ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

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  • 講談社
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本棚登録 : 8602
レビュー : 517
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062749053

作品紹介・あらすじ

失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。渋谷の雑踏からホノルルのダウンタウンまで-。そこではあらゆることが起こりうる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター、そして幾つかの殺人が-。デビュー十年、新しい成熟に向かうムラカミ・ワールド。

感想・レビュー・書評

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  • 程度の差こそあれ人は、決して他人とは相容れない
    『絶対的な孤独』を抱えているのだと、この本で再認識しました。
    このことは、主人公もだけど、五反田君が象徴的ですよね。
    悲しみは悲しみのままで。生きていくって、大変だね。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「生きていくって、大変だね。」
      大変だと思うと大変だけど、普段は忘れていられるかな(私がお気楽なだけ?)
      「文化的雪かき」に感動しました。。...
      「生きていくって、大変だね。」
      大変だと思うと大変だけど、普段は忘れていられるかな(私がお気楽なだけ?)
      「文化的雪かき」に感動しました。。。
      2013/07/03
  • 内容(「BOOK」データベースより)
    『羊をめぐる冒険』から四年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。

    失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。渋谷の雑踏からホノルルのダウンタウンまで―。そこではあらゆることが起こりうる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター、そして幾つかの殺人が―。デビュー十年、新しい成熟に向かうムラカミ・ワールド。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    さてここで質問です。
    この二人はこのあとどうなったでしょうか?

    学生の頃読んだ時に感じた「なんじゃこりゃ」感は正直これだったんだな。
    たくさんの伏線があるけれど、全部は回収されない、
    そのもどかしさが私を村上春樹から遠ざけた。

    そして今も、本当はすっきりしないところも残る。
    メイも、キキも、本当は...?
    そしてディック・ノースは...?
    五反田君の存在価値は...?
    ユキとアメはその後どうなったの...?
    そして羊男は...?

    でもきっとこれはハッピーエンド。
    愛する人と最後に結ばれて、彼女を取り戻すために
    初めて「僕」が必死になる姿を見ることが出来ます。

    ああ、この人たんたんとうまく踊っていたけど
    リアルに生きていたんだな、と初めて感じた部分ですw

    最後の必死ぶり(1Pもないけど)が「ダンス・ダンス・ダンス」だった。
    私の中では(・∀・)

    羊男は、と書いたけれども、羊男からの解放、なんだろう。
    それはつまり過去からの解放。
    だから羊男が姿を消すのは、ここでは当然のことなんだろうな。

    いや~でもすごいね。
    ミステリーと言ってもいいくらい人が死ぬしね。
    (ミステリーとしてはバッドエンディングだね)

    素人も含めて評論家がたくさん生まれるの分かるわ~。
    本当村上春樹の解説本が何冊もあるのも全然不思議じゃないw

    なぜかあれこれ語りたくなるねw

    「僕」の高等遊民ぶりには垂涎でした。
    一生けん命稼いだからこそなんだろうけど。
    私も人のお金でハワイでのんびりしたーいw

    前作でも書いたけれど、この人の比喩力本当にすごい。
    思いもかけない表現で、でもなぜかぴったりはまる。
    日頃から感性を研ぎ澄ましていないと出てこないよね。
    いや本当、教科書に載せていいくらいだわ。
    テストに出していいくらいだわ。

    それを探すだけでも読む価値があります。

    そして登場人物が魅力的。
    五反田君の存在なんてすごくリアルに感じられます。
    自殺した二枚目俳優さんなんかを思い浮かべたりして...

    ただ、この中で一番かわいそうなのは、
    わずか15歳の「ユキ」。

    彼女がキーパーソン(ダンスのパートナー)となって
    彼にいろんなことを気づかせてくれるのですが、
    きっとその人生はつらいだろうな、と。

    時に人は鈍すぎる方が幸せだったりするしね。
    (鈍感力とかありましたね)

    でも彼女が大人になって、あの感覚をなくしてしまうとしたら、それはそれでもったいない...
    けれど、ユキには幸せになってほしいなぁ...

