野川 (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 154
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062758253

作品紹介・あらすじ

急逝した友人の一周忌近く、故人からの遺贈として届いた一枚の絵地図。友人が好んだ野川の散歩道を描いた絵の片隅で、大人が子供の手を引いていた。それは子を妊った娘の未来像か、東京大空襲の翌朝に母親と歩いた荒川土手の風景か-。はるか時空を往還し、生と死のエロスの根源に迫る、古井文学の到達点。

感想・レビュー・書評

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  • いつもより言葉がスルスルと流れていく。
    読んでいくうち、作者の過去から現在を繋ぐ一本の記憶を、表題の野川を辿っていくようにしっかりと感じ取れた。
    後期の古井由吉の中でも出色の出来だと思った。

  • 年老いた主人公にまつわる死生観の話、と言うのが正しいだろうか。主人公の現実と意識が入り混じり、どこまでが現実でどこからが幻かわからない世界観のなか、話は進行していく。
    2月の訃報まで著者を存じ上げていなかったが、記事で気になっていた。途中まどろみながら、ペースの上がらないなか、なんとか読破。これまで体験したことのない世界観に慣れないまま終わってしまった感覚。本書のようなあまり掴みどころのない話の経験値が足りないせいか。

  • 新聞に載っていた著者の文章に惹かれて買ったもの。全編にわたって夢と現をどちらとも知れず漂うような小説。六十を越えて生から死を観じる主人公と、戦中の空襲や、青春時代の記憶などが入り混じる。

  • 生も死も過去も現在も自分も融けあう。
    ---
    「我でも我以外の者でもなくなったわたしと、その自身のことを話すわたしは、また一段、次元を異にするのか。わたしの滴すらもはや見出せぬわたしも、すでに異ったわたしか。最後のわたしとは言葉のことか、言葉となりわずかに留まって、わたし自身のことを語りながら消えていくのか。あるいは最後のわたしとは、解体消滅の際にあるのではなくて、いまここに、また反復の日常の内にあるわたし、いや、ここにあるわたしをまた見出すという、安堵と呼ぼうと絶望と呼ぼうと、そのことなのかもしれない」

  • ゆめとうつつのあわいをふわふわしているようで、その真ん中にはひとすじ、確かに道がある。みたいな。

  • 生活の中でたまーにある、たくさんの人といるのに急に自分の回りにフィルターがかかって自分以外がスクリーンの中にいるような感覚になる。この人の、句点の連なりによる淡々とした、ボソボソと喋っているような長ーい文章がけっこう好み。

  • 那覇などを舞台とした作品です。

  • ぜったい読む

  • 今回の旅はこの小説とともにあった気がした。長距離列車で移動しながら、うつらうつらとなったりしながら読み進めていたのだけど、その感じがこの小説の感じと非常に合っていたと思う。この世とあの世。今と昔。夢とうつつ。あいつと自分。不思議な空気感が漂っていて、最初はそれが慣れないのだけど、徐々にそれが心地よくなってきて。堀江さんの「河岸忘日抄」と似た雰囲気があるけれど、それよりもこっちの方が数段上を行っている。。。たぶん今の現役の日本人の作家で最高峰はこの人だと思う。いや、わからないけど。何の理由もないけど直感的にそう感じた。こんな小説を、この域の小説を書ける人はこの人しかいないんじゃないだろうか。。。ちょっと他の作品も読みたくて仕方ない。この本を日本から持ってきて良かった。(08/8/26)

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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