耳そぎ饅頭 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062749688

作品紹介・あらすじ

町田康はズルイのである。――井上陽水(「解説」より)

子供の頃から偏屈にだけはなりたくない、と思って、頑張って生きてきた。しかしながら自分の前半生の道のりは偏屈への急な坂道を転げ落ちるがごとき道のりであった。はは。気楽や。偏屈の谷底でそれなりに楽しく暮らしていた私であるが……。人の、社会の、世間の輪の中を彷徨するパンク魂を綴る傑作エッセー。

感想・レビュー・書評

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  • 町田康はずるい。売れないパンク歌手は売れるために俗世間に染まろうとするがうまくいかない笑

  • みんながみんな右にならえの全体主義はゆるせねえ
    人は自由だ
    俺は俺の歌を歌う、みんな俺の歌を聞けー!って
    なんかおかしくないですか
    みんなが同じ歌を聞いたら全体主義じゃないですかって
    そんな自己矛盾に目覚めてしまった
    ロックスターの悲劇いまここに

  • 何故自分はうだつが上がらないのか、それは自分が偏屈な人間だからであって大衆が寄り添い歓喜する場所に赴き同等な態度を以てして享受した暁には、財産は増え、鰻上りにCDや本が売れ貧困なパンク野郎から脱せる、といった旨のエピソードが盛り込まれた短篇集。
    解説が井上陽水とあってすこし吃驚したが、彼の言う「町田康はズルイ」という節は頷かざるを得まい。
    どうとってしても面白い。笑ける。結びの言葉が「うくく。」という時点でズルイ。
    町田康の着眼点、行動力、自虐、達観、いつ読んでもこの手のエッセイは笑ける、ズルイ。

  • 12/9/14Sold

  • うくく

  • **

  • <狂気のほむら>が大好きだった。以下抜粋。

    最近では各家庭に炊飯器というものが普及して主婦の労働というものはよほど楽になったと思われるが、これがむかつく。~中略~ 黙って引き下がるのも口惜しいので、「この大馬鹿者」「野暮天」「てめえの面なんざぁ見たくもねぇんだよ」「死にやがれ、くそ野郎が」などと罵倒するのだけれども、敵は機械。自分の各種罵倒に対して、なんら反応を示すことはなく、ひたすら飯を炊き、これを保温し続けるのである。

    中略~つまり、これを水着、というのであって、着物の名称としてこれほど珍妙なものはないということが知れるのである。だいたいにおいて、着物というものは水にぬれないということを前提にしてデザインされるものであって、水にぬれる際は昔から、蓑、笠、柿の渋、などで防御したのであり、水着等というものは、最初から論理的に破綻しているのである。

  • 町田康のうくくなエッセイ。

    偏屈にだけはなりたくないと誓って生きてきたにもかかわらず、パンクに目覚めて爾来、偏屈な急坂を只管、転げ落ちるばかりであったという人生。

    このままではあかん、脱・偏屈と、大嫌いなカラオケを歌い、厭悪する温泉旅行に向かい、忌諱するミュージカルを観劇し、北海道で蟹を喰らい等々、あらゆる試みをするも撃沈。事はちくとも捗捗しくならぬ。

    そんなマーチダさんの当エッセイは、なんだか小説のようにも読めて、僕の中ではかなりお気に入りの作品。

    「自由ってアホだよね。」、「虚ろ飯、うつけ飯」、「俺をなめるな。侮蔑すな。」、「ちゃんとしたいと思ってね。」、「個人の暴れん坊」など傑作が詰まっています。

    注意すべきは、おもしろすぎて、電車の中でひとり読んでへらへら笑っていると、変質者と間違えられて、①他の乗客に避けられる、②駅に到着した折に駅員に密告される、③挙句、警察に通報される、といった弊害の顕現する虞があります。

    ですから、お家で・ひとりでこっそり読みましょう、と言いたいところですが、その場合に於いても、①へらへら笑っている様子を家族に目撃されて気まずくなる、②喫している珈琲をPC画面に向かって激しく噴き出す、③ひとりであることをいいことに蛍踊りを踊る姿をやはり家族に目撃されて気まずくなる、といった弊害の顕現する虞があります。

    それやったら、読まれへんやんってことになるわけで、はたして僕はどうやってこの本を読んだのでしょう。うくく。

  • 芥川賞作家でパンク歌手の町田康さんが人に、世間に、社会に溶け込もうと孤軍奮闘する抱腹絶倒のエッセイ集です。『真剣になればなるほどギャグになる』彼のおっしゃる言葉がこの本でよくわかります。

    立て続けに町田康のエッセイを紹介してわかったのは彼の『魂』に共鳴する部分を、僕は生涯抱えていくんだな、ということでした。 僕も筆者同様、やれ『偏屈』だの『変人』だのといまだに揶揄されている始末で、この本を最初に読んだところで、僕も筆者同様に『遊び』といわれるものを『悪い大人』たちに混じって一通り経験したようなしないような。そうこうするうちにまた、もう一度この本を読み返すにあたって、偏屈の谷底で本人言うところの『肉入菜汁の鍋を掻き回して』いる日々から、どうにかこうにかして人に、社会に溶け込もうとして、あらゆる孤軍奮闘を続ける姿がまじめであればあるほど、その滑稽さにゲラゲラと笑いつつも、しんみりとした読後感になってしまったのは、これいったいどういうことかしら?などと思いつつ、この文章をつづっております。

    作中では筆者はトップレスバーに行き、商業捕鯨に反対するためにイルカのショーを見に行ってみたり、世の中にはびこっている美食ブームに怒りの矛先を向けるなど。町田先生の当時の孤軍奮闘振りがやっぱり愛おしゅうございます。その中でも僕が特に感じ入ってしまった一説があって、引用をさせていただきますと

    「夢を抱くとはすなわち反吐と大小便にまみれて路上に窮死することなのであり、夢を抱くと夢がなくなるのである。つまり人生にとって大事なのは一発を狙うのではなくして、コンパクトなスゥィングで右狙い、コツコツ当てていってコンスタントに二割五分、これを目指す。基本に忠実に腰を落として身体の正面で確実に捕球をするといった態度姿勢などであって、余計な夢は見ないで現実を見据えることが大事なのである」

    というもので、夢を追う、ということとそのリスク。というものをこれだけ端的にあらわしたのは当時これだけであろうと、後に『ANVIL』という映画で、この言葉が見事に映像化されているのを思い出して、夢を追う、というのは古今東西変わらないなぁ、と。かつて、彼が経験したように、僕も世間や常識の周りをぐうるりと回って、こういう駄文を垂れ流しております。彼のいうように『偏屈もまた、楽しからずや』そう思って、できるだけ軽やかにこれからも生きていく所存でございます。

  • 偏屈な男が偏屈から脱しようとして失敗する様を綴ったエッセイ集。

    町田康らしい、文体の音楽感と内容のしょうもなさが魅力。

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著者プロフィール

町田 康(まちだ・こう)
一九六二年大阪府生まれ。作家。九六年、初小説「くっすん大黒」でドゥマゴ文学賞・野間文芸新人賞を受賞。二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。

「2022年 『男の愛 たびだちの詩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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