ノルウェイの森(下) (講談社文庫)

  • 講談社 (2004年9月14日発売)
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本 ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784062748698

作品紹介・あらすじ

激しくて、物静かで哀しい、100パーセントの恋愛小説!

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと――。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。

感想・レビュー・書評

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  • 著者、村上春樹さん(1949~)の作品、ブクログ登録は3冊目。

    本作の内容は、BOOKデータベースによると、次のとおり。

    ---引用開始

    あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くことー。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。

    ---引用終了


    本作は2010年に映画化されていますので、キャストを確認しておきます。

    ワタナベ 松山ケンイチ
    直子 菊地凛子
    キズキ 高良健吾
    緑 水原希子
    レイコ 霧島れいか
    永沢 玉山鉄二
    ハツミ 初音映莉子

  • 上巻より早く読み終わりました。面白かったです!
    本作、一般的にはあまり身近に起こる状況や環境ではないとは思いますが、村上春樹の突き抜け感と、小説という点でのエンタメ感として割り切って読みました。ひとりの大学生が人間関係・恋愛において起こる様々な出来事や苦境・死 に、何を感じどう行動していくのか、共に潰れてしまうのか、大人への成長の糧となるのか、辛くもあり切なくもあり応援したくもあり、様々な感情が揺さぶられる作品だと思います、よく言えば!性的表現が生々しいというか独特な描き方なので嫌悪感示す方多いのも納得します。私は意外と嫌いじゃない。。。村上春樹を満喫するには良い一冊だと思いました。

  • 私は村上春樹の著書を読んだことがなかった。それでもなぜ『ノルウェイの森』から読もうと思ったのか、理由は”おすすめされなかったから”だ。
    たくさんある著書の中からおすすめするとき、とりわけ万人受けするものを選ぶと思う。しかし私は村上春樹がなぜこんなに人の心を動かしているのか、その尖ったところを知りたかったのである。簡単に言うと読むなと言われたら読みたくなるのが人の心理である。

    読み終わって感じるのは評判通りのどうしようもない「喪失感」だ。そして心に何か引っかかっているというモヤモヤした読後感を得た。
    直子は章の切れ目で突然死ぬ。そして直子がなぜ自殺したかの詳細な種明かしもされないのだ。もっとも、この物語はワタナベの主観のみで綴られているものであるため、彼が知りえないところは私たちも知ることができないのだ。ここに読後の釈然としなさの原因が宿っている。私たちは物語を俯瞰して客観的に読んでいるようで、ワタナベにしかなれないのだ。もちろん彼が目にする事象や心に抱く心象から二次的に分析はできるが、いろんな形をしているはずの世界が平面的にしかとらえることができないのである。そのため深い没入とワタナベが抱くやるせなさを存分に味わうことができるのだと思う。
    永沢やワタナベの「他人に理解してもらわなくてかまわない」という考えは誰にでもあるのだと思う。他人はあくまで他人であり、自分がどれだけ努力してもその人の心の中を完全に理解することはできないという思いは自分にもある。そのため永沢のように他人との関係をあくまで自分の行動の「結果」であるというような考え方ができるのがうらやましいと感じた。他人と関わりたいと思わないが、孤独を避けたいと思う気持ちの葛藤の中で誰もが生きているのだと思った。
    生者より死者のほうが近い距離にいられるような気がする。これは直子が生きているときには緑を選ぼうとしたワタナベが、直子が死んでから直子のことしか考えられなくなったことから考えられる。生きている人に対しては物理的な距離で測るが、死んだ人は精神的な距離でしか測れないため時間に応じた距離で近く感じてしまうのだと思う。
    何度も読み返すたびに新しい発見がありそうな本だと思った。自分が成長すればワタナベの考えにアドバイスができたりするのかなとか考えてわくわくした。いろんな人と出会っていろんな考えを蓄え、またこの本に挑もうと思う。

