最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062757874

作品紹介・あらすじ

妻に、子どもに、父母に、恋人に――最後に伝えたかった大切なこと
激戦地で日本軍将兵が書き遺した「小さな言葉」が60年の時を越えて、あなたに語りかける

第2次世界大戦の激戦地に日本軍将兵が遺した膨大な手紙や日記、手帳が見つかった。60年の時を越え、彼らが伝えたかった言葉は遺族のもとに届くのか?僕たちは間に合ったのだろうか? NHKハイビジョンスペシャル『最後の言葉~作家・重松清が見つめた戦争~』で話題を呼んだ感動ドキュメンタリー。

私は困惑した。当然、喜んでもらえると思っていたからである。戦争を知らない若造の出過ぎた行為だったのか。「ハイって渡されて感動する、そんな簡単なものじゃなかと。何せあれから60年もたっているけんね」――<第1章より>

感想・レビュー・書評

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  • 明後日、15日は終戦記念日。
    最期を覚悟して書かれた手紙。
    尊い命を犠牲にしてたどりついた今なのに…
    2014年の今、平和だ!と何の迷いもなく言えるだろうか…

  • 戦争を体験していない世代の二人… 作家「重松清」とNHKディレクター「渡辺考 」が戦争と向き合った旅の記録『最後の言葉 戦場に遺された二十四万字の届かなかった手紙』を読みました。

    「城山三郎」の『一歩の距離 小説 予科練』に続き太平洋戦争関連の作品です。

    -----story-------------
    第二次世界大戦の激戦地に日本軍将兵が遺した膨大な手紙や日記、手帳が見つかった。
    六十年の時を越え、彼らが伝えたかった言葉は遺族のもとに届くのか?
    僕たちは間に合ったのだろうか?
    NHKハイビジョンスペシャル『最後の言葉―作家・重松清が見つめた戦争』で話題を呼んだ感動ドキュメンタリー。
    -----------------------

    太平洋戦争に従軍した日本兵の手紙や日記、遺書を60余年の長い時を経て遺族に届けるという企画のドキュメンタリー番組『最後の言葉―作家・重松清が見つめた戦争』、、、

    その番組が制作される過程に沿って、遺された小さな言葉を通して戦争と向き合おうとする姿を描いたドキュメンタリー作品で、以下の構成となっています。

     ■序章 二〇〇二年夏の出会い
     ■第1章 「わが妻、シズエへ」
       ―サイパン島で戦死した海軍将校が家族に遺したメッセージ
     ■第2章 「節子の肌、恋し」
       ―飢餓と疫病のガダルカナル島から恋人を想う
     ■第3章 「雨宿り虫も一緒で椰子の蔭」
       ―ニューギニアにユーモラスな詩人がいた
     ■第4章 「戦争は、悲しい」
       ―死にたくないとソロモン戦線で念じ続けた二十三歳の無念
     ■終章 次の世代に伝えたい

    戦争って、知識としては知っていますが、実体験がなくわからないもの… なんですよね、、、

    それを、きっちりとわかろうとした「重松清」の考えや行動に共感しながら読み進めました。


    戦争が終わって70年近くが経過し、戦争はニュース番組や新聞記事の中で遠い世界でしか感じられず、銃を触ったこともない自分たちの世代が、きっちりわかることはできないと思うけど… わかろうとする努力は続けたいと感じましたね。

    残された言葉は小さい言葉かもしれませんが、その言葉の一つひとつは、魂が込められた、とても重たい言葉だと思うので。

  • 太平洋戦争の激戦地を辿るNHKのドキュメンタリー番組を
    作成する過程で、アメリカ・ワシントンの国立公文書館で
    20余りの文書が発見された。

    それはアメリカが日本と日本人を分析する為に、戦場に残され
    た日本軍将兵の日記や手紙を翻訳した文書だった。

    日本に残して来た家族に届かなかった言葉。戦後60年近くを
    経て、戦場に遺されていた思いを家族に届けることは出来ない
    だろうか。

    作家・重松清をナビゲーターとして放送されたテレビ番組の
    書籍版である。

    サイパンで、ガダルカナルで、ニューギニアで、ソロモン戦線
    で。それぞれに命を落とす寸前まで、極限状態に置かれてなが
    ら家族への、想い人への、戦争への思いを綴った人たちがいた。

    「この戦争は間違っている」「死にたくない」。アメリカ軍の
    物量作戦に圧倒され、補給も経たれ、劣悪な環境に捨て石にさ
    れた人々の、正直な思いが溢れている。

    そうして、遺骨さえ還って来なかった家族の元に届けられる
    「最後の言葉」たち。

    このように書くと非常に感動的なのだが、いかんせん、私には
    ナビゲーター役の作家・重松清の視点が邪魔だった。「ほら、
    感動しなさい」と言われているようで興ざめ。発見された日記や
    手紙の内容に思いを馳せる気持ちが分断された。

    多くの将校や兵士が、祖国へ帰れぬだろうと思いながら日記や
    手紙を綴り続けたのだろう。本書に取り上げられている4人は
    ほんの一部だと思う。

    たまたま、遺族を探す手がかりがあったから、家族の元へ届ける
    ことが成功し、番組として成立したのだよね。

    公文書館に英訳が保存されていた文書以外に、戦場で連合軍兵士
    が個人的に持ち帰ったものもあっただろうし、それは今でもどこ
    かの家庭で眠っているのかもしれない。