    そんな中ではユミヨシさんが一番いけ好かない登場人物だったw

    壮大で、哀しくて、東京で、ハワイで、札幌で、
    片腕で、ゲイで、娼婦で、俳優で、ホテルの精で、
    洋楽で、ピナコラーダで、パスタでサンドイッチで、
    デビット・ボウイで、スバルで、マセラッティで、

    もうもういろんな要素が含まれた最高の
    エンターテインメントだったと思います。

    やっぱりノーベル賞候補は違いますね...
    羊を巡った後に、ぜひ^^

  • 「でもそれは現実であるはずだった。何故ならそれが僕の記憶している現実だからだ。それを現実としてみとめなくなったら、僕の世界認識そのものが揺らいでしまうことになる。」

    前作『羊をめぐる冒険』で様々なものを失った「僕」。
    彼は失ったものを取り戻すために、再び冒険を始める。けれど、「僕」が失ったものとは結局は何なのだろう? 彼は何を取り戻すために、旅立たなくてはならないのだろう?

    それはこの物語の最大にしてもっとも重要なテーマだと思う。つまりは、それは<現実>なのではないか。
    「僕」の現実は「僕」が感じている世界、「僕」が認識している世界そのものだ。しかし、その<現実>で果たして本当に世界は機能しているのだろうか。僕の世界は進んでいるのだろうか。
    僕はきちんと起き、食べ、動き、また眠っているのだろうか? 本当に「僕」は世界で生活しているのだろうか? 僕がそう思い込んでいるだけで、本当は何もしていないのでは? ただ僕は悲しんでいるだけなのではないだろうか?

    現実と虚構、虚構と現実が入り混じるこの物語世界で、「僕」は必死に現実を探す。ステップを踏むのだ。きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
    ベストを尽くすのだ。
    それはとても辛いことだ。なぜ?と思ってはいけない。どうして自分だけがこんなことを?と思ってもいけない。なぜなら踊り続けるしかないからだ。それが必要だから、それが唯一の方法だから。
    彼の虚構は彼が必要としたものだし、彼の虚構は彼を生かすために生まれたのだと思う。けれどそれはとどのつまり、虚構でしかない。それが現実である限り、僕はそれを他人と共有することができない。なぜならそれは彼のための世界だから。それは彼が必要として、彼が必要としている時だけ存在している世界だから……

    世界は必要とされた時に生まれる。それは現実でさえも超越する。それが村上春樹ワールドの原点なのかもしれない。
    この物語では、作者自身がその問題に真っ向から向き合っている気がした。踊り続けなくてはならない、ということは、「書き続けなければならない」ということなのかもしれない。世界を必要とする限り、現実を超越しようとする限り、冒険は続いて行く。

    きちんとステップを踏んで踊り続けるのだ。
    ベストを尽くすのだ。

  • 初期三部作はなんとなく色がなくてかなしいかんじです。たとえばカフカとか、たとえばねじまき鳥とか、たとえば世界の終わりととか。みんなしっかりしているけれども全然かなしくないのに。初期三部作だけはものすごくかなしい。かなしくないところでもすごく、かなしい。そんな物語の延長だからか知らないけれども、全部寒くてかなしい。寒いのは多分いるかホテルが札幌だから。物事がどんどん失われ続けて、というより、この頃の、この物語を一貫して書いていた頃の村上春樹は自分から何かが失われるということをすごくこだわって書いている気がして、中学生の頃とか、手のひらの上に無限に可能性を持っていた頃はそんなものは全然響かなかったのだけれど。手のひらからポロポロと色んなものをこぼしてこぼして時間がたって、なににひとつ選んで手には入れてなくて、そういうわたしにこの本はずしり、ずしりと重い。かなしい、ほんとうに。なんでまた、本を読んでこんなにかなしくならなければならないんだろう、と思うくらいかなしい。昔から、良い本とは時間を忘れて貪り読んでしまうような本だろうと常々思っていましたが、最近はちがう。本当に良い本とは、読んでいる途中で自分とか、自分の在り方というものがむくむくと浮かび上がってきてどうしようもなくなって色んな事を考え込んでしまうから、何回も読むのを中断せざるを得ない、面白くて面白くてしょうがないのにでもどうしようもない。そんな本ではないでしょうか、と考えるようになりました。

  • 村上春樹の本を読んでいると、働くのがなんだかいやになってくる。

  • 夢とも現実ともつかない出来事が僕のまわりをとりまく。
    繋がっているように見えて、繰り返される孤独と喪失感。
    たとえ自分のやっていることが、「文化的雪かき」だとしても、生きていること、この世に存在することにすべて意味があるのではないかと思う。