  • 〜粗筋〜
    ⑥直子のルームメイトであるレイコがレズビアンの教え子から受けた性的な体験と、それを拒んだ後に悪い噂を流され精神異常になり離婚した事をワタナベに打ち明ける。
    ⑦緑は、ワタナベに相手がいると知りつつも好意を寄せ、積極的に理解し合おうと努める。そして、父親が入院している病院に連れて行く。脳腫瘍の術後で、容体があまり良くない父親は、「切符・緑・頼む・上野駅」とワタナベに伝え、後日亡くなった。
    ⑧永沢さんの就職祝いに、彼女のハツミさんと3人でフランス料理を食べに行くが、永沢の傲慢さから険悪な雰囲気に。ワタナベはハツミと2人でビリヤード店に行き、別れるべきだと伝える。もう少しまともな相手と結婚して幸せに暮らすべきだと。しかしハツミは、それでも永沢のことが好きで、自分ではどうしようもないことだと言う。結局、永沢がドイツに行った2年後にハツミは他の男と結婚し、その2年後に自殺した。
    ⑨緑は父親の葬儀の後、彼氏と奈良へ旅行に行ったが、急に生理が始まったことで喧嘩になり、その後1人で青森の友だちのところに行っていたとワタナベに話し、2人でいやらしい成人映画を見に行こうと誘う。映画を見てからディスコで踊った後、誰もいなくなった実家(元小林書店)へ。ワタナベはベッドで緑を抱いて、彼女が眠ると1人本を読み、寮の自室に帰った。後日、直子とレイコから葡萄色の丸首のセーター(誕生日プレゼント)と手紙が届く。
    ⑩冬、阿美寮へ直子に会いに行く。夜に直子と触れ合いフェラしてもらうが、彼女自身はキズキとの時と同様に濡れなくなっていた。
    ワタナベは、借家に引越した後で緑に連絡するが、緑は3週間も放置されたことに怒り、その仕返しに返事を遅くしたが、結局仲直りする。緑と久々のデートをするが、レイコからの手紙で直子の状態が悪いことを知ったワタナベは上の空で、緑を再び怒らせてしまい、孤独になる。
    その後、なんとか緑と仲直りして、緑もワタナベと会えなくて辛かったこと、ワタナベのことが好きで彼氏と別れたことを聞かされる。初めは時間がほしいと言っていたワタナベだったが、彼女のアパートに招かれ、布団の中で触れ合うことで、2人が相思相愛だということを理解する。そして手紙の中でレイコに相談し、「残念に思いますが、遠慮しないで幸せになりなさい。」と励ましの返事をもらう。
    ⑪直子が首を吊って自殺。直子の葬儀の後、傷心のワタナベは1ヶ月ほど旅に出る。妄想での直子との会話で、死も悪くないものだなと考えることもあった。「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。」
    このままではいけないと、なんとか東京に戻った。
    電話で、レイコが阿美寮を出て旭川に移り住む前に、ワタナベに会いに来ることになり、住んでいる借家に案内し、2人で直子の葬式をした。ギターを弾いたり、お互いを励まし合うように言葉を交わしたりしながら過ごした後、セックスをした。次の日レイコは「幸せになりなさい」と言って、ワタナベと別れた。
    ❇︎緑に電話をかけて気持ちを伝えるが、沈黙の後で「あなた、今どこにいるの?」と言われ、電話ボックスのまわりを確認するか、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。

    〜参考〜(コピペ)
    装丁の赤色と緑色は「死」と「生」を表し、直子は「死の象徴」で緑は「生の象徴」。
    レイコは霊魂と言う意味で、直子の分身としての幽霊です。彼女が旭川に行くのも霊的世界の入り口があるからです。彼女の元夫は四国出身。四国とは村上にとって「死国」なのです。そして、レイコは「棺桶みたいな電車」に乗って僕に会いに来る。
    最後に緑に電話をしたのは、直子=死の象徴から緑=生の象徴へと往還する物語のエンディングだからです。

    〜感想〜
    まるで現実の出来事のように、読み手の解釈の仕方によって大きく変化する一種のリアリズム小説だと感じた。村上春樹の作品には、元々答えがなく読者に自分なりの答えを見つけ出させるような節が多くあり、その点が賛否が分かれる要因になっているようだが、愛や死という不条理な事柄をテーマにした本作にとっては非常に効果的で、物語の空白を自分の想像が埋めていく感覚を覚えた。

