文庫版 陰摩羅鬼の瑕 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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レビュー : 244
  • Amazon.co.jp ・本 (1226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062754996

感想・レビュー・書評

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  • 犯人はこの人しかいないだろ~
    と思われるんだけど、オチがそれかい!と初見では思ったけど
    ところどころにちゃんと仕込みはされてあるんだよなぁ

    まぁ動きがない話ですわな
    ある意味で館モノと思っていいのか?

    ああ、あと終わりの方で榎木津が亀を探している云々はアリだな

  • 悲しくて寂しいお話でした。生きるとはどういうことなのか、とても考える作品です。終盤は悲しくて涙が止まりませんでした。シリーズの中で一番好きです。

  • 『匣の中身が知りたかったり、
    夢を無限に繋げてみたり、
    檻から出ようとしたり、
    理に搦め捕られたり、
    将また、宴に酔い痴れたり。
    私の関わった事件はどれも、夏に萌え立つ陽炎のようなものだった。』

    「じゃあ、このまま滞在するのですか」
    「滞在? そんなモノはしないって。解決するんだよ」

    「お金なんか煮ても焼いても食べられないし、眺めたって触ったって面白くも何ともない。紙幣なんてものはお金と呼ばれている癖に金属ですらない。洟をかむには固過ぎる。折り紙折るには長過ぎる。小銭の方がまだ面白い。お金なんて下品なものは何かと取り換えなければ意味がないのです。つまりお金は貯めるものではなく遣うものなのです。」

    「願いが叶うか叶わないかは祈った者の努力次第なのです! 神様は願いを叶えてくれるのではなく、願いを聞いてくれるのです。何と有り難い!」

    「賽銭が安いからと云って願いを聞かぬ神など居ないと云うことです。同様に高ければ良いと云うものでもない! ー 気持ちだけでは目に見えないから本気かどうか神も判らない。嘘かもしれない。だから気持ちを金に替えて、目に見えるようにした上で証拠として提出する、それが賽銭だ。賽銭は仕事料でも礼金でもない。決意表明なのです! 解りましたか」

    「基準は、個人個人の中にあるだけなんです。それなのに、多くの人は自分の基準が世間の基準と同じなんだと考えている。何の疑問も持たないで、です。何故疑問を持たないかと云えばーその基準は、その人自身が考え築き上げた基準ではないから、なのではないでしょうか。然したる根拠もなく、誰かの模倣だったり慣例だったりを鵜呑みにしている。それで当たり前だと考えている。そう云う人に限って、違う基準に行き合うとそれは間違っているとか常識がないとか云うんですわ ー 何故そうなのかと問うと、だって世間じゃ皆そうだよと答える。何の答えにもなっていません。皆そうだからそうするべきだなどと云う考え方は、下劣だと思います」

    「林檎は赤くて丸いが、赤くて丸いものは必ずしも林檎じゃないだろうが。林檎だったら林檎と一言云えば済むことなのに、赤いとか丸いとか蔕が付いてるとか、一寸酸っぱいとか、そんなことばかり云われたっね林檎だか梅干しだか判らないだろうが!」

    『他人の気持ちなどは解らない。人の心の中など覗けない。どんな場合でも人は解り合うことなど出来ない。解り合えると思うのは幻想である。思い込みである。
    でも、私はあの、途轍もなく小市民的な、善良な人人の気持ちを、今は解りたいと思う。』

    「あ、殺人の嫌疑は晴れたんだがな、榎木津君の公務執行妨害の方はまた話が別なようなのだがー」
    「執行を妨害したのは警察の方です。探偵業務執行妨害だ」

    「中澤さんよ、あんた天辺取るならもっと周りを見ろ。いいか能く覚えておけ!上ってのはな、下がなくちゃ成り立たないんだ。手足がなくちゃ頭は転がるばかりだぞ。てめえの手が何処に向いて何をするべきなのか判らないような頭は ー 要らないよ」

    「謎とは知らないこと。不思議とは誤った認識」
    「何?」
    「この世には不思議なことなど何もないのです」

    「常識というのはそれぞれの日常。生きるために必要な約款です。それは時代や場所に依って大きく違う。その約款は条件付きなのです。つまり常識は真理ではない。真理と云うのは時間性や空間性を超越して不変である筈のものですから ー」

