1973年のピンボール (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062749114

感想・レビュー・書評

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  • 主人公をかくも惹きつけたものがなぜピンボールだったのかよく分からなかった。
    鼠に対してもあまり共感できなかった。
    難しい。

  •  初期三部作で、『風の歌を聴け』の続編。前作で登場した鼠が、ピンボールに触れて、懐かしの思い出を振り返る。

  • 2回目の読了。

  •  僕と双子のシーンはどれも読んでいて楽しい。特に工事人が来るシーンの会話はユーモラスでお気に入り。
     ピンボールが急に僕の心を捉える所は三島由紀夫の『金閣寺』と同じものを感じる。こういうのには何か理由があるものなのか、それとも本当になんの前触れもなく心を捉えるのか。
     最後に僕と鼠は揃って一人ぼっちになる。自分の個人的に好きな双子ともここでお別れ。双子が僕の元を離れる理由は書かれていない。直前には耳の件があるが、それが理由とは思えなそうなのもこの双子の魅力。

  • 村上春樹の中でもかなりストレートに孤独や哀しみを描いている作品だと思う。
    閉店後のジェイズバーで鼠とジェイが会話をしている場面が好き。
    薄暗い店内で孤独な男二人がポツリポツリと話しているところが目に浮かぶよう。
    村上春樹の代表作ではないだろうが、個人的には好きな作品。

  • 配電盤のお葬式のくだりがだいすきだった。あと、金星生まれの男の言葉。「僕たちはその分だけ生きてるうちに愛しておくのさ。後で後悔しないようにね」。

  • 鼠3部作の2作目。ピンボール台を巡る冒険。配電盤の葬式、左右の双子、ゴルフのロストボール、電話と女、ピンボールを連想させるような周縁的な挿話があり、吸い込まれるように世界の果ての暗闇、ピンボールにたどり着く。僕と鼠、節が変わるたび情景描写心理描写があって主語が遅れて出てくるので、どちらの世界の話なのかがわからない曖昧な瞬間が少しだけあり、小説ならではの面白さがある。以下は、なんとなく惹きつけられた箇所の引用。
    "一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。"
    "「殆んど誰とも友だちになんかなれない」 それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。"
    "「哲学の義務は」と僕はカントを引用した。「誤解によって生じた幻想を除去することにある。……配電盤よ貯水池の底に安らかに眠れ」"

  • 講談社文庫で二作目となる本作ですが、「風の歌を聴け」の続編という位置づけ。

    但し、前作が「鼠」「僕」の青春小説という建付けでありましたが、今回はより「幻想的」な作りでありました。ふわふわしている間に僕と鼠も会わないうちに終了。なんだこりゃ?みたいな。

    ・・・
    前作で、バーでできた友人、ボンボン大学生の「鼠」。

    本作でも登場しますが、「僕」とはすれ違いません。ただただ、けだるい日常で、恵まれた環境で、素敵な努力家の女性と戯れ、そして自己嫌悪する、といった状況。もう死語かもしれませんが、「アンニュイ」なんてカタカナで表現しましたがああいう感じでしょうか(フランス語なだけ!)。

    その彼が、女との連絡を取らず(すなわち別れて)、ジェイズ・バーにもさよならをして、新たな旅立ちを決意する、という流れに、間接的に「再生」「再起」「回復」のようなワードを感じました。

    また、「僕」は「僕」で翻訳の会社を友人と起こし、そこそこ恵まれた給料で働く中、ピンボール(要はパチンコ)にハマり、廃盤となった台を探しに行くという話が後半から本格化します。

    ピンボールを女性と見立てて、会話なんか始まりますが、思いを寄せる女性を探し、再会したら、何だか吹っ切れた。次に進もうかな、みたいな。これまた「新生」「再出発」みたいな展開を暗示するような終末でした。

    ・・・
    こうした展開のなか、女性と音楽は村上氏の中では欠かせません。

    音楽でいうとクラシックから、ジャズから、そしてビートルズなどのポップからジャンル問わず出てきます。音楽好きにはたまらないことでしょう。

    あとは女性ですかね。双子の女性が部屋に住みつき(猫かよ!)、同居するという。ただ、性的な描写はなく、真ん中に入り川の字になり寝るなんていう、第二次性徴前の男の子のようなお話が綴られていました。

    その気がないのに交わってしまった、あるいは蠱惑的な状況なのに特段なにも感じなかった、みたいな設定は何だか村上氏らしいです。

    ・・・
    あと本作、再読していて気になったのは冒頭に「直子」の表現が見られたこと。「ノルウェイの森」から村上作品に入った私としては非常に思い入れの深い名前でありました。

    この名前、その後本作では全く出てこなかったとは思いますが、真実はどうなのでしょうね。また続作読むことで確認したいと思います。

    ・・・
    ということで村上氏の作品の再読でした。

    分かるというより、感じる乃至解釈するといった作品でした。

    兎に角古い作品ですが、私くらいおっさんだとまだまだ人生で見た風景でした。風呂なしトイレ共同なんて、電話共同なんて、今の子は想像つくかしら?

