- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062756365
作品紹介・あらすじ
初文庫化エッセイ集1
懐かしい友、思い出の街。生き生きと描かれる人生の感動
苦労をしても殊更にそれを言わず、何事にもおおげさを嫌った母。その母の考えで小学校(旧制)を卒業後、すぐ兜町で株の仕事を始めた。そこで覚えた人生の色々は、その後の作家生活に役立つことになるが(「『ろくでなし』の詩と真実」)。他、鹿児島・伊豆・長崎旅行のことなどを描いた随筆46編を収録。初文庫化!
感想・レビュー・書評
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時代とその当時の作者の年齢のせいか、時代の雰囲気も作者の書き振りもみな全体的におおらか。
晩年から最晩年にかけて書かれた『銀座日記』と比べると俗世への嫌気もまだそこまで出てこない(鬼平がヒットする前で大御所でなかったのもあるだろうが)
こんな時代の日本(東京)なら1日くらい体験してみたい気がした詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
何回めに読んでるのか、どこまで読んだか、いつも曖昧のままにぱらぱらと読み進めても、どこから読んでも面白い
ひとつの時代、ひとりのひとの人となりを知ることの豊かさと
これを読むと、あぁ人が生きてるって愛おしい
今の時代だって私は大好きだ、という気持ちになりました。 -
「気がすむまで遊んでいていいよ。こんな世の中になっちまったのじゃア、何をしていいか、ふんぎりもつくまい」。終戦後復員した著者がぶらぶら遊んでいると母が200円をくれたという。離婚して、大学の購買部で働きながら、暮らしを支えていた母。この著者のエッセイには、この母が所々に出てくる。
映画館で隣の若い女がくちゃくちゃとガムを噛む。「「よろこび」も「悲しみ」も、今の時代に於いては、すべて自分人地のものとなったのであろうか」「封建的だと言われた時代に他人の自由を尊重する意思が若者たちの間にあって、自由主義を謳歌する現代に、この人間のわがままがのし歩いている」とある。
「肉体の力が衰えることは悲しいが、よく考えてみると、日々のあけくれを味わうことについては、二十台、三十台の時よりも、グッと興味も深められている」 -
鬼平シリーズの合間に読むと、池波先生の日記を盗み読みしたような気分に。
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池波正太郎のエッセイは数多く読んだが、まだあったのか、という思いで手にした。解説には未収録のエッセイが250数編あるという。これからも刊行されるのであろう。本書では37・8歳前後のものだ。若いがしぶい。晩年のしぶさはすでにあった。年のころが今の自分と変わらない。こういうしっかりしたというか地に足がついたものの見方・考え方をしてるのだろうかと振り返りつつ、ページをめくった。
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エッセイ。初文庫化らしいですが、まだ読破できてません。
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池波正太郎氏のエッセイの中で、未収録だったものを集めたシリーズ、なのだそうだ。この本は昭和30年代に書かれたエッセイを主に収められている。
…物価なんかはかなり違うし、登場してくる芸能人(ちょうど芝居の脚本やなんかを書いていた時代らしいので、舞台や映画などの俳優の名前がたびたび出てくる)も今では「お元気なのかしら?」っていう人が多いのだけれど。私の親の世代が読むと懐かしく思うのだろうなぁ。
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病棟の談話室に残されていた一冊
森茉莉の読みづらいエッセイを読み終わった直後だったので、その文書力の違いと読みやすさに安堵
30〜40代にかけて書かれたそれは、「男の作法」などのエッセイとは異なる若々しさが漂っていて一気読みしてしまえた