ノルウェイの森 上 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 36846
レビュー : 2905
  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748681

感想・レビュー・書評

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  • いまセンチメンタルな時期なのもあって、文章がスッと心に響く感覚が何度もあった。
    主人公ワタナベと直子の間柄がただの恋人同士と呼べる其れではなくて、複雑で、せつない。

    会話のキャッチボールが秀逸で、まるでその会話の中に参加してるような感覚になる。自分もそこにいてワタナベと一緒に相槌をうってるような。

    登場人物が皆、魅力的で永沢さん、突撃隊、レイコさん、キズキ、それぞれのち、ちょっと普通の人より違うけど、ゆえに良いところが光っていて接してみたいなって思った。

    ワタナベは普通だと自分で言うけれど、この登場人物たちを好きと言うのは、自己を投影し、共感してる部分があるのかな。

    早く続きが読みたい。

  • 北見出張のお供に連れてきた。数ある村上作品の中でも、一番好きな一冊。純粋な恋愛小説ですね。人を愛することの「悦びと哀しみ」が、「ココロとカラダ」と表裏一体であるという表現されている作品。緑色の似合わない「ミドリ」という女の子と、優しい雨の降るデパートの屋上で傘を放り出して抱き合うシーンが、リアリティがあって好きだ。

  • 『ノルウェイの森(上)』
    いつかボクにも、こんなことが起きないかと思っている。けれど、その時はきっと自分は壊れてしまうかもしれない。

    もしや自分には悲劇願望があるのではと、自らを疑う機会を与えてくれた作品です。
    (END)

  • 10年以上ぶりに読み直した。中学生の時に1度読んだはずだけど、あまり印象に残っていなかった。それはこの本が生と死について、もっと言うと(自)死についてより多くのことが書かれているから、当時の私にはあまり理解できていなかったのかもしれない。近しい人を亡くした経験を経た今であればこそ、精神的に不安定な登場人物に思いを重ねることも、日々をねじまき時計のように淡々と送ろうとするワタナベ君の人物像にもリアリティを感じることができた。

  • ハマる人、ハマらない人極端に分かれそうな世界観。
    自分はドハマりでした。
    要約すれば、遊び盛りの19歳少年が恋した女は死んだ友人の元彼女。
    彼氏の死以降、精神的にやられた彼女を救うべく、とことん愛を貫く19歳少年の心境と環境を淡々と、しかしながら深く描いている作品。
    全編を通して、ずーっと深い森の中に居るような静けさと切なさがある。
    「読む」というよりは「感じる」小説。

  • ワタナベがレイコさんや直子と一緒に、山奥の診療所で一夜を過ごす場面を読むたびに、山奥の梢の揺れる音とか、名前の知らない鳥の鳴く声とか、いつも長野の山に行くたびに感じる、あの静かで包まれるような感覚を思い出す。
    それともう一つ小説から感じるのは、深く愛することは痛みかもしれない、けれど、それが束の間、成就している間は、どんな不安も悲しみも、自然とどこかに遠のいているということ。
    そういう多幸感を、もう一度感じたくなる…

  • 今までに何度も読んでる小説。
    高校で読んで、大学で読んで、社会人になって読んでも、いつも奇妙な感覚になる。
    哲学的と言えば、聞こえがいいし、中身がないといったら、元も子もない。
    僕なりに読んで、他の人それぞれが解釈が異なっていて、それでいいと思う。
    結局、これを読んで何か変わることはないし、変われることもないと思う。
    ただ、何かしら、気になる。

    特に会話シーンがどことなく、印象深かったりする。どことなく、無機質だし、無色っ気の多いものではあるけれど。
    全体的に”喪失”が揺らいでおり、静かながら、動的な物語でもある。
    やっぱり、不思議な作品だ。

    ” 死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。”
    ”孤独が好きな人間なんていない。失望するのが嫌なだけだ。”

  • あらゆる描写が美しく、透明感がある。
    きっと、村上さんのこころは澄み切っているのだろうなぁ…

    普通の人間のドロドロとしたものが感じられない。主人公たちに流れているのはきっと血糖値も中性脂肪もコルステロール値も低いサラサラした血液なのだろう。

    よくわからないという混沌も透明でつかめない空間のようなものである。
    性欲さえも清らかである。

    純粋なものというのは壊れやすいものなのだろうか?