    個人的な解釈を述べさせてもらうと、冒頭で直子が話したという井戸(草原と雑木林の境目にある深く暗い穴)というのは、直子が患っていた精神病のことで、草原と雑木林は生と死を意味しており(穴は生と死の狭間)、何処にあるか誰にも分からず、落ちたらどうしようもなくて、そしてそれはときどき(2・3年に1度くらい)起きると書かれている。つまり、直子の姉の自殺も、キズキの自殺も、直子の自殺も、ハツミの自殺も穴に落ちてしまったということだと思う。思い返すと間隔も丁度合致している。

    そして、直子を失ったことでワタナベもおそらく穴に落ちたが、最後にレイコが会いに来て、まるで直子の代わりのように、当たり前のように2人は抱き合い、直子と同じセリフ「私のこと忘れないでね」と彼女は言う。最後に「幸せになりなさい」とレイコは言う。

    レイコを通して、直子とのお別れをすることができたワタナベは、緑に電話をかけるが、何処にいるのか訊かれ、自分が何処にいるのか分からず混乱して物語は終わる。
    このシーンが冒頭の37歳のワタナベか、レイコと別れた直後なのか意見が分かれるところだが、個人的には前者だと思う。

    冒頭で、「10月の草原の風景だけが象徴的なシーンみたいに繰り返し頭の中に浮かび、その風景は頭のある部分を執拗に蹴り続けている。」とある。多くの読者は、作中にある10月に直子と歩いていた草原のシーンだというが、個人的には草原は「生」の象徴である小林緑を表していると解釈し、10月は直子のいる阿美寮から戻って、入院している緑の父親に会い、「緑・頼む」と託された月だと思った。
    冒頭に緑が出てこないことも、直子を失ったワタナベが精神的ショックで緑のことを忘れてしまっているのではないかと考える。また、冒頭でワタナベは、ひょっとして自分はいちばん肝心な部分の記憶を失ってしまっているんじゃないかと考えており「記憶の辺土」という表現を使っているが、これが緑の存在、あるいは緑の父親との約束なのではないかと思う。

    そして37歳のワタナベは、過去の記憶を文章にして辿ることで物事や忘れていた記憶を思い出し、最終的にレイコとの別れまでリンクした後で、「生」の象徴である緑に電話する。つまり十数年経ってから穴から生還する。そういう風に自分は解釈した。

    他に、緑の父親が発した言葉「キップ・ミドリ・タノム・ウエノエキ」が「ノルウェイノモリ」に似ている気がしたため、何かに関係するアナグラムじゃないかと疑ってみたが全く分からなかった。

    感想が長くなってしまったが、キズキを愛した直子はワタナベとの関係に罪悪感を抱き、直子を愛したワタナベもまた緑との関係に罪悪感を抱くという風に、様々な人物と出来事がリンクしていて、まだまだ想像の余地がありそうな深い作品だった。以前、村上春樹は自分には合わないと思っていたが、人気作のハードボイルドやねじまき島も読んでみようと思った。

  • 生と死は分断された別々の世界ではない。生者と死者は地続きにいる。では、その地の上にいて、私はどこに立っているのか。
    心から愛した人達が吸い込まれていった先の暗闇がどうしても気になり、目を凝らしたり触ってみたりしたくなるけれど、結局は生きている人の熱や匂いに惹かれ、求め合ってしまう。生きている限り、私たちには語り合える相手、抱きしめ合える体が必要だ。

    20代に読んでいた頃よりも緑ちゃんの生命力は強烈に輝いて見えたし、直子やハツミさんのことを思うと悲しくてたまらなくなる。そしてワタナベ君やレイコさんは本当にものすごく危ういところに立っていたんだな、と思う。
    無数の偶然や一瞬一瞬のバランスが織り成す「どこでもない場所」に私たちは生きている。そのバランスの儚さや、そこで時たま生まれる恋と友情の輝きを味わえる小説だと思う。

    学生の頃、「好きな作家は?」と聞かれて村上春樹だと答えると、「ああ~、村上春樹好きなんだ(苦笑)」という反応をされたことが何回かある。それが嫌で、評価の定まった作家や海外の作家の名前を答えていた時期もある(その人達ももちろん本当に好きな作家なんだけど)。それを思い出して、ちょっと悔しくなった。堂々と「村上春樹だ」と答え続ければ良かったな。

    『スプートニクの恋人』と『国境の南、太陽の西』も早くAudibleに入りますように!