    「本来、生き物は今しか認識しないものです。それで足りているからです。人間だけがその前後に過去と未来と云う膨大な嘘の時間をくっ付けて世界を捉えようとする、それも全部 ー 嘘です。過ぎてしまった過去は何処に過ぎる? これから来る未来は何処から来る? そんなものは何処にも行かないし何処からも来ないよ。何故ならそんなものはないからだ。」

    『あまりにも悲しいじゃないか。
    悪意など、何処にもなくて。
    悪人など一人も居なくても。
    それでもこんなに悲しいことは起きるのだ。』

    『「伯爵を ー この人を救うことは出来ないのか。君は、京極堂、君は」
    僕を救ってくれたじゃないか。
    「人は人を救えないよ、関口君」
    京極堂はそう云った。
    「僕は神や仏ではなく、人だ」
    「しかし、神や仏も」
    「そうだ。嘘っ八だ。嘘っ八になってしまったんだよ。だから人は他人に騙されるか自分を騙すか、そうでなければ ー」
    自分の目で現実を見て自分の足でその場所に立つしかないんだと ー。』

  • 先週,出張の新幹線中の暇つぶしにと思い読み始めた「陰摩羅鬼の瑕」,やっと読み終わりました.殺人事件でありながら,誰が犯人かよりもどうしての部分がより重要である点が,京極らしさが強く出ています.ただし私個人は犯人探しの比重が大きく,読後の爽快感がより大きい「絡新婦の理」の方が好きです.

  • んー・・・評価が難しい。
    榎木津・関口の躁鬱2人旅と聞いてたのでどんなドタバタ劇か期待してたんだけど。
    シリーズ至上はじめて犯人が解ってしまった。
    私に先読みされる位だから今回はとてもシンプルなんだろう。
    憶測が確信に変わった時の京極堂の言葉がもう詭弁にしか聞こえなくて…。
    不本意ながら★3評価です。
    死の概念がないって…。そりゃ不思議なものは何もないさねぇ。
    塗仏がオールスター祭典の規模だったから今回はこれ位のボリュームでちょうど良かったのかな。関口君のリハビリも兼ねて。ただ初めて「長っ」と思ってしまった。
    家族になれるという望みが辛い現実として突き付けられた伯爵を思うと胸が傷みます。あと、伊庭元刑事がいぶし銀で格好良かった!

  • 悪意など、何処にもなくて。
    悪人など一人も居なくても。
    それでもこんなに悲しいことは起きるのだ。

  • ”陰摩羅鬼の瑕”京極夏彦著 講談社文庫(注意:2006/09/16発売)
    (2003/08発売講談社ノベルスの文庫版。本書と同時発売の三分冊文庫版もあり。)

    ・・・婚礼の度に殺される花嫁達。五度目の婚礼を前に悲劇を防ぐべく榎木津・関口が招待されるが・・・。
    白樺湖畔にそびえる洋館「鳥の城」。隔絶した環境に住まう「伯爵」由良昂允とはいかなる人物か。

    ・・・オールスター登場の”塗仏の宴”から一点、シンプルなキャラクタ構成となっていました。
    セカンドシーズン突入?ってな印象も抱きましたし。
    今回は”死生観””家族””認識の錯誤”がテーマ。
    ”家族”については”塗仏の宴”とは違った迫り方。

    ”認識の錯誤”については作中に姑獲鳥についての解釈が出てきたところから、
    デビュー作”姑獲鳥の夏”の別解とも取れそうですね。

  • 白樺湖畔に佇む由良昂允邸には、内部の到る処に鳥の剥製が飾られており、地元では「鳥の城」と呼ばれている。
    そこでは23年前、19年前、15年前、8年前と過去4度にわたって婚礼の日の晩に花嫁が殺害される事件が起きている。
    そして、伯爵は今度5度目の花嫁を迎えようとしているらしい。

    京極堂は今回、「姑獲鳥」が日本で「ウブメ」と呼ばれるようになった経緯について知人の柴君と議論を交わしている。
    その中で林羅山やハイデッガーなどが出てきて儒学の話に移っていくのだが、この場面はもはや探偵小説というか一種の論文であると思う(京極さんの小説を初めて読んだとき、「参考文献」が載っていることにビックリした)。
    しかも「昭和28年時点では読むことのできない文献」は持ち出されていない(解説より)らしく、そのあたりもさすがだ。

