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本 ・本 (296ページ) / ISBN・EAN: 9784062748698
作品紹介・あらすじ
激しくて、物静かで哀しい、100パーセントの恋愛小説!
あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと――。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。
感想・レビュー・書評
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著者、村上春樹さん(1949~)の作品、ブクログ登録は3冊目。
本作の内容は、BOOKデータベースによると、次のとおり。
---引用開始
あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くことー。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。
---引用終了
本作は2010年に映画化されていますので、キャストを確認しておきます。
ワタナベ 松山ケンイチ
直子 菊地凛子
キズキ 高良健吾
緑 水原希子
レイコ 霧島れいか
永沢 玉山鉄二
ハツミ 初音映莉子詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
上巻より早く読み終わりました。面白かったです!
本作、一般的にはあまり身近に起こる状況や環境ではないとは思いますが、村上春樹の突き抜け感と、小説という点でのエンタメ感として割り切って読みました。ひとりの大学生が人間関係・恋愛において起こる様々な出来事や苦境・死 に、何を感じどう行動していくのか、共に潰れてしまうのか、大人への成長の糧となるのか、辛くもあり切なくもあり応援したくもあり、様々な感情が揺さぶられる作品だと思います、よく言えば!性的表現が生々しいというか独特な描き方なので嫌悪感示す方多いのも納得します。私は意外と嫌いじゃない。。。村上春樹を満喫するには良い一冊だと思いました。 -
私は村上春樹の著書を読んだことがなかった。それでもなぜ『ノルウェイの森』から読もうと思ったのか、理由は”おすすめされなかったから”だ。
たくさんある著書の中からおすすめするとき、とりわけ万人受けするものを選ぶと思う。しかし私は村上春樹がなぜこんなに人の心を動かしているのか、その尖ったところを知りたかったのである。簡単に言うと読むなと言われたら読みたくなるのが人の心理である。
読み終わって感じるのは評判通りのどうしようもない「喪失感」だ。そして心に何か引っかかっているというモヤモヤした読後感を得た。
直子は章の切れ目で突然死ぬ。そして直子がなぜ自殺したかの詳細な種明かしもされないのだ。もっとも、この物語はワタナベの主観のみで綴られているものであるため、彼が知りえないところは私たちも知ることができないのだ。ここに読後の釈然としなさの原因が宿っている。私たちは物語を俯瞰して客観的に読んでいるようで、ワタナベにしかなれないのだ。もちろん彼が目にする事象や心に抱く心象から二次的に分析はできるが、いろんな形をしているはずの世界が平面的にしかとらえることができないのである。そのため深い没入とワタナベが抱くやるせなさを存分に味わうことができるのだと思う。
永沢やワタナベの「他人に理解してもらわなくてかまわない」という考えは誰にでもあるのだと思う。他人はあくまで他人であり、自分がどれだけ努力してもその人の心の中を完全に理解することはできないという思いは自分にもある。そのため永沢のように他人との関係をあくまで自分の行動の「結果」であるというような考え方ができるのがうらやましいと感じた。他人と関わりたいと思わないが、孤独を避けたいと思う気持ちの葛藤の中で誰もが生きているのだと思った。
生者より死者のほうが近い距離にいられるような気がする。これは直子が生きているときには緑を選ぼうとしたワタナベが、直子が死んでから直子のことしか考えられなくなったことから考えられる。生きている人に対しては物理的な距離で測るが、死んだ人は精神的な距離でしか測れないため時間に応じた距離で近く感じてしまうのだと思う。
何度も読み返すたびに新しい発見がありそうな本だと思った。自分が成長すればワタナベの考えにアドバイスができたりするのかなとか考えてわくわくした。いろんな人と出会っていろんな考えを蓄え、またこの本に挑もうと思う。 -
生と死は分断された別々の世界ではない。生者と死者は地続きにいる。では、その地の上にいて、私はどこに立っているのか。
心から愛した人達が吸い込まれていった先の暗闇がどうしても気になり、目を凝らしたり触ってみたりしたくなるけれど、結局は生きている人の熱や匂いに惹かれ、求め合ってしまう。生きている限り、私たちには語り合える相手、抱きしめ合える体が必要だ。
