、海や、水俣病がなければ続いていたであろう漁村の暮らしぶりも、彼らに寄り添う作者の、温かい視線で、きらきらと描かれており、水俣病がもたらした災厄の唐突さ、酷さが一層心に突き刺さりました。
    漁村の暮らし、病気の発症、恐怖、差別、社会への怒り、親しい人との別れ、外部の人たちの目に晒される不快、諦め。いろいろな気持ちが一気に入ってきて、読みながら苦しかった。
    原因物質を海に流し続けた会社はもちろん、行政も、それだけでなく市民も、結局社会全体が水俣病にきちんと向き合わなかったのだということでした。水俣病に苦しむ人々にとって、ひょっとすると、それは今もまだ続いているのかもしれないと思いました。

  • 水俣病をテーマにしたルポかと思って敬遠していたのだが、1ページ目に「こそばゆいまぶたのようなさざ波」というすばらしい表現があり、文学作品として拝読。
    水俣病という重苦しいテーマにもかかわらず、著者が豊かな表現と感受性で描写する水俣の民のみずみずしさ。
    人々が生き生きと描かれているだけに、公害病の恐ろしさがまた浮き彫りになる。悲惨なのに美しい。美しいのに悲惨。

    「なんの親でもよかたいなあ。鳥じゃろと草じゃろと。うちはゆり(娘さん)の親でさえあれば、なんの親にでもあってよか。なあとうちゃん、さっきあんた神さんのことをいうたばってん、神さんはこの世に邪魔になる人間ば創んなったろか。ゆりはもしかしてこの世の邪魔になっとる人間じゃなかろうか」

    万人におすすめできる作品ではないけれど、私は読んでよかった~。

  • 美味しそうな描写があるという書評をみかけて、興味を持ち、手に取りました。
    すごい文書力です。
    生き生きとした方言で語られる生活、そして、苦しみ。間にはさまれる報告書や記録の冷たい事実。
    文学としてのすばらしさと水俣病に対する会社と政府の態度のゲスさ。
    最近、中国の公害のニュースを見ると、バカにする日本人が多い気がするが、こんな公害が発生し、これほどまで放置されていた事実は忘れてはならないでしょう。

  • ずっと読みたい、いえ読まなければと思い続けて今になりました。
    やはりつらくてページがなかなか進みませんでした。
    これは聞き取りではなかったのですね。
    ノンフィクションだとばかり思っていました。
    なんと悲惨で美しい文学でしょうか。
    水俣の漁業を営んできた人々の慎ましく海を愛する心が語られています。
    方言の美しいこと
    彼らの無念に心をえぐられます。
    やはり読んでよかったです。
    ≪ 故郷の 海は苦海か でも浄土 ≫

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