    「伯爵の論旨には瑕がある」
    関口君のこの言葉で、僕も彼と同時に真相に至り、頭に閃光が走るほどの衝撃を受けた。
    犯行(本作の場合、「犯行」という言葉は実は適切ではない)の動機に「死生観」、特に死という概念に対する考え方が深く関わっている。
    「貴方にとって生きて居ることと云うのはどのような意味を持つのです―」
    冒頭から繰り返されるこの問いの意味に気づいたとき、そのロジックの美しさに感動した。

    「関口君」
    京極堂は何故か私を呼んだ。
    「君の口から説明してあげてくれないか」
    「ど、どうして僕が」
    適任だよと云って、京極堂は私に背を向けた。
    全員が私に注目した。
    「は、伯爵は―(以下略)」

    1121ページのこの場面、京極堂から関口君へのバトンタッチが絶妙。
    こうして語り手を変えることによって伯爵に、読者に、事件の真相をわかりやすく説明してくれる京極夏彦の手腕に感心するばかり。

    「何でも買えて嬉しいと云うのは、要するに物が手に入れられるから嬉しいと云うことでしょうに。お金だけあっても嬉しくない!つまりお金はなくなった時にこそ喜びが生まれるものなのです。」
    「願を掛けたり祈ったりする者が、自分の願いの深さや決意の確かさを金銭に替えて表すのが賽銭でしょう。その結果願いが叶ったり叶わなかったりする訳だが、叶おうが叶うまいが、それは神様の所為じゃない―願いが叶うか叶わないかは祈った者の努力次第なのです!神様は願いを叶えてくれるのではなく、願いを聞いてくれるのです。何と有り難い!」
    「林檎は赤くて丸いが、赤くて丸いものは必ずしも林檎じゃないだろうが。」
    発熱で視力を失ってしまった榎さんだが、いつも通り要所ではビシッと決めてくれた。
    めっちゃ好きだ。

    シリーズ3作目以降、いさま屋、今川君、益田君など脇役キャラが増えすぎてきた感があったが、今作は京極堂、榎さん、関口君の主役3人を中心に物語が進んでいくのですごく読みやすかった。
    この京極堂シリーズ第8弾は、僕の中で『魍魎の匣』と1、2を争うほどの秀作である。

  • 京極夏彦って言えば~、分厚い本とそして奇妙な本のカバーよねぇ。
    なんか『納涼夏祭り』って感じがいい!

    この本は、ほんと奇妙さ溢れてて面白かったわぁ。


    結末は、
    ああ、こういう考えがあってこう真犯人が出てくるんだぁ。
    ってなんだか頷いてしまったわ。
    さすが京極!

  • 関口さん大活躍。
    前作で悲しい思いをした分、活躍した感じ。でも、悲しい…。

    「謎とは知らないこと。不思議とは誤った認識」
    この言葉はなるほどなぁと思った。

    榎木津さんは相変わらずかっこいい!
    「何でも買えて嬉しいと云うのは、要するに物が手に入れられるから嬉しいと云うことでしょうに。お金だけあっても嬉しくない! つまりお金はなくなった時にこそ喜びが生まれるものなのです。それに仮令なくなってしまってもお金は働くか盗むか貰うかすれば元通りになる。しかし物はそうは行かない。同じ物は天下に二つと無いッ!」つまり物の方が偉いのですと榎木津は勝ち誇ったように云った。「お金はあんまり偉くない!」

    最初の最初で犯人はわかるものの、動機がわからなかったけど、まさかそういうことだとは…。あの特殊な環境であるが故の事件だった…。

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著者プロフィール

京極 夏彦(きょうごく なつひこ)
1963年、北海道小樽市生まれ。小説家としてだけでなく、世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)など妖怪研究家であり、他にも装幀家、アートディレクター、俳優など様々な顔を持つ。
広告代理店を経てデザイン会社を設立。1994年、そこで暇つぶしに書いた『姑獲鳥の夏』を講談社に送ったところ極めて評価を受け、同年、即出版・デビューに至る。瞬く間に執筆依頼が殺到する人気作家に上り詰めた。
1996年に『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花文学賞、2002年『覘き小平次』で第16回山本周五郎賞、2004年『後巷説百物語』で第130回直木三十五賞、2011年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞など、数多くの受賞歴がある。
代表作に「百鬼夜行シリーズ」「巷説百物語シリーズ」「豆腐小僧シリーズ」など。

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