  • 美術館に5時間くらい居れる人や、クラシックを最後まで聴けるような人には向いているんじゃないかしら。つまり私じゃ門外漢。それくらい卑屈になるほど、何をどう感じて良いのかさっぱり分からなかった。狂った翻訳小説みたい。

    「エロス」ってのはこういうものを指すのか。
    小説というより、文学っていうやつなんだろうか。
    棒読みでもセリフが男性か女性か分かる。だけど表情は抜け落ちたマネキンのよう。
    退廃的で、本質だとかシステムとか古めかしい言葉が存在感をもっていて、やたらめったらセックスする。
    それから、君のフェラチオ、すごかったよ。
    おいおい、一生こんなセリフ吐けそうにないわ。


    ただ、、、読み終わって半日ほどすると、世界観がじわじわと染みこみ始めていた。あれ、欲しがってる?気づけば村上ワールドを求める気持ちが込み上げている。
    なぜだ。知らない間に何が刺さったんだ。
    人間の悩む権利みたいなものを、別の星の地球人に教えられたみたいな感じ。こんなにも美しい語彙で悩むことはできそうにないんだけど。

    ちょっとの間を置いて別の作品も読んでみたいと思う。
    これを楽しむ人に追いつけるかもしれない。

  • なんかリアルな話だなぁ……

    もし自分が主人公の立場だったとしても、彼のように女性に対する中途半端な態度を取らないとは言い切れない。

    現実っぽいから、この主人公が嫌いなんだなぁ…。

    と、思った。


    (今回はネタバレで感想書きます( ᴗ ᴗ)")



    いいかげん大人をとっくに通り越したわたくし…

    「そろそろ村上春樹いけるのでは?」
    という事で、
    初!!村上春樹作品でございます(゚∀゚ノノ"☆パチパチパチ★

    村上春樹といえば
    超有名な『ノルウェイの森』一択!

    ぜんっっぜん内容知りません!
    あらすじも知りません!
    映画ももちろん観たことありません!

    何故なら…
    『難しそうで、意味わからなそう』だからです笑
    完全に食わず嫌いです。

    なんか、大人〜って感じ…( '-' )

    満を持して挑む!!!
    大人の階段登る!!!
    結果!!!


    ……階段…滑り落ちました…(^ω^;);););)


    村上作品は、全てこんな感じなのでしょうか?
    予想してたイメージと全く違ってびっくり。
    まぁ、合う合わないはありますよね(-∀-`; )


    学生運動が盛んだった時代、主人公ワタナベの親友キズキが自殺。
    ワタナベはキズキの彼女、直子と再会。
    直子の心の傷は深く、複雑なものであった。
    再会後2人は親交を深め、やがてかけがえのない存在になってゆく…


    ワタナベはモテる。
    そんなに顔が良いという訳ではなさそうなので、インテリ風で少しクールな態度が魅力なのだろう。
    そして、来るもの拒まず女関係に節操がない。
    そのような、どっちつかずな態度が、読者としては腹が立つ。
    ただ、実際自分が男で、主人公のような立場になったらどうだろう…。
    その時2人の女を本気で好きなのに、振り解く事が出来るだろうか…(-_-;)
    自信ない…。(本音)笑笑
    だってモテるんだからしょうがないよね笑笑
    2人とも好きなんだし。

    言葉ではきちんとする、ちゃんとするような事をワタナベは言いますが、私が読んだ感想として、してるかと聞かれたら、全然してないよね笑笑
    他の女とヤリまくってるし…。
    男の感覚と違うのかな〜。

    私なりに解釈して考えた結果、上手く言えないが、小説っぽくない…というか、リアルすぎるのかなと。
    実際の行動・態度なんてこんな感じなんだろう。
    友人にいますよね。あまり聞かないだけで(^_^;)