    ただ、若者のけだるさ、お酒の魅惑、こうしたものは時代に関わらず、ですかね。

  • 「どんな進化もどんな変化も結局は崩壊の過程に過ぎないんじゃないかってね」
    鼠のことば。

  • 物語性はいまいち感じなかったが、描写は脳内に浮かび上がる。

  • 『風の歌を聴け』の続編のため登場人物の重なりは多いが、ストーリーの連続性はほとんどない。
    前作よりも詩的な作品になっており、物語として何かが進んでいくわけではないため、かなり読みづらかった。

    「僕」の双子やピンボールとの別れ、鼠の生まれ育った街やジェイズバーとの別れ、「はっきりと知覚し得るものは現在という瞬間に過ぎぬわけだが、それとても僕たちの体をただすりぬけていくだけのこと」という文章からも、別れや今を生きることに対して、深く考えず前向きにすべきとのメッセージだと感じた。

  •  この作品を含め、初期作品はメタファーを多用し、啓発するような言葉が多いような気がする。作中、主人公がカントの『純粋理性批判』を読む描写やカントの言葉を引用する描写がある。このことから当時の村上春樹は哲学から強い影響受けたのかなと思った。哲学に触れたことで自身の哲学を形成し、それを物語の展開や登場人物の心情に合わせ、メタフォルに表現したのではないだろうか。

    冬になりきれない秋みたいな雰囲気が、今の心情と合っていた。
    気分が良いときは読まない方がいいかもしれません。

  • 村上春樹の作品にしては、なかなか読み進められなかった。
    いつかは失われるものに大した意味はない。失われるべきものの栄光は真の栄光にあらず。

  • 1973年のピンボール/村上春樹
    双子と"僕"の日々
    人間が描かれているはずなのに人間っぽさを感じない。ちょっと難しかった。羊三部作の2番目を読んでしまったからかもしれない。だけども文章は美しいのでまた時間が経ったら読みたいな。村上春樹が描く"別れ"は美しい。#読了 10/4

  • 今まで読んだ村上作品の中でいちばん微妙だった。どうしてだろう…?風の歌を聴けは良かったんだけど。
    比較してみると、登場人物のキャラクター像かな?と思った。
    ピンボールの方が登場人物が少ない(気がする)
    双子は夢を見ているときのような、実体がないような書かれ方をしているし、鼠は恋に敗れっぱなしで悲しみをつらつらと書いた描写が多いし。前作に比べてキャラクターの魅力がもっと感じられればよかったのにな。

  • ☆2.7
    村上春樹ならでは。

  • 鼠第二作。こんな青春を送った人は知らないが、鼠のような大人は知ってる。

  • ジェイズ・バーのようなところに行ってみたい

  • うむむ

  • 「風の歌を聴け」から始まるハルキ氏の青春3部作の第2弾。
    彼独特のドラスティックな軽やかさが走っている。
    僕は神戸/ネズミは東京/の中間にジェイがいるような存在空間。
    僕と鼠は交差することなく、それぞれを生きており、カラーが異なる~僕は自由空間をファンタジックに揺らめく歩み、鼠はリアルな現実をヒリヒリ生きており、中間に入ってくる性生活の描写はその温度をよく表す。

    面白いのはこの題名・・最初??と違和感を抱いたけれど‥そうだ!大江さんの「万延元年のフットボール」の捻り。それを読んでいない私には作品同士がどう、絡んでいるのか理解持てないままだが。

    僕が直子を失い、鼠は彼女を失う。
    配電盤を投げるシーン~いくら昔とは言え、行けにこんなの投げていいのかなと思ったが、これもまぁスルーしておくれ・・のユーモアの一つ??

    ナンバーで呼んだり、右と左で読んだり、フィギュア的な双子。
    ベッドで眠る2人の間に入る僕を想像するけどこれもあまりにもユーモアチック、実存の匂いがしない。

    20歳前の生物活動が目に浮かぶ作品の全体感はテニスシューズの靴音の様な軽やかさに秘められ 喪失と前進(誕生ではなく)が前面に打ち出された読後感で終わった。
    一つ、ピンボールが最後までイメージできず、ネットで写真を・・なるほど!
    ことばだけの感覚が立体化され立ち上がることの大事さをちらっと。。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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