  • 上下巻読了で。

    何だろうなぁ。主人公のくたびれた感が、今の私にジャストヒット、といったところでしょうか。

    踊るんだと。それも上手に。意味など考えずに。


    人によって、色んな解釈があるんだと思います。
    でも、そのくたびれた感に共鳴してしまった私は、

    「自分の持つ暗い闇の部分と、現実での自分、両方とうまくやんなさいよ。」

    というメッセージに変えてその「踊る」を受け止めてしまいました。


    最近。新しいクラスの担任になり、新しいクラスの感じに馴染めないでいる。

    教員やって9年目。もうそろそろ限界かなぁ、なんて思ったり。

    難しい年齢なのは分かってる。でもむやみに反抗されたり、勝手な行動をとり、注意を受け勝手に怒ってる子どもたちを見て、

    正直どうでもいいやぁ、と思う今日この頃。

    子どもをどうこうしようとか、わたし、本当にどうでもいいと思ってるんじゃないかと思う今日この頃。

    疲れに疲れがたまっている今日この頃。


    学校が苦手でした。学校なんてどうでもいいと思ってた。

    それでも学校には行かなくてはいけなかった。

    そんなところに、小さな居場所を作ってあげることができたらと、そう思ってきた気がします。



    でも、もう、限界かなぁ。わたしはあまり、求められていないようだ。

    「悪意の総量は変わらない。」
    「世の中には、いわれのない悪意を向けられることがある。」

     人は、とても汚いものなのだと思い知らされます。

     でもその言葉で、他人を責めるわけにはいきません。
    汚いと感じる私もまた、汚い人間なのです。分かる部分があるからこそ、嫌だと思う。しかしながら、その悪意を一心に向けられたら、いったいどうしたらいいんでしょう。

     やるべきことは、一つしかない。その悪意を受け止め、他に影響を及ぼさないようにすることです。

     ただ、その処理の仕方が分からない。受け止めきれなかったものを、私は「悪意に見えない悪意」に変えて、人に向けているのではないかと、自分を責めます。そもそも謂れのない悪意とは言うけれど、謂れのないというのは本当かと、自分を顧みて、また責めます。向けられた悪意に傷つきながら。


    受け流すことは、許されることなのでしょうか。許されるとしてもわたしは受け流し方が下手、もしくは受け流すことができない気がする。

    真っ向から悪意を受け止めたら、自分が壊れてしまう。今、そのギリギリのところで、私は耐えている。

    壊れませんように。もう少し、耐えられますように。あと少し、人の善意に賭けられる自分でありますように。

    また、頑張ろう。あと、どれくらい?わからないや。頑張れるだけ。あと、少しだけ。頑張ろう。

  • <こういうのには名前がつけられるぜ、と僕は思った。喪失感、と僕は口に出してみた。あまり感じの良い言葉ではなかった。かっこう、とメイが言った。>

    喪失感、無力感。
    だけれどもそれだけでない。そこはかとない不安。不安というのでもない。
    キキの跡を探しつづけて、複雑なステップを踏みつづけた主人公は、それでもなお失いつづける。

    結局、自らの影を求め、時にはそれを殺し、手を尽くしてリラックスする。
    誰かの為に涙を流すことと、それは相違ない。

    繰るページがなくなっても、いるかホテルの暗闇にひとり、残されたような、そんな気持ちが、尾を引く。

  • 静かな部屋で本の世界に入り込んでしまって、ふと本から顔を上げると現実がどういう世界だったかよくわからなくなったりする。喪失と絶望の世界…でも必死に大事な人を守ろうとし、自分を現実に繋ぎとめようと生きる。
    読了直後の現在、とりあえず明るい場所でお風呂に入って温まりたい気分。
    とにかく夢中になって楽しめた。他の人のレビューを読んで、自分の思考も整理してみる。

  • 様々な意識の層を行き来するとても個人的である意味では普遍的な話だなと感じた。
    「みんなが感心するくらいうまくステップを踏む」という表現はなんだかとてもしっくりきた。

    いつも、自分が考えているより少しだけ上回るしっくり感に出会う。

  • 正直言って、村上ワールドすぎてよくわからなかった。村上春樹の本は何冊か読んだことがあるけれど、題材が深すぎて人生経験の浅い私にはよく分からないらしい。ただ、所々の細かい描写はどこか意識の深いところをくすぐるものがある。13歳のユキと母アメの複雑な関係は、まるで筆者がそれを体験したことがあるかのように的確だった。
    ただ、「僕」のために用意された6体の白骨がなんだったのか、私にはやはり分からない。大人になってからもう一度読んでみたいかも。

