ノルウェイの森 下 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 39669
感想 : 2597
  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748698

作品紹介・あらすじ

あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離を置くこと-。あたらしい僕の大学生活はこうしてはじまった。自殺した親友キズキ、その恋人の直子、同じ学部の緑。等身大の人物を登場させ、心の震えや感動、そして哀しみを淡々とせつないまでに描いた作品。

感想・レビュー・書評

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  • 私は村上春樹の著書を読んだことがなかった。それでもなぜ『ノルウェイの森』から読もうと思ったのか、理由は”おすすめされなかったから”だ。
    たくさんある著書の中からおすすめするとき、とりわけ万人受けするものを選ぶと思う。しかし私は村上春樹がなぜこんなに人の心を動かしているのか、その尖ったところを知りたかったのである。簡単に言うと読むなと言われたら読みたくなるのが人の心理である。

    読み終わって感じるのは評判通りのどうしようもない「喪失感」だ。そして心に何か引っかかっているというモヤモヤした読後感を得た。
    直子は章の切れ目で突然死ぬ。そして直子がなぜ自殺したかの詳細な種明かしもされないのだ。もっとも、この物語はワタナベの主観のみで綴られているものであるため、彼が知りえないところは私たちも知ることができないのだ。ここに読後の釈然としなさの原因が宿っている。私たちは物語を俯瞰して客観的に読んでいるようで、ワタナベにしかなれないのだ。もちろん彼が目にする事象や心に抱く心象から二次的に分析はできるが、いろんな形をしているはずの世界が平面的にしかとらえることができないのである。そのため深い没入とワタナベが抱くやるせなさを存分に味わうことができるのだと思う。
    永沢やワタナベの「他人に理解してもらわなくてかまわない」という考えは誰にでもあるのだと思う。他人はあくまで他人であり、自分がどれだけ努力してもその人の心の中を完全に理解することはできないという思いは自分にもある。そのため永沢のように他人との関係をあくまで自分の行動の「結果」であるというような考え方ができるのがうらやましいと感じた。他人と関わりたいと思わないが、孤独を避けたいと思う気持ちの葛藤の中で誰もが生きているのだと思った。
    生者より死者のほうが近い距離にいられるような気がする。これは直子が生きているときには緑を選ぼうとしたワタナベが、直子が死んでから直子のことしか考えられなくなったことから考えられる。生きている人に対しては物理的な距離で測るが、死んだ人は精神的な距離でしか測れないため時間に応じた距離で近く感じてしまうのだと思う。
    何度も読み返すたびに新しい発見がありそうな本だと思った。自分が成長すればワタナベの考えにアドバイスができたりするのかなとか考えてわくわくした。いろんな人と出会っていろんな考えを蓄え、またこの本に挑もうと思う。

