逃亡くそたわけ (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062758062

作品紹介・あらすじ

「どうしようどうしよう夏が終わってしまう」軽い気持ちの自殺未遂がばれ、入院させられた「あたし」は、退屈な精神病院からの脱走を決意。名古屋出身の「なごやん」を誘い出し、彼のぼろぼろの車での逃亡が始まった。道中、幻聴に悩まされ、なごやんと衝突しながらも、車は福岡から、阿蘇、さらに南へ疾走する。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『ね、一緒に逃げよう』と言われたらどうするでしょうか?

    いや、どうするも何もそれはその時のシチュエーションによるでしょう。何らかの命の危険が迫っているというような状況であったなら、躊躇などする余地なく誰もが逃げるべきでしょう。

    しかし、『逃げる』という場面はそういった緊迫した場面ばかりとは必ずしも言えません。日常生活の中で、何かしらの苦境から『逃げ出し』たいと思ったことは誰しもあるのではないでしょうか?私には未だに自分の中にハッキリと残っている記憶があります。幼稚園児だった私、原因までは思い出せないのですが、どうしても家に帰りたい、という思いに満ち溢れたことがありました。そして、行動に移した私は幼稚園からの『逃亡』をはかりました。園庭を抜け、外に出た私は走って、走って、必死で家を目指しました。しかし、そういう時に限って間が悪く知っている人に出会うものです。隣のおばさんにバッタリ出会ってしまった私は、呆気なく幼稚園に連れ戻されてしまいました。五歳の逃亡劇は数分にして幕を下ろしましたが、あれから○十年経ってもあの時のドキドキハラハラした記憶は未だハッキリと記憶に残っています。そして、おばさんの顔を見ると未だにバツが悪くなる私、なんだかなあという今となっては苦い思い出の一つです。

    さて、ここに『あたしはその日の朝、逃げようと思いついたのだった』という21歳の女性が主人公となる物語があります。『チェックがあるから何も持ち出せない』という中に『ね、一緒に逃げよう』と一人の男性を誘ってその場を後にした、そんな二人の逃避行が描かれるこの作品。『ねえ花ちゃん、帰った方がいいよ、大変なことになるよ』と弱気を見せる男性の一方で、『どうやら唐揚げは中津の名物らしかった』と逃亡先で観光を楽しむ女性の姿が描かれるこの作品。そしてそれは、『脱走自体は難しいことではなかった』という二人が『福岡タワーに近い百道(ももち)病院という精神病院』から『逃亡』した先の旅の様子を描く物語です。

    『幻聴だと判っていても』『亜麻布(あまぬの)二十エレは上衣(じょうい)一着に値する』という言葉が『自分では止めることが出来ない』と思うのは主人公の花田。『意味はわからない。だけどこれが聞こえるとあたしは調子が悪くなるのだ』という花田は、『もう二度と病院には戻らない』と思いつつ福岡の街を走ります。『もー、休もうよう』、『俺、体力ないんだって』と言う『なごやん』に『逃げないと。こげなとこおったら捕まるばい』と返す花田は『脱走自体は難しいことではなかった』と今までの道のりを振り返ります。『福岡タワーに近い百道病院という精神病院』の『男女共同の開放病棟に入院していた』花田は、『外泊の許可も出』ず『二十一歳の夏は一度しか来ないのにどうしよう』と『いてもたってもいられない』思いの中にいました。そんなある日の朝、『逃げようと思いついた』花田は『中庭の隅でなごやんが悲しそうな顔をしてしゃがんで野良猫をかまってい』るのを見て『ね、一緒に逃げよう』、『出ようよ、ここから』と誘います。『本気にしていなかった。けれど、ひょこひょこついてきた』という『なごやん』。『外来を通り抜け、裏にまわって駐車場から病院の外に出』ると、『住宅地に入』り走り出した花田を『なごやん』は追いかけます。『蓬田司という小難しい名前』が本名の『なごやん』は、『二十四歳の、茶髪のサラリーマン』でした。『まわりがこてこての博多弁』の中、一人だけ『標準語』で『どこから来たと、と聞かれると』、『東京です!と言いきっ』ていた蓬田ですが、『一度だけお父さんとお母さんがお見舞いに来たとき、二人が大きな声でこてこての名古屋弁を喋ったの』でした。『正真正銘の名古屋生まれの名古屋育ちだと白状した』蓬田が、会話の中で『でも、「なごやん」はおいしいんだよ!』、『お饅頭。知らないの?』と『目をむいて』言ったことから『医者と看護婦さん以外の全員が蓬田司さんのことを「なごやん」と呼ぶようにな』りました。そんな『なごやん』と病院から逃げた花田、そんな二人は『なごやん』の家へと赴き『なごやん』の車に乗り込みます。『古くて四角いオヤジ車』という『名古屋ナンバー』の『ルーチェ』に乗った二人は『国道386』へと入ります。『どこに行くつもりもなかったけれど、それが分岐点だった』という二人。そんな二人の九州を南下するあてのない旅が始まりました。