    だから反感持つし、イライラする。

    直子に関しては、恋人が何も言わずに自殺…という過去があるので、病む気持ちは分かります。
    うつ病っぽいです。

    彼女がワタナベに取っている行動は、彼女自身もわかっていないのだろうと思う。
    どうしたいのか、どうなりたいのか、考えすぎてパンクしてる。

    彼女の態度は逆に、小説っぽさを感じる。
    曖昧な態度とって、
    どうしたらいいのか分からない。
    私を助けて。
    助けて。
    (かまって、かまって!!)…と(- -;)

    繋ぎ止めるような、気を持たせるような態度。
    そこがビートルズの『ノルウェイの森』の歌詞に因んでいる所なのかな。
    歌詞の女は、どちらかというとさっぱりしていて、緑のような女性という印象を受けますが…。

    直子が駆け込んだ先『阿美寮』は、宗教施設っぽい印象を受けました。
    まぁ、教祖がいるわけではないし、療養施設だから違うんだけどね。
    ただ、狭い世界で生活しているので少なからず洗脳状態にならないとは言い切れませんよね…。

    この施設の中では、隠し事や嘘は吐けない。
    直子は、包み隠さずあらゆる事を同室のレイコに話します。
    ワタナベも2人に手紙を書き、真実を報告します。

    このセラピーが効果あるのか、回復は人それぞれだと思いますが…。

    『何故直子は自殺したのか』という疑問に関しては、私なりの解釈で結論を出しました。

    緑の存在が引き金になったのだと思います。

    『自分がいなければ、ワタナベは緑と一緒になれる』という事実が引き金になった。
    恋人の自殺。男とセックスできない事実。それらを抱えて更にワタナベと共に生きて行けるか分からない。
    彼女は混乱し、症状が重くなった。

    という私の解釈です。

    理由のひとつに、レイコの体験談があります。
    彼女はピアニストになる夢を諦めざるを得なくなり、心が病んでいる所に、旦那さんと出会います。
    とても彼女を愛していてくれていたが、ある事件がきっかけで別れる事に。

    直子にとっては永遠の愛なんて存在しないという例となったのでは?

    そして、ワタナベが直子宛に書いた手紙に、緑との関係が書かれています。

    何でも包み隠さず言い合うのって、本当にセラピーとして効果あるのか、すごく疑問です。
    それが原因なのでは?

    文章がストレートな言い回しで、少し気持ち悪いと思った点がいくつか。

    特にレイコがピアノ教室で会った女の子との話。
    療養施設で直子が「忘れないでね」と言ってワタナベとしていた行為。
    非常にキツかったです。
    していた行為も、エピソードも気持ち悪いです。女の無神経さ?かな。
    (もちろん、自分がしないか?と聞かれたら自信はありませんが…笑)

    読むのやめたいと思った数少ない作品のひとつになりました…(-_-;)

    そんな中でも、好きなキャラは2人。
    突撃隊と、永沢先輩です。

    突撃隊は唯一の癒しでした‎߹ㅁ‎߹)♡
    彼は寮でワタナベと同室。
    毎朝6時にラジオ体操。
    潔癖で部屋は清潔。
    他の部屋にはグラビアのポスターなどが貼ってあるのだが、彼らの部屋には、アムステルダムの運河の写真笑(素敵だと思いますけどね。゚+.゚(´˘`人)゚+.゚)
    ワタナベが彼をからかうエピソードはとても好きです。
    どこ行っちゃったんだよ〜突撃隊〜!(༎ຶ⌑༎ຶ)

    そしてこの方。永沢先輩。
    彼は天才。努力家。信念を貫く。
    彼の考え方は非常に魅力度高いです。
    この本を読んでよかったと唯一思える存在。

    何故女の子を口説くのかと言う質問に、この回答。
    「可能性がまわりに充ちているときに、それをやりすごして通りすぎるというのは大変にむずかしいことなんだ。それ、わかるか?」

    はい。その通り。思わずメモりました。笑笑

    「ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」とのワタナベの質問に対する回答。
    「紳士であることだ」(中略)
    「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」

