我、拗ね者として生涯を閉ず(上) (講談社文庫)

著者 :
  • 講談社
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本棚登録 : 89
レビュー : 9
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062759069

作品紹介・あらすじ

私は社会部記者であり続けることに、誇りを持っている-。常に人の「善意と無限の可能性」を信じ続けた、ノンフィクション作家、本田靖春。必要なのは、権威でも権力でもない。「由緒正しい貧乏人」として、ただ一人の記者として、生きること。「豊かさ」にあふれた日本人に、欠けているものとは何なのか。

感想・レビュー・書評

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  • 20141101 ところどころストレートな表現で嫌な感じがあったが全編を読んでブレない意見の持ち主と分かる。今の日本が予言の方向に行っているようなのだがこの本に共感できる若者がどれだけいるかで変えられるかも知れない。

  • 元読売新聞社会部記者・本田靖春の自伝。

    自慢話もあるけど、昔の新聞記者って恰好良かったんだな、と思えるほど文章の端々から記者としての矜持が感じられた。
    とくに第七部の「社会部が社会部であった時代」を現役の記者が読んだら、どういった感想を抱くのか聞いてみたいところだけど。

    印象に残っているシーンがある。
    警察周りの途中で渋谷署で出会った女性の話。
    仮名で栄子となっている。
    結核を患っていて、夫はシベリアに抑留中であるという。
    栄子は旧満州に住んでいたが敗戦と同時に乳飲み児を抱いて日本に帰国しようとする。しかしその途中で乳飲み児(恵美子)が死んでしまう。軍人だった夫は現地に残ったがソ連に捕まりシベリアへ。

    帰国した栄子は実家に帰るが、父母は死に、弟も結核で死んでしまう。残った兄夫婦は栄子に冷たい。仕方なく栄子は上京して一人で生活を始め新宿でスタンドバーの女給などをやっていたがやがてヒロポンを覚える。そして薬欲しさに身体を売るようになる。そんなときシベリヤ抑留中の夫から手紙が届く。恵美子は元気か?と書かれた手紙に栄子は慟哭する。栄子は涙で告白文を綴る。折り返し届いたはがきの一文には「苦労をかけて相済まん」と書かれている。
    時間が過ぎたころ、夫がシベリアから帰ってくる知らせが届く。しかし栄子は会わないという。そこで本田靖春は「会いに行かないのはだめです」と説得する。


    その後、本田靖春が社を辞めて2,3年経った頃。一本の電話が入る。
    栄子からだ。「いま世田谷に落ち着いて、なんとかやっているんですよ」という。本田が「ご主人は一緒でしょうね?」と聞くと、「はい。いま主人とかわりますから」という断りがあって夫が電話口にでる。

    最後に本田は癒しという言葉についてこう書く。
    「栄子は生きていれば八十歳である。彼女が受けた傷は癒されたであろうか。このことばは、こういうふうに使われるべきものである。傷つきもしないものが癒しを求めるなんて、卑しくはないか」。

    この一文にシビれました。

  • 本田靖春の一生が、少年時代から晩年に至るまで、実に詳細に書かれている。よくそこまで覚えているものだなと思う一方で、正直、大学までの時代は少々退屈しながら読んだ。書かれている内容がひとごとだからである。子どもは自分の足で歩けない。親や周りに連れられて歩いているから、見せられたもの、言われたものを書いている感がどうしても文章を平坦にしているかもしれない。疾走感が、読者を引っ張ってくる文章の牽引力がなかった。それが一転、大学から読売、地方へ飛ばされてまた社会部に戻る様など、この頃の流れは行を追っていて本当に楽しい。またこの頃から登場する他人への注文、文句も多くなる。一旦断ってからの痛烈な批判が人物描写にかかると大抵登場し、それが実に本田自身の人柄を、逆によく描いているのだ。これから下巻を読みます。

  • 2011.2.26読了。
    気骨のある日本人。引き揚げや戦後の時代を乗り越えてきた氏にとって、とくに今の日本人の弱体化には情けなく感じることと思う。
    これほど熱くジャーナリストとして生きられたことは、大変なことも非常に多かったが、満足も多かったと思う。

  • いい本。痛快。僕も本田靖春のような日本人になりたい。

    「景気回復のために、消費拡大が叫ばれている。経済学的にはそうなのであろうが、人間にはモノより大切なものがありはしないか。もうモノは卒業しなければならない。でないと、自分たちはそれと気付かないまま、日本人の傲慢が世界を押し渡るであろう。保守化、政治的無関心は、大きな危険性をはらんでいる。飽食の日本人は、食べ物を口に詰めるより、頭と心に詰めるべきものがありはしないか。」