    “軽い気持ちの自殺未遂がばれ、入院させられた「あたし」は、退屈な精神病院からの脱走を決意。名古屋出身の「なごやん」を誘い出し、彼のぼろぼろの車での逃亡が始まった”と内容紹介にうたわれるこの作品。『福岡タワーに近い百道病院という精神病院』に入院していた21歳の主人公・花田と24歳で『なごやん』というあだなで呼ばれる蓬田の二人が車で九州を旅する様子が描かれていきます。そんな二人の旅の様子が描かれた部分を二箇所抜き出してみましょう。

    ・『あたしの知るかぎり一番いい寺だから』という花田の案内で『方向感覚はまるできかなかったけれど、観光看板の通りに走って富貴寺(ふきじ)に行った』二人という場面。
    → 『有名なのに全然俗っぽくなくて、山の中に昔ながらにひっそり建っている』という『野の花の似合う寺』富貴寺。『お堂は上から見たら多分正方形で、角が反りあがった品のいい屋根に特徴がある』という富貴寺を『お堂の中は暗くて、お香のにおいも上品で、すごく落ち着く』という花田。そして、お堂を出て茶屋に入った二人。『何食う?』、『団子汁。こっち来たらいつもそうたい』、『団子汁ってなんだよ』、『味噌味のおつゆに野菜と団子の入っとうと』と会話する二人。『団子汁の田舎っぽい、懐かしい味が大好き』という花田と初めての『なごやん』の観光を楽しむ会話が続きます。

    ・『大観峰行こうよ』という花田の提案に『どこ?』と訊く『なごやん』、それに『外輪山で阿蘇が一番すごく見えるとこ。絶対見らんと損するけん』と返す花田という場面。
    → 『うおおお、これ全部阿蘇か』と声を上げる『なごやん』。『外輪山から突き出した岬のような展望台』に立つ二人の前には『下方に広がる平野と正面にそびえる阿蘇五岳、そして全体を囲む外輪山が三百六十度見渡せる。とにかくでっかいのだ』という阿蘇の絶景が広がります。『向こうのうすーく見える山、あるやろ。あそこまで外輪山。全部が山やったのが噴火して吹き飛んでカルデラの出来たったい』と説明する花田に『外輪山ってほんとに全方向にあるんだ』『どんだけでっかかったんだ』と興奮を抑えられない『なごやん』という二人が阿蘇観光を楽しみます。