    すごい。(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
    そんな考え方もあるんだなぁ。
    惚れるぜ。

    とは言え、彼の恋人のハツミさんは自殺してしまいます。

    彼らの喧嘩の時、永沢の自由さに文句はないと、割り切っているんだと思っていたハツミさんは本音を漏らす。

    やっぱそんなできた女、いないよね…(^▽^;)

    それでも貫く永沢節…。

    彼女が自殺した事で、永沢に変化は訪れるのでしょうか…。

    緑は、好きです。
    聡明で素直で下ネタ全開で、機嫌損ねるとめんどくさいけど、多分、一途です。
    策士で、駆け引きが上手い。
    拍手(゚∀゚ノノ"☆パチパチパチ

    ラスト、レイコとセックスする意味が全く分かりません。
    酷いし、あの年齢の女の印象を悪くしている感じがしたのと、熟女層のウケを狙ったのかなという感じがしました……(-᷅_-᷄ )
    だから、リアルなんだって〜。
    するかもしれないけど、小説だから見たくない。


    あとは、個人的なツボ。
    学生運動のビラを配りに授業に割り込んだ生徒に対してのワタナベの心の声が面白かった笑

    「欺瞞的総長選挙を粉砕し〜」からの文章
    「この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろうと僕は思った」

    笑笑ブラックジョーク的なの、好きです。

    村上春樹ファンの方々は、文章の美しさが好きなのかな?
    深いと言われても、具体的にどの辺が深いのか知りたい所。

    総じてこの小説、私には合わなかったです。

    私は頭が悪いので、魅力に気付く事ができませんでした…|д꒪ͧ)…

    ただ、最後まで読んで良かったと思います。

    偏りがちな読書生活ですので、色々な分野の本も読めた貴重な時間だったと思います。
    しかもこの感想、めっちゃ時間かかってるんだぜꉂꉂ(ˊᗜˋ*)笑

    ある意味インパクト大な作品でした。

    死ぬまで忘れないと思います。





  • 若い頃に読んでいたら、また違った感想になったのではないかと思う。学生時代の、考える時間だけはたっぷりある、自分を取り巻く小さな世界。
    私だったらと考えてはいけない。違和感たっぷりだし、乗り越えられない、というか、消化できず思考停止になるような気がするので。俯瞰して、毎日流され面白可笑しく過ごすよりは、ワタナベ君の人生を豊かにし、成長できた学生時代だったのではないかと思う。

    言わなくてもいい事、聞きたくない事が沢山あった。でもそれは、自分の心のどこかで思っている事だから、突きつけられたくなかったのかもしれない。

    「死」を選ぶ、選ばないということ。
    私は私であって私ではない。
    死ぬ思いをして産んだのに安易に逝かれちゃ迷惑だ。などと親の立場では思うのだ。

    『事態がどれほど絶望的に見えても、どこかに必ず糸口はあります。まわりが暗ければ、しばらくじっとして目がその暗闇に慣れるのを待つしかありません。』

    読めてよかったと思う。が、性的描写は最小限で…

  • 読み終わっても、ワタナベの今後の人生が気になるなぁ、、ラストシーンはどういう意味なのだろう、なぜワタナベはレイコさんと最後に体の関係を持ってしまったのか、なぜ直子は死んだのか、などなど、恋愛小説なのに疑問点が多く残る。
    ワタナベは緑とうまくいって今度こそ幸せになってほしいなぁ
    緑とワタナベの、大事な友達として一線を超えないように頑張ってるところとか、お互い尊重し合っている雰囲気がとても好き。
    難しい話だったな、、何度も読み返したいと思った。まぁ、全体的には村上春樹の世界観として楽しめたからいっか(笑)

  • 高校生のときに初めて読んだ村上春樹。
    その時の印象は暗くて静か(そういうのは好きなのだけど)、あまりの性描写の多さに村上春樹は苦手だとおもうきっかけになってしまった。いみのない性描写はきらい。官能小説みたいでなんか嫌だ。
    でも今回改めてきちんと考えながら読んで、この作品に於いての性というのは"生"のことなのかなという考えに至ったら、一気にすっきりとした。