    「自民党を中心とする生活には、国家としての理想像がない。つまりは、この日本国には夢がない、ということである。そういう基本をないがしろにした指導者の下で、努力はしない、辛抱はできない、そのくせおいしい生活は人並み以上にしたいという、身勝手で自己中心的な国民が、大量にはびこってしまった。社会性を欠いた彼らには、きわめて残念なことながら、日本の腐った政治を変える能力はない。悲しい予測だが、この国は間違いなく滅ぶであろう。」

    「私は前に、豊かさは諸悪の根源といった。貧しい時代を切実に生きた人々は、真面目で、努力家で、忍耐強く、前向きだったように思う。いまは、それらがすべて失われている。だから日本を昔の貧乏国に戻せ、とは、いくら私でも言いはしないが、いまの日本人は嫌いだ、とだけは力をこめていっておこう。」

    「いまの日本人は、よくいわれているように、自己中心的で身勝手である。言いかえるならば、社会性をいちじるしく欠いている。社会生活を営むからには、なにがしかでも社会に貢献したい。そう思うのが普通であろう。だが、わが国ではそうではない。世のため人のため、などと口にしたら、周囲は白けるであろう。まして、社会正義なんてことばを吐いたら、変人扱いされるのがおちである。私たちは絶対神を持たない。だから、世のすべてのことが人間同士のやりとりということになる。ずるく立ち回っても、嘘をついても、法律に触れないかぎりだいたいにおいて許される。なぜなら、相手も人間であって、胡散臭さにおいて、こちらも向こうも大した変わりはないからである。ところが、相手が神ならそれこそすべてお見通しで、騙しはきかない。そう考えるのが良心というもので、その源から犠牲や奉仕の精神が生まれてくるのだと思う。良心を持たない人間は、ボランティアには不向きである。なにせ、自分さえよければそれでいい連中だからである。」

    「テレビを観るとバカになる、というのは本当である。職業的ミーハー集団ともいうべきテレビ局が、バカを相手にバカ番組ばかりつくっているのだから、元来、バカの資質がある視聴者たちが正真正銘のバカになるのは、当然の成り行きであろう。いまは愚民の最盛期である。そうした風潮を招いた元凶はテレビ(いちおうNHKは除く)である、と断言して憚らない。ことばが軽くなったと嘆いて自刃したのは三島由紀夫だが、思想・信条を越えて深く共感する。とくにテレビの連中は、知性を磨くことも、教養を深めることもしないから、軽い乗りで調子よく喋るのが主流で、使うことばに重みというものがない。」

    「この半世紀余を振り返って、私たち日本人が成し遂げた最大の偉業は、奇蹟的な経済発展を以て永年にわたる貧困を追放したことであり、最悪のものは、消費熱に浮かされ、欲望の充足にのみ心を奪われて、取り返しのつかない精神的荒廃を招いてしまったことである。」

    「かつて、私たちは、ひとしく貧乏人であった。でも、お仲間のほとんどは、成り金に変貌してしまった。貧乏人の立場からしか見えないものがいっぱいある。私は誇りを持って、貧乏人の孤塁を守る。間違っても、成り金の仲間入りはしない。」

    「民主化は精神的近代化に始まる。しかし、日本人の多くは、民主化する手前のところでポチ化していった。差し出された所得倍増という餌に、ころりと行ってしまったのである。ポチ化した愚民たちには、理想なぞというハラの足しにならないものは不用である。反戦とか平和とかいっても、見向きもしない。そんな空念仏より、小綺麗な家に住んで、旨いものを食べて、他人より目立つお洒落ができるかどうかの方が、重大関心事なのである。」

  • 2007年113冊目

  • 一本しっかりと背骨の通った人という印象ですね。
    そういうひとは社会に対する小気味のいい意見をきちんと持っていてスッキリする。

  • 社会部が社会部であった時代の社会部記者、本田靖春。
    名文家の文章は、平易な表現が散見される一方で、流れるような文体であると思う。大衆に向けられた情報表現である新聞に書く記者というのは、良い文章を書く。その筆頭が本田靖春のような記者である。しかし、骨太な彼の性格や、正に新聞記者といわざるを得ない生活には、正直閉口してしまう。それは、うらやましいから。古き良き時代の社会部や記者クラブに憧れてしまう。

  • (080521)

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