    二つを抜き出してみましたが、お寺を巡って名物を食べ、また阿蘇山という知らぬ者のない超有名観光地へと足をのばしていく様はもう完全に旅行記です。小説に旅行記を織り交ぜるように書かれた作品は多々あります。例えば”ふるさと”をテーマに東北新幹線で旅する彩瀬まるさん「桜の下で待っている」、主人公が旅に何かのきっかけを得る井上荒野さん「夜を着る」、”どんな遠くまでも、さいはてまでも”と旅に何かを感じる主人公が描かれる原田マハさん「さいはての彼女」など、旅情を存分に感じさせてくれる作品は私も大好きです。そういう意味ではこの作品もそういった旅小説の一つと言えると思います。しかし、しかしです。この作品がそう単純に説明しきれないのがその舞台設定です。それこそが、『ね、一緒に逃げよう』と主人公の花田が蓬田を誘っての逃避行という前提です。そして、その彼らがいた場所が強烈です。『福岡タワーに近い百道病院という精神病院』からの逃亡という大胆極まりない設定には、正直なところその設定をどう捉えて良いか少し躊躇しました。『精神病院』と言っても描き方によってはその逃げ元を意識しなくても良い書き方もあるように思いますがこの作品はそうではありません。それこそが、花田がつぶやく薬の名前の数々です。

    ・『これ以上テトロピン飲み続けたら廃人になるけん、嫌』

    ・『あたしは今は躁が強いから抗鬱剤は要らないけれどリーマスが要る。どこかでメレリルも手に入れたい』

    ・『薬が心配やね』『ロヒプノールがあと三錠しかないんだ』『メレリルも欲しか』

    これらは実は架空の名前の薬ではありますが、旅行記だ…と読んでいる読者にとって、これらのなんだか深刻さを感じる薬の名前は強烈な違和感が襲うと思います。そして、この作品にはさらに読者を困惑させる言葉が登場します。それこそが、この作品の冒頭に登場する意味不明な次の言葉です。

    『亜麻布(あまぬの)二十エレは上衣(じょうい)一着に値する』

    全くもって意味不明な言葉です。冒頭に語られる通りこの言葉は主人公・花田の『幻聴』であり『意味はわからない』と説明されます。まさしく『幻聴』のごとく、この言葉は全編に渡ってさまざまな場面に登場します。あまりに数が多いことから、こういう場合、数を数えないといられなくなる私としては数を数えてみました。

    『亜麻布二十エレ…』の登場回数: 51回

    この作品は文庫本190ページしかありません。このページ数でこの数は異常に多い数です。しかも全くもって意味不明な言葉で、かつ花田の『幻聴』なので、本文に脈略なく登場する分、読書の中に非常に引っかかりを感じさせます。主人公が精神病を患っている、そんな主人公が入院先の病院から逃げた…という前提でこの作品が描かれている分、やはり単純な旅小説にはなり得ないのだと思います。

    そんなこの作品ですが、登場人物は主人公の花田と『なごやん』と呼ばれる蓬田の実質二人のみです。ともに精神病院の入院患者の二人ですが、一方でそんな病気を意識させる部分を除けばそこにあるのは見事な珍道中です。『だけんねえ、遠くでお金下ろしたら今どこにおるかばれるったい。そげなこともわからんと?』というように博多弁バリバリの花田に対して、『正真正銘の名古屋生まれの名古屋育ち』にも関わらず『いずれ俺は東京に帰ります』とやたら『東京』を意識する蓮田というコンビは、会話多めの文章の中に絶妙なやり取りを繰り広げます。二人のそれぞれの性格がそんな会話の中に、行動の中に浮かび上がってもくる物語はどこかほのぼのとした雰囲気感に満ち溢れてもいます。そんな二人が九州を旅して回る物語は、『精神病院』を抜け出した二人という引っかかりを読者の意識からどんどん消し去っていきます。2007年に映画化もされているこの作品。それはこの二人の絶妙な掛け合いからきたのかとも思いますが、なんとも不思議な感覚を纏った作品だと改めて思います。絲山さんの作品はこの作品で三作目ですが、とても個性的な物語を創作される方であり、この作品でもその上手さをとても感じました。

    『目的地なんかない。あたし達は二人とも、糸の切れた凧なのだ』。

    『精神病院』を抜け出した男女二人が九州各地を逃避行する様が描かれたこの作品。そこには、単純に旅小説とも言い切れない複雑な読み味の物語が描かれていました。生き生きとした花田の博多弁の魅力を堪能できるこの作品。九州各地の観光地を巡る旅小説としての魅力も味わえるこの作品。