    生を受け入れられない直子と、まっすぐに生と向き合おうとする緑と、生の世界にありながらも直子のもつ死を見つめざるを得ないワタナベくん、死に近いけれどまだ選択の余地のあるレイコさん
    全力で正直な緑が好き。死に影響されつづけるワタナベくんが生をわすれなかったのは、生命力にあふれている緑との関わりがあったからだと思う。

    結局はまだまだ生きなければならないけど、生きてゆく限りは多くのものを失うことになるし、世界にはきれいじゃないものが沢山あるし、自分のかなしみのことだけ考えていく訳にもいかないし、でもそれに向き合うのが生きるということだから。
    4年ぶりに読んだノルウェイの森は、生きるパワーやあたたかさを感じる作品だった。
    すごくうまく組み立てられた作品。村上春樹がすごいと言われる理由が分かり始めたかもしれない。

  • これは恋愛小説であった。

    緑めんどくさいけど登場人物の中では一番好きだなぁ。

    緑とのあけすけなエロトークがなんか笑えてきた。

  • ラストシーン、ミドリに「あなた、今どこにいるの?」と聞かれたワタナベ君は、どこにいるのか?

    これについて、「レイコさんと別れた直後」「三十七歳のハンブルク空港」など諸説ある。
    私は『ノルウェイの森』を再読したので、二十代に読んだ時とまったく印象が異なっていることに気がついた。
    「あなた、今どこにいるの?」
    これはワタナベへの語り掛けであり、読者への語り掛けなんだと思う。
    読後の我々は今、どこにいるのか?
    井戸のどのくらいの深さにいるのか?
    読む時々で、違ってくる。

    後半は特に、様々な文学が基になっていることが示唆されている。
    ミドリの本屋で『車輪の下』を中学以来に読むワタナベ(私も中学の時に『車輪の下』がすごい好きで、最近、再読した)。
    この作品のラストもかなり曖昧に終わる。
    また芸術大学に通う伊東からボリス・ヴィアンを借りるのだが、その前に僕はレイコさんから手紙をもらい、直子が転院することを知る。
    そして直子の体中から植物が生えてくることを想像し、春を憎む。
    ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」に重なるイメージだ。
    また全体として、夏目漱石『こころ』に構造が似ている。
    手紙文学である、という側面。
    またワタナベが初めて直子とレイコの療養施設に訪れた夜、直子であって直子でないようなものがワタナベに裸を見せに来る。
    まるでなにかの予行練習のように。
    『こころ』ではKが真夜中、親友である「先生」の部屋に急に入ってくる。それが意味することが「先生」にはずっとわからないのだが、これもKの内部の「予行練習」だと言われている。
    さらに永沢さんがワタナベに忠告する「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」、これはKの「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という断定と似ている。
    永沢さんとKは真逆のベクトルの人間だが、悪魔的にストイックすぎる、という意味では似ている。

    今日、たまたま私は誕生日。
    この作品も誕生日が非常に重要になっている(直子は誕生日にだけ、濡れた)。
    私はポール・オースター好きなので、そういう偶然って、私は信じてしまう。

    私は、ワタナベがいつどこでミドリに電話をかけたのかわからない。
    そして自分が今、どこにいるのか、もわからない。
    でもレイコさんがワタナベに「幸せになりなさい」と言った。
    だからワタナベは幸せになったんだ、と信じてたい。
    ミドリと共に。


    気になる点は他にもある。
    永沢さんが「お前とは数年後、ばったりと会う気がするんだ」というが、彼との再会は描かれない。
    だがこのセリフも、読者に対する言葉なのかもしれない。
    永沢さん的な、合理的だが人間性の欠けた、人間とは言えない、物事。
    生きていると、そういう事態に出くわす。
    あと「小柄な眼鏡の女」。
    新宿でワタナベが彼女と寝た後に直子から初めての手紙が届く。
    で、この「小柄な眼鏡の女」って、ミドリのまわりにしょっちゅういる女友達と外見描写がほぼ同じ。
    これって、作者のミスなのか?
    ちょっとそう思えず、ミドリの危うさの表現でもある。
    ミドリはミドリでワタナベに救われている。