20代に読んでいた頃よりも緑ちゃんの生命力は強烈に輝いて見えたし、直子やハツミさんのことを思うと悲しくてたまらなくなる。そしてワタナベ君やレイコさんは本当にものすごく危ういところに立っていたんだな、と思う。
無数の偶然や一瞬一瞬のバランスが織り成す「どこでもない場所」に私たちは生きている。そのバランスの儚さや、そこで時たま生まれる恋と友情の輝きを味わえる小説だと思う。
学生の頃、「好きな作家は?」と聞かれて村上春樹だと答えると、「ああ~、村上春樹好きなんだ(苦笑)」という反応をされたことが何回かある。それが嫌で、評価の定まった作家や海外の作家の名前を答えていた時期もある(その人達ももちろん本当に好きな作家なんだけど)。それを思い出して、ちょっと悔しくなった。堂々と「村上春樹だ」と答え続ければ良かったな。
『スプートニクの恋人』と『国境の南、太陽の西』も早くAudibleに入りますように! -
美術館に5時間くらい居れる人や、クラシックを最後まで聴けるような人には向いているんじゃないかしら。つまり私じゃ門外漢。それくらい卑屈になるほど、何をどう感じて良いのかさっぱり分からなかった。狂った翻訳小説みたい。
「エロス」ってのはこういうものを指すのか。
小説というより、文学っていうやつなんだろうか。
棒読みでもセリフが男性か女性か分かる。だけど表情は抜け落ちたマネキンのよう。
退廃的で、本質だとかシステムとか古めかしい言葉が存在感をもっていて、やたらめったらセックスする。
それから、君のフェラチオ、すごかったよ。
おいおい、一生こんなセリフ吐けそうにないわ。
ただ、、、読み終わって半日ほどすると、世界観がじわじわと染みこみ始めていた。あれ、欲しがってる?気づけば村上ワールドを求める気持ちが込み上げている。
なぜだ。知らない間に何が刺さったんだ。
人間の悩む権利みたいなものを、別の星の地球人に教えられたみたいな感じ。こんなにも美しい語彙で悩むことはできそうにないんだけど。
ちょっとの間を置いて別の作品も読んでみたいと思う。
これを楽しむ人に追いつけるかもしれない。 -
若い頃に読んでいたら、また違った感想になったのではないかと思う。学生時代の、考える時間だけはたっぷりある、自分を取り巻く小さな世界。
私だったらと考えてはいけない。違和感たっぷりだし、乗り越えられない、というか、消化できず思考停止になるような気がするので。俯瞰して、毎日流され面白可笑しく過ごすよりは、ワタナベ君の人生を豊かにし、成長できた学生時代だったのではないかと思う。
言わなくてもいい事、聞きたくない事が沢山あった。でもそれは、自分の心のどこかで思っている事だから、突きつけられたくなかったのかもしれない。
「死」を選ぶ、選ばないということ。
私は私であって私ではない。
死ぬ思いをして産んだのに安易に逝かれちゃ迷惑だ。などと親の立場では思うのだ。
『事態がどれほど絶望的に見えても、どこかに必ず糸口はあります。まわりが暗ければ、しばらくじっとして目がその暗闇に慣れるのを待つしかありません。』
読めてよかったと思う。が、性的描写は最小限で…
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高校生のときに初めて読んだ村上春樹。
その時の印象は暗くて静か(そういうのは好きなのだけど)、あまりの性描写の多さに村上春樹は苦手だとおもうきっかけになってしまった。いみのない性描写はきらい。官能小説みたいでなんか嫌だ。
でも今回改めてきちんと考えながら読んで、この作品に於いての性というのは"生"のことなのかなという考えに至ったら、一気にすっきりとした。
生を受け入れられない直子と、まっすぐに生と向き合おうとする緑と、生の世界にありながらも直子のもつ死を見つめざるを得ないワタナベくん、死に近いけれどまだ選択の余地のあるレイコさん
全力で正直な緑が好き。死に影響されつづけるワタナベくんが生をわすれなかったのは、生命力にあふれている緑との関わりがあったからだと思う。
結局はまだまだ生きなければならないけど、生きてゆく限りは多くのものを失うことになるし、世界にはきれいじゃないものが沢山あるし、自分のかなしみのことだけ考えていく訳にもいかないし、でもそれに向き合うのが生きるということだから。
4年ぶりに読んだノルウェイの森は、生きるパワーやあたたかさを感じる作品だった。
すごくうまく組み立てられた作品。村上春樹がすごいと言われる理由が分かり始めたかもしれない。 -
これは恋愛小説であった。
緑めんどくさいけど登場人物の中では一番好きだなぁ。
緑とのあけすけなエロトークがなんか笑えてきた。 -
ラストシーン、ミドリに「あなた、今どこにいるの?」と聞かれたワタナベ君は、どこにいるのか?