    Mahalo

    • ゆさん
      もう一度読みたくなりました。
      映画もみてみたいです。映画では美しさとか透明感は表せなかったみたいですが。
      もう一度読みたくなりました。
      映画もみてみたいです。映画では美しさとか透明感は表せなかったみたいですが。
      2012/12/13
    • keisukekuさん
      読んでる方も透徹した視点を持てるような錯覚を起こして、気持ちが静になるような気がします。まぁ、勘違いですけど…
      読んでる方も透徹した視点を持てるような錯覚を起こして、気持ちが静になるような気がします。まぁ、勘違いですけど…
      2012/12/13
  •  明らかに恋愛小説ではない。少なくとも、恋愛がメインテーマではない。「何もかもが死を中心にして回転していた」(p49)。
     そのなかで、最も気になるのが直子の父親の言葉。
    「やはり血筋なのかなあ、俺の方の」(p265)
     直子はそれを立ち聞きしている。その前に、彼女の姉が首を吊って死んでいて、それをじかにみている。そのあと、キズキが死ぬ。発狂しないのが不自然な流れだ。

     村上春樹は巧みに、時系列をモザイクにする(これは得意な文章と構成のリズムか)ので、読み手はこの小説と十分に距離を置かないと何もことばにできない。とくに、自分の恋愛体験やら理想やらに重ねると作者の思う壺。このことは物語中でも言及されていて、「僕は直子について書いてみようと試みたことが何度かある」(p20)が、そのときは「一行たりとも書くことができなかっ」た。その書き手(語り手)であるワタナベは直子の思い出が他の物事と同じように消え去っていくまえに、物事をうまく理解するために、この物語を書いて、更には彼女を含めたその記憶全体を理解しようとしている(p12)。記憶が消え去っていこうとするまでそれについて書けないということは何を意味するのだろうか

    ※(村上春樹自身、創作について、「「俺はこれこれこういうものをこういう具合に書きたいのだ」という気持ちが強いと、いざ机に向かうと文章はなかなかうまく出てこないものである。それはあまりにも鮮やかでリアルな夢を、思い出しながら他人に説明するときの苛立ちに似ている。」と述べている(『やがて哀しき外国語』))。

     だから、「こんな長いフレーズで会話しないよ」「スチュワーデス(CA)がこんなに都合よく話しかけてこないよ」ぐらいの距離を保ちながら、たとえばひとつの方法として、語り手でもあるワタナベという人物を比定しようとする方が、正確にこの物語を読めるはず。

    「お前は俺がこれまで会った人間の中でいちばんまともな人間だよ」(p106)と永沢がワタナベを評する。語り手でもある"ワタナベ"は一体どんな人物か。「 東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと――それだけだった。」(p47)

    ミドリやレイコに喋り方を指摘される(「きれいに壁土を塗ってるみたい」(p99)このときのミドリの指摘がはじめてだという(p101)。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」(p184))のを読み飛ばしがちだが、キーではないか。

     また、中途挿入される永沢とガールハントするエピソードで、朝寮に帰るときに「自己嫌悪と幻滅を感じ」ながら、「頭はなんだか他の誰かの頭みたいに感じられる」…そうなのだ。ずっとワタナベは物語中、「他の誰か」でありつづけて、他者によって同定されるのだ。
     別のエピソードでは、質問ばかりする女にうんざりして適当に答えてあしらう(「またそのうちどこかで会えるよ」(p81))見方によれば彼女は好意を抱いていたかもしれない(「「ねえ、もう会えないの?」と彼女は淋しそうに言った。」(p81))。彼女は実は最もワタナベに接近した女性ではないか。「あなたは誰なの?」と問うが、ワタナベはわからないし、わかろうとしない。わかりたくないのだ。それは、東京に出てきたときの彼の決心なのだ。そうしないと、彼は自分がキズキと同じ世界に引きずりこまれると感じていた。
     それはあたかも、20歳の誕生日を直子の部屋で祝った時(p71)に直子がしゃべり続けた仕方に似ている。彼女は何かに触れるのを避けてしゃべり続ける。ここは具体的には描写されない。ここでワタナベが抽象的に指摘した直子の喋り方こそ、ワタナベ自身が含まれている物語の構図に近いのではないか。

    「ふと気がついたとき、直子の話は既に終っていた。言葉のきれはしが、もぎとられたような格好で空中に浮かんでいた。精確に言えば彼女の話は終わったわけではなかった。どこかでふっときえてしまったのだ。」そして、「彼女はなんとか話しつづけようとしたが、そこにはもうなにもなかった。何かが損なわれてしまったのだ。」(p74)。これがこの物語の終わり方にもなるだろう。

  • 村上春樹さんの代表作。

    短編集は読んだことありましたが長編はお初。

    うーん独特ですね。
    好き嫌いに別れそう。

    想像とは大分違う内容に戸惑いましたが魅力ある文体。

    個人的には結末次第だなぁ。。

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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