  • 再読。前に読んだのは学生の頃だったかもしれない。すっかり内容を忘れていた。

    川上未映子との対談本で、小説を書くときは自分の意識下の深いところ(地下二階と表現していたような)に降りていくと話していた。だから、細かい設定は違うけれど似たような人間関係や登場人物が小説間を行き来しているのかな。
    人はそれぞれの内に個人的なモチーフを抱えていて、それを掬い上げて何らかの作品を作ることで自分の世界観を築けるのが佳い人生だと思う。そういう内的作業は忙しすぎず煩悩ありすぎない状態に自分を持っていかないとはじまらない。

    以下、付箋を貼った部分。よい会話が多かった。

    「私たちはどうするのかしら、昼食は?」とアメは詩人に尋ねた。
    「我々は確か一時間前にスパゲッティを作って食べたと僕は記憶しているんだけどね」と詩人はゆっくりと静かな声で言った。「一時間前は一二時十五分だから、普通の人はそれを昼食と呼ぶだろうね、一般的に」


    国際宅急便、と僕は思った。東京で注文してホノルルで女と寝る。システマティックだ。手際が良いし、ソフィスティケートされている。汚らしくない。ビジネスライクだ。どんないかがわしいものでもあるポイントを越えると単純な善悪の尺度がきかなくなってしまう。そこにそれ独自の独立した幻想が生じるからだ。そして一度幻想が生じると、それは純粋な商品として機能しはじめる。高度資本主義はあらゆる隙間から商品を掘りおこす。幻想、それがキイ・ワードだ。売春だって人身売買だって階層差別だって個人攻撃だって倒錯性欲だってなんだって、綺麗なパッケージでくるんで綺麗な名前をつければ立派な商品になるのだ。


    「彼女の写真を見ていると、時々怖くなることがあります。自分の存在が危うくなるような気がすることもあります。それほどに圧倒的なのです。あの、dissilientっていう言葉知ってます?」
    知らない、と僕は言った。
    「日本語でなんというのかな、ぽんと何かが割れて弾けるような感じ。なんの予感もなく突然世界がはじけて割れるんです。時間や光やそういうものがdissilientするんです。一瞬にして。天才です。僕とも違うし、あなたとも違う。失礼、ごめんなさい、僕はあなたのことをまだよく知らない」


    「ゆっくりとしかるべき時が来るのを待てばいいんだ。何かを無理に変えようとせずに、物事が流れていく方向を見ればいいんだ。そして公平な目でものを見ようと努めればいいんだ。そうすればどうすればいいのかが自然に理解できる。でもみんな忙しすぎる。才能がありすぎて、やるべきことが多すぎる。公平さについて真剣に考えるには自分に対する興味が大きすぎる」


    「僕の言い方はきつすぎるかもしれない。でも僕は他の人間にはともかく、君にだけはそういう下らない考え方をしてほしくないんだ。ねえ、いいかい、ある種の物事というのは口に出してはいけないんだ。口に出したらそれはそこで終わってしまうんだ。身につかない。君はディック・ノースに対して後悔する。そして後悔していると言う。本当にしているんだろうと思う。でももし僕がディック・ノースだったら、僕はそんなふうに簡単に後悔なんかしてほしくない。口に出して『酷いことをした』なんて他人に言ってほしくないと思う。それは礼儀の問題であり、節度の問題なんだ。君はそれを学ぶべきだ」


    「(…)人というものはあっけなく死んでしまうものだ。人の生命というのは君が考えているようりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に」

    「ママと一緒にいるとね…どうしてもママの気分に引きずり込まれちゃうのよ。そういう意味ではあの人は強い人だから。影響力があるのね、きっと。あの人、周りの人間がどうこうなんて全然考えてないから。自分のことしか考えてないのよ。そういう人って強いのよ。(…)」


    でもいずれにせよ、どちらが狂ってどちらが病んでいるにせよ、僕はこの中途半端なまま放置された混乱の状況をきちんと整理しなくてはならなかった。そこに含まれているものが哀しみであれ、怒りであれ、諦めであれ、僕はとにかくそこに終止符を打たなくてはならないのだ。それが僕の役割なのだ。それがあらゆる物事が僕に示唆してきたことだった。そのために僕は様々な人々と出会い、この奇妙な場所にまで運ばれてきたのだ。