これについて、「レイコさんと別れた直後」「三十七歳のハンブルク空港」など諸説ある。
私は『ノルウェイの森』を再読したので、二十代に読んだ時とまったく印象が異なっていることに気がついた。
「あなた、今どこにいるの?」
これはワタナベへの語り掛けであり、読者への語り掛けなんだと思う。
読後の我々は今、どこにいるのか?
井戸のどのくらいの深さにいるのか?
読む時々で、違ってくる。
後半は特に、様々な文学が基になっていることが示唆されている。
ミドリの本屋で『車輪の下』を中学以来に読むワタナベ(私も中学の時に『車輪の下』がすごい好きで、最近、再読した)。
この作品のラストもかなり曖昧に終わる。
また芸術大学に通う伊東からボリス・ヴィアンを借りるのだが、その前に僕はレイコさんから手紙をもらい、直子が転院することを知る。
そして直子の体中から植物が生えてくることを想像し、春を憎む。
ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」に重なるイメージだ。
また全体として、夏目漱石『こころ』に構造が似ている。
手紙文学である、という側面。
またワタナベが初めて直子とレイコの療養施設に訪れた夜、直子であって直子でないようなものがワタナベに裸を見せに来る。
まるでなにかの予行練習のように。
『こころ』ではKが真夜中、親友である「先生」の部屋に急に入ってくる。それが意味することが「先生」にはずっとわからないのだが、これもKの内部の「予行練習」だと言われている。
さらに永沢さんがワタナベに忠告する「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」、これはKの「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という断定と似ている。
永沢さんとKは真逆のベクトルの人間だが、悪魔的にストイックすぎる、という意味では似ている。
今日、たまたま私は誕生日。
この作品も誕生日が非常に重要になっている(直子は誕生日にだけ、濡れた)。
私はポール・オースター好きなので、そういう偶然って、私は信じてしまう。
私は、ワタナベがいつどこでミドリに電話をかけたのかわからない。
そして自分が今、どこにいるのか、もわからない。
でもレイコさんがワタナベに「幸せになりなさい」と言った。
だからワタナベは幸せになったんだ、と信じてたい。
ミドリと共に。
気になる点は他にもある。
永沢さんが「お前とは数年後、ばったりと会う気がするんだ」というが、彼との再会は描かれない。
だがこのセリフも、読者に対する言葉なのかもしれない。
永沢さん的な、合理的だが人間性の欠けた、人間とは言えない、物事。
生きていると、そういう事態に出くわす。
あと「小柄な眼鏡の女」。
新宿でワタナベが彼女と寝た後に直子から初めての手紙が届く。
で、この「小柄な眼鏡の女」って、ミドリのまわりにしょっちゅういる女友達と外見描写がほぼ同じ。
これって、作者のミスなのか?