  • 〜粗筋〜
    ⑥直子のルームメイトであるレイコがレズビアンの教え子から受けた性的な体験と、それを拒んだ後に悪い噂を流され精神異常になり離婚した事をワタナベに打ち明ける。
    ⑦緑は、ワタナベに相手がいると知りつつも好意を寄せ、積極的に理解し合おうと努める。そして、父親が入院している病院に連れて行く。脳腫瘍の術後で、容体があまり良くない父親は、「切符・緑・頼む・上野駅」とワタナベに伝え、後日亡くなった。
    ⑧永沢さんの就職祝いに、彼女のハツミさんと3人でフランス料理を食べに行くが、永沢の傲慢さから険悪な雰囲気に。ワタナベはハツミと2人でビリヤード店に行き、別れるべきだと伝える。もう少しまともな相手と結婚して幸せに暮らすべきだと。しかしハツミは、それでも永沢のことが好きで、自分ではどうしようもないことだと言う。結局、永沢がドイツに行った2年後にハツミは他の男と結婚し、その2年後に自殺した。
    ⑨緑は父親の葬儀の後、彼氏と奈良へ旅行に行ったが、急に生理が始まったことで喧嘩になり、その後1人で青森の友だちのところに行っていたとワタナベに話し、2人でいやらしい成人映画を見に行こうと誘う。映画を見てからディスコで踊った後、誰もいなくなった実家(元小林書店)へ。ワタナベはベッドで緑を抱いて、彼女が眠ると1人本を読み、寮の自室に帰った。後日、直子とレイコから葡萄色の丸首のセーター(誕生日プレゼント)と手紙が届く。
    ⑩冬、阿美寮へ直子に会いに行く。夜に直子と触れ合いフェラしてもらうが、彼女自身はキズキとの時と同様に濡れなくなっていた。
    ワタナベは、借家に引越した後で緑に連絡するが、緑は3週間も放置されたことに怒り、その仕返しに返事を遅くしたが、結局仲直りする。緑と久々のデートをするが、レイコからの手紙で直子の状態が悪いことを知ったワタナベは上の空で、緑を再び怒らせてしまい、孤独になる。
    その後、なんとか緑と仲直りして、緑もワタナベと会えなくて辛かったこと、ワタナベのことが好きで彼氏と別れたことを聞かされる。初めは時間がほしいと言っていたワタナベだったが、彼女のアパートに招かれ、布団の中で触れ合うことで、2人が相思相愛だということを理解する。そして手紙の中でレイコに相談し、「残念に思いますが、遠慮しないで幸せになりなさい。」と励ましの返事をもらう。
    ⑪直子が首を吊って自殺。直子の葬儀の後、傷心のワタナベは1ヶ月ほど旅に出る。妄想での直子との会話で、死も悪くないものだなと考えることもあった。「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ。」
    このままではいけないと、なんとか東京に戻った。
    電話で、レイコが阿美寮を出て旭川に移り住む前に、ワタナベに会いに来ることになり、住んでいる借家に案内し、2人で直子の葬式をした。ギターを弾いたり、お互いを励まし合うように言葉を交わしたりしながら過ごした後、セックスをした。次の日レイコは「幸せになりなさい」と言って、ワタナベと別れた。
    ❇︎緑に電話をかけて気持ちを伝えるが、沈黙の後で「あなた、今どこにいるの?」と言われ、電話ボックスのまわりを確認するか、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。

    〜参考〜(コピペ)
    装丁の赤色と緑色は「死」と「生」を表し、直子は「死の象徴」で緑は「生の象徴」。
    レイコは霊魂と言う意味で、直子の分身としての幽霊です。彼女が旭川に行くのも霊的世界の入り口があるからです。彼女の元夫は四国出身。四国とは村上にとって「死国」なのです。そして、レイコは「棺桶みたいな電車」に乗って僕に会いに来る。
    最後に緑に電話をしたのは、直子=死の象徴から緑=生の象徴へと往還する物語のエンディングだからです。

    〜感想〜
    まるで現実の出来事のように、読み手の解釈の仕方によって大きく変化する一種のリアリズム小説だと感じた。村上春樹の作品には、元々答えがなく読者に自分なりの答えを見つけ出させるような節が多くあり、その点が賛否が分かれる要因になっているようだが、愛や死という不条理な事柄をテーマにした本作にとっては非常に効果的で、物語の空白を自分の想像が埋めていく感覚を覚えた。

    個人的な解釈を述べさせてもらうと、冒頭で直子が話したという井戸(草原と雑木林の境目にある深く暗い穴)というのは、直子が患っていた精神病のことで、草原と雑木林は生と死を意味しており(穴は生と死の狭間)、何処にあるか誰にも分からず、落ちたらどうしようもなくて、そしてそれはときどき(2・3年に1度くらい)起きると書かれている。つまり、直子の姉の自殺も、キズキの自殺も、直子の自殺も、ハツミの自殺も穴に落ちてしまったということだと思う。思い返すと間隔も丁度合致している。

    そして、直子を失ったことでワタナベもおそらく穴に落ちたが、最後にレイコが会いに来て、まるで直子の代わりのように、当たり前のように2人は抱き合い、直子と同じセリフ「私のこと忘れないでね」と彼女は言う。最後に「幸せになりなさい」とレイコは言う。