  • 超久しぶりの再読。6度目くらいか?なんとなくラストシーンが読みたくなって読み始めたけど、久しぶりに読むと良い感じで忘れていて面白い。まぁ、途中まで読み進めて大体のあらすじは思い出してしまったけど、途中の展開はあまり覚えてなかったので、なんだこうだいって楽しめた。昔読んだときに比べて、思った以上に行き当たりばったりの展開の話(踊りつつける話)だなぁ、とも思ったり。犯人的な存在も当初決めていたというよりは、物語を書きつつ煮詰まった中で決まったのでは、という印象も受けた。あと、ラストに示唆されている展開(残り1体)は誰なんだろうなぁ、とそんな事をぼんやり考えた。

  • モロッコ旅行のお供。上巻をベトナムで読みかけて、モロッコで初めから読み直し。
    ★4.6。
    具体的に(現実に)起こったこととしてはほぼ面白くもなんともないあらすじ(北海道にいって、女の子ひっかけて、美少女と仲良くなりハワイへいき、また北海道へ)を精神世界でここまで面白いものにするってすごい。
    あと登場人物の台詞の、、なんてゆうのか、畳み掛け感やスピード感。言葉遊びをしてるわけでもないのに。
    荒唐無稽なのに一切飽きさせず村上ワールドに引きずりこむこの人やっぱり天才だわ〜

  • 定期的に読んで、そしてなにか大事なことをそのたびに違う視点から考えたり、そんなことは考えずにただ羊男のことを考えたりしたい。

  • (借りて読んだ本)
    現実や存在の危うさなのか、本人や周りの記憶や
    感覚の不確実なところが、幻想的な世界と
    現実的な(たとえば音楽に対する)批評があって、
    世界全体をリアルなものと夢(悪夢)のようなものと
    まじりあっている。
    好んで手に取って読まないけど、薦めてくれたら
    読んで楽しめる。

  • これは「僕」の2度目のイニシエーションの物語なのだろう。最後に「僕」は現実の世界に戻ってくるのだが、依然として現実との違和や齟齬は残る。そもそも、愛する相手を呼ぶのに、「ユミヨシさん」はないだろう。あるいは、「耳の美しい彼女」よりも名前があるだけでもましだろうか。そして、「あなたすごく良い人だったわ」と過去形で告げたまま別れたユキとは、「僕」あるいは、読者の僕たちは、またどこか先の物語で再会できるのだろうか。

  • 深読みしなければ分からないような文章を垂れ流す。
    それが文学という思惑が多すぎた。

    誰でも分かりやすくて楽しく読める本が欲しい。

    しばらく村上の本は避けよう。

  • 結局、現実と妄想の狭間で繰り広げられた物語でした。

    ボクには少し難しかったです。
    疑問が一杯です。

    繋がってることは何を表現したかったんだろう?


    羊男は何処へ行ってしまったのだろう?

    6体の白骨は何を意味してたのだろう?

    キキは何を表してたのだろう?

    五反田君と左腕の外人と娼婦は死にました。

    いろいろ疲れたときに、のんびり読んでみるといい本かも。

    緻密なストーリーや仕掛けを求める物語ではありません。

    現実のいろいろなごちゃごちゃしたことから少し距離を置いて、自分を休ませてあげられる。

    そんな印象でした。

    でも、スッキリしない最後。
    なんだか雨が降りそうで降らない曇り空な気分。

    何か結論地味たものを求めて読み進んだためかな。

  • わくわくする。
    ただ単純に引き込まれて楽しく読めた

  • ノーベル賞騒ぎで、無性に春樹が読みたくなって再読。今回初めて五反田くんの気持ちが染みました。社会人も10年目が見えてくると、初めて読んだ学生のときとは感じ方が全然違いました。五反田くんの苦悩は大学生のころには「バカみたい」とユキのように一言で切り捨てながら読んだ。しかし年をとるたびに行き止まりにあたる回数がやたらに増えてくるのですね。高度資本主義社会の完成されたシステムに小突きまわされながら生きる五反田くん。今なら気持ちがわかるよ。本当に。一緒にシェーキーズのピザを食べてあげたかったなあ。そんな思いもよらない感想を持った再読になりました(^^) 春樹さんの中でも大好きな作品です。

  • ロードムービー的に舞台が移り変わり、自己を失った人達との出会いや、突如として訪れる死。

    それぞれの境遇と、人に対して必ず訪れる運命への啓示。

    焦燥感から次第に解き放たれていく「僕」の姿が人間関係の縮図的に描かれていきます。

    それにしてもクライマックスの緊迫感が半端なく、オカルト映画を見てるかの様で恐ろしかったです。

    他の作品に比べると分かりやすいメッセージ性があって、時代背景(高度成長期)は違えども、アイデンティティーを喪失しがちな社会の中でも、地に脚をつけて自我を追及していく人達の姿が印象的です。