    「グンイドノハヤクアゴヲ/ツケテ下サイ、ミンナト一ッシ/
    ョニゴハンヲタベラレル/ヨウニシテ下サイ/グンイドノフネハイツ/
    クルデスカ/ゴハンガタベタイナ/タンヲトッテ下サイ/ダンヲトッテ
    下サイ/クチノナカノチヲフイテ/下サイ/モウネリタクナイ/ヒトリデ
    小便マリマス/デ/ベンキカシテ下サイ/スマナイカ角ザトウ一ツ二ツ
    モラ/ッテクレナイカネ」

    これは『昭和の遺書 55人の魂の記録』(梯久美子 文春新書)に
    収録されている筆者不明の文書である。軍医が持ち帰ったものだが、
    このように文書が残されていても誰が書いたかが分からず、遺族へ
    届かなかった文書も多くあるのだろう。

    せめて言葉だけでも、想いだけでも、家族の元に帰れたらいいの
    にね。

  • 予想したほどの感動は得られなかった。もっと涙ボロボロかと思ってたのに拍子抜けした。その理由が何故かはっきりしないけれど、どこか遠い過去の話のような冷めた印象は受けた。風化させてはいけないのだが、時の流れの無情さみたいなものか。

  • 太平洋戦争で戦死した将校下士官兵士の日記メモ類を遺族に届けるNHKの番組。過酷な戦場で何を考えていたのか。その考えを知ることもなく残された遺族に届く日記はまさに帰還という言葉が当てはまる。過酷な状況の中で生きて行くには親しき人の表象か。親しき人,ふるさと,それらを含めた思い出。大きな力の前に生はあっけない存在だけれど,その生をいかに意味づけるかは生きるものの意思によると思った。

  • いろんなことを我慢して、我慢して、
    話したい事も語りたいことも本音も弱音も、涙と共に飲み込んでいた時代。

    ハタチそこそこの青年たちが、命を賭して守ろうとしていたものは、
    日本という言葉で表現すべきものではなく、
    それは故郷であり、山河であり、家族であり、恋人であり。

    届かぬ想いを、生きている限りひっそりと綴り続けた若者たち。

    守りたかったのは、天子様の大日本帝国ではなく、
    幸せな未来であったのだと思う。

    帰りたい、そんな言葉を紡げなかった若者たち。

    あなたたちが苦しみもがき死んでいったために滅び去った大日本帝国は、
    今や弱音を垂れ流しにできる場所になってしまいました。

  • 直筆の持つチカラ。
    あの時言えなかった「ただいま。」
    現在から過去を写実に追うシーンに
    リアルさを感じた。
    届くはずがなかった手紙が
    タイムマシンに乗って届くよな奇跡。
    そこに居合わせる感慨。
    スタッフはドキュメンタリー冥利に尽きたのでは。

  • 海外に保存されていて、遺族に届くことのなかった兵士たちの手記。
    遺族を探し、重松清が手記を届け、また兵士たちの辿った道を
    追体験した、NHKのドキュメンタリーを書籍化したもの。
    英文で残されていたものを再翻訳したものなので必ずしも彼らの言葉そのままという訳ではないが、感情がひしひしと伝わってくる。
    取材の苦労や追体験の感想なども語られていて、それがドキュメンタリーなのだけれど、そのせいで全体が薄まっていしまっているように感じてしまった。

  • 言葉を残さねば
    死と隣り合わせとなった人の言葉が、何とも言えず、心に突き刺さる。
    今の自分が何と幸せなんだろう。

  • 「ただいま。」
    「おかえり。」
    生きている人どうしでこの言葉が交わされることの価値が再認識できます。


    戦地から帰ることのできなかった人達の遺品(日記)が、
    連合国側の日本分析のために回収収集利用され、
    そして戦後何十年もたってから遺族のもとに突然帰ってくるという話。
    筆者たちは、
    日記に書いてあることをたどり現地に赴き、
    少ない手がかりから遺族を探して見つけ、
    遺品である日記を渡します。
    そして日記を渡された遺族が、想いを語ります。


    時間と空間を越えて伝わってくる(日記に書かれた)言葉の想いをうけとめ、
    その想いを読者に伝えようとする筆者たち。

     どんなに家族のもとに帰りたいか。
     どんなに好きな人に触れたいか。
     どんなにこどもの成長を感じたいか。
     死がすぐにとなりにある状況で、なにを感じていたのか。

    読みすすめるうちに、
    それぞれの日記を書いた人の生き様がくっきり見えてくることから、
    筆者たちの意図は成功しているように思います。


    最後に、いまどきの高校生にこれら戦死した人の日記をよんでもらい、
    作文をかいてもらいます。
    これは、単純に戦争反対ですべて丸くおわらせないための仕掛け、
    のように感じます。

    読後感ですが、
    自分が家に帰ってただいまといえること、
    おかえりと迎えてくれる家族がいること、
    そのことに心から感謝せずにはいられない気持ちになります。
    なんか重松さんと渡辺さんがねらったところに落とされた感じがしますが。

    2011/04/30

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著者プロフィール

重松清
1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木三十五賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』『とんび』『ステップ』『きみ去りしのち』『峠うどん物語』など多数。

「2023年 『カモナマイハウス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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