    レイコを通して、直子とのお別れをすることができたワタナベは、緑に電話をかけるが、何処にいるのか訊かれ、自分が何処にいるのか分からず混乱して物語は終わる。
    このシーンが冒頭の37歳のワタナベか、レイコと別れた直後なのか意見が分かれるところだが、個人的には前者だと思う。

    冒頭で、「10月の草原の風景だけが象徴的なシーンみたいに繰り返し頭の中に浮かび、その風景は頭のある部分を執拗に蹴り続けている。」とある。多くの読者は、作中にある10月に直子と歩いていた草原のシーンだというが、個人的には草原は「生」の象徴である小林緑を表していると解釈し、10月は直子のいる阿美寮から戻って、入院している緑の父親に会い、「緑・頼む」と託された月だと思った。
    冒頭に緑が出てこないことも、直子を失ったワタナベが精神的ショックで緑のことを忘れてしまっているのではないかと考える。また、冒頭でワタナベは、ひょっとして自分はいちばん肝心な部分の記憶を失ってしまっているんじゃないかと考えており「記憶の辺土」という表現を使っているが、これが緑の存在、あるいは緑の父親との約束なのではないかと思う。

    そして37歳のワタナベは、過去の記憶を文章にして辿ることで物事や忘れていた記憶を思い出し、最終的にレイコとの別れまでリンクした後で、「生」の象徴である緑に電話する。つまり十数年経ってから穴から生還する。そういう風に自分は解釈した。

    他に、緑の父親が発した言葉「キップ・ミドリ・タノム・ウエノエキ」が「ノルウェイノモリ」に似ている気がしたため、何かに関係するアナグラムじゃないかと疑ってみたが全く分からなかった。

    感想が長くなってしまったが、キズキを愛した直子はワタナベとの関係に罪悪感を抱き、直子を愛したワタナベもまた緑との関係に罪悪感を抱くという風に、様々な人物と出来事がリンクしていて、まだまだ想像の余地がありそうな深い作品だった。以前、村上春樹は自分には合わないと思っていたが、人気作のハードボイルドやねじまき島も読んでみようと思った。

  • 読み終わっても、ワタナベの今後の人生が気になるなぁ、、ラストシーンはどういう意味なのだろう、なぜワタナベはレイコさんと最後に体の関係を持ってしまったのか、なぜ直子は死んだのか、などなど、恋愛小説なのに疑問点が多く残る。
    ワタナベは緑とうまくいって今度こそ幸せになってほしいなぁ
    緑とワタナベの、大事な友達として一線を超えないように頑張ってるところとか、お互い尊重し合っている雰囲気がとても好き。
    難しい話だったな、、何度も読み返したいと思った。まぁ、全体的には村上春樹の世界観として楽しめたからいっか(笑)

  • ワタナベ、直子、キズキ、緑、レイコ、それぞれの若さの闇と共に青春と生と死があり、深い喪失感と不思議な希望を見せてくれる傑作でした。

  • 高校生のときに初めて読んだ村上春樹。
    その時の印象は暗くて静か(そういうのは好きなのだけど)、あまりの性描写の多さに村上春樹は苦手だとおもうきっかけになってしまった。いみのない性描写はきらい。官能小説みたいでなんか嫌だ。
    でも今回改めてきちんと考えながら読んで、この作品に於いての性というのは"生"のことなのかなという考えに至ったら、一気にすっきりとした。

    生を受け入れられない直子と、まっすぐに生と向き合おうとする緑と、生の世界にありながらも直子のもつ死を見つめざるを得ないワタナベくん、死に近いけれどまだ選択の余地のあるレイコさん
    全力で正直な緑が好き。死に影響されつづけるワタナベくんが生をわすれなかったのは、生命力にあふれている緑との関わりがあったからだと思う。

    結局はまだまだ生きなければならないけど、生きてゆく限りは多くのものを失うことになるし、世界にはきれいじゃないものが沢山あるし、自分のかなしみのことだけ考えていく訳にもいかないし、でもそれに向き合うのが生きるということだから。
    4年ぶりに読んだノルウェイの森は、生きるパワーやあたたかさを感じる作品だった。
    すごくうまく組み立てられた作品。村上春樹がすごいと言われる理由が分かり始めたかもしれない。