    まさしくユーモラスに描かれる物語の中に、主人公たちの心の中に潜む、もの悲しい感情がふっと浮かび上がるのを感じたなんとも言えない読み味を残す作品でした。

  • 亜麻布二十エレは上衣一着に値する。
    『資本論』の一説らしい。

    ホンタメで続編が紹介されていて、気になったので先に前作のこちらを。
    変わった小説でした。あてのない旅ってしたことないなぁ。逃亡ってなんかいいなぁ〜。九州は呑み温泉旅しかしたことないな。九州縦断旅が無性にしたくなりました。阿蘇でいきなり団子食べて花ちゃんを感じよう!と思って調べたら近所の和菓子屋さんに置いてるみたい。今度買ってみよっと。

    • しずくさん
      いきなり団子は素朴な味ですよ! あささんのお口に合ったらいいな。
      ちょうど昨日続編を読了しましたが、舞台は東北に移っていました。本作に比べ...
      いきなり団子は素朴な味ですよ! あささんのお口に合ったらいいな。
      ちょうど昨日続編を読了しましたが、舞台は東北に移っていました。本作に比べ疾走感がダウンして主人公たちは大人になり落ち着いていてちょっと気抜けしました。
      2022/08/23
    • あささん
      しずくさん、ありがとうございます。さつまいも好きなので、好きな予感がしております(*゚v゚*)

      続編読まれたのですね!次は東北ですか!落ち...
      しずくさん、ありがとうございます。さつまいも好きなので、好きな予感がしております(*゚v゚*)

      続編読まれたのですね!次は東北ですか!落ち着いたはなちゃんを見るのも楽しみです。またしずくさんの本棚お邪魔させていただきます〜^^
      2022/08/24
  • やっぱり絲山秋子さんの書きっぷりは気持ちがいいです。

  • 久々の絲山秋子さん!
    花ちゃんの博多弁丸出しの会話に伴う疾走感がたまらない。引きずられアッという間に読み終えた。
    主人公・花田こと花ちゃんは「亜麻色二十エレは上衣一着に値する」が幻聴で聴こえ出すと自分ではどうすることもできなくなってくる。『資本論』の一節だそうだが、時折り何度も出てくるこのフレーズは不可解だがテンポ感があり効果的に使われていた。
    「どうしようどうしよう夏が終わってしまう」軽い気持ちの自殺未遂がばれ、入院させられた花ちゃんは、退屈な精神病院からの脱走を決意する。名古屋出身の「なごやん」を誘い出し、彼のぼろぼろの車での逃亡劇。なごやんと衝突しながらも、車は福岡から、阿蘇、さらに南へとの九州縦断ロードムービーさながらだ。(映画化もされているらしい)
    こんなに一緒にいるんだから一回ぐらいセックスしてもいいよ、と言った花ちゃんになごやんが答える。「いかんがあ」「恋人じゃない人としたらいかんて。俺じゃなくても、誰とでもそうだからね」。いいなぁ、なごやん! ここでそんな関係になったら本作の魅力は半減しただろう。
    今春出版された、続編『まっとうな人生』を早く読みたい!

  • めっちゃ良かった。面白い。
    精神病棟から逃げ出して、九州を逃亡する約1週間ほどを描くロードムービー、いや
    ロードノベル?
    亜麻布二十エレは上衣1着に値するという
    意味不明な言葉が主人公の頭に幻聴として
    響く。最初意味不明だなと思ってたけど
    調べてみて、更に作品に深みが出ました。
    方言も素晴らしい。そして、驚く程、自然で嘘っぱちでない。そいぎんたはいいですね。また好きな作家が増えたな〜。