    主人公の「僕」に、「鼠3部作」からずっとずっと漂っていた虚無感とか喪失感が、様々な人との出会いや別れを通じて、希望に繋がって行きます。

    長い「冒険」から、一回りして帰ってくる…壮大な物語が、この作品で完結した満足感。でもちょっと寂しくなるほど、インスパイアされてしまいました。

  • ダンキンドーナツ好きだな~。

  • 純文学であり推理小説であり冒険小説であり恋愛小説であり青春小説。
    まさにいま読むべくして読んだ本、そんな感じがした。

  • 奇妙な人々との別れは突然訪れる

    そこで「僕」が手にしたのは、喪失感、どうしようもない絶望…



    主人公と様々な人との交流が描かれているが、ぼくはユキとの会話の場面が一番好きだ

    春樹の作品の主人公は感情の起伏が見えず、ウィットに富んだ話し方をすることが多い

    そして最後の方に感情が溢れ出る

    この作品の主人公も最初はつかみどころがない

    でも13歳のユキと話す時はとても示唆的な話し方をする



    「いやでもみんな成長するんだよ。

    そして問題を抱えたまま年をとってみんないやでも死んでいくんだ。

    昔からずっとそうだったし、これからもずっとそうなんだ。

    君だけが問題を抱えているわけじゃない。」

  • 春樹さんの本で一番好きかも。
    『ダンスのステップを決して止めないこと』、何かを決めつけたり、型にはまらずに物事を斜めからばかり見ないようにすることは、大人になればなるほど難しい。人との接し方をユキに説くシーンは大好き。
    ハッピーエンドで救われた。

  • 羊四部作、最終巻下巻。
    ディック・ノースの死に対するユキと僕とのやりとりは、
    中学生の僕には衝撃的であり、
    友人の死に対する僕の捉え方の一つの指標になっている。
    眠れない夜に読み返したくなる一冊。

  • 読み終わってみると、風景の写真集みたいだった。過去に、主人公みたいなはっきりしない人に対して、あなたが心から求めているものが分からない、と責めてしまった事を反省した。本人にも分かんないのだそうだ。悪いことしたかもなぁ、と少し思った。あと、とってもハワイに行きたくなった。

  • ミステリーじゃないのにとにかく沢山の人が死んでいく。
    でもそれを通して最終的に僕が僕が本当に必要としていたものを手にすることができた。

    羊男の存在が最初から最後まで謎
    ブラッディマリーとピナコラーダが飲みたくなる。

  • ユーモアたっぷりの女の子と僕のやり取り、高度資本主義における喪失感、大量のロックとジャズ。「デタッチメントからコミットメントへ」移行していくデタッチメントの時期の最後の長編小説で、春樹臭が全快の作品。村上春樹という作家を知りたいのであれば、まず読むべき一冊だと思う(いささか長いけど・・・)

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著者プロフィール

村上春樹(むらかみ はるき)
1949年、京都府京都市伏見区生まれ、兵庫県西宮市芦屋市育ち。早稲田大学第一文学部映画演劇科卒。大学在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺・千駄ヶ谷に開店していた(1981年、店を人に譲渡)。1979年にデビュー作の「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。谷崎潤一郎賞、読売文学賞、朝日賞など数々の受賞歴がある。2006年にフランツ・カフカ賞、2009年にイスラエルのエルサレム賞受賞。ノーベル文学賞に最も近い作家の一人と言われており、毎年発表時期に日本国内でニュースになる。事実、村上春樹作品は全世界で翻訳されており、アメリカ・アジアでの評価がとりわけ高い。フィッツジェラルドやレイモンド・カーヴァーなどの作品の翻訳も手がけ、翻訳家としての仕事も高い評価を受ける。翻訳と創作活動を交互に行うことで、作風を変化させ、作家としての成長を続けている。新作が発表されるたび大きな話題となるが、近年は特別番組「村上RADIO」にてラジオDJも務め(不定期放映)、数々の名言も注目を集める。代表作に『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』。2019年7月31日に『神の子どもたちはみな踊る』が舞台化。アメリカのサックス奏者スタン・ゲッツの伝記翻訳を2019年8月刊行。2019年9月10日発売の『文藝春秋』10月号で「至るところにある妄想 バイロイト日記」を寄稿。

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