  • この本が刊行された頃に一度読んだきりで、内容を殆ど忘れてしまったので再読。
    忘れていたにもかかわらず、私の中で圧倒的な存在感を誇っていた。
    「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて。」
    ストーリーを噛みしめながら読んでいった。
    死に向かう人間と、生身の人間…
    誰かに心魅かれるというのは、罪でも何でもありません。
    何度読んでも伝わるものがあるし、また何年か後にも読みたいと思う。

  • 30年ぶりの再読です。
    文章の美しさに驚かされます。
    50になろうかとするオヤジが読めば、ウジウジと悩み、しかしヤリまくる主人公に辟易しそうなストーリーであるのだが、なぜかその苦しみを分かち合い、初々しさに嫉妬してしまう。
    女性陣がなんとも魅力的でいい。
    軽快で哲学的、生きていくための教訓をなんと多く含んでいることか。
    感受性の鋭さゆえに苦しみ、必死で生きようとする若者たちには、覚めた目で見つつも感情移入してしまう。
    こぼれ落ちる者が悲しいが、生き残ろうともがく者への救いにホッとする。
    村上さんを青春期にもっと読んでおけばよかったな。
    オヤジは永沢が一番好きだな。
    「自分に同情するな」は、30年来心にとめている。

  • 本当に読んで良かった。長い間、イメージから読むのを避けてたのが悔やまれる。大切な人を急に失った経験があって、その事を頻繁に思い出しては言葉に出来ない感傷に浸ってだけど今作を読んで失った経験を肯定的に捉えられた。まさかこの本を読んで自己肯定感が上がるような体験ができるとは思わなかった。長沢さんの「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」というセリフが胸に刺さった。でもそれをしないで生きていくのはまだ私には難しそうだけど。
    これからも落ち込むような気持ちになった時は読み返していきたい。

  • 一つ一つの表現がとても繊細でありつつ、他の本ではぼかすような場面でも包み隠さず字に起こすというこの背反した二つのものが入り混じっていることに感慨を覚えた。

    生と死の狭間を行き来する、主人公。
    「死は生の対極にあるのではなく、我々の生のうちに潜んでいるのだ」
    この言葉がすごく刺激的であった。
    誰かの死によって自分すらも血の気を失った存在となってしまうことが、様々な場面で、現れている。

    また、自分が直子の死を悲しみんでいるときに、誰かに自分の周りの人の死について、語られた時醜い自分の心が主人公は出ていたが、それも納得できる。
    人の死は当本人、見る人によって全く価値の違うものになってしまう。
    決して同情することなんてできないんだ。

    • 高円寺 詩音さん
      小学校低学年の頃、私はよく泣いていた。
      人並みに読書はしていて、平々凡々な生活をしていた。
      哀れんでいるのではないのだけど。
      なによりも戦争...
      小学校低学年の頃、私はよく泣いていた。
      人並みに読書はしていて、平々凡々な生活をしていた。
      哀れんでいるのではないのだけど。
      なによりも戦争の根絶を願った。
      その内、思った。
      どうせ死ぬなら生まれた意味など存在しないのでは、と。

      ひたすらに生きることが辛かった訳でもない。

      ただ、毎年「俺は今年死ぬんだ」と言って憚らなかったことをよく覚えている。

      生きる意味はある。
      少なくとも、「生まれた」意味は。
      一瞬でも「生まれてきてよかった」と思えればいいのだと思う。

      小4の頃、ハリーポッターにハマった。
      小5になって、クラスメートの妹と仲良くなり、たまに一緒に帰った。

      思った。
      いつか誰も俺の名前を忘れたら、その時が私が死んだ時なのかもしれない、と。
      2019/07/24
  • 何だかんだで村上作品で一番好き。
    女性を魅力的に描くなぁと感じた。

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著者プロフィール

1949年 京都府生まれ。著述業。
『ねじまき鳥クロニクル』新潮社,1994。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社,1985。『羊をめぐる冒険』講談社,1982。『ノルウェイの森』講談社,1987。ほか海外での文学賞受賞も多く、2006(平成18)年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、2016年ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞を受賞。

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