  • 語り手花ちゃんと、たまたまの道連れなごやんの、博多弁と標準語の遣り取りが軽妙で面白い。
    花ちゃんが感覚的であればあるほど、なごやんの理屈っぽさが滑稽に見えてくる。それがユーモラスでいとおしい。それも人を傷つけない、優しいユーモアだ。
    極度の躁病および幻覚と、軽い鬱病。
    ロードムービーならぬロードノベル。
    私が仕事を通じて触れた九州の一部を、ことごとく外す形で九州を南下していく。
    旅を通じて、快癒、治癒、自己の回復、故郷との和解、などなど、先の見えない旅にも係らずどこかしらが癒えていく。
    その最終局面が、たわけ=たぁけ=名古屋弁、という、回帰。ほんのりと感動。
    これは恋愛でも友情でもない、人と人ふたりの関係がなんとかかんとか描かれたからこそ得られる抒情。
    人と人に恋愛と友情以外の関係性をかぶせるのは、難しいことだ。

    ・亜麻布二十一エレは上衣一着に値する。(これがカッコにくくられず地の文に紛れ込む。)
    ・「でも、『なごやん』はおいしいんだよ!」
    ・患者はみんなあの薬で「固められる」と言っている。
    ・自殺未遂に理由なんかなくて、だから躁の自殺は恐い。
    ・黒板を消すように毅との思い出を拭き消していかなければならない。
    ・「『人間の精神は言語によって規定される』って、知らない? 俺は自分の精神を名古屋に規定されたくないんだ」
    ・「ツツガムシかもしれない!」(と叫んで車で逃げるなごやん。)
    ・阿蘇を見るとなんで「うおお」と言うのだろう。
    ・「いきなり団子たい!」
    ・「ラベンダー……」「ふたりで、探そうよ」
    ・「でも、してもよかよ」「いかんがあ」
    ・「宇宙に逃げようとしてから、ぴょーんち飛び跳ねても、重力で戻ってくるやろ。でもそんなことする奴はキチガイやろ。でもあたしはそのキチガイで、なごやんも同類よ」
    ・「これさあ、ライブじゃ『気が触れても彼女と歩いてた』って歌ってるんだ」
    ・「ああ、ほんとの行き止まりだ、ここは」
    ・一瞬だったけれど、確かに香った。強く香った。
    ・自分のふるさとをこんなにも複雑なカタチで愛している人もいるなんて、なごやんと会わなければわからなかった。

  • 奇妙なロードノベル。精神病院から脱走を図った主人公の『あたし』こと花ちゃんは、なごやんと共にひたすら南を目指す。繰り広げられる花ちゃんの頭の中にある精神世界と現実との融合と乖離…

    解説には、この奇妙な小説のベースがマルクスの『資本論』にあるとか無いとか書かれているが、深読みのようにも、正解のようにも思う。

    淡い期待を抱いていたが、アーヴィン・ウェルシュの『トレインスポッティング』或いはバロウズの『裸のランチ』に描かれている精神世界までは到達していない。仕方の無いことか…

  • 双極性障害と九州とロードムービー。対極するはずの疾走感と閉塞感が矛盾なく収まっている。作者本人に告発の意図はないのかもしれないが、日本の精神疾患治療の暗部をざっくりと生々しく晒している。

  • 好きー(^-^)
    精神病院からの逃亡って暗くて重い話なのかな、と思っていたら、予想外に爽快だった。なごやんと花ちゃん、どっちも突き抜けてて気持ちよか。
    九州縦断、旅したくなった。
    なごやんがところどころキュートで癒された。

  • 躁患者の女の子が同じ病棟の男と病院を抜け出して車で九州を南に鹿児島まで縦断するという設定で、それ自体がとても魅力的。
    躁鬱を患ったことのある著者の描く症状、薬の描写は怖いくらいに現実なんだろうなと思わせる。だからこそ、旅が進むにつれてかすかに感じられる心の回復の兆しも、自分には想像もつかないところなんだけれど、そういうことなんだろうなと納得させられる。とても元気が出る一冊。

    ジュンク堂で20時に買って即日、駆け抜けるように読み切った。

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著者プロフィール

1966年東京都生まれ。「イッツ・オンリー・トーク」で文學界新人賞を受賞しデビュー。「袋小路の男」で川端賞、『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、「沖で待つ」で芥川賞、『薄情』で谷崎賞を受賞。

「2023年 『ばかもの』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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