ちょっとそう思えず、ミドリの危うさの表現でもある。
ミドリはミドリでワタナベに救われている。
今の私は、どうであれ、ワタナベとミドリが永沢的なものや「小柄な眼鏡の女」的なものとも対峙したり悩みながらも、「幸せになりなさい」って思う。 -
ワタナベ、直子、キズキ、緑、レイコ、それぞれの若さの闇と共に青春と生と死があり、深い喪失感と不思議な希望を見せてくれる傑作でした。
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下巻は一気に半日で読んだ。
ノルウェイの森、村上春樹、おそるべし。
僕が味わった哀しみは次の哀しみに対して何の役にも立たないというのが真理だと共感。
レイコさんのおかげで彼は影を持った現実に戻れる。
レイコさんも救われたと思う。
生の中に死は潜んでいる。
でも、えいやって生きたい! -
ふとしたきっかけで出会い、段々と離れていく話。段々とと書きはしたが、そう思えるのは主人公が別れた後も引きずっているからで、別れ自体は唐突である。上と違い場面の変化はほとんどないが、その分主人公の心境の変化などは激しく、二人の女性を愛してしまった誠実な人間の葛藤もどこか納得が得られる。だからか最後の別れの後の人生が悲劇的でないように感じる不思議な読後感である。
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20歳前後の人生を男女の関係の描写で表現されている。時代背景は学生運動をはじめ自分のイデオロギーを主張する良き時代だと感じる。
以前読んだ時とは異なる感じを受けた。それは今の私が、ワタナベの思考に似ているからかもしれない。「やれやれ」という文中の言葉を引用するのが近い言葉かもしれない。
人の死を通して人との関わりが相互に影響しあっている事の表現は、私の頭の中に流れるように入ってくる。村上春樹さんの作品でしばしば出てくる「井戸」は心の中にある「イド」とも捉えることができる。それはホンネとタテマエの境界線のように思える。
作者の気持ちを読み取るというより、私自身の中にあるものをこの作品を通して読み解く感覚を覚える。
1970年代に二十歳の原点が出版された。これも生と死をまざまざと見せつけられる作品で、出版後何十年もの歳月を経ても、リアルであるだけに一層衝撃を受けた。表面的なテーマは同じであっても、切り口が異なる。そして同じ意味では色褪せないということだろう。 -
この本が刊行された頃に一度読んだきりで、内容を殆ど忘れてしまったので再読。
忘れていたにもかかわらず、私の中で圧倒的な存在感を誇っていた。
「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて。」
ストーリーを噛みしめながら読んでいった。
死に向かう人間と、生身の人間…
誰かに心魅かれるというのは、罪でも何でもありません。
何度読んでも伝わるものがあるし、また何年か後にも読みたいと思う。 -
随分と昔に何度も読んでいた物語。20年ぶりくらいの再読になるのかも知れないけど、結構忘れちゃってて、作中次々と訪れる喪失に涙が出そうになりながら #読了
やっぱり村上春樹さんの作品の中では1番好きかもしれない… -
ダロウェイ夫人に比べると、直子の死には現実感がなかった。
ワタナベがわかりやすく ヘコんでいることが意外であった。
レイコと抱き合うラストは、わたしは特に気にならない。
死に触れすぎると人肌が恋しくなるかもなと思ったし、不自然なほど死をたくさん描くからには、生も大げさなほど描いてくれてよし、と思えた。
しかし、わたしならレイコに雪国をオススメはしない。 -
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が社会現象になった時に、初めて村上春樹の作品を読み、他にも読んでみたいと思い、購入していた本書。先日上巻を読了し、下巻も一気に読了しました。
村上春樹の作品を読んだのは2作目でしたが、リズムがあり読みやすく、情景描写や表現が巧く、そのストーリーと世界観に引き込まれました。登場人物は皆、心にどこか傷を抱えていましたが、個性的で魅力的でした。その中でも自由奔放な緑が1番好きです。
ついつい一気に読了してしまいましたが、またいつか、ゆっくり味わって再読したいと思います。
著者プロフィール
村上春樹の作品