    今の私は、どうであれ、ワタナベとミドリが永沢的なものや「小柄な眼鏡の女」的なものとも対峙したり悩みながらも、「幸せになりなさい」って思う。

  • ワタナベ、直子、キズキ、緑、レイコ、それぞれの若さの闇と共に青春と生と死があり、深い喪失感と不思議な希望を見せてくれる傑作でした。

  • 下巻は一気に半日で読んだ。
    ノルウェイの森、村上春樹、おそるべし。
    僕が味わった哀しみは次の哀しみに対して何の役にも立たないというのが真理だと共感。

    レイコさんのおかげで彼は影を持った現実に戻れる。
    レイコさんも救われたと思う。

    生の中に死は潜んでいる。
    でも、えいやって生きたい!

  • ふとしたきっかけで出会い、段々と離れていく話。段々とと書きはしたが、そう思えるのは主人公が別れた後も引きずっているからで、別れ自体は唐突である。上と違い場面の変化はほとんどないが、その分主人公の心境の変化などは激しく、二人の女性を愛してしまった誠実な人間の葛藤もどこか納得が得られる。だからか最後の別れの後の人生が悲劇的でないように感じる不思議な読後感である。

  • 20歳前後の人生を男女の関係の描写で表現されている。時代背景は学生運動をはじめ自分のイデオロギーを主張する良き時代だと感じる。

    以前読んだ時とは異なる感じを受けた。それは今の私が、ワタナベの思考に似ているからかもしれない。「やれやれ」という文中の言葉を引用するのが近い言葉かもしれない。

    人の死を通して人との関わりが相互に影響しあっている事の表現は、私の頭の中に流れるように入ってくる。村上春樹さんの作品でしばしば出てくる「井戸」は心の中にある「イド」とも捉えることができる。それはホンネとタテマエの境界線のように思える。
    作者の気持ちを読み取るというより、私自身の中にあるものをこの作品を通して読み解く感覚を覚える。

    1970年代に二十歳の原点が出版された。これも生と死をまざまざと見せつけられる作品で、出版後何十年もの歳月を経ても、リアルであるだけに一層衝撃を受けた。表面的なテーマは同じであっても、切り口が異なる。そして同じ意味では色褪せないということだろう。

  • この本が刊行された頃に一度読んだきりで、内容を殆ど忘れてしまったので再読。
    忘れていたにもかかわらず、私の中で圧倒的な存在感を誇っていた。
    「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて。」
    ストーリーを噛みしめながら読んでいった。
    死に向かう人間と、生身の人間…
    誰かに心魅かれるというのは、罪でも何でもありません。
    何度読んでも伝わるものがあるし、また何年か後にも読みたいと思う。

  • 随分と昔に何度も読んでいた物語。20年ぶりくらいの再読になるのかも知れないけど、結構忘れちゃってて、作中次々と訪れる喪失に涙が出そうになりながら #読了
    やっぱり村上春樹さんの作品の中では1番好きかもしれない…

  • ダロウェイ夫人に比べると、直子の死には現実感がなかった。
    ワタナベがわかりやすく ヘコんでいることが意外であった。

    レイコと抱き合うラストは、わたしは特に気にならない。
    死に触れすぎると人肌が恋しくなるかもなと思ったし、不自然なほど死をたくさん描くからには、生も大げさなほど描いてくれてよし、と思えた。
    しかし、わたしならレイコに雪国をオススメはしない。

  • 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が社会現象になった時に、初めて村上春樹の作品を読み、他にも読んでみたいと思い、購入していた本書。先日上巻を読了し、下巻も一気に読了しました。

    村上春樹の作品を読んだのは2作目でしたが、リズムがあり読みやすく、情景描写や表現が巧く、そのストーリーと世界観に引き込まれました。登場人物は皆、心にどこか傷を抱えていましたが、個性的で魅力的でした。その中でも自由奔放な緑が1番好きです。

    ついつい一気に読了してしまいましたが、またいつか、ゆっくり味わって再読したいと思います。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

村